Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

彼岸の中日

2016-09-22 23:44:06 | つぶやき

 

 昨年の今日は「国民の休日」だった。希にみる土曜日からの5連休だったわけだが、日記にはこう記している。「人手があることもあって、この時期はどこも稲刈りりのころだ。とりわけ今年は天候が続く」と。今年と違って昨年は連休期間に天候が良かった(昨年の日記でも天候不順を嘆いている。にもかかわらず連休には稲刈りができた、ということで、今年がいかに悩ましいか解るだろう)。ということで昨年の今日は、我が家でも帰宅していた息子の手を借りて稲刈りだった。ところがどうだろうことしは、田んぼには水が溜まっていて、これでは天候が回復していても、我が家の田んぼではすぐに機械が入って稲刈りというわけにはいかない。今週末から天候が回復するといっているから、水はけの良いところではようやく稲刈りとなることだろう。それほど稲が実らない我が家の水田なのだが、今年も頭をもたげてきて、倒伏するのも時間の問題だ。加えて遠くにいたときの息子の方が「猫の手」になったが、帰ってきた息子の手は「猫の手」以下と成り果てている。悩み多き実りの秋を迎えている。

 今年は妻がフジバカマを増やした。荒れていた畑にもフジバカマを植えたのだが、丈は短いが賑やかに咲いている。さすがに雨天の中では稲のごとく頭をもたげているが、そんな中でもアサギマダラが舞っていた。雨天の中で盛んに咲くのはフジバカマばかりではない。ヒガンバナが盛んに咲く。こちらはモグラ避けに増やしたもの。ちまたでもヒガンバナが盛んに咲く。その通り彼岸の中日だ。

 災害のたびに仕事が忙しくなることからこの日記でも何度となく台風のことは記してきた。先日も台風16号を迎えたわけだが、それほどでなく安堵といったところだったが、仕事のうえで最も記憶に残るのは昭和58年に到来した台風10号だ。帰路中川村を通ってみたが、天竜川の傍に立つ石碑に目が留まった。「昭和五十八年九月二十八日の十号台風により堤防六百米決壊 直ちに復旧に着工 昭和六十一年四月圃場整備を兼ね完成 再び瓦礫の地にならない事を祈りここに記念碑を建つ」と背面に記されていた。昭和62年8月に建立された記念碑は、関係者30名(背面に名が刻まれている)によって建てられた。「着工昭和59年10月 竣工昭和61年4月 面積13町3反6畝 工事費1億2千646万円」と記されている。当時わたしは飯山に暮らしていて、飯山で発生した災害復旧を整理した後、下伊那郡下條村の災害復旧のために1ヶ月下條村暮らしをしたものだ。県内のいたるところで災害が発生した、記憶に留まる台風だった。

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