Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

年は越せない

2017-12-31 23:33:45 | つぶやき

 昨年の大晦日に次のようなことを記した。

 昨年は老健に入っていた母は、今年は特養で元旦を迎える。けして自宅に帰って正月を迎えられないわけではないが、そんな日はもう二度とないのだろう。母はここは「姨捨山」と言うが、まさに姨捨山かもしれない。そうつくづく思ったのは、ここでは自宅復帰の道はない。ようはもはやここが自宅だから。復帰するステージがないのだから、そのステージに戻るための訓練はない。それを望むこともできない。ようは死への階段を一歩歩んだに過ぎない。残念だが、姨捨山意外に呼びようがないといえる。

 母は9月13日に亡くなった。「なぜ」と思うほど呆気なかった。結局、老健に入った後、一度家に帰ることはできたが、再び老健に入ると、その後特養に入ったまま、家に帰ることなく逝ってしまった。「正月くらい…」と思っていたが、2年続きで複雑な思いで母を見舞った。そう考えてみると、母より先に義母が亡くなっていただけに、もう少し長生きをしてこの年末を迎えていたら、もしかしたら妻が介護の手を離れていただけに、この正月は家とはいかなくとも、我が家へ来て過ごすことができていたかもしれない。

 年々忙しくなるような気がするのは、結果的には自分が年老いて、許容量が低下しているせいなのだろう。そして疲れが抜けずに日々がめぐる。夏場の草刈はなんとかこなしたものの、妻の担う農業へのサポートもほとんどできなかったというイメージだ。そろそろすべて一線を退いて、許容量に見合った仕事をするべきなのかもしれない。例年大晦日には1年間の日記を振り返ってきたが、今年ほど中身のない日記を記した年はなかった。だから振り返りたくもないという感じで、今年はそれをしない。今年を象徴しているような気分だ。足跡の無い年、あるいは記憶に留まらない年、そしてあえて言うのなら、母を見送った年であった。だから仕事納めもなければ仕事始めもわたしの気分の中にはない。節目のない、継続だけの日々の上に、なぜか「大晦日があった」、そういう状況なのである。

 先日、会社の大先輩の家を久しぶりに訪れた。わたしがまだ10代のうちに始まった先輩とのかかわりだから、もはや40年来といってもよい。したがって先輩も年を重ねられている。わたしの顔を見て、すぐに私だと分かっていただけると、過去に時間は繋がる。厳しく叱られたことは、昨日のことのように記憶に残る。時は確かに経たが、その関係だけは少しも変わらない。わたしにとってはトレースすべき標でもある。不甲斐ない今年を、語るには全てが足りない。残念ながらわたしにとって今日は、大晦日ではない。

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“すり初め”

2017-12-30 23:56:11 | 民俗学

 かつては駒ヶ根市内にある美容院に通っていたが、閉店してしまったため、今年になってから飯田市内の美容院に通うようになった。いわゆる「丘の上」にある美容院で、かつての飯田城の堀の上にあるという。実は昨年の今日、まだこの美容院に入ったことはなかった時、美容院前に飾られていた飾りに興味を持ったことがあった。このことは「正月を迎えるマチ」で記した。その飾りには水引が付けられていた。なるほど「水引」をつけるのは飯田らしいと思ったわけだ。その美容院に今年4度目ほどになるだろうか、訪れた。

 これまでの会話の中で我が家がブク(喪中)であることは認識されていて、第一声が「今年は飾りをしない」という話になった。息子さんのお嫁さんのところで不幸があったということで、息子さんは毎年恒例だった正月の行動を、今年はしないと言っている、というあたりから話が始まった。そんななか「鳥居をくぐらない」という話になって、我が家は組長をしていて、たまたま祭典当番が回ってきていて「出ない」というわけにはいかず、もう何度も鳥居をくぐっているという話をした。マチの中に暮らしているその方によれば、ブクなら「鳥居をくぐらない」は今もって頑なに守られているという話をされていた。

 そんな正月の話をしながら話題になったのは「すり初め」のこと。「すり初め」とは正月2日にとろろ汁を擦って食べることを言う。実は意外に広く行われている習俗なのに、限定的なのかあまり認知度は高くない。たとえば『長野県史民俗編 第二巻(二)南信地方 仕事と行事』にもその記述は少ない。正月の項にあえて「スリゾメ」を拾うと、「スリゾメとっいって主婦が長芋をすって家族みんなで食べる。(石曽根、S-30-長峰、南条、座光寺原、押出、十原)というものがあるくらい。「スリゾメ」とは表記されていないが、新野でも「スリイモをすって食べる」、あるいは「主人がとろろをすってえびす・大黒に供えてまつる」といった旧浪合村恩田の例くらいなのだ。石曽根は飯島町、押出や十原は旧南信濃村にあたり、上伊那南部から下伊那地域に限定されているような習俗に見えるが、実際のところ上伊那あたりでもそこそこ知られた習俗。なぜ芋をするのかについてまで語られた事例は少ないが、糸を引くようなものを食べて「長生き」になぞらえるというあたりはよく言われる。『長野県上伊那誌民俗篇上』の事例に見ると、「まむしに噛まれない」(伊那市天狗平)、「風をひかない」(高遠町山室)といったものが見られるものの少ない。前掲の『長野県史』の例を見ると、新野の事例に「御飯がすむと芋汁を戸間口の外に捨てる。こうすると悪い神が芋汁で滑って家の中に入らないようになるという。」ものがある。これはむしろコトヨウカに他の地域で行われる事例に等しい。

