Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ホンダレ様 後編

2018-01-18 23:03:57 | 民俗学

ホンダレ様 前編より

箕輪町富田ホンダレ様

 

辰野町小横川入村のホンダレ様

右側の細い方が十二ホンダレ様

 

 実は箕輪町富田の向山喜通さん宅のホンダレ様を訪れようと、伊那市上戸から県道を走っていくと、富田に入ってすぐの道端でまさにホンダレ様を見つけた。あらかじめ向山さん宅を頭の中にイメージして向かっていたから、目的の向山さん宅とは異なることはすぐに解った。その時思ったのは富田には「ホンダレ様を飾る家が多いのだろうか」ということ。もとろん確認しようとホンダレ様を飾っているお宅を訪ねた。こちらも同じ向山姓の方。年齢は84歳と言われるから、当初訪ねようとしていた喜通さんより10歳年上。なるほど現在も年中行事を過去にならって実施する年齢は、すでに80歳を超える世代と言ってもよいのだろう。それもわたしの父のイメージからすると、先代にならって実施しているに過ぎず、あまり詳細なことまで知っている人は少ない。それほど、すでに年配だからといって昔のことをよく知っているとは限らない時代になったのだ。だから74歳でホンダレ様をいまだ実施されている喜通さんには、意外な印象を持った。

 同じ富田に飾られていたホンダレ様。うかがうと富田では昨日紹介した喜通さんと今日の向山さんの2軒だけだという、ホンダレ様を飾るのは。写真がそのホンダレ様。こちらは土蔵の脇にそれは飾られていた。本来は初山といって年が明けてから山に入って伐ってきた若木を使うのが筋だが、向山さんはこう言う。「自分はもう年なので、雪が降ると嫌なので年内のうちに採ってくる」と。したがって年末の20日ころに採ってきたという。昔は薪だったので、初山といって若木をどこの家でも採りに行ったもので、山に入った翌日くらいにホンダレ様を飾ったという。向山さんのところでは11日にホンダレ様を飾るという。年が明ける前に採ってきたという木はナラである。何の木でなくてはならないということは向山さんの家では言わなかったという。今はナラの木を使っており、飾りを降ろすと椎茸の原木に利用するという。真ん中には榊(本物の榊ではなくソヨモを代用していのは伊那谷では共通していること)とミズキ(ミズブサ)、松枝にナンテンが立てられ、昨日同様にミズキには繭玉とアワ穂ヒエ穂が吊るされる。昨日の喜通さんのところではミズブサの木に穂を刺していたが、向山さんのところでは吊るしている。そして喜通さんのところと同様に鳥追い棒が一緒に飾られる。豊作祈願であることが一層理解できる光景だ。同じ富田ということもあって、かつては20正月にどんど焼きがされて、そこで下ろした飾りは焼かれたと言うが、今は20日正月にはどんど焼きが行われないため、家で焼いて処理しているという。若木は自分の家の山から採ってくる。またミズキは裏山から採ってくるというが、今は山に少ないという。

 さて、ホンダレ様については2011年に「ホンダレ様」ですでに触れている。辰野町小横川でやはり2軒の家でホンダレ様を飾っていた。小横川では本来ヤナギの木を使ってホンダレ様を飾ったと言っていた。しかし昭和17年に小横川の水害があって、川の中に生えていたヤナギが流されてしまい、ヤナギがなくなってしまったのでミズブサを使うようになったと言う。富田の2例ともミズブサの木にホンダレ様を飾っているが、果たして昔はどうだったものか。

 ところで2011年にはホンダレ様を飾っていた小横川の下村と入村の2軒、今年うかがってみると下村の家ではホンダレ様は飾られなくなっていた。そして入村の家でもホンダレ様の語源にもなっている穂垂れはなく、ナラの木を立てかけた真ん中に小さなベボの木をさしただけのものだった。ホンダレ様の飾りも、すでに絶滅寸前といっても差し支えないのかもしれない。

コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****