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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「雨だからこそ」

2023-06-02 23:59:59 | つぶやき

 「大雨のようですが・・・」と言われたものの、「雨でもやりたい」とはわたしの答えだった。予報でも強い雨が降ると言われていて、それもかなりの量であることは、天気予報だけではなく、通常ニュースでも報道されていた。バケツをひっくり返したような雨ならともかく、そこまでは強くないだろう、とはわたしの印象だったから、加えて午前中はそれほど強くないという予報でもあったので、現場強行を選択したわけである。実際現場で重労働をしたり機械を使うわけではない。現場案内と簡単な調査程度と本日の業務を想定していた。ようは「雨でもできる」というレベルのもの。とはいえ、時間10mm以上の予報が出ている中での現場は記憶にない。ふつうは「雨なら中止」あるいは「延期」である。それでも「今日やりたい」の背景には、別の用事を済ませたいという思いもあった。

 さて、実際現場を案内してもらっている間の雨量は、現地のその後の雨量計から察すると、時間10mmを越えている時間帯もあったようだ。しかし、現場で「雨が強くて無理だ」とはとうてい思わなかったし、もっと強い雨でも対応はできた。ようはかなりの雨でも、現場案内程度は十分対応できるという実践である。せっかく雨具を所持しているのに、「雨だから」といって辞めていたら、「使う時がない」となる。常日ごろ「雨だからこそできること」、あるいは「雨だからこそ見なくてはいけない現場」があると考えている。とりわけ「雨だからこそ」という現場は、豪雨の際の出水量を把握するために体現しなくてはならない。日ごろ、わたしが考えている視点だ。「実際はどうなのか」という事実を知ることにより、説明の補足にもなるし、なにより自信をもって説明ができる。したがって「雨が降ったら見に行こう」という現場がいくつかある。とりわけ災害が発生するほど雨が降る際に現場を実際に「見てみる」という機会は、なかなかないもの。繰り返すが、日ごろからそういう意識を持ち合わせていないと、降ったからといって現場に足を運ぶことはできない。現実的には「危険だから」という視線もあるが、わたしたちの仕事は危険だろうが、現場で見てみないと「事実」を話せない。したがって豪雨時に「現場に出る」、はけしてありえないことではなく、あたりまえのこととわたしは考えている。とくに今回のような雨のケースでは・・・。

 さて、実際のところ災害が発生するほどの雨だったのか、ということになる。現場にいた時間に体感した雨の強さは、前述したようにそれほど強いものではなかった。しかし、「雨だからこそ」と思い見に行った現場の近くの観測データでは、日雨量レベルではちょうど1/10確率雨量程度だった。時間雨量的には最大でも1/10確率雨量の半分程度だったので、短時間雨量としてはそれほど強くなかったが、とはいえ時間雨量でも災害申請の可能な雨量に達していた。いわゆる豪雨時の排水量の現実を知るには、十二分の雨量であったことは事実だ。こういうときに、「現場に行く」と言わない同僚たちに、少し残念に思うとともに、とりわけ現在そういう物件に携わっていて悩んでいる社員が、「雨だからこそ」と思い事実を「知ろう」とアクションを起こさないことに、自己内省できない寂しさを抱くばかりだ。

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この頃のこと

2023-05-16 23:33:57 | つぶやき

 

最近、僕は甘えんぼになっています。
母さんと一緒に家に帰ると、
お父さんの横に行って
こたつの上掛けでスリスリするのが日課です。
僕のせいで、最近、
こたつの上掛けが汚れているのが
はっきりわかるくらいです。
母さんは「痒い、痒い」言ってるから
もしかしたら、僕のせいです。

このごろ他所の女の子が僕の住処にやってきて、
すり寄ってきます。
僕に気があるようですが、「迷惑」しています。
そのたびに飼い主に戻されますが、
気がつけば、
またやってきます。
まったく野放しになっているようで、
ふだん留守の僕の住処にマーキングしていくようです。
困ったものですが、僕と違って
「真っ白」でピカピカの
いいとこのお嬢様のようです。

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ウッドチッパーを借りた

2023-05-09 23:31:51 | つぶやき

 我が家の米作りの準備は毎年遅い。その理由は田植作業を委託しているからだ。狭く不正形の田んぼだから「後回しにされている」感は否めない。退職したらこのあたりを何とかしたいと思っているが、それまでの辛抱と思っている。とはいえ、今年はさらに準備が遅れている。理由は連休中に田んぼの準備がまったくできなかったこと。