 さて、美容院さんは先代から「お客さんがスルっと滑り込むように…」と聞いていたという。そのため商売をする人たちの間で言われる「スリゾメ」だと思っていたらしい。なるほど人が滑り込むという意味で捉える考え方もあるのだろう。新野の例とは正反対である。魔除けとして芋汁を捉える地域が多くあるいっぽうで、呼び入れる意味で芋汁を捉える地域、というかマチの捉え方を垣間見てとても興味深く話を聞いた。

 もうひとつ、この「スリゾメ」に合わせてお頭付きの魚を食べるのだという。このあたりではイワシを食べるのだが、美容院さんの家では「石持」を食べるという。「イオンで売っていた」というので帰りによってみると、たしかに粕を詰めた石持が売られていた。ということはある程度石持を食べる人たちがいるということが解る。これまであまり聞きなれないような正月事例を耳にして、マチの中の年中行事をに興味を抱いた次第。

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このごろの郵便局事情

2017-12-29 23:29:21 | つぶやき

 「会費を納入する時」でも記した「長野県民俗の会通信」263号を発送した。少し心配なことがある。ふだんは住所が違っていても届く郵便物が、この時期は届かない可能性がある。昨日も会社で投函した年賀状が転居先不明で戻ってきた。「どうして」という感じ。おそらくふだんは届いていたはず。確かに住所を確認してみると、番地が少し違う。そういえば送り先は近年場所が変わった。といっても隣の土地に移転した程度。番地も1番違い程度(実際は枝番があるから単純に1番違うというわけではないが)。加えて相手先は公共的団体であって、移転後は公共施設に入っている。以前は単独の事務所を構えていたから状況が異なることは解るが、昔だったらこんな程度の番地の違いなら届いていたはず。今は郵便物の番地がとても重要というわけだ。思い出せば、自治体の名前も違っていて、住所も違っていたのに届いた年賀状がかつてあって、びっくりしたことがあった。今ではそんなことはありえないほど、郵便物に対しては正確性が求められるようだ。とりわけ年賀状によって郵便物が席巻される時期は、アルバイトによる配送があるから届かないことも多々あるのだろう。

 それにしてもこの時期に郵便物を持ち込むのは、郵便局という環境からなかなか足が進まない。封入作業は「広い」ということもあって会社で行った。途中駒ヶ根郵便局で2円切手を購入。駒ヶ根の郵便局も郵便局らしく駐車場が狭いが、伊那郵便局よりは広い。とはいえ「やはり」というばかりに混雑している。国道に面した郵便局の前で局員が年賀状投函用の大袋を持って立っている。ようは駐車場に車を入れなくても投函できるようにと。国道といってもパイパスができてからは、通行量が減って、国道に路駐しても他の車に迷惑をかけることは少ない。それでもほとんどの車は駐車場に入ろうとする。狭いから駐車場から誘導部の間に車が繋がる。駐車場は国道に面したところにはなく、奥まったところにある。こうしてわたしも駐車場に車を入れると、満車である。「確か北側にも駐車場があったはず」と、通り抜けて後ろの道に出ようとすると、今まで気がつかなかったが、東側の通路にも駐車場がある。郵便局から見れば裏口にあたるため郵便局の車が何台も止まっているが、一般車も駐車できるようだ。そこが空いていたので車を停めた。用事を済ませ郵便局を出て北側の道を通ると、北側にあると思っていた場所に駐車場はなかった。解っていれば満車状態の駐車場が空くまで待つことはなく、奥にも停める場所があるのだ。ところが、そうした誘導は何もされない。

 封入作業を終えて夕方、今年の窓口業務が終了する間際に、今度は伊那の郵便局に郵送物を持ち込んだ。「疑問符だらけの郵便局」で触れた通り、伊那郵便局は「狭い」駐車場は郵便局から少し離れたところにあるから、ここでは路駐する車がよく見られる。すでに時間が遅いということもあるのか、ここでは郵便局の外で投函用の袋を持つ局員の姿などなかった。伊那郵便局では、北側の比較的狭い道を通って駐車場に入る。駐車場の入口も狭ければ、中に入っても区画の幅が狭いから大きな車はちょっと停めるのに手こずる。局の大型車などは、局の中に入るのではなく、この北側の道に車を停めて作業することもある。周辺には住宅が密集していて、「よく住民は我慢している」という感じ。こんな環境の郵便局だから、ふだんも駐車滋養が混雑しているが、この時期は大変なことに。実は駐車場といっても、奥は名札が掲げられているから個人用のふつうの駐車場のよう。空いているので、そこに車を停めて用足しをすることもよくある。

 と、まあ苦労しながらの発送作業をなんとか終えた。

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会費を納入する時

2017-12-28 23:22:29 | ひとから学ぶ

 「長野県民俗の会通信」263号の発送準備に入った。ここ数年、新年号となる元旦発行号の発送の際に事務局通信1号を同封している。その主たる意図は年会費納入依頼のため。10年以上前に事務局を担った際には、記憶ではその1号前の11月1日発行号に次年度の会費納入依頼を同封していたようにも思う。考えてみれば退会申し出を1号でも早く認識しできた方が経済的とも言えるが、そもそも退会の申し出を会費納入依頼をしても実際のところ申し出てくれないのが現状だ。たとえば会費滞納者がなぜ滞納しているのか、推し量るすべもないが、金銭的理由で滞納しているのなら会費納入依頼など知らされなくとも「退会告知」をするだろう。ところが音信不能のごとき無口で滞納するのだから、その背景にはいろいろあるのかもしれない。ふつうに考えれば数年分積み重なれば、より一層支払いしにくいだろう。今回では5年滞納で「除名」という規則がある。わたしが事務局を引き継いだ際には長年滞納されている方はいなかった。せいぜい2年程度。裏を返せばそれまで事務局を担われた方々が綺麗さっぱり「切り捨て」られてきたのかもしれないが、「除名されている」ことを知らず、「心外だ」と苦言を口にされた方もいた。以前にも触れたが、意外に「除名」されているにもかかわらずわたしが事務局を持ったこの3年間、例会などに顔を出された方が複数名おられた。しかし、周囲におられる方は「除名」されたということを知らない。知っているのはわたしだけ。とても複雑な気分なのである。

