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=HITORIGOTO=旅するココロ

 金沢→能登→東京…暮らしでのこと

バリ舞踊練習日誌060204

2006-02-05 | バリ舞踊
 舞台までちょうど一ヶ月前。8人全員が揃うのは、今日で最後ということで、寒波にもめげず、朝10時から集合で自主練。ひたすらペンデット。先週言われたように、意識して、鏡を見つめて、身体を動かす。
 歩きのときに、頭が揺れていない…。左側が弱い。身体の向きが変…。ニャールという動きができていない。ピロスがうまく入っていかない。自分で分かるだけでも、改善点目白押し。
 身体には癖がある。日常生活をしている時には全く気づかなくっても、踊ると、一目瞭然。ここに力が入らないとか、動かしにくいとか、「いったいどーなってるんだー、私の身体はー」となる。
 ついでにいうなら、途中で体力(筋力)がなくなってくると、途端に悪いところが出てくる。
 骨格や筋力が正しいならば、そこまで負荷がかからないのかもしれないけれど。
 正しい身体に近づけるといいなぁと、いつも、思っている。 正しい身体であれば、振りを覚えたら、ある程度美しいかたちで踊ることも可能かもしれない。
 でも、現実の私は、踊りながら、自分の身体の歪みや動きの悪いところを見つけて、意識して、しばらくたつと忘れてしまって…再発見して、そんな繰り返し。
 身体が歪んでいること(左の力が入らない…)、ついつい直線的な動きをしてしまうこと。
 これはもう命題みたいなもので、いつもこのへんをうろうろしていて、自分でも情けないやら、なんとやら。
 午前の練習は2時間、休憩もほとんどなく、次から次へと曲をかけてみっちり。お昼におにぎりをほおばりながら…、午後からもレッスンがあるのに、気持ちがとおーいところにいってしまうほど、放心状態(笑)
 で、午後のレッスンは、いつものように身体を緩めた後、基礎を。右のアガム→ピロース→左のアガム→ピロース→右のアガム…と。それから、テレステックも、しっかり重心を下げてやること。中指を入れて、手の表情をつくること…。肘の位置、水平…。日頃から鏡を見て、しっかりやること。
 何事も基礎…でございます。で、おかしいと思うところを、意識し、直すということから、はじまるのです。
 で、レゴンラッサム…今一度パートナーを組み替えて、少し進みました。いや、少しのつもりが、結構進んでました(笑)
 踊っているとあっという間に時間がたっていきます。気がつくと夕方。何時間踊っていたんだろう?翌日、いやいや翌々日の筋肉痛がコワイ…。(土曜日にレッスンや練習があることが多いので、月曜日はどこかしらコキコキいってる私です)
 さぁ、日曜は、お勉強。このところ、週末といえば、踊りとお勉強で暮れていきます。そのほかのことは、あまりにも分かりやすいくらい、手を出す余裕がありません。だからとてもシンプルで、それが私にはとても心地いい流れだったりします。めざせ!文武両道!!(20060205)

バリ舞踊練習日誌060128

2006-01-28 | バリ舞踊
 代々木レッスンの興奮?も覚めやらぬまま、小松レッスンへ。
 「肚を据えて」踊ること。そんなことを痛い位、思い知って、慣れない筋肉を使った、その筋肉痛の名残あるからだで、今日はレッスン。その痛いところこそ、本来動きで必要とされているところなのだ…と、今日はひたすら、そこに意識を置くことにした。
 レッスンがはじまるときに、ストレッチをしながら、なにげに皆に言われた言葉は、さながら、私のこと。「(踊りは)持って生まれたものがあるものだけれど、同じ位やってても差は出来るのは…、ちゃんと鏡を見て、自分と向き合っているかどうか…」というようなこと。
 心がつーんとした。ちゃんと鏡を見れていない自分。
 今日も、踊っている途中で、動くタイミングが??? 
 センスある人なら、分かるようなタイミングも、私には、分からないどころか、まったくその反対を行くような、我が本能。
 センスがないのも、持って生まれたものがないのもよく分かる。
 頑張ってもダメな者はダメ…。
 人生の局面でも、どこか逃げて来たような部分はなかったか。
 何事も真っ正面から向き合ってきたか。
 そんなことを考えながら踊っていたら、すごい顔で踊っていたのか、「もっとスマイルで…」とアドバイスを受けてしまった。
 そう言われてみれば、すごい形相だったことは、容易に想像できる。
 それでも、その後も、ここ数年のうちの、踊りにかぎらず、仕事でも、恋愛でも、ダメな自分が、走馬灯のように思いめぐらされて、どこかに穴があるなら、そこに入ってしまいたいような気分になった。
 とはいっても、何事も真摯に受け止め、そこで立ち止まってしまうことなく、たとえかたつむりの歩みでも躙っていくしかない。
 舞台も間近。腰から胸に巻く、ピンクの布を切り分けて、さながら体育祭のよう。
 大人になっても、こんなふうなことができて、仲間がいるってこと、感謝しなくちゃ。(20060128)