 そもそも冬場から春先にかけて10年ほど前までは山作業をやった。裏山の雑草や雑木の下草刈りをして、ヤマツツジの環境整備をしていた。ところが日ごろ記しているように、近年は仕事を持ち帰ったり、社外業務の宿題をやっているとなかなかそれができなかった。最近は妻と甥たちが山作業をしているようだが、主たるところは妻一人でやっている。そのせいもあって、刈った下草の処理がままならず、雑草や刈った枝が周辺にそのままにされていて、その整理も完璧にできず、翌年まで蓄積しているような状況。何といってもこうなってくると、そうした枝が無造作に置かれている周辺の夏場の草刈が厄介になる。草刈はわたしの仕事だから、このところそのせいで草刈りにも無駄な神経を使うようになっていた。今年はそれら無造作に置かれていた梅畑の梅の木の枝もたくさん伐ったようで周辺は枝が山となって大変なことに…。とてもではないがこれでは夏場の草刈が思いやられる。ということで、以前のように全て焼くことを提案したのだが、あまりに量が多くて、火事にでもなったら大変、というわけでウッドチッパーで枝を粉砕することに…。リースはないかと調べたところ、農協にあることがわかり、リース料は高いが試しに1日借りることに。ということで連休の天気の良かった4日に粉砕作業となったわけだ。昨年はちょうどその日に田んぼの畦切りをしていたわけで、昨年より1週間以上遅れをとることに…。

 さて、ウッドチッパーであるが、さすがに購入すると180万円ほどかかる機械はそこそこ太い枝も粉砕してくれて不具合もなくよく働いてくれる。大量の枝だったが、ほぼ1日でここむ数年畑に山になっていた枝も含めて粉砕することができた。リース料がいいお値段だから、何日も借りるわけにはいかないが、来年からはため込んだ枝が無ければ今年の経験を生かして1日借りれば我が家の剪定枝も含めて全て粉砕できそうだ。慌てて粉砕することにした今年とは違って、もっと早い時期に借りてくれば例年通り連休は田んぼの作業ができる。そもそも余裕の無い暮らしは今年が最後だから、来年からはいろいろ考えて家のことも「やれる」予定だが、果たして・・・

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あおり

2023-05-07 23:49:06 | つぶやき

 昨日ウェブ上に「危険すぎる左折 “無意識の癖”に注意喚起 恐怖体験の声も 「『運転がうまい』と勘違い」という記事が見えた。運転に関する記事には「目が留まる」わたしだ。それは“あおりハンドル”に関するものだった。「左折する前に一度右にハンドルを切ったあと、左にハンドルを切る動作」を指している。左折する道が狭かろうが、広かろうが、癖のように左折する際にいったん右にハンドルを切る人がいる。狭い路地に入る際ならわかるが、広くても煽る。この記事で述べている通り、対向車線からやってきた車にとってみれば、左折する意志を示しているのに、右に寄ってくるから慌てるもの。けして珍しいわけではないが、近ごろ富に対向車を意識せずに右に寄ってくる車もいる。対向車もボーッと運転しているとぶつかっても不思議ではない。

 今や安全システムが当たり前につくようになった車だが、そのせいだけではないだろうが、運転がへたくそな人は多い。とりわけ車を運転している人には、すべてが見えているわけではない。運転席側はある程度間隔は分かるが、左側は見えないからまさに「勘」である。車の運転は「勘」なのである。そして左折する際には左側がよく見えないから、安全側に気持ちが働けば、右にいったんハンドルを切るのも無理はない。結局「間隔」が想像つかないから、左側の路側帯からの距離を広くとらざるをえなくなる。

 左折する際のあおりも気になるところだが、最近「危ない!」とよく思うケースは、センターラインのない道路で、対向車が道の真ん中に寄って走ってくることだ。センターラインがないとはいえ、乗用車ならふつうに行き違いできるような幅なのに、対向車は路側帯から離れたところを走ってきて、こちらに近づいてきてもほとんど左に寄らずそのまま走ってくるのである。左側の間隔がイメージできていないタイプの方たち。例えばおばさん、とかお年寄りとか、そういう人たちはがりではない。カーブで内側に入ってくる車は頻繁だし、以前から繰り返しているように後ろから接近してくる車も頻繁。わたし的には自動化、安全化がもたらしたものだと思うし、それなら完全に自動運転にしてもらいたいところだ。ライトを手動で切れないような法改正をするくらいなら、ほかにやるべきことがありはしないか。

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ある自治体史誌に関するプロローグ

2023-05-02 23:24:54 | つぶやき

 ある市誌編さんに関わって、最近悩みが増幅している。

 先ごろの会議でのこと。ふだん顔を見ない方が会議室におられて、ほどなく誰かは想像がついた。マスクをしている近ごろは、誰と明確に判断できるには、常に顔を合わせているような人でないとわからない。それでもこの日、「なんとなく」誰かは分かり、会議の冒頭でも何の説明もなく会議は始まった。その会議が何のために開催されたかは、司会をつとめるその場の長と頻繁に打合せをしていたからわかっていた。その「何のため」がわたしには強くこころにあったから、事務局やその場に初めて加わった方の意図は様子見ではあったものの、この会議の方向性を見失わせるような発言に苛立ったのはいうまでもない。