 さて、近年は「会費納入状況のお知らせ」というものを同封する。それぞれのお名前とともに最近会費納入された日付と何年度までの会費が納入されているかを通知する。そして未払があればその年度と会費を列記し、合計の請求額を郵便局の「払込取扱票」に示して同封する。現在最長の方は4年滞納。したがってこれに新年度会費を含めて納入依頼するからしめて2万5千円となる。そんな作業をしながら考えたのは、会費の納入日付である。元旦号に同封するということは、早く届けば年内の12月末。遅くとも正月三が日の間には届いているはず。昨年の会費納入状況を見てみると、12月30日や31日といった年内のものもあるが、正月明けすぐの日付のものが多い。ようは届いたらすぐに納入していただける方々。そのいっぽうで必ず年内のどこかで納入頂ける方々。そもそもわたしも多くの研究会に入会しているが、今は多くの会が「払込取扱票」を同封してくれる。が、いまだ「払込取扱票」を同封されない会もある。わたしが今元旦号に同封していることを述べたが、入会している会が多いと、その都度納入するのではなく、一気に納入するのがわたしのやり方。もちろん臨時収入がないと納入できないので、わたしの場合はボーナス時期に振り込む。したがって「払込取扱票」が送られてきたら納入するというタイプではない。6月末から7月と12月末といった年に2度に分けて納入している。真剣に捉えたことはないが、会によっては決算月が異なる。ほとんどは長野県民俗の会同様に、新年を迎えるあたりに会費納入の通知がされる。したがって「支払いたい」と思うときに「払込取扱票」が届いていなければ、郵便局備え付けの「払込取扱票」を利用して支払ってしまう。したがって今たまたま事務局を担っているからだが、そうでもなければ、「払込取扱票」が届く前に納入してしまうというわけだ。もちろん今年の年末支払分年会費は、すでに納入済である。

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「昔と同じ」、とは限らない

2017-12-27 23:55:43 | つぶやき

 昔がそうだったから「今も同じ」そう思い込んでいることはよくある。今風なんだろうが、自分でできたことを今はしなくなったような部分にそんなことは発生する。わたしが自家用車を持ち始めた時代には、オイル交換といえば自分でやったもの。とはいえ廃油の処理に困るわけで、自分で交換した時代はそう長くはなかった。間もなくカー用品のチェーン店のようなものがこの地域にも開店してきて、そうした店に持ち込むことがふつうとなった。当時は一般的には5000キロでオイル交換、オイル交換2度目にはフィルター交換だった。当初はフィルターの交換も自ら行ったもの。

 今利用している自家用車は、そうしたメンテナンスを含めたサービスを購入時に付加してもらった。したがってサービス期間は距離を意識することがなくなっていた。加えてかつてにくらべると自家用車に乗る機会が減った。距離が伸びないから定期的な整備の際に交換するにとどまったのだ。ところが今年になってから通勤に1日あたり70キロほど利用するようになって、距離の伸びが増加した。加えてメンテナンスサービスの期間が終了して、任意に距離を確認しながらオイル交換をするように。そんなとき思ったのは、遠に5000キロを過ぎているということ。昔ながらに5000キロというオイル交換の目安が頭にあったわけである。ところが今の車は車種によってもいろいろ。最も昔と異なるのはプラグだろうか。今のプラグは車によって昔とまったく違う。したがって交換目安が違う。折しもメーカーからエンジンオイルメンテナンスに関するお知らせが届いた。不適切なメンテナンスによるエンジン内故障が発生しているというのだ。そしてそこにエンジンオイルの標準的交換目安が記されていて、それによると1万キロだという。あらためて取扱説明書を確認してみると、1万キロ毎、または1年毎と記されている。かつての自動車と交換目安が異なるのだ。

 ところがだ、エンジンオイルを前回交換してもらった際に貼られた次回交換目安という距離を見てみると、前回交換時から4千キロほどの距離が記されている。これはかつてカー用品のチェーン店でオイル交換をしていた際の目安4千キロと少しも変わっていない。ようはわたしが目安として記憶していた5000キロ時代と変わっていないのである。昔と違っていても不思議ではないほど時は経ている。ところが、説明書にある数字と、実際の自動車工場の交換目安に違いがあるのはいったいどういうことか。いずれにせよ、「昔と同じ」とは限らないことを教えられた。

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進化

2017-12-26 23:40:06 | ひとから学ぶ

 現代の若者が能力が低いとは思わない。むしろ合理的な考えのもと、曖昧な表現はせず、人に対してはストレートな表現をするかもしれない。そしてそれは、いきなり「若者」という世代を代表して言うことでもなく、また、「若者」と断定して表現するのも正しくないかもしれない。そんなことを日々思いながら、悩みを嵩ませるのは、やはり会社という社会だからなのだろう。

