=HITORIGOTO=旅するココロ

 金沢→能登→東京…暮らしでのこと

人と地球の周波数

2006-06-29 | たわいもないこと
 最近、週にいっぺんほど、「水」を汲みに行っているのですが、いつもすごーく不思議に思うことがあります。その、水のある(出る)場所までは、車で行くのですが、だんだん近付いていくと、どこかで、明らかに空気が変わるのを感じるのです。
 もともと能登ですから、自然もいっぱいだし、都会のような空気感ではないのですが、さらに、もうひとつ奥というか、上というか、そういった空気に。
 ひとつの場所に限らず、水のある場所には、共通しているように思います。
 そんなことが潜在的にあって、今日読んだもののなかに、こんなことが。
 「瞑想中の人間の脳波は、シ-タ-波(4~7Hz)やアルファ波(8~13Hz)。そして、晴れた日の地球をとりまく空気層の周波数も、7~14Hz」だそうです
 えー、同じなんだー。
 と思ったとき、すぐに思い浮かんだのは、水汲みのときの空気のことです。
 もしかしたら、あの場所には、7~14Hzの空気が流れているんじゃないだろうかって。
 自分を、地球の波長に合わせることができたら、それがいちばん人間らしい自然な状態なんだろうなぁって思います。で、自分を知ることで、地球を知る…なんて、素晴らしいじゃないですかー!
 もともと何もなかった(自然な)地球の上は、こんな空気で満ち満ちていたのでは?
 だけど、だんだん猥雑なものが増えて、ノイズもいっぱいになって、本当の周波数が何なのか、分からなくなってしまったともいえるかも。
 そうやって考えてみると、「あー」って思えることがあります。
 いらいらしている人や病んでいる人は、このあたりに周波数があっていないような気がします。
 私も、今はただなんとなくそういうふうに感じているだけです。特別な能力も宗教も入っていませんので、御心配なく…笑(20060629)

- あまりにも蚊が気になるので、調べていたら、人の血を吸うのは、雌が産卵のためタンパクを求めて…と知りました。母は強し…なんて感心している場合ではありません。
 ここ数年、ほとんど刺されていなかったのですが、今年はシーズン前から、ぶちぶち。こちらの蚊は、元気ですわ。刺された後はかゆいけど、あまり腫れることもなく、次第にかゆみはおさまってしまいます。アレルギー体質のときは、虫さされでもほんとかゆかったけど、それに比べたら、今はずいぶん健康なんだなぁと思います。

満腹冷蔵庫

2006-06-27 | 日々の暮らし.能登
 実家から、またまた大量に野菜を持って帰って来た。クーラーボックスに母が適当に入れてくれていたのですが、部屋であけてびっくり。水菜に、チンゲンサイに、ネギ、大根、じゃがいも、インゲン、きゅうり、タマネギにいたっては、普通のと紫のと。どれもウチの畑でとれた旬のもの。だけど、一人暮らしには十分すぎるくらいの量だ。
 料理に創意工夫力のない私としては、「水菜の煮浸し」をつくり、じゃがいもをふかして、オニオンスライスを大量につくり、大根は細切りにして、塩でぎゅっと。そうこうしているうちに、スライスしたタマネギがいくらなんでも多すぎると気づいて、じゃあ飴色に炒めておこうと、火にかけておくと、ちょうどおいもがいい感じになって、そうだ…オニオンポテトにしようと、あつあつポテトの皮をむく。で、ざく切りにしたポテトを加えて、塩・こしょうで味をととのえてみた。パン粉があったら、コロッケにしてもいいなぁと思いながら。つまんで食べたら、ほっぺが落ちそうだった。
 年を重ねるごとに、旬のものの美味しさが、より身にしみる。
 それぞれの季節に、それぞれ美味しいものがあり、それをいただいた身体も、その季節のものとなる。世の中には、季節を放棄したような食べ物もたくさんあるけれど、私の胃はひとつしかないので、どうせなら、季節のもので満たしたいなぁと思うのです。これは、もともと人間の本能にも組み込まれていることなのかもしれませんね。
 それにしても、最近、素材勝負ばっかりで、手の込んだ料理なんぞ、作らなくなりました(もともと作れない?)
 で、今、うちの冷蔵庫は、そんなこんなの野菜やお惣菜で、満腹状態。幸せな奴です。(20060627)