 この編さん、令和3年1月に編纂委員会が発足して始まった。そもそもの意図とは何だったのか、編さん室のページからうかかがうしかない。わたしは途中から「側面から支援してほしい」との目論見で加わった一人にすぎず、何回も会議は出ているものの、いまもって委嘱状をいただいてもいないし、ただ趣味で参加しているレベルの存在だ。したがってその意図を直接聞いたわけでもなければ、わたしの身分を説明されているわけでもない。このような形で編さんに関わったことは、いままで一度もないし、「こんなやり方もある」と薄っすら「思う」しかない存在でもある。

 さて、〇〇市誌を作る目的には次のように記されている。

1.市民のみなさんにとって、〇〇市への関心と愛情を深めるきっかけ作りのため
2.○○市の発展に役立つ、将来への資料として記録を残すため

そして、その方針として次の6項目があげられている。

1.○○市のことを知りたい時に役立ち、興味が湧く『○○市誌』を作ります
2.『○○市史』『○○町誌』『○○村誌』が刊行された後の事柄を中心にまとめます
3.新しい取り組みに伴う変化、また○○市の歴史や文化を記録し、未来へ繋ぎます
4.写真や文集などを活用し、その当時の人々の声が聞こえ想像力をかき立てるような『○○市誌』を目指します
5.画像や映像、音声を使って、書籍では伝わらない臨場感のあるコンテンツ作りにも取り組みます
6.『○○市誌』のデジタル化を図り、あらゆる世代の方の「知りたい」「調べたい」をサポートします

以上である。この市では平成の合併以前に、それぞれの市町村で編さんされた自治体史誌が発行されている。県内ではごくふつうの自治体史の姿である。その上で、合併後を中心に「新たな」自治体史を編もうとしたもので、県内ではこうした考えで取り組もうという動きは少ないもののある。大きなものとして長野県史があるだろう。昭和時代末期に刊行された県史以降を補う、あるいは「新たな」という意図もあるのだろうが、動き始めている。したがってこうした取り組みにいち早く手をつけようとした考えには賞賛したいと思う。ところが、今さかんに悩んでいるのは、その編さんへの具体的な方法なのだ。方針のうち4.~6.は今だから考えられる新しい取り組みだろう。方法によっては市民にはとても便利なものになるだろう。問題は1.~3.の方針をどうかたちにするかである。

 市誌を編さんする上での作業工程や内容についても記されている。「資料収集」には「必要となる情報や資料を、時代を追って集め整理します」とあり、「調査・研究」には「集めた資料から、調査や研究を行い、根拠のある情報を掲載できるようにします」とある。ごく当たり前のものなのかもしれないが、この方針に沿って議論しようとすると、最近富に横やりが入る。そのせいで悩む時間が嵩んでいるというわけだ。ただでさえ「簡単には編めないもの」とわかっているのに、逆行する批判を受ける。「いったいどういうものをつくろうとしているのか」、わからないし、もしかしたらわたしのイメージとはまったく異なるものを作ろうとしている、そう見える。時間ばかり要してしまってやらなければならないことができない、そんなことにならないで欲しいというのが今の思いである。

続く

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身の丈の補正率

2023-04-24 23:53:53 | つぶやき

 宿題を山積みにしての今年が始まった。この1年で処理しなければならないと言い聞かせながらの始まりである。とはいえ、もう4月も間もなく終わる。結果的に同じことを繰り返せないのに、いつもと同じような滑り出しである。いっぽうで、「最後だから」という気持ちもあって、自分の中で考えていたもの、また伝えなくてはいけないと思っていることを100パーセントとはいわなくとも、ある程度達成感があるようにしたいと思うと、いつも以上に準備をしたいとも考える。「次はない」と思うからの意識の高まりでもある。だれもそうして「最後」を捉えるかは別として、そう思うとこの日記もなんとか今年1年全てを埋めたいと思っていたのに、このありさまである。

 「連休になんとかしよう」とか、「連休まで待って」と思いながら4月を過ごすのもいつもの通り。しかし、そうして後へ後へと始まるから、1年が終わらない。わかっていても、「連休」への送りは嵩んでいく。今年は公民館の役も受けていて、後回しにはできない作業もある。すでに「連休に」と思っていた作業を数えていくと、連休だけでは終えられないほど指を折らなくてはならない。わかっていても、繰り返したり、、あるいは予定通りにいかないのは、年老いたせいなのかもしれない。年々補正率を掛けるくらいのつもりで予定を立て2位と、もはや一生その環境は変わらないのかも…