 たとえば先ごろ女子スケートで小平奈緒選手は、ワールドカップ・ソルトレイクシティ大会において500mで自己記録を100分の3秒更新する36秒50で優勝。そして1000mではこれまでの記録を0秒09更新する1分12秒09の世界新記録をマークして優勝した。この記録は30年ほど前の日本男子スケート黒岩彰選手がサラエボ五輪で出した500mベストタイム 36秒77より早い。1000メートルの黒岩選手のベストタイムにおいて1分14秒27と、小平選手の記録は2秒以上も早いのである。衣類や道具の進化ということもあるだろうが、スポーツの世界では進化し続ける。したがって同じことをしている以上、過去の時代よりも今の時代の方が「優れている」と単純に言えるかもしれない。しかし、はたして人間のこころの中はどうだろう。もちろん過去にはクリアーなものばかりでなく、グレーな、言ってみれば今で言うコンプライアンスにはほど遠いような環境があったかもしれないが、こころがあったように思う。「信頼性」といった方がいいだろうか。そしてそれは個人の顔からうかがえるもので、あくまでも「信頼」は個々の能力に頼られていたかもしれない。今もって職人さんが個人の能力で評価されるように。

 かつてはなかったが、今は会社でも能力評価ということがされる。評価指標があってそれに照らし合わせて評価点が求められるのだろうが、人は結果的にそこからは解らない。人とひとが対峙し、相乗効果をあげるものもあれば、逆に下げる場合もある。故に人事というものがあるのだろう。何十年も同じ顔の下で仕事をしていると、そうした効果は求められない。そもそも何十年も同じ顔の下で働くという環境は、わたしには耐えられそうもない。

 場面場面で返される言葉を捉えながら、相手は何を考えているかが見えてくる。わたしの想定内であっても、返し方に不満があればそれは相手の顔に出る。ましてや会社の同僚たちの言葉の背景になにかしら異音のようなものが発すれば、それはわたしにとっては失望になる。どれほど進化しとしても、異音を発する彼らから光明は見えない。どうすれ゛は良いのだろう、そう思いながらも、年老いた若者も、まだ年端もいかない若者も、彼らは連むことに積極性を示すはがり。わたしの年老いてきた道とは明らかに違う、そう思いながらも新年は訪れる。

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煽る

2017-12-25 23:56:15 | ひとから学ぶ

 またまた車の運転の話である。

 わたしが会社に通勤する際に利用している駐車場は、市道への取付道路の幅員が狭い。幅にして3メートルはない。そして市道そのものもそれほど広くはない上に、出口の両側に塀と家があって見通しがよくない。よくあるケースだ。そのため市道反対側に反射鏡が設置してあるから、それで市道側の車の様子をうかがうということになる。市道はそれほど通行量が多いわけではないが、全く車が来ない時ばかりというわけではない。とりわけ駐車場から市道に出るのは帰る時だから、世間は暗い時間。したがって反射鏡を確認しても明かりが見えるか見えないかが判断になる。ところが夜間の反射鏡に映る明かりは、なかなか距離感がつかめない。明かりが見えたとしても、なかなか車がやってこないこともいつものこと。市道が狭いということもあって、ゆっくり走る車が多いからかもしれない。

 そんな経験もあって「まだ来ないだろう」、そう思って市道に出ると、意外にもすぐそこにやってきていることもよくある。街中や住宅街ではよくある状況だから、ちっとも珍しいことではない。がしかし、こうして頭出しして道に出た際に、出てきた車に「この野郎」と思うドライバーは多いようだ。今日も同じような状況になって、やってきた車に接近されたわけだ。あえてこちらも「申し訳ない」と思って加速するのだが、その加速に合わせたように車間を短く保ったまま煽ってくる。狹い市道だからふつうのドライバーは煽って付いてこないのだが、そもそもふだん煽り癖のある車は、こんなケースでは必ず嫌がらせのように煽りに出る。巷では煽り運転がクローズアップされるが、どれをもって「煽り運転」と判断するか難しいが、煽り運転など日常茶飯事のこと。もちろんそのほとんどが男性であるが、女性でも同じような行為に出る人は希にいる。

 おそらく、かつてわたしが経験した例は、通報すれば「煽り運転」に該当する。ガソリンスタンドから国道に出たところ、やってきた車がまさに「この野郎」と思ったのだろう、わたしの車を追い越しにかかり、横に並んで窓から「止まれ」と言っている。無視しても嫌がらせは続くだろうから、とりあえず止まったところそのまま車を横に停めて出てくると、わたしの車の横にやってきて「ドアを開けろ」とばかりに怒鳴っている。結局通勤時間帯ということもあって渋滞が始まってしまい、幾度となく罵声をあげた上につばを窓に吐いて行ってしまった。場合によってはドアを開けられて「引きずり出され」ても不思議ではなかったが、こういう時はすぐにドアをロックすること。もちろんふだんロックする癖がある人は良いが、わたしはロックすることはほとんどない。経験値からすぐに「ロックする」は癖になっていた。

 以前にも触れたように、ふだんわたしは前の車との車間をとる方だ。そのいっぽうで車間をとっているが故に、後ろから接近されることは度々。現代のドライバーは車間が狭すぎる傾向だ。そして車間を広くとるのは反対に「遅い車」ばかり(車間が「広い」というよりはマイペースと言ったほうが良いだろうか)。世間を無駄なく走ることのできる、まともなドライバーは少ない。