バリ舞踊練習日誌060114

2006-01-14 | バリ舞踊
今年の初稽古ー。レッスンがみっちりあったのは14日ですが、その前日、幸恵さんに同伴していただいて、N青年委員長とともに、3月の舞台の会場下見に…。実際の舞台は思ったよりも小さく…、入り口と舞台の関係も…あっそうなんだーと。
 「こりゃー、フォメーション変えなきゃ…」
ホテルの方に、お花をまいていいですかーと聞いたら、絨毯の上は花弁の上から踏まれる困るとのこと。「Nさん、お掃除隊つくりましょー。お掃除隊!!終わったら、すぐにきれいにしますからー」。(それでもお花を撒きたいのです…)そのNさん「箒とちりとりって貸してもらえますか?」やけに冷静です(笑)。ほかに控室のこととか、やや不安の残る部分もありますが、この段階で確かめておいてよかったー。
 で、今日のレッスン…午前、金沢、午後、小松…とフルコースです。
 一晩で、考えてくださったフォーメーションは、やはり変わっていました!
 そして、歩きながらの入場に使う「音」を、あさみさんがビデオから音源にとってくれて(感謝!)、今日初めて聞きました。とても、澄んだ、清らかな音で、それをきいているだけで、何か胸の奥をぎゅーと絞られているような、泣いてしまいそうになるような…。でも、私たちは、美しく歩かねばなりません…(練習あるのみ)
 で、少しこのための新しい振りも0.3曲分あって…、それはそれで、とっても素敵なのです。(美しく踊れれば…もっと素敵です)もっと練習しなきゃー。皆で合わせなきゃー。
 とまぁ、舞台の練習もあるのですが、もうひとつ、今年は、レゴン…も仕上げて、11月の長町フェスタで…!という大きな目標も掲げています。
 幸恵さんも、月2回のレッスンを提案くださっているので、あとは私たちのやる気のみ。
 今までの振りを一通りおさらいした後、チョンドンとレゴンの3人一組で…。(私は、ラッサム王です) 途中まで、チョンドンも見よう見まねでやってみるけれど、レゴンと重なっている部分も多く、肩、肘とか表現の違いこそあれど、まっさらに覚えるのとは、また違うんだなぁ…と感じたりなんかしました。
 まだまだひよっこのレゴンちゃんですが、お正月休みの間、バリで、1日3時間レゴンのレッスンを受けていらっしゃった幸恵さんは、ますますパワーアップなされたようにも…。
 合間にルンカップ(完全版)の一場面をみようみまねで踊ったのも、すごく楽しかった。
 あと、チョンドン(女官役)の居ないレゴンの始まりの部分とか…。
 レゴンは、奥が深い…と申しますが、本当にそのとおりです。
 そうそう、今年の私の課題も言い渡されました。「このあたり(腰椎の部分)の突っ立ってる感をなくすこと」「どうしたらいいんでしょう…?」「…『歩き』かなぁ…」やわらかーく8の字を描くように…そんなふうにしなやかに動けたら、どんなに素敵でしょう。(想像ばかり膨らみます)今年は、このことに正面から向き合っていこうと思います。
 こんなふうに、思うように動かない部分も含めて、今こうやって踊ることができ、ただただ自分の身体や心の動き、そして一緒に踊っている人の「気」を感じることができて、本当に嬉しい…幸せだなぁと思います。今日は、一日、感謝に満ち満ちた日でした。(満月)(20060114)