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久しぶりの調査

2023-04-22 23:13:03 | つぶやき

 自治体誌の集団調査に久しぶりに参加した。半年ほど前にも別の自治体の調査があったが、調査だけを目的にして集まって特定の地域を対象にして実施する調査は、ほぼ20年ぶりである。記憶をたどると「もうそんなに昔の事か」と思うほど、わたし自身も空白の多い、手探りのような調査であった。事前に自分なりに用意をしていったつもりだったが、「失敗」と思うようなこともいくつかあった。

 仕事がら図面を用意することは慣れたものだ。とりわけふだん仕事をしているエリアだけに、図面は業務上で得たものが使える。いわゆる地形図である。それだけではどこが誰の家か、そんなことを訪ねると地形図だけでは判明しないので、住宅地図も用意する。対象エリアの集落部分と少し周囲も含めて印刷していったのだが、「ヤマはもっと上の方にあった」とか「畑はもっと南の山の方にあった」と言われた空間は、用意していった図からはみ出していた。過去の調査では空間的情報がまったくない中で聞き取りをして、頭の中で空想するしかなかったのだが、図を用意していけば具体的に周辺も含めた空間情報が即時にイメージできる。そう思って図を用意するようになったのは、そう昔のことではない。集団でなくとも、個人的にあらかじめ場所を抑えての調査では、図を用意するのは必須になった。とはいえ、どこの図でも手に入るわけではないし、その図も縮尺がさまざまで、市町村図レベルでは情報を把握しづらい。今回も地形図はデジタルデータだったので、そこそこの姿が実際に現地を知らなくともイメージできたが、さすがに枠外では不測の事態である。仕事の上で2次元の図面は当たり前に見ているから、その世界から空間をイメージすることは慣れている。ほかの人たちにくらべれば空間イメージを地形から判断することはできる方かもしれない。その上で「誰それの家はどこ?」と聞く際には、やはり住宅地図である。それもいわゆるページめくりの本物の住宅地図では扱いづらいので、一定の地域を集合化した図面を用意していったわけである。これもまた、地形図の枠と近似したものだったから、「山の上の方」は枠外だった。もちろん住宅地図に「山の上の方」は描かれていないし、曖昧なものだから、地形図で用意するべきだったのだろう。とりわけ今回の「山の上の方」という話をお二方から耳にして思ったのは、林班図も用意すると良いのかもしれない。

 今日はなしをうかがったお二方とも「山の上の方」に土地をお持ちのよう。そしてその山にはもうしばらく足を運んだことはないという。山の恵みを求める趣味でもない限り、持山でももはや「どこにあるかもはっきりしない」状態である。嫁に来られたばかりの頃には、舅に連れられて山仕事によく行かれたという女性は、かなり広く山を所有されていたよう。しかし、もう「どこにあるかはまったくわからない」とのこと。もう30年以上前のことという、山に足を運んでいたのは・・・。

 良い話者に恵まれて、教えられることの多い調査であった。感謝!

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PET-CT検査を受けた

2023-04-14 23:30:12 | つぶやき

 癌の部位別発症数を見てみると、1位は肺、2位は「その他」となっていて意外にその他が多いものの、その「その他」の中にはさまざまなものがあるのだろうから、とりあえず本当の2位は大腸となる。でもその差は大きくて肺癌の半分程度だ。大腸と同じくらい多いのは胃であり、4位以降は膵臓、肝臓、前立腺となる。これは男性の場合であって、女性だと1位のその他を除くと本当の1位は大腸、次いで肺、膵臓、乳房、胃と続く。近ごろ知り合いの中に膵臓癌で亡くなる方が多い。それも発症確認後短い間に亡くなるケースが多い。そのはずで、部位別の臨床病期別5年相対生存率を見てみると、際立って生存率が低い。そもそも症例数を見た時、ステージⅣの症例数が多いということは、発見した際に既にステージⅣだったということになるのだろう。発見しづらい上に生存率が低い、当たり前に際立ってくる。

 初めてであり、おそらく最後になるのだろう、PET-CT検査というものを受けてみた。といっても10万円ほど要す検査で、個人負担だけではちょっと体験できない。たまたま会社で負担をしてくれるというので検査を受けたが、少し前の会社の状況では不可能だった。PETとは、positron emission tomography (陽電子放出断層撮影) の略で、放射能を含む薬剤を用いる、核医学検査の一種という。薬剤が高額なため、検査費用が高くなるという。放射性薬剤を体内に投与し、その分析を特殊なカメラでとらえて画像化する。全身を一度に調べることができるというが、実は完ぺきではない。膵臓癌はPET検査ではほぼ判明しないようだ。ということで、肺癌や大腸癌、あるいは乳癌や子宮癌には効果があるようだから、女性向けかもしれない。