- ここの安宿…じゃなかった、七尾高級マンションは、まわりが緑(雑草ともいう)豊かなため、夜になると、蚊がでます。昨晩の一匹、しつこいのがいました。七尾には、身体にやさしい蚊取り線香なんて売っていないので、自然派の私は、刺されるがままで、います。どこかに蚊帳ないかなぁ。 とりあえず、お香をもうもうと焚いてます。

- ようやく職場公認になりました?! 来月までの戦闘モード。(試験に向けて) 去年、あれだけ落ち込んだのに、今年のほうが実力がついてるという自信が全くありません。去年のほうが勉強してたような気がするし、えー、もう一ヶ月だなんて…。

バリ舞踊練習日誌060624

2006-06-25 | バリ舞踊
 梅雨入り後の初レッスン。今日は、午前午後と分かれたけれど、ひさしぶりにみんなのたくさんの顔をみられて、ちと嬉しかった。
 そう、今回のレッスンの2日前、幸恵さんから石川メンバーあてに、読んだだけで、目が覚めるようなメールが届いた。それを読んだ私なぞは、ジャブどころか、考え込んでしまった。「私は、何のために踊っているのだろう」。そもそも三十路を迎えて、運動不足解消のために、かるーい気持ちで始めたバリ舞踊。でも、実際は、本当に奥深く、知れば知るほど、身体はメタメタだし、踊りの才能もない。続けているからといって、踊れるようになるなんて保証は何ひとつない。いや、踊れないと思ったほうがいいのだろうということくらい、私にだって分かる。「バリの神様、ごめんなさい。踊れないのに、続けていていいのでしょうか?」と思ったことは、数知れず。それでも、振りをなんとか覚えて、みんなの顔を見るたびに、ここまで続けてこられた。
 でも、バリ舞踊は、いまや、私の一部となっていて、レッスンのない週末なんて、本当に寂しくって、週末じゃない気がする。
 で、今日のレッスン。身体が梅雨だなー、身体に水分こもってるなーと不安な気持ちもあったのですが、空は晴れてるし、気持ちのいい朝。
 足指マッサージをして、操体法をして、歩きを…。鏡をみて、あれ? 胸から下が動いてません。いえ、今日にかぎらず、動かないのです。いったい何が悪いのでしょう? そう思えば思うほど、ぎこちない。自分の身体なのに、自分のものではないよう。
 続いて、基本のアガムを、腰をまっすぐおろせず、足の位置が変です。さらに、上半身は、無理矢理かたちをつくろうとしている。思うに、もっと、素直でいいのだ。なのに、指令系統が…。
 要は、基本がなってないってことだ。心の中で、すごくへこむ。今までいったい何してたんだろうって。なんだか今日はとことんネガティブモードかつ、謙虚な気持ち。
 で、時間も短いので、キパス(扇)の使い方をば。前回、キパスを貰ってからのすぐのシーンのピロスのところとかを、ゆっくり詳しく教えていただいたので、今までよりも落ち着いて…。頭では分かる。あとは身体。前回「イメージでとらえるように…」と。道のりははるか。
 そういえば、午後のレッスンでは、「踊りに限らず、スポーツ全般にいえることですが、いかに無駄な動きをせずに、軸をずらさずに…」
 そうそう、そうなんです。そうなんです。そして、私の動きにはぶれや無駄が多いなぁとつくづく思います。美しいのは、もっとコンパクトなんだなーとも。
 でも、そうなるには、ある程度の体力、筋力、精神力みたいなものが必要…。基礎体力なくして、基本はありえません。ちゃんと歩けないのも、きっと原因はあります。見たものをそのまま表現しようと思っても、身体や心や意識に癖があったり、歪みがあっては、できないなぁと。
 もっともっと素直な身体や心や意識になりたいなーと心底思った。
 踊りの振りのなかでも、もっとシンプルなんだなぁーという発見もあった。要は難しく考えないこと。
 そして、自己練の前には、ちゃんとストレッチすることー(笑) 話のなかで、あんまり家でストレッチしてないんですーとついぽろり。一同「えー」。ひとりでもごまかしちゃだめよんってことで、猛省。
 あと、「一時間くらいノンストップで踊る」というお話は、心にずしんと来ました。ずいぶん前に、私が、すごーく高い目標?を打ち明けたことがあって、その時は若気のいたりでそう思ったのですが、続ければ続けるほど、それは無理と思えてきて、でも、もしかしたら、もしかしたら、という気持ちもあるものです。幸恵さんはそのことを覚えていらっしゃっていて、そうアドバイスくださったと思いました。でも、それは、ちゃんと振りも正しくごまかさず覚えて、基本のことができるようになってからのことと自負しています。でも、今、振りとか姿勢もさることながら、そういう助言をもいただけたということが、なんだかとても嬉しかったのです。
 1日のレッスンが終わって、もう、何のために踊るのか…とかは、とりあえず、棚においとくことにしました。私は今こうやってやっていることは、今の私に必要なことのひとつ。 余計なことは考えない。もっと素直に!ってことだもんね。(20060625)