鍛える…

2005-12-27 | バリ舞踊
12月半ばの新聞記事で宮大工棟梁の小川三夫さんのお話しが。
「棟梁は、いろんなことをわかっていなくてはならない。でも、人間、素直にものにふれていれば、知識はなくても、さまざまなことがわかってくる。逆に、なまじっか知識があると、素直にものにふれることができないんだな」
 ほかに、ビートたけしさんとの対談したなかで、
「たけしさんは、修業時代、師匠から「ほかに何もしなくていいからタップだけ踏んどけ」と言われたそうだ。芸人にとって最も大切な「間」を体得するためらしいのだが、おれらも「ひまがあれば刃物を研げ」だ…」とあった。

 これを読んでいて、私は「踊り(バリ舞踊)」のことをなぜか思った。
 仕事もして、建築の勉強もしているけれど、今年1年をふりかえって、いちばん自分を磨いてくれたと感じたのは、踊りだと思う。うまい、下手と言えば、それはそれは踊りを習っています…なんて口にするのも恥ずかしい位だし、稽古しても、思うように動かない身体…にもどかしい思いをしていることも確かだ。趣味…のお稽古事ではあるけれど、学んだこと、踊りを通して自分を知ったことは数え切れない。
 踊りでは、知識はあるにこしたことがないというレベルで、人のこころを打つ踊りは、そんなところを超えたところの存在で、それを感じるのも、表現するのも、自分の心と体…でしかない。(かっこいいことばっかり言ってても自分とは遠いところにあって、こう書くのも恐縮する一方ですが…)
 「間」を体得…、踊りの稽古では、そういうことが随所に凝縮されている。
 今の仕事をするかぎり、そういったことを学ぶ場は少ない。
「慣れ」てきたなぁと、気持ちを引き締めるために、本を読んだりするけれど、そういったものよりも、「間」を学ぶということも含めて、踊りは「人間」そのもののチカラを鍛える。もともと運動不足対策で始めたことだけれど、それは身体よりもずっとずっと精神をも鍛えてくれているように思う。(20051227)

ポジショニング

2005-12-19 | バリ舞踊
 11月にバリでバロンダンスを鑑賞して感心したことが。それは「人にはそれぞれの立ち位置があって、役割があるということ」。バロンダンスで、太った、いわゆる醜い男性(失礼ですが)が登場してきたのですが、彼は、その容姿だからこそ、踊りで生かされていると思ったのです。彼でないとそのキャラクターの部分は伝わってこなかったかもしれません。
 それぞれが生かされている「立ち位置」があることは、「目から鱗」に近いものでした。だって、あれをハンサムガイはできないようになっているんですもの。ハンサムガイにはハンサムガイの出番があるということで(笑)

 今教わっているレゴンラッサムでは、ラッサム(王)を踊っているのですが、パートに分かれてみると…なるほど(笑)。特に宝塚の男役が似合うというのではないのですが、よく言えば陰陽の「陽」。
この踊りを教わるにあたって、ラッサム(王)かランケサリ(姫)かということを決めたのですが、一瞬、姫…になりかけて(内心…うふふ)と思っていた自分がいたのですが、今は心から王…ラッサム…でよかったなぁと思います。(最近思うのですが、私の前世はきっと男性だったよーな…) 王であれ、姫であれ、女官(チョンドン)であれ、それを踊る(演じる)というのは、自分のキャラクターのなかにあるものを引き出していくということなのかもしれません。
 自分の「立ち位置」が分かると、すごーく楽になるような気がします。それは、踊りに限らず、家族でも会社でも何かの集まりでも…
 最近の週末といえば、必ず「踊り」が何かひとつあるのですが、それは趣味…といえば趣味なのですが、それよりも何かたくさんのことを学ばせてもらっていて、すごくありがたいことだなぁと思っています。(20051219)

 - ポジショニングというタイトルは、今ふと閃きました。立ち位置を定めること。
 「自分を知る」なんてことも、つまりは、ポジショニングなんだろうなぁと思います。

 - コメントのレスは、のちほど~いたしますー