 結果は先生が診察される日に再度聞きに行くことになるが、たまたま来週は先生も、わたしも都合が悪いから2週間後である。胃カメラは毎年吞んでるし、今年は脳ドックもやったし、ということで、こんなにあちこち診てもらうのは、最初で最後である。なによりわたしの欠点は、体型の割にLDLコレステロールが高いことだ。かなり食事的にはそれに応じているのだが、あまり効果はない。そのせいでこの1年にMRIを2度も受けた(実は後頭部を打撲した際にも受けたからトータル3回)。診察結果上は問題なかったが、先生に「基礎疾患ありにあたる」と言われた時は「えっ」と思った。いちおう何にも薬は飲んでいないし、病歴もほぼ皆無だ。ということで、身体には気を遣おうとは思っているが、なかなか・・・。

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今まで書いたことのない事

2023-04-11 23:34:38 | つぶやき

 長年日記を記してきているから、過去に何を書いたか、などという記憶はない。したがって同じことを書いていることは多々ある。しかし、今日ここに書くことは今まで書いたことのないことと断言できる。

 今日も飯田線に乗って北上した。郡境域で乗るから、比較的駅と駅の間が長い。とはいえ、先日記した「意外な降車客」の駅までは、乗りこんだ駅から比較的近い。郡境域なのに意外に駅間の短い区間だ。したがって乗ってすぐに車掌が車内に回ってくることはない。わたしは常に後部に乗るから車掌が回り始めるとすぐに「手を上げる」客となるから、この最初の駅までの間に車掌がやってくることはないと承知している。もちろん車掌によってその対応は異なり、稀にこの短い区間でも車掌がやってきて切符を手にしたことは、長い経験の中で1,2回あった。ということで次の駅とその次の駅の間が長いので、おおかたはそこで切符を手に入れることになる。そこで車掌が来なければ、さらに次の区間、さらにそこでも来なければ、その次、またその次、と乗ってから4つ目の駅までには切符を手に入れていた。

 ところがだ、今日は4つ目の駅を過ぎても車掌が出てこない。繰り返すが最後部に乗っているから、車掌はすぐそこにいる。が、なかなか車内に回り始めない。「回るつもりがないのか」と思わせるほど電車が動いている間、最後部の運転席に身を置いている。結局5つ目の駅を過ぎてからようやく車内を回り始め、切符を手にすることができたが、乗ってからすでに20分以上経過していた。「いつくるのだろう」とじっと待っている者にとっては、この20分余はずいぶん長く感じる。というかすでに5つも駅を通過しているのだから、この間に下りる客がいたら降りる際に乗車賃を精算しなければならない。これをやるとけっこう時間を要し、通勤通学時間帯だからただでさえ電車が遅れがちなのに、より電車を遅らせることになる。「乗客対応で○○分遅れています」などという車内放送をするはめに・・・。ようはちゃんと車内で仕事をしていれば、電車を遅らせるリスクを負わないということになる。さすがに切符を手にするまでは落ち着かないため、何かをしようという気にはなれない。この時間はとってもきになる時間だった。長い飯田線経験の中でも、稀な対応であって、だからこそ「今までには書いたことのないこと」というわけである。

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今どきの軽自動車

2023-04-10 23:12:01 | つぶやき

 新しい軽自動車を買って、我が家は車が5台になった。敷地がそこそこ広いとはいうものの、さすがに5台もあると重ねて駐車するため、奥にある車を使おうとすると手前の車を移動させなくてはならず、けっこう厄介なことになる。ということで奥に置いた車は利用頻度が減るということになるのだろうが、新しく車を増やした理由は、自家用車が10年を越えてきていて、スペアというか、用途に合わせると「もう1台」となった次第。軽であれば維持費が安いということもあるし、それほど負担にならないだろうということで買うことにした。もちろん10年を越えてきている車は、いずれ廃車にする時がくるから、年老いてきた自分の年齢とにらめっこして決めたこと。

 とはいえ、車の事情は年々変わりつつあり、新しい車は従来の車と変わってきている。もちろん今どきの電気自動車ならもっと違うのだろうが、そんな車に乗りたいとも思わないから、ふつうのガソリン車を買った。というかスペアだから安い車を選択するのが身の丈というもの。それにしても「まさか」と思ったのは、マニュアル車なのにアイドリングストップするということ。オートマならともかく、マニュアルでもアドリングストップ機能があるとは・・・。ギアをニュートラルにしてブレーキを踏んでいる(A)とエンジンが止まる。マニュアル車に乗っている人にはとても厄介な機能で、癖もあるのだろうが信号待ちでなくとも交差点で右折する際に(A)状態にすることが時おりある。したがってほんの少しエンジンが止まって、いきなり右折しようとするとまたエンジンがかかる、というわけですぐに動けないことがある。したがってあまり意図的にシフトを動かさずに、こんな時はニュートラルにしない(B)ということなのだろう。癖を直さなくてはいけないのだろうが、長年の癖はそう簡単には修正できない。キャンセラーがあるというが、あまりに運転しづらいとなれば、方法を考えなくてはいけない。