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注連縄作り

2017-12-24 23:55:18 | つぶやき

 喪中ということもあって正月を迎えるという雰囲気はない。あくまでも「喪中」という単語を介した言い訳かもしれないが。そういえば、父が亡くなったときに「葬儀」のことをいろいろ記した。あれからもう5年も経っているから、葬儀事情もだいぶ変わってきているようだ。どこの流行りかは知らないが、このあたりでも葬儀を先にしてその後に火葬をする事例が増えてきているという。その理由について妻は、今は葬儀を早い時間にして、その後直会の代わりに昼食を出し、組合の人たちもそれでお開きにしてもらうのだという。その後火葬をしてきて、近親者のみで直会をするのだと。すると直会の出席者が確実に勘定できて無駄がないのだという。義母の時も、母の時も、これまで通りの葬儀だったが、直会の席を何人分用意するかはあくまでも想定。とりわけ上伊那のように昼食も出して直会も行うという地域では、無駄に用意してしまうことも少なくない。母の葬儀の際は、亡くなってから葬儀までの期間が短かったこともあった上に、葬儀の告知が新聞の休刊日だったため遅くなった。そのせいか会葬者が予想したより少なかった。余ったものは直会に来ていただいた方たちにたくさん持って帰っていただいた。それはそれで良いのだが、主旨から求めれば無駄に違いない。

 ということでこの年末は正月準備をしなくても良いから気楽だ。それを埋め合わせるように生業も、趣味から発展した作業も積み重なって年が越せるかどうかの相変わらず惨めな日々を送っている。喪中だから注連縄とは無縁なはずなのだが、こういうときに限って自治会の祭典当番が回ってくる。今日は地域にある神社の正月を控えての清掃と注連縄作りだった。父の時にも同じような注連縄作りがあって、「喪中だけれどやっていいですか」と聞いたことがあった。口を合わせたように「四十九日を過ぎていればいいんじゃない」と言われ、注連縄作りに参加したことがあったが、今年は3人もの身内を見送っている。けっこう重い喪中なのたが、隣組単位で当番が回ってきて、わたしは今年組長だ。わたしが参加しないわけにはいかないので、もちろん率先して作業に手を出す。「神様が嫌うんじゃないか」なんていう間抜けなことを口にしながら神社拝殿に掲げる最も長い注連縄を作り、さまざまなところに掲げる注連縄も用意した。拝殿内の神殿に掛ける注連縄もでき上がったものを取り付けたのはわたしだ。「気にしなければ良いこと」と言われるまでもなく、始まればそんな意識もなくなっていた。この注連縄を作った当番が元旦祭の準備をするものと決められていて、新年早々午前5時には神社に行くことになる。神事には組長が参列するのだと言われたが、さすがに控えた方がいいんではないかと思い、一緒に注連縄作りをした別の隣組長さんに神事への参列をお譲りした。

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それぞれの“見送り”

2017-12-23 23:46:21 | ひとから学ぶ

 中学時代の友人の父が亡くなった。葬儀のある明日は、自治会の行事があって会葬できない。「今日行って線香をあげてこよう」、そう思って彼の実家に行くが葬儀の表示などなく、その家にいるとはとても考えられなかった。結婚後に建てた家だろうか、そう思って同じ町内にある家に行ってみると奥さんが出かけるところだった。声を掛けるとこれから通夜に向かうという。わたしの義母もそうだったが、通夜は葬儀場で行うという。彼は後継だったが、事情があって家には入らなかった。とはいえ彼は喪主をつとめたし、新聞に掲載された住所は実家だった。近隣の方たちも対応に困っただろう。奥さん曰く、もう5年ほど施設に入っていたという。痴呆が進んでいたというから、頻繁に施設を訪ねることもなかっただろう。「お母さんは…」と聞くと、やはり痴呆が始まって施設通いの介護状態だというが、彼ら夫婦が看ているという様子でもない。実家も空家のような状態なんだろうか。

 義父や義母をこの1年で見送ったが、その度に妻とは介護の話をした。もちろん実母を見送った際にも…。もはや子どもたちが親を見送る時代ではなくなった。今後介護を受けられる人々は裕福な人たちだけだろうと言われる。しかし、今ならお金でなんとかなっている。介護三昧で親に尽くした妻や義弟のようなケースはそう多くはないのだろう。そう思うと、母は施設に入っていたものの、痴呆もなく息子であるわたしに昔と変わらず口うるさく人への気遣いを口にした。急だったこともあって、兄も、孫たちも、亡くなるまでほとんど施設に顔など見せなくなっていたが、それでもまだ幸せな旅立ちだったのかもしれない、と、友人の父の訃報に思った。長生きが必ずしも幸せではない時代に至って、こんなはずではなかった、と多くの高齢者が感じているかもしれないが、もはやだれしも導かれる現実世界だ。

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後ろに付きたがる人

2017-12-22 23:13:16 | ひとから学ぶ

 高速道路での運転は人のこころを揺さぶる。それだけリスクも高ければ、揺さぶりによる疲れも溜まるのかも。走行車線をふつうに走っていても、ドライバーによっては追越車線から戻った車が後ろに接近して、「抜けば良いのに」と思わせるほど、ずっとあとに着かれるなんていうこともある。珍しいケースかもしれないが、こちらもふつうといってもそこそこのスピードを出しているせいかもしれないが、だからといってこちらが走行車線を走っている車に追いついて「抜かなければならない」ほど速度を出しているわけではない。「なぜ抜かないのか」、そう思うのだが、もちろん減速すればさすがにその車はわたしを追い抜いていった。

