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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

道祖神を盗む⑬

2015-11-01 23:37:37 | 民俗学

道祖神を盗む⑫より

笹久道祖神

 

 小幡麻美氏の「道祖神盗みの実相-長野県・中南信地方の事例より-」(『長野県民俗の会会報』36 2014)の一覧から帯代の額を見てみると、「百両」という例がいくつもあるのと、明治以降には「両」に代わって「円」が登場するとともに、大町市社木舟の「一億万両」(明治31年)といった途方もない金額を記すものも登場するが、「百両」以下を記す例がほとんどだ。そんな中、帯代を刻銘する北限域ともいえる旧大岡村笹久にある道祖神には、並んで立つ双体道祖神のいずれにも「五百両」が刻まれている。向かって右側の道祖神は、双神の上部に、左側の道祖神は双神の向かって左側に彫られている。仁科利章氏は『信州の石仏北信編』(長野県民俗の会 郷土出版社 2000年)においてこの道祖神について触れ、「犀川沿い、込地あたりから担いできたものと言われている。当時としては大金であったろう。村の古老は、「河原の石は固くて風化しにくく、また永い間水で清められているからとてもいい」と語ってくれた」とふたつの興味深い視点を与えてくれている。ひとつは込地あたりから担いできたもの、というところで、この道祖神は実際に盗んできたものなのだろうか、とうかがわせる。笹久は犀川からみればずいぶん標高が高い。この地まで担ぎ上げたともなると容易ではない。そのうえで「大金」と記しているのは、どういう意味を含んでいるものか。二つ目として「河原の石」のことだ。なるほど河原の洗われた石は脆弱な部分を削ぎ落として、固い部分だけが残ったとも言える。加えて「永い間水で清められ」たという捉え方だ。ちょっと新鮮な響きである。

 

花尾道祖神

 

 道祖神盗みのことを旧大岡村ありたりでは、〝ぬすっくら〟などと言ったようだ。実際に盗んできたという道祖神もある。笹久から北で、少し下ったところに花尾という集落がある。笹久も小さな集落であるが、花尾も同様に小さい。集落のはずれの山の中に道祖神が祀られているが、よそ者が訪れようとしてもそこにはなかなか到達できない。針葉樹の山林内はなかなか日差しの入らないような薄暗いところで、そんな薄暗い林床を上っていくと、石ころだらけのガラ場の向こうにようやく道祖神らしきものが目に入る。この道祖神は「隠し道祖神」で2006年に扱った。わざわざこんなところに祀ったのは、盗んできたから見つからないように隠したからだという。さらに解らないようにと、道祖神を半分ほど埋めて据えたらしい。2体の双体道祖神が並んでいて、どちらも盗んできたものなのか、片方だけなのかは解らない。このあたりでは「道祖神移しの儀」などと言われたともいう。それは正月7日の日にだけ限られたもので、いわゆる正月の火祭りの日だけに許されたと言われる。

 なお、藁製の道祖神を被せることで知られている旧大岡村芦ノ尻の道祖神も、かつて祀っていた道祖神が盗まれたという伝承があり、盗まれないように大きな道祖神にしたという。その道祖神が文字碑のため「あじけない」と言って藁で顔を作るようになったという。

続く


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