 驚くことがもう一つ。もはや当たり前になっているのだろうが、オートライトだ。2020年4月から義務化されていて、今やライトのスイッチに「切」がない。ようはすべて自動なのだ。そもそもマニュアル車を選択するようなわたしにとっては、この機能も厄介。「まさか」と思ったのは今の季節で午後5時を過ぎるとライトが点灯する。ほとんど昼間と変わらない明るさなのにライト点灯なのだ。そのくらいの感度だから、真昼間でも少しダークな環境に入ると「すぐに点灯」する。その割に消える感度が鈍いため、頻繁にライトが「点いたまま」になる。あるいは点いたり消えたりで、これってライトの消耗を早めるのだろう。またアイドリングストップもそうだし、ライトもそうだし、加えて自動にドアミラーが収まるし、今どきの車はバッテリーを消化することばかり。よくわからないが、本当に10年「ひと昔」状態。妻の数年前に買った軽自動車に時おり乗ると、最近の軽自動車の「すごさ」(早いしでかい)を実感していたが、「もっと小さい昔の軽自動車に乗りたい」、とつくづく思う。

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新年度用のメモ帳

2023-03-27 23:50:07 | つぶやき

 来年度のメモ帳を買った。毎年3月に入ると、新年度を前にして用意する一つの道具だ。以前にも記したが、わたしにとってこのメモ帳は、「身体の一部」みたいなもので、今の人たちにすればスマフォがそれにあたるのだろう。近ごろはスマフォも常に持ち歩くようになったが、それ以上にわたしには大事な道具だ。なぜかと言えば、そこにはさまざまなカードや免許証も入れている。もっと言えばふだん買い物をする際には、ここに挟んであるお札を使って支払いをする。したがって常に千円札数枚をここに挟んでいる。危ない行為ではあるが、「大事なもの」という意識が高いからこそ、無くすこともないし、常に持ち歩くから身に着けていないと気がつく。まさに身体の一部なのだ。おおよそ幅8センチ、高さ12センチ、厚み8ミリほどのメモ帳だが、薄ければ薄いほどありがたいが、年間のメモだから、そのスペースが必要。8ミリより薄くても機能上は大丈夫だが、そうしたものは売っていない。1週間が見開きになっていて、白紙ページが見開きで10ページほど。住所録のページや、1か月のスケジュール用のページなどは不要だが、そうしたページには仕事関係の連絡先をまとめた表を縮小して貼ったり、仕事でよく使うデータを貼って、いつでも常用するデータはメモ帳を開けばわかるようにしている。比較的常用するカードなどを挟んだり、免許証も挟むということで8ミリの厚さが膨らんでしまうわけだが、最近は携帯の袋もここに挟むようになった。折り畳み式でメモ帳の半分ほどになるものだが、開けばコンビニの小さなレジ袋程度になる。まさかレジ袋の代用品まで挟むことになるとは、昔は思ってもいなかったこと。しかし、そうした物も出回るようになるほど、時代は変わった。が、メモ帳を持ち歩くことは今も変わらない。数年前、現場調査が多かった時、常に携帯していたから水路に落としてしまって、濡れてインクが流れて何が書いてあるかほとんどわからなくなってしまったメモ帳が、今も手元に残されている。落としたのは2月ころだったから、ほぼ1年が記録されていたから、捨てることもできなかった。

 ということでメモ帳は常にシャツのポケットに収めている。したがって前かがみになればポケットから落ちるのは当たり前。身体の一部と認識するほどだから、前かがみになるときはポケットを抑えて前かがみになったり、あるいは連続するような場合は、違うところに携帯するようにはしているのだが、ときおり落とす失敗はある。とくに「水の中には落とさない」と気を遣ってはいるのだが…。

 新年度用に買ったメモ帳、いつもと同じものと思って買ったら、同じなのかもしれないが少し変化があった。傷まないように周囲がビニールでカバーのついたものをもう10年以上使用しており、その内側に表紙カバーがかけてある。これまではその表紙カバーが内側に折り込んで二重にしてあったのだが、折り返しがなくなって一重となった。その分ほんのわずかであるが薄くなったというわけである。考えてみればビニールのカバーがされているため、この折り返しは不要だったのかもしれない。薄くするという意図でそれを辞めたのかどうかは知らないが、わたしのような利用方の者にとっては、ありがたい変更であった。

