Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

隠し道祖神

2006-06-11 09:28:28 | 民俗学



 旧更級郡大岡村(現長野市)の芦ノ尻から西へ下ったところに花尾という集落がある。数軒しか見えないからずいぶん小さな集落だと思う。市営のバスが走っていて花尾というバス停がある。市営バスとはいっても、1日に3本程度しか通らない。このバス停の北側にある家の東側山つけに水が流れている。ちょうど訪れた際に、そこにある池の周りに九輪草が咲いていた。そこから檜が伸びる山の中に入っていくと、湧水が多いようで井戸の水源がいくつかある。そのあたりから山の方を望むと、檜の木の下は緑一色である。苔が点在している石にきれいに張り付いていて、みごとに緑の絨毯を敷いたようだ。よく見ると大小はあるが、山肌には玉石が敷き詰められたように並んでいる。まるで人為的に並べられているように見えるが、自然にそうなったのだろうか。山の地肌がほとんど見えないくらいで、歩くにも玉石の上に足を運びながら進む。どのくらいだろう、九輪草のところから急な山を50メートルほど登ると、周囲の色や風景に溶け込んだようなところに道祖神が2基並んでいた。一緒に行った長野市立博物館の学芸員さんが誘導してくれたからわかったが、1人で「あの辺にある」程度で探しながら登ったら、とても容易には見つからない。ごく普通の山の中の特別目印もない場所に、気がつけば道祖神があるのだ。おそらく敷き詰められた足元の玉石の下には豊富な湧水が流れているに違いない。こんな山を歩くのは初めてだ。そんな山なのに檜は生育している。

 わざわざこんなところになぜ道祖神が祀られているか、そう思うのは誰しも同じだろう。大岡村村議会だよりに書かれた記事によると、道祖神移しの儀というものがかつて行なわれたという。それは正月7日の日に限られたといわれ、いわゆる正月の火祭りの火だけに許された道祖神盗みの習俗のようだ。ほかの集落にある道祖神を黙って盗んでくるという風習で、盗んできたからには見つからないように道祖神を隠したのだという。だから人目にもつかない山の中に、そして周辺の景色に同化したところに道祖神が迎えられたのだ。さらに解らないようにと、道祖神を半分ほど埋めて据えたという。現在は埋まっていないが、当初は埋まっていたようだ。

 別ブログ「盗っくら」にある道祖神も花尾からそう遠くないところにある。長野市西山から安曇野にかけての道祖神は、あまり注目もされていないが、意外にも興味深いことがたくさんある。


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