これはだめだ!

自信喪失、無気力な日本に”喝!”、反日、侮日に反撃、一矢を報いる。

国旗強奪事件、幕引き、小突かれても殴られても怒らない精神が堕落した日本、一体何を守るのか!

2012-09-05 | 安全保障

中国人も呆れる“痴呆”の商売人と日本国 
   
政府も政治家も長崎国旗事件を忘れるな
 
 国旗強奪事件後、丹羽大使は北京で開催された日中国交正常化40周年記念イベント「スーパー盆踊り」に中国市民と一緒に参加して、「難しいことは忘れて日本と中国が仲良くやれてよかった」とコメントした。侮辱されてもニコニコ笑って「難しいことを忘れる」日本に対し、中国や中国人民が「さすが日本は大人な対応」「大使、いい人!」と表面上感心しても、本音では「ここまでやっても怒らないのだ」と馬鹿にし、呆れているだろう。
          愛国無罪の国家ゲーム、責任を問わず

             2012年9月5日(水曜日)読売新聞朝刊1面

 
長崎国旗事件(1958年の右翼による中国切手切り紙展覧会の装飾に使われた五星紅旗棄損事件、犯人は器物破損の書類送検で罰金500円)では、中国は日本への制裁として2年にわたる通商断絶を行った。中国国内では五星紅旗を辱める行為は懲役3年以下の刑事罰だ。同じような事件が日本で中国大使の公用車に対して行われたらどういう状況になったか想像してみればよい。外交官を襲い、小さくとも本物の国旗を侮辱するという行為は日本全体を侮辱する行為であり、中国がきちんと処罰できないとしたら、それは中国政府が日本はいくら侮辱してもよい、と公言しているようなものだ。そうでないといえるのか。

 
ロシアが北方領土を占領しても日ソの経済交流に目がくらみ何もしなかった。戦後、日ソ漁業交渉に当たった河野一郎は“魚が獲れれば島はどうでもいい”と領土・主権を軽視、漁業優先で臨んだ。その後も日本側の交渉に臨む姿勢は変わらず、領土よりサカナが目当てだった。北方領土周辺で日本の漁船がソ連の国境警備隊に拿捕されたり銃撃されても何もしなかった。ソ連から軽蔑され、コケにされても無気力に終始し、有効な手立てをしなかった。北方領土は“ロシアのもの”になってしまった。

 
韓国は李承晩ラインを一方的に設定し島に警備隊を常駐させて以来、実効支配を強化したが何もしなかった。植民地支配が悪かった、慰安婦も悪かったと“お詫び”を繰り返したが、それがかえって韓国をつけ上がらせた。「竹島を不法占拠されてもにこにこ」して自らの弱さ、卑屈さを誤魔化してきた。李明博が天皇陛下に暴言を吐いても日本政府は、韓国にも世界にも気付かれない程度の弱々しい声“抗議”しか出さなかった。野田首相は“毅然と”、“大局にたって”とか“大人の対応”と尤もらしい御託を並べるが、自らの弱さを・卑屈さを誤魔化す言葉に過ぎない。竹島は古来、島根県の島である。根県選出の国会議員は何もしなかった。気付かないふりをしている。

 
香港の活動家が尖閣諸島に不法上陸しても、言ったか言わなかったか相手に気付かれない程度の抗議の声をあげるぐらいでお茶を濁している。貢国の使節よろしく外務副大臣が首相親書を手渡すためにわざわざ中国に出向いたが、すぐには受け取ってもらえずコケにされてもヘラヘラと卑屈極まりない。

(参照)
尖閣・魚釣島に中国人侵入、李、竹島上陸、北方領土も、日本列島は日本人だけのものではない! 2012-08-19 17:00:00 
 
犯行は計画的、一般の中国人が大使車を襲撃できるのか 
 
政府の姿勢は、中国の機嫌を損ねないようにと被害者であるにもかかわらず腰が引けている。丹羽は暢気に盆踊りに興じた。案の定、中国政府の事件の処理に関して、9月5日の読売新聞朝刊の1面は「大使襲撃 中国、行政拘留処分に」、「刑事責任問わず」、「国内世論に配慮、軽微な犯罪として早期処理を急いだと見られる」と報じている。また、2面では、「大使車襲撃事件 (日本)政府、処分で一区切り」、「『中国の国内法に基づくもので粛々と受け止める』と語った」との記事を載せている。北京市公安局から日本大使館への報告書の要旨に、「2人は現下の日中関係に不満を持って行為に及んだ・・・・。」「本事案は衝動的で、計画性のないものであったと判断した」、「大使車の正常な運行を妨害した27歳の劉に対しては公安当局からの警告処分とした」とある。これほどいい加減な処分を、まともに受け止める気にもならない。

 
劉は日中関係に不満を持ったので行った、衝動的、計画性がなかった。正常な運転を妨害しただけなので警告処分とした。国旗の強奪という国家の尊厳を冒涜したことについての言及はない。元外相が遺憾の意を表明したが、中国政府は国旗強奪事件に言及していない。逆に、日本が悪いことをしたから中国人が不満をもって起こしただけだといわんばかりである。果たしてそうだろうか。

 
外交官の車、しかも大使が乗っていることが公然と分かるように国旗が取り付けられている車を白昼、大胆に走行を妨害し強制的に停止さ、強奪させることが出来る人物とは、一体どのような人物なのだろうか。27歳で外国製高級車を乗り回せる人物は、普通の青年ではない。高級車を買うほどの金を手にすