Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

相変わらず“近づく”人びと

2018-06-08 23:24:59 | ひとから学ぶ

 前車との車間を割合とる方のわたしは、後方をよく見ている方だ。このことは何度も記していること。だから急にわたしに接近してきたり、あるいは明らかにわたしよりスピードをあげている車が後ろに着いたことはすぐにわかる。そうした車がどれほどわたしに接近し、その後どうなっていくかを注目する。ひとつの指標は、後続車のフロントがルームミラーから見て隠れるほど接近するかどうかというもの。隠れるほど接近しているとすれば、車間は数メートルということになる。先週の土曜日のこと、草刈を終えて家に帰ろうと県道を走っていると、わたしもそこそこのスピードで走っていたものの、急速とは言わないまでも、比較的短時間に遠方に見えていた車が近づいてきた。この場合、自分が何キロで走っていたかによってもわたしの意識は違ってくる。前にも車がいて、前の車のペースに合わせていた場合と、単独で自分のペースで走っていた場合では、接近してくるにもその速度に違いがある。もちろん後者の場合は、より後続車の速度が速いということになるのが通常だ。こんなことは何度も経験してきたことだが、同じことをわたしが前車にすると、それまでそこそこのスピードで走っていた車が、急に減速して後続車に嫌がらせではないがイラつかせることはある。わたしも若いころは、そんな経験を何度となくして、前車を抜こうとすると「抜かせない」という対応に出る車もいたものだ。これは2人の「前」と「後」の位置にある者の、「喧嘩」のようなものにあたる。くだらないことなのだが、周囲に人がいるのに、たった2人で意識を高揚させていく事例としては、車の運転ほど特異なものはない。

 今はわたしから仕掛けるなどということはないが、繰り返しているように、前の車には「近づかない」を実践していると、逆に後ろから苛立ちを見せられることは多くなったのかもしれない。そんな場合二通りに分かれる。一つは割合わたしに接近するのに、わたしがスピードを上げると車間は広がっていくタイプ。ふだんから前車との車間を詰める癖のある方で、けして煽ろうなどというつもりはないと解る。それが解っても、近づかれるのが嫌なので、着かれたくない人。もう一つは、スピードを上げても車間を詰めたまま合わせてくる人。明らかに煽るタイプの人だ。「違和感があれば、確かめる」で触れた女性は、煽っているとまではいかないが、この後者のタイプであった。先週の土曜日に近づいてきた車も、この女性に似ている。とはいえあれほどスピードは出していない。高齢者ドライバーのマークを着けていないが、見た感じは70歳前後と見た。こういう時はいろいろ試してみる。車を左側に寄せて走らせると、後者のタイプは明らかにセンターラインよりに寄る。わたしが減速でもすれば躊躇なく抜いていくはずである。高齢なためかそこまではしないが、接近していることに変わりはない。そもそも「接近する」意図は何か、そう思うことは度々ある。今は追い越しのできる道は少ない。センターラインがなければ、追い越し禁止にはあたらないから抜くことは可能だが、よほど遅く、左に寄って走っていない限り、前車を抜くのは難しい。はるか前方の信号機が黄色くなれば、自ずと赤になることは解っているのに、どんどん近づいてくる車のアホらしさには頭が下がるが、信号が赤でも信号の直前までアクセルを戻す気がないのか、そう思う。ふだん走っていれば、その信号機がどういうタイミンクで赤になるかは予想がつく。遠くに見えた時に青だと、信号機に至るまでに「必ず赤になる」と解る信号機は、その時点で速度を上げようなどとは思わない。それが通勤上の学習能力だ。「意識の問題」でも触れたとおり、渋滞を起こす交差点には理由がある。その理由を学習すれば、ある程度解消できることなのに、できない、というか解っていない人は多い。前の車に接近することほど無意味なことはないと、なぜ解らない。

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