柱立ての世界③より
御柱の飾り方について安曇野市豊科町一市場東村では「女陰の形を意味しない」ということであったが、いっぽうそれを強く意識するような形状を示している例が安曇野市穂高町柏原倉平のものである。高原正文氏の報告から意図的にその形状が変えられてきた様子がうかがえる。「当初は福俵などはなく「おんべ柱」と言って単なる柱だけのもの(男の柱)だったようであるが、時間の経過とともに道祖神の「縁結びの神」の性格に「生殖の神」の性格をとらえるようになって、御柱飾りがされ全体の形状が女性の性器(女陰)に変化してきた」というのだ。その変化がいつの時代にあったのかは示されておらず、それが実際に語った人々によって変えられたのか、先代から聞き及んだものなのかは定かではない。しかし、かなり意識的に女性器を象ろうとしてきた発言を紹介していて、その変化はそう昔のことではないのではないかと想像させる。その具体的な表現を紹介しよう。
「子供が生まれ出てくる大事な女性器は陰毛で守らなければならない」といって女性器の外周を縁どるようにしめ飾りをつけた。また、「三とこも四とこも締める福俵を飾った方が、女性器の締まりのよい嫁さんが来てくれる」とは、高原氏によれば「生殖を司る女性器の良し悪しに男根をくわえこんで放さない「締まりのよさ」」という考えがあり、結論としてこうした信仰ができあがったようなのだ。
安曇野市堀金田尻南木戸では、「御柱の柱自体を男性器(男根)と見倣しており、縄を結わえた御柱飾り全体の輪郭を女性器の形になるよう仕上げ男女一体になった様(性交)を表現」しているという。このように安曇野市周辺の御柱には、男根である御柱と、その周囲を女性器に象って飾り立てるという意識が高原氏により報告されている。具代的に形状の意図を聞き取ることは今となっては容易なことではないのだが、確かにそう説明されるとそれらしく見えてくるのも事実である。とはいえ御柱は空に向かい立てられる。とすると天空が女性器であって、わざわざ交合を象る必要性はないのではないかというのがわたしの印象である。大地が根元であって、先端はあからさまにシンボリックに人々に誇示される。御柱が男根そのものであるとしたら、このシンプルな形こそ豊穣を促す姿ではないのだろうか。この巨大な男根に、交合を示すべく包み込む巨大な女性器を象る必要性はなんなのか。男根の誇示、巨大化は理解できるが、女陰の巨大化したものはけして好まれるものとは思えない。山梨県内のオカリヤなどを見ていると、人々の豊穣を願う思いが特異な形を作り上げていくことは納得できるが、果たして御柱の基本に語り通りの背景があるものなのか、少しばかり疑問を抱くことは許されるだろう。
続く
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