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ある「常会」の記録より⑱

2019-08-10 23:37:09 | 地域から学ぶ

ある「常会」の記録より⑰より

 昭和54年1月から始まった「記録簿」の残り全てを見ていこう。

 昭和60年度、恒例の11月3日の運動会において、常会長のほか、2家族が結婚式が身内にあって欠席をした。このため例年行っていた慰労会を中止している。いっぽう12月1日に行われた区の山作業に、常会から6名が参加し、その際に「忘年会をやったらどうか」という話が持ち上がり、同意が得られて忘年会を初めて行うこととなっている。12月20日に行われた年度末総会では、「大雪の場合、朝6時集合にて雪かきをする」と確認されている。

 昭和61年1月27日の集金常会では「常会として1日旅行を実施するかどうか協議」されている。これもまた賛同が得られて実施することで決定。3月9日の常会では「会計監査について、今年度より旧常会長、旧会計が監査することに決定」とあり、その報告は1月1日に行うことが確認された。4月20日、予定通り「1日旅行」として長島温泉への旅行が実施された。参加者32名と記録されている。そして4月27日の集金常会において、1日旅行の「はばき脱ぎ及び会計報告」がされている。この年の記録は誤字脱字が多い中、「はばき脱ぎ」という単語がごくふつうに登場しており、「はばき脱ぎ」が当時頻繁に使われていたことが予想される。8月8日に常会所で「農休み」が実施されているが、かなり遅い時期の農休みといえる。11月30日には農協祭の綱引大会に常会として参加している。12月23日に年度末常会が開かれ、次年度の役員が決定している。この年、ようやく役員名から「養蚕」がなくなる。

 昭和62年2月7日の常会において、区会議員選出についての議題があり、その選出において再任を求められた当該議員から再任に対する異論が発せられたようで、結論が持ち越されている。もともと当該議員が選任された際に、選挙で選出された別の方が区会議員になることを固辞されたため、条件づきで選出された経過が過去にあったための異論であったようだ。こうした役員選出の際に、少なからず発生する課題で、当時はまだ選挙で選出されていたにもかかわらず、承諾をもらえず別の方に役員をお願いする事態は珍しかったと思われる。9月12日にソフトボール大会慰労会が実施された。この記録の中に、「これより万歳の音頭は年長を改めて年の順とすること」と決定したとある。常に年長の者が締めを行っていたが、今後は「年の順」とするという意味なのだろうが、「年の順」とはどのようなものなのかはっきりしない。近年慰労会が多くなったため、常に締めを行う人が同じになることへの異論があったと思われる。10月17日の常会では、村から保健婦が来られ、血圧測定を行った。その結果「血圧の高い人が多い」ことが判明。「今後月1回ずつの血圧検査をすることに決定」と記録されている。この年は前年とは異なり、農協祭の綱引大会、また忘年会を「やらない」ことに決定されている。12月23日の年末常会において、「常会貯金は屋根の修理のため前通り2千円続ける」と決定されている。

 昭和63年3月27日集金常会の記録は、同じ記録簿ながら横書きのけい紙を貼り付けて記録されている。もちろんそれまでは縦書きであった。

 ここまでで本「記録簿」は終了する。

続く

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