もちろん福寿草のような輝きはない。福寿草の“黄色”は、ちょっと並みの黄色ではない。とくに春の日差しのあたったときの福寿草の輝きは、ほかの花々にはない輝きである。“まぶしい”、そんな表現が似合うかもしれない。そんな福寿草は、春の初めの彩のひとつだ。だからこそ人々の目をも引くのだが、その姿もどこかしこに見られるというほどのものではないから、群生しているところは人々を集わせる。
そのことを思えばタンポポはいたるところに咲くから、人々の目を引くほどではない。そんなタンポポにもニホンタンポポとセイヨウタンポポという大きな枠がある。一般にその見分け方のひとつとして、花(頭花)の下にある総苞片の形と大きさの違いに注目する方法がよく知られている。しかし、ちまたのタンポポのほとんどのものが頭花の下の総苞片が反り返っているセイヨウタンポポともなれば、おそらく交雑して長い時を経て、そんなに簡単なものではないのかもしれない、などど思ったりする。事実、総苞片の形や大きさなど外見の特徴だけではどっちなのか判断できなくなってきて、交雑種のほうがちまたには多い、という指摘もある。
ニホンタンポポは花粉を昆虫たちに運んでもらって他の株の雌しべに受粉(受精)させることで種子をつくり子孫を残すという。したがって花粉を運んでくれる昆虫たちがたくさんいる、同じニホンタンポポの株数が多いという条件がないと数を増やすことができない。そう考えるとセイヨウタンポポばかりの空間にかろうじて残る頭花の下の総苞片が反り返っていないタンポポも、実はセイヨウタンポポの雌しべによって花を咲かせている、なんていうこともあるのだろう。セイヨウタンポポは自ら受粉して繁殖できるいっぽうで、ニホンタンポポはよそから雌しべを運んでもらわないと受粉しないというわけだが、セイヨウタンポポはニホンタンポポの遺伝子を奪う盗賊種とも言われる。
さて、妻の実家の奥まった畑地帯には今盛んにタンポポが咲く。群生しているタンポポの中に、頭花の下の総苞片が反り返っているものはない(いちいちすべて確認したわけではないが)。おそらく純粋なニホンタンポポだとは思う。周囲の雑草のおかげで福寿草ほどの輝きは見せないが、きっと福寿草のように、まだほかの雑草が勢いを増す前ならこれらタンポポも十分に輝いているのはずだ。
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