 高速道路では大型車が追越車線に入ると、どうしても速度制限装置が付いている大型が多く、精一杯速度を上げようとしているのかもしれないが、追い抜くのにずいぶん時間がかかることが今は多い。したがってそんな時は渋滞とまでは言わないまでも、ずいぶん車が追越車線に繋がる。追い越しをかけた大型が走行車線に戻ればすぐに解消する車の列であるが、大型車の通行量が地方では多い中央自動車道では、頻繁に起こる現象だ。坂が多いというところもそんな現象を頻繁に起こす理由だろう。見るからにスピードを出す車がルームミラーで確認される場合は、大型車が抜きにかかった際に安易に追越車線に車線変更をしないことだ。なぜかといえば、煽られるから。煽られてもどうしようもないことなのだが、高速道路にもかかわらず、数メートルという車間で煽られると嫌なもの。大型車によるそうした車の列に限らず、追越車線に入ったら速度を上げて早く追い越すこと、あるいはルームミラーで後続の車をよく確認して追越車線に出ることだろう。さもないと、追い越し車線を高速でやってきた車に必ず煽られる。中央自動車道は地方の高速道路では通行量がとても多い道。走行車線を110キロくらいの速度で車が繋がって走っていることも珍しくない。たとえば100キロ程度で走っている車を追い抜きに入り、追い越し車線へ入っても走行車線を走っている車が繋がっていて、なかなか走行車線にもどるタイミングがないというケースも多い。そんなとき後ろから高速の車がやってくると、必ず煽られる。それが嫌だと思えば、追越車線に入ったら自分も高速で走って早く抜くことになる。気がつけば警察にお世話になってもおかしくないほどスピードを出すことも。高速で追い越し車線を走っていた車が、走行車線に入るとかなり減速してゆっくり走る例も珍しくないが、意識として追越車線をあまり走りたくないドライバーといえよう。

 このように高速では、一般的に追越車線を走ることが多いドライバーは、走行車線で前の車に接近して煽るようなことはしないはず。ところが冒頭の例のように、走行車線にいる車の後尾に付いて煽るように接近する車がいる。いったい何を考えているのか、まったく解らない。

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度々の忘れ物

2017-12-21 23:18:15 | つぶやき

 人間の能力が年とともに低下するのは当たり前だ。そんな現実に年齢を覚えたり、そして情けなく思ったり、落胆は増幅するもの。1ヶ月ほど前のことだろうか、会社に向かおうと駐車場に車を停め、歩き出してから気がついた。背負っていたバッグに「軽い」と感じたのだ。「もしや」と思いバッグの中を覗いてみると無いのである、最も大事なものが。わたしは仕事用とプライベート用、またさまざまなデータ用の複数のメモリーを常に携帯している。どこでもパソコンさえあれば確認できるように。もちろん通勤途上ではない遠隔地に出向く際はパソコンも持って出る。わたしとしては車の中のたとえばカーナビがパソコン化していればもっと良いと思っているくらい。そして仕事を家に持ち帰るタイプだから、最新のデータはメモリー内にある。ようはメモリーが無ければ仕事にならないのだ。ということで、歩き出したものの、すぐに車まで戻り家に一旦帰ることに。一般道では往復2時間近くかかってしまうため、高速を使うことに。約半分の1時間ほどで引き返してきて会社にあらためて歩き始めたわけだが、情けない話なのである。

 この年にならなくても、同じようなことは若いころからあったこと。ずっと仕事は持ち帰る方だったから、忘れ物を持ちに帰ることは何度もこれまであったが、さすがに伊那で働いていた時代には家まで持ちに帰らなくてはならないような経験はなかった。データを持ち歩く今の時代では、たかが小さなメモリーなのだが、それがすべてなのだ。

 ということで今日は自宅に帰ってやろうとしていたことが、会社にメモリーを置いてきてしまってできない。「明日までにはここまでやっておこう」が成立しないのだ。もはや夜になって会社まで持ちに帰るほどの意欲はない。落胆しながら過去の日記を記して時間を埋め合わせている。

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祈りの形

2017-12-20 23:58:31 | ひとから学ぶ

 先月弥彦神社を訪れたことを記した。接待に疲れ果てていた割には宿では落ち着いていたもので、前夜のうちに2度、翌朝にも1度露天風呂に身を沈めた。前夜の2度の入浴の際に同じ顔の方の近くに身を沈めた。2度目には露天風呂に二人だけだったということもあって、お互い声を掛けることに。素性を明らかにはされなかったが、京都から来られたお坊さんだという。お坊さんと言われるまでもなく、頭を丸められていたからその筋の方なんだろうとは察した。仕事で来られたようで、話をしに来られたよう。なんとなく「どちらから来られたんですか」と始まったわけだが、お坊さんだと分かってその筋の話をわたしの方から始めた。とりわけお寺事情とでも言おうか、地方のお寺のこれからはどうなんだろうみたいなところから始めたところ「京都から来ました」となったわけだ。そして「我が家ではお墓は作らないんです」という話から、以前ここでも触れた“位牌分け”の話まで始めた。とりわけ本来の位牌分けの主旨とは異なるのだろうが、「今の世には位牌分けはお勧めなんでは」と始めたところお坊さんが大変興味を示された。なぜ位牌分けなのかというあたりをわたしの考えを展開した。以前にも触れた通り、今や生家を出た者は、なかなか生家に戻らなくなった。たとえばわたしのように分家をした者は、それほど生家が遠いわけでもないのに、仏壇に線香をあげに行くことなど年に1度あるかないか。とりわけふた親が亡くなると、もはや生家を訪れる理由がなくなる。もちろん今でも正月などにはそれなりに手土産をもって行くのだが、生家に行く理由とすればそんなことぐらいしかない。何事もなく顔を出せば「何しに来たんだ」風に義理の姉には見られる。父母の仏壇に手を合わせるなどということはできなくなるのだ。かろうじてそんな気持ちを助けてくれる場所がある。墓地である。生家の近くに墓地があると墓参りだけというわけにはいかないが、我が家では墓地は生家から少し離れていて、どちらかというと生家から見れば山の方にあるから、墓地は見えないのである。したがって仏壇に参ることはできずとも、墓参りだけしようと思えば可能なのだ。

