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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

“数珠回し”に見た笑いの輪

2018-02-03 23:41:45 | 民俗学

 

 振り返ってみれば、数珠回し行事はあちこちで見ている。それだけ現在でも実施例が多いということなのだろうが、少し前まではわたしの住んでいる隣組でも葬儀の精進落としの後に数珠を回した記憶がある。まだ葬儀場で葬儀が当たり前のように行なわれるようになる以前のことだ。ここに住み始めて既に20年以上経っている。隣組の葬儀といってもそれほど多く経験したわけではないが、住み始めたばかりのころは近くの寺院で葬儀が行われた。精進落としは組合衆への慰労というような位置づけになるわけだが、初めてたずさわった葬儀では墓掘り担当だった。そんな墓掘りが最初で最後の経験となった際の精進落とし、組合衆のお暇の際に数珠を回した。寺だから数珠があったのだろう、自治組織が所有していたものではない。生家ではそういうことがなかっただけに、当時新鮮な印象を抱いた。

 長野県民俗の会208回例会は数珠回し見学が中心だった。見学前の研究発表において細井雄次郎氏は、長野市内の念仏行事の現状と、念仏講の繁栄に影響しだであろう徳本上人のことについて触れられた。その冒頭細井氏にとっての念仏のイメージなのだろうか、葬儀での数珠回しに触れられた。長野市内では今もって葬儀で数珠が回されているのだろうかと思い聞いてみると、実際のところ今は数珠を回すようなことはしないのではないかということだ。葬儀場という場に全てが移ってしまうと、消えてしまうというわけなのだろうか。

 訪れた安茂里は長野市の中を流れる裾花川の右岸側にある地域。それほど広範な地域ではないものの、人口21250人(1月1日発行公民館報より)を数えるという。そこらの県内の町村より人口が多いくらいだ。我が社の長野の寮がこの安茂里にあるため、わたしも過去にこの地に3年余暮らしている。その中心とも言える地区が「大門」だろう。現在もここに公民館や郵便局が置かれている。この大門で19回目と言われる「大日堂祭り」を訪れた。その意図には「戦後一時廃れていたものを平成10年に復活し、節分の豆まきと合わせて実施し、今年で20(ママ)回目を迎えます。ムラ人の安全や無病息災を願い数珠回しを復活させた、人々の願いについて考えてみたいと思います。」とある。復活とあるが、本当の意味で復活なのかは正確なところはわからない。かつて行われていた数珠回しを復活したことに変わりはないだろうが、実施日、やり方などを再現したというわけではないようだ。むしろ保存されていた数珠を「活かそう」というような思いで新たに始まった行事といっても言い過ぎではないのかもしれない。そもそもその次第は次のようなものである。

開祭の辞
実行委員会会長挨拶
区長挨拶
長寿会会長挨拶
実行委員会顧問代表挨拶
交通安全講話
御経と法話
数珠回しの説明
数珠回し
豆まき
懇親会

いってみれば住民の自治集会さながらの次第なのである。そこに数珠回しと豆まきが入っているというわけだ。集まった老若男女は60名。実行委員会会長名で各戸に配布された案内を見ると、「大門区民各位」とあるから大門に住んでいるすべてのひとが対象となる。もちろん住宅密集地域だからそのうちの一部の人が集まったにすぎないだろうが、確かに「老若男女」。基本的にはお年寄りと区の役員、そして子どもたちを持つ家族が加わっているという感じだ。たまたま今日は「節分」だったが、2月の第1土曜日に実施されているという。大日様をまつる大日堂が、大門の公民館となっている。地区内にある正覚院の住職が大日様の祭りに合わせてお経をあげるわけだが、大日様の祭りに合わせて数珠回しがされたかどうかもわからないこと。

 数珠回しは大人数だということもあって、子どもたちを中心に1回目の数珠回しが行われ、次いでおとな中心(男衆)の2回目の数珠まわしが行われる。鉦を叩く音頭取りに合わせて時計回りに回されるが、鉦が止まった際に大数珠が回ってきた人が願い事を声を出してお祈りする。声が小さいと音頭取りから「もっと大きな声で」と注意が飛ぶ。同じ人のところで止まらないように、そして全員に大数珠が回るように調整する。ふつうは大数珠が回ってくればそれを額に上げてお祈りをするのだが、ここでは大声で皆に祈りを報告する。その内容にみなが歓声をあげて後押しをするので、笑いが絶えない。見事な地域融和のひと時なのだ。復活したと言うよりは、新たに始められたという印象は、そんなところにも感じる。なるほど子どもたちとお年寄りがいさえすれば、まだまだ回を重ねられる。そんな印象を持った。

 この日、同じような数珠回しをするであろう地区に帰路立ち寄って、その日程を確認しながら南下した。いくつかの集落に確認しようと考えていたが、最初に訪れた集落で「明るいうちに来い」と言われて、既に暗くなったその集落を後にしてほかの地区にまで足を延ばすのは辞めにした。すでに子どもがほとんどいなくなった集落では、数珠回しをかろうじて実施してはいるものの、「見られるようなものじゃない」と抵抗があるようだ。安茂里でもピーク時に比べれば人口が減少しているというものの、まだまだマチである。いっぽうで「限界集落以上な」と口にされるような地域では、安茂里大門のような笑顔を見ることはもうできないのかもしれない。そんな落差ある光景を見に、今月は足を運んでみるつもりだ。


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