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復活2

2023-03-22 23:35:02 | つぶやき

 いろいろ知らぬ間に変わってしまうから「厄介で仕方ない」と思うことしきり。もちろんパソコンのことだ。気づくとレイアウトが変わっている。「いつからだろう」などと記憶を戻す余裕もない。気づかぬうちに「世間も変わる」、この世の常識となりつつある。そうした変化をもれなく把握するなど、今の世では不可能に近い。「生きづらい」とはまさにこんな時に思うこと。なぜ変えなくても良いものが変わるのか、サービスを提供している側の「独りよがり」と言うと「古い」と言われるのかもしれない。しかし、慣れているものを勝手に変えられるのは、無駄な神経を使うし、時も要す。きっと「この方が使いやすい」と提供側は思うのかもしれないが、勝手なお世話だ。

 ようやく先が見えてきた。もちろん令和4年度のこと。この日記を始めて以来のきつい1年だった。「もういい」そう思わせる終末期である。ある市誌の原稿締め切りを宣告されたのはいつのことだろうか。調査もろくにしていないのに「原稿を出せ」は、かなり乱暴な話なのだが、仲間の誰も文句も言わなかったから、「すごい」と思いながら「形だけ出す」と解釈した。宣告されても仕事が忙しいし、ほかのことも忙しい、締切間近まで何もできなかった。そして締切日が迫ってから一夜漬けで原稿はまとめた。ろくなものではないことを、ここで宣言することもないが、まさに「ろくな現行ではない」。形だけだ。少し遅れて提出したが、先方からは「遅れる」と連絡した時も、「遅くなってすみません」と連絡した時も、梨の礫だ。今改めて「なしのつぶて」が「梨の礫」と書くのだと知ったほど無知なわたしも、余裕の無さは周囲の誰よりも深い。その深みにはまった1年だったが、わたしにとっては終末期だ。ようやく先は見えたが、まだ今年度の仕事はいくつか残っている。そして、また「今年中に終わらなかった」仕事を残す。もうあとはない。来年度はそれらをすっかり処理しないと、わたしにとっての生涯は終えられない。

 なぜこうも宿題を課せられたのか、そう思うと人に愚痴を言いたくなるのだが、事実のところわたしのせいではない。さまざまな尻ふきを自ら受けてしまった結末だ。「余裕でできる」と思っていても、蓄積すれば容易ではない。当時担っていた者、あるいは上役も、もはや姿を消したに近い。もちろん彼らに言いたいことは山ほどあるし、彼らに尻ふきをしてもらいたいところだが、もはやその状況はないし、かれらに課すこともできない、あるいは彼らには処理できない。そうした蓄積が余裕と思わせるわたしのこころにリスクを負わせた。余裕が無いと、空隙は消えてしまい、すべてを埋め尽くしていく。気持ちを重くさせるばかりではなく、一歩一歩も思うように踏めない。あと1年、こんなことは繰り返さない。

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続『あしなか』

2023-03-20 11:19:22 | つぶやき

 『あしなか』326号が送られてきた。手書きの通信文が同封されており、「今後の「あしなか」編集について」と「現在の会計面からのご報告」という関係者二人の文が記載されている。前者編集室の岡倉さんは「これまでにない危機状況」と述べ、継続発行の会計上の課題をあげるとともに、寄稿の少なさを指摘されている。そして後者事務局塩野谷さんは、100名の会員で1号発行するには30万ほど必要といい、現保有額が42万で、今回発行号の支払いを済ませると残りは15万円だという。ようは次の号を発行するだけの資金がないというのである。意見を募られているものの、ここまで残金がないとどうにもならないという印象がある。今回の号には会計報告もされていて、それを見る限り塩野谷さんの言うところが理解できるわけだが、ここまでの自転車操業になる前に対応が必要だったのかもしれない。

 「令和4年度収支報告」では、繰越金と会費収入などで120万余となっている。そして3号を発行し支出は77万円。差し引き45万ほど令和5年度に繰り越していて、それが前述の42万円なのである。そして今号が発送され、前述のとおり「後がなくなった」というわけである。会員が100名ということは会費7000円だから年間70万円ほどの予算となる。ということは1号発行するのに30万かかるとなれば、年間2号が限度。そして会計報告上の会費収入が何年度のものなのかがはっきりしないから、詳細がはっきりしない。計画的に発行するのなら年間2号が限度なのに、令和4年には3号発行している。繰越金には「令和5年度の会費が算入されている」と言うから、既に令和5年の会費も使ってしまっているということなのだろう。とすれば1号発行分の収入がない限り、発行を留まるしかないというわけだ。