 父が亡くなって母が家で介護を受けていた時はまだしも、母が施設に入るようになってからは、生家をゆっくり訪れたことは皆無だ。盆と正月、あかの他人が訪問するように玄関先で「こんにちは」をし、忙しい振りをしてそのまま帰ることも多々あった。お中元やお年玉といった手土産を届ける宅配業者とそれほど変わりないのだ。忙しい兄が、なかなか家にいないということもその背景にあった。気安く生家を訪れて、近況を語るなどというテレビドラマの中のような光景は、わたしの視界にはないのである。

 こんな具合に詳細を語ったわけではないが、なかなか生家には訪ねにくくなった時代であるからこそ、そしてわたしの場合は生家に近いが、遠いところに暮らのが当たり前となった現代であれば、自分だけの父母の位牌を持つというカタチは現代に合っているのではないかと語ったわけである。お坊さんはそんな話に興味をもたれ、「明日の話題にしてみよう」などと口にされた。どのような素性の方か知らないが、前衛的な寺のあり方を口にされていた。

 とはいえ、よく考えてみれば位牌を分ける必要もない、そうも思う。なんらかのカタチがあれば位牌に代わるものとして個々の中で祈ることもできよう。そう思うのは先ごろの年中行事集会の折に福田アジオ先生から聞いた山梨などの別帳場のはなし。そもそも位牌を分ければ昔なら位牌ばかりになって仏壇がいっぱいになってしまう。別姓の位牌を置くのをためらう意識も生まれるし、結果的に位牌は処理することにもなる。以前墓地に位牌が置かれていたことを記したが、一定期間を過ぎると位牌をしまうこともされた。同じ家のものなら先祖代々の位牌に代わることはできるかもしれないが、たとえば生家の位牌はそうはならない。とすれば位牌を分けてもらっても後々困ることも。そう考えれば位牌ではなく、その個人だけが祈りのカタチとできる形見のようなものがそれに代わるものとなるのではないだろうか。世代が変わった際に困るようなものは持たない、墓も同じなのだ。

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“和み”

2017-12-19 23:55:40 | つぶやき

 寒い季節になると、冷えた空間に身を投じるのは気分的に好ましいものではない。とはいえ、現代では昔の暮らしに比べたら、ずっと暖かい空間に身を置いていることは事実だ。それでも外気にさらされて仕事をされている方たちは、それなりの準備をされているのだろう。わたしの仕事も屋内にいることも多いが、現場に出て外気にさらされるような仕事も少なくない。若いころならそれほど厚着もすることなく現場を容易にこなしていたものだが、今はそんなことはできない。それなりに上着には防寒着を羽織るが、意外に昔にくらべるとわたしは薄着の格好で外気にさらされて仕事をすることが今は多い。中に防寒性のものを着用し、最も外には比較的薄いものを羽織る。だから見た目はずいぶんと「薄着」に見えるのだ。「よくそんな薄着でいられますね」とは、近年よく掛けられる言葉なのだが、実は薄着とは思っていない。あくまでも見た目だけなのだ。若いころには絶対着用しなかったアンダーウェアのタイツは、当たり前のように着るし、薄いものでも暖かいものが今は多い。同様に上半身用のアンダーウェアも保温性の高いものが多い。中に厚く(篤く)、そとはオールシーズンもの、という感じ。

 とはいえ、暖かいところが嬉しいに決まっている。とりわけ外気から逃れて入る屋内は、暖房が効きすぎていると「熱い」と感じて気分を和らげるとはいかない。そんななか、最近とても和む空間がある。トイレである。もちろんみながみなそうではなく、冷えたトイレの方が多いが、たまに空間全体が暖かいトイレに入ると、用を足すにも和むもの。なぜか「ちょうど良い」と感じる空間にトイレが多い。寒々して「入りたくない」という代表的空間だったトイレも、今や様変わりしたもの。でも、我が社のトイレはちっとも和まない。

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会員負担軽減という意図はどこへ・・・

2017-12-18 23:36:16 | 地域から学ぶ

 先ごろ“「慣例」という圧力”において自治会の役員会のことを触れたが、昨日はそれを受けての総会が行われた。どうも「役員上層部が練った提案は通らなかった」ではなく、「役員の一人が練った提案は通らなかった」が正しかったようで、総会には役員会に提案された内容はあまり触れられず、役員会での意見をどう解釈されたのか、いきなり会則の改正案が示された。提案された役員の方はとっても頭の良い方なので、役員会の際の意見を先走って捉えてしまわれたよう。そもそもの発端は高齢者世帯の会費負担を軽減しようというのが原点にあって、もちろん会則の見直しも年度当初に議論にあがっていたが、それは拙速に見直すべきではなく、時間をかけて検討していったらどうか、というものだった。むしろ会費負担軽減が優先だったはず。ところが総会に出された会則改正案には、会費軽減のことは何も触れられていなかった。どうしたことか…。