身体のクオリティー

2006-06-22 | バリ舞踊
 バリ舞踊の師である幸恵さんから、とあるウォーキングシューズの存在を教えていただいて、この春から、ほぼ毎日、このシューズを履いています。一見、違いが分からないのですが、履いてみると「おやおや。不思議な感じ」
 なにやら、なかなか鍛えることのできないハムストリングス(という名前だったかな?)という、大腿筋の後ろ側の筋肉をストレッチしてくれる機能があるのです。
 このシューズを履いて、約3ヶ月、こころなしか、姿勢もまっすぐになって歩けるようになったような気がします。これにあやかり、バリ舞踊の基本の姿勢も、ちゃんとまっすぐに立てるといいなぁ…。
 で、直接の関係はないかもしれませんが、最近、発見…。腹筋が、ついてきてます。よーくみると割れているような気がする。気のせいかも。気のせいだ…と思ってはいますが。
 背筋がついてきたなぁということは、なんとなくそうかもなぁと思っていたのですが、(本人見えません…) 表と裏で腹筋もセット?
 いえ、特別なことは何もしてません。いやいやいやいや、バリ舞踊の練習くらいです。
 思うに、20代よりも、30代である今の身体のほうが、クオリティー高いと思われまする。
 身体は、ちゃんと鍛えて???大切にしてあげると、ちゃんとかえってくるものなのですね。
 年をとるって、だんだん衰えていくだけのことかと思われがちですが、ところがどっこい、そうでもない。これってちょっとすごいことだなぁと思いました。(20060622)

踊りと好きとまんなかと

2006-06-21 | バリ舞踊
 数日前から、よしもとばななさんの日記にはまりだした。フラのレッスンのところを、かいつまんで読む。踊りのレッスンに通うきもちなどなどは、フラであれ、バリ舞踊であれ、なんだか分かるなぁーと思いながら。
 よくよく読んでいて、あれ?っと思ったのですが、ばななさんがフラを始めたのが、2001年~2002年にかけてのこと。私が、バリ舞踊を始めたのも、2002年のこと。ばななさんは、途中出産育児なんぞをはさんでいますが、ほぼ同じくらいの間、踊りを続けているんだなーというのも、「あーそうなんだー」って気持ちになった。
 ごく最近の日記で、(といっても1年以内だったかな)、「共に踊りを踊りながら好きになった人たちは、ほんとうに好きになれる人たちだ。」とあった。その前後の文脈もあってかもしれないけれど、おもわず、コピペ(メモ)してしまった。
 踊りは、人の気持ちを裸にするなーと思っていました。
 ダンサーじゃなくっても、踊っているのをみると、その人がどんな人だか分かる。感じることができる。
 だから、「ごまかして踊っている」と言われたら、「あー、そういえば、私、ごまかして生きてるかもしれないなー」って思うし、「なんかこう、かたい…」と言われ、「あー、堅物…」って自覚し、「動きが気持ち悪い」って言われたときなんて、「えー、どうしよう」って思った(笑)
 で、人の美しさに対する定義みたいなものも、変わったというか、踊りを習っていなかったら、今頃そうは思っていないだろうなぁーと思えるものが、そのまんなかにある。
 美しいということは、すこやかということなんじゃないだろうかということ。すこやかに生き、その身体で感じたこと、交わっていくこと、生まれてくるもの…それが、美しいということなのだと思うのです。
 だから、ばななさんのいう好きとは違うかもしれないけれど、私は、健やかに美しく生きる人、いのちすべてが美しいと思うし、「好き」だなぁと思えるのです。
 そして、ちゃんと、ひとつひとつのいのちは、すこやかに美しく輝けるように存在しているような気がします。
 人を好きになるということは、そのいのちの輝きを美しいと感じ、交わったり、つながったりする、いのちのまんなかにある部分のことかもね。(20060621)