 かつて2016年に『あしなか』を記した。年会費を上げたことについて触れたもので、当時の告知によると、これからは「年50~60頁を2~3回に分けて発行する」としていたのに、最近は20ページほどしかページはない。このページ数なら表紙を特別な紙にせず、中身と同じものにして発行すれば、わたしの関わっていた長野県民俗の会なら10万円要さずに発行できる。結局紙数が減れば活動は減退するもので、体裁は二の次と思う。最近送られてくる同誌は、製本もあまり美しくない。素人レベルとは言わないが、このレベルならプリンター印刷でも良いくらい。確かにそれでは価値が下がるかもしれないが、身の丈に合わさざるを得ないだろう。いずれこうした同好の印刷物は、どんどん消えていくと思われる。残念だか仕方ないし、印刷物にしたいというのなら、もっと計画的に行うべきだろう。

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復活

2023-03-06 23:37:30 | つぶやき

 週一ほど立ち寄る大型店、少し間を開けたが、久しぶりに立ち寄ると、トイレの洗面所のいわゆる手を拭く代わりのジェットタオルというやつが作動していて、少し前に備えてあったペーパータオルが消えていた。

 ようは感染症対策で風を出す機械がいろいろ停止していたが、下火になってそうした機械が復帰したというわけだ。コンビニあたりでもジェットタオルほどでなくともエアータオルというものが備えてあって風で乾かしていたものが使用禁止にされていたりしたが、もちろん統一ではなく「店によって」の対応を実感していた。

 とはいえ、ペーパータオルの際には利用していたが、わたしはこのジェットタオルというやつは、コロナ禍以前も使わなかった。乾くのに少し時間がかかるから、所有しているハンカチで拭いた方が早い。何台もあるわけではないので、混雑していると「待ち」になってしまう。エネルギーを利用して手を乾かすなどと言う無駄なことはせず、ハンカチで拭けば良いだけのこと。ペーパータオルも、よほどでないと利用しなかったものだが、この頃はたまに利用していた。

 そもそもこうしたモノを利用する人、ハンカチというものを持っていないということなのか、それとも「持っていても使わない」なのか、定かではないが、見ていると女性でもこうした店で用意したモノを利用する人、けっこういる。女性差別と言われたくないので、これ以上触れないが、多用する女性をわたしは好まない。

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スーパーウーマンだった伯母さんとの別れ

2023-02-12 23:18:19 | つぶやき

 2014年に「父の繋いだもの」を父の三回忌の法要のあった日に記した。もう7年余前のこと。その際に触れた伯母さんがこの5日に亡くなられた。99歳の誕生日を迎えてすぐだった。「父の繋いだもの」にも記したが、伯母さんはスーパーウーマンという感じの方だった。そこにも記したとおり、わたしにとっての「仕事」とはなんぞやを教えられたのは、伯母さんである。わたしも長く生業を営んできて、その素地になっているのは伯母さんである。営んでいた建設資材の会社へ高校時代にアルバイトに行った。おそらくあんな仕事は、今の若者は絶対しないだろうし、今はそうした仕事を手で行うこともないのだろう。いわゆる石材のプラントがあって、スクリーンを経て仕訳けられた石材を、さらに人力で大きさごとに割り振っていた。春休みのほぼ1か月ほど、伯母さんとともに働いた。夏休みにも働いた覚えがある。

 わたしの家から伯母さんの自宅兼作業場までは、距離にして1キロ半ほどあっただろうか。父も同じ会社で働いていたこともあって、朝は車に乗せてもらっていったと記憶する。そしてまる1日、石との格闘である。スクリーンから落ちてきた石材の大きさは、直径20センチほどから40センチほどのものだっただろうか。40センチほどのものはもちろん石積用のもの。直径で40センチ近くあると、かなりの重量である。これを3種類くらい(小さいものは篭石用)に割り振っていくのである。同じことの繰り返しなのだが、重労働である。それを女である伯母さんはいとも簡単にこなしていた。そして、ダンプがやってくると、ホイールローダーに乗って、ダンプに石材を載せるのである。やってきたダンプに資材を積み込むのは、伯母さんの仕事だった。その仕事を90歳を過ぎてもやっていた、ということは「父の繋いだもの」に記した通りだ。息子さんには「もう辞めな」と言われていたのかもしれないが、巧みにハンドルを切る姿を、90歳過ぎたころにも見た覚えがある。間もなく引退されてそうした仕事から退いたが、その数年後に脳梗塞で倒られた。長生きをされると思っていたので、倒られたと聞いた際には意外だった。しかし、心臓が強い方だったのだろう、寝たきりになってしまった以降も、長らく元気でおられたようだが、やはりコロナ禍もあって、その後お顔を拝見することもできなかった。

 細い身体で、巧みに石を動かす姿、そしてホイールローダーを男勝りに操る姿、「すごい」の一言だった。伯母さんに負けていられないと必死で働いた日々が、わたしの仕事に対する立ち位置となったことは言うまでもない。もちろんそうした伯母さんが、踊りの師範を取得されて、地域の人たちにも教えられていたことは、意外な側面でもあった。伯母さんの働く姿は、わたしの記憶から一生消えることはない。

合掌

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