 そもそもこの話題が議題にあがるまで、会則なるものがあることを役員はあまり認識していなかった。会則が最初に作られたのは平成17年4月1日だったことは、現行会則の末尾に附則として示されていた。というか、このような会則を見たのは初めて。当時議論になって総会で決議されたという記憶がない。にもかかわらず会則が存在するのは、当時なんらかの理由で会則を作らなくてはならない事態に陥ったのものなのか。数年前に集会施設を立て直し、いろいろな手続きの中で自治会の会則が必要だということになって、調べたら「会則があった」みたいな感じで、住民が必要と思って作成された会則ではないのである。したがってお役所の誘導的会則になっていることでも、会則の作成意図が見えてくるもの。とはいえ、現存している会則を会員が持っていないというあたりからして、おかしな話なのである。役員会の時、負担軽減にあたって該当部分だけ示して会則改正を役員会に図ったら、出席者の中から会則そのものがどういうものかよく解らない的な感じで「会則を示して欲しい」と言われたら、総会には会則そのものの改正案が登場してしまった、というわけだ。

 そして初めて見た会則を眺めると、違和感が増幅する。そもそも地方自治法で促しているものに違和感があるということになるのだろう。ウェブ上には雛形がたくさん登場するが、たとえば「会員」のこと。現行会則には「会員は第○条に定める区域に住所を有する個人とする」とある。「世帯」ではないのである。とすると総会の出席者数の規定にどう触れてくるか。その点については「総会は全会員数の過半数をもって成立する」とある。ようは個人とすれば世帯主だけ出席すれば良いということにはならない。そもそも世帯主以外の家族が会員であるという認識を持っているかどうかも怪しい。このあたりについて、たとえばあきる野市の「町内会・自治会の法人化に向けて ~「地縁団体」の認可申請手続き~」というページの「認可の要件」に

(3)その区域に住所を有するすべての住民が構成員になることができ、その区域の住民の相当数が構成員となっていること(地方自治法第260条の2第2項第3号)

認可地縁団体は、その区域に住所を有するすべての個人が構成員となることができ、現にその相当数のものが構成員となっていなければなりません。「すべての個人」とは「年齢・性別等を問わず区域に住所を有する個人すべて」という意味です。したがって、世帯単位を構成員とすることは認められません。

と書かれている。末尾の「世帯単位を構成員とすることは認められません」というところ。厳密にそうなのかどうかはわたしにはまだはっきりわからないが、地方自治法第260条の2第2項第3号にある「その区域に住所を有するすべての個人は、構成員となることができるものとし、その相当数の者が現に構成員となっていること。」から解釈しているようだ。構成員名簿、ようは会員名簿には「世帯主のみではなく、子どもから高齢者まで構成員となる個人を記載のこと」のよう。だからといって世帯単位では認められない、と明確に示されているものなのか。従来の自治組織、ようは「部落」の構成員は世帯だったといえよう。ようは「家」だったのである。ところが今は個人それぞれに権利があるのだから「家」ではないのは当然だとしても、だからといって会則上だけの条文がひとり歩きする。「お役所に作れ」と言われて作られた会則の不自然さが現れる。こんなように会則を眺めていくと、違和感ばかり目立っていくことに。住民が求めて会費負担軽減を目指したのに、進む先は意図の違うところに行き着き、結果的に「こんな会則で縛られるのなら辞めたい」という別の意識が派生しそうだ。

 そもそも入会届には世帯主しか書かれていない。条文通り組織が動いていない、お飾りの会則なのに、それにこだわっているのだから不思議な世界だ。

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また、間違えた

2017-12-17 23:12:47 | つぶやき

 最近同じことを何度か繰り返している。よく確認しないわたしがいけないことは百も承知だが、間違えて品物を入れているセブンイレブン側にも物言いをしたいところ。

 今日も同じ失敗をした。わたしにはよく買う飲み物がある。人にもそれぞれ愛飲するものがあるだろうが、だれしも夏場と冬場ではそれが異なってくる。わたしもいつのころからか「暖かい飲み物」に変わる。人よりは「暖かい飲み物」を手にする時期が長い。冷たいものを手にする時にこんなことをしてしまうことはないが、「暖かい飲み物」ではこのところ立て続けに失敗している。あまりにもマイナーな飲み物だからこんなことが起きるのかは定かではないが、手にした飲み物が最前列に並んでいる飲み物と違っているのだ。手にした飲み物の銘柄を確認せずに購入し、暗闇の中で缶の蓋を開けて一口、と同時に求めていた飲み物と違っいることに気がつく。それまで気がつかないわたしの間抜けさはもちろんなのだが、棚に並んでいる最前列のものを取らずに奥の物をあえて取るわたしの気持ちも汲み取って欲しい。

 というのは、こうした飲み物、口にしたとき「ぬるい」と思ったときほど「失敗した」と思うことはない。わたしはどちらかというと「熱い」と思うほど温まっていないと気に入らない方だ。そんな中、それほど温まっていない飲み物を手にしてしまうこともあるし、「熱い」と思うほどの缶でも、開けてみると「ぬるい」と思うケースも希にある。そんな経験から、棚に並んでいる飲み物でも、奥の物に自然と手が行ってしまうことがある。そして今回のように最前列の飲み物が「当然」奥にもあるだろうと思っていると、実は隣の飲み物だったりする。これは列を間違えたわけではない。明らかに並べた側が間違っている。こんなことが何度となく繰り返されたのだ。間抜けな自分が情けないと思うが、並べ間違えているセブンイレブン側に物言いをしたくなるとき。「ちゃんと確認しよう」そのときはそう思うものの、また間違えた自分にがっかりするばかり。

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