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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

丸尾のブナ

2006-10-23 12:39:13 | 自然から学ぶ


 陣馬形山登山道の途中に大きなブナの木がある。ブナそのものがこの山では珍しいのだが、その中に忽然と大木が現れる。胴回り6.45メートルというブナの木はそうあるものではない。日本の巨木百選に選ばれているブナの木からみると、1位の秋田県「日本一のブナ」が8.60メートル。2位の同じ秋田県「あがりこ大王」が7.62メートル。3位の飯山市「森太郎」が5.34メートル。4位の秋田県「白神のシンボル」が4.85メートルということで、それらに引けをとらない大きなブナの木なのである。「丸尾のブナ」と呼ばれるこの大木は、樹齢600年と推定されている。木の横に建てられている看板の由来には次のように書かれている。

 文明元年(1469)丸尾村、宮澤播磨源宗長の代 このブナの木を御神木と定め、根元へ祠を建立す。
 諏訪大社の御神体として薙鎌をこの祠へ祭りブナの木明神と称して毎年三月初めの酉の日を祭日として祝い祭ってきたが、明治初年、丸尾熊野神社へ移奉す。

 宮沢家は、山の麓にあたる丸尾村のオヤカタさまだった。文化期に山の境界争いが起きて訴訟になり、その検分にきた幕府の役人を案内して陣馬形山へ登った折に、このブナの木の元で休息したといわれる。

 標高1280メートルにあるこの木は、現在でも目の良い人がみれば遠くから確認できるのかもしれないが、周辺の木々に混ざってしまっていて、わたしには山の中からこの大木を見つけることはできない。かつては芝刈り山だった陣馬形山には、現在のように木がたくさんなかったという。そのころには、麓からもこの大木を確認できたという話をよく聞くことができる。

 宮沢家所有の土地、木であったが、戦後に丸尾地区の共有物になった。その後中川村へ所有権は移転されている。息子が小学生だったころ地元の山が治山工事で登れないということで、自分たちの家が見られる山へ登りたいと、この山へ地区のPTA活動で登ったことがあった。その当時は木に登ったりして記念撮影をしたものだが、現在は木の周辺に柵が張られ、木の保全措置がとられている。

 陣馬形山の紅葉が始まり、今はこのブナの木のあたりまで下りてきている。それほど奇麗な紅葉ではないのだが、時折真っ赤に染まった木々を見ることができる。林道黒牛折草峠線という道が整備されていて、その道沿いから上ると100メートルほどのところにこの大木がある。だから登山道を下から登らなくともこの木にたどり着くことはできる。その車道からの入り口に、赤く染まった木があった。そして山椒の実が赤くなっている。



 撮影 2006.10.22

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