Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

無愛想だったマチ

2016-09-03 23:39:04 | つぶやき

 子どものころの記憶にある「顔」といえば買い物に行って、そこにいる店員の方々の「顔」。今でも過去の「顔」の多くにそうした人々の「顔」が浮かぶ。そしてそんな時代の店の顔にほとんど笑顔はなかった。「ブスッ」として「いらっしゃいませ」なんていう言葉もない。今どきの店員とはまったく異なるだろう。なぜ昔の店は無愛想だったのか。もちろんこの話は田舎の町の個人店の話だが。それにしてもよく行った店の数々は、今そのほとんどがなくなった。多くは店の主が働けなくなれば店を閉じることになる。後継者のいないのは、農家以上に深刻だったということになるだろう。シャッター街を嘆く人も多いが、そもそも後継者がいなければ無くなるのは必然のこと。

 いつも利用していた美容院が、知らぬ間に閉じていた。妻が予約しようとして電話しても通じない。近くの知り合いの店に聞くと、6月いっぱいで閉めました、というような事後報告の張り紙がされていたとか。突然の閉店に何があったんだろう、と心配した妻。昔からの知り合いだったので、個人的な連絡先を知っていれば良かったのだろうが、店の電話番号しか妻は知らなかった。心配はもちろんだが、わたしもここで20年近くカットしてもらってきたから、「どうしたらいいんだろう」、そう思うと伸びてきた髪の毛が気になるたびに厄介な悩みに。すると店を閉じて、次の店が決まって働いています、というハガキが届いて安堵。その方は個人的な連絡先を知っていると思っていたらしく、すぐには連絡しなかったよう。だいぶ遠くなったが、ずっとカットしてもらっていたこともあって、わたしはあえてその方を頼って店を訪ねた。チェーン店だから店の雰囲気が違って、それまでの一人で商っていた自由な空気はまったくないく、きっと働きづらいんじゃないか、そうわたしには映ったが、どうもご本人にとってはこちらの方が働きやすいようだ。その理由の一つを口にされたが、ようは商店街のいろいろなつきあいが重かったとも。一人で商っているから、いろいろな催しがあるとそのたびに店を閉じなくてはならない。商店街のつきあいはわたしたちのような部外者には予想以上のものなのかもしれない。そう考えると、農業は自由だ。農家を縛るような組織がないわけではないが、とりわけ今の農家は呪縛から解放されているようにも思う。いっぽういわゆる商工の世界は、むしろ組織的なしがらみがあるのではないか、そう思わせることが多い。マチが廃村ではないが消えてなくなるのも解るような気がする。とりわけかつては住居と店が一体化していたから、住みにくい空間だったのではないだろうか。もちろん想像である。そして、だから無愛想だった、などとは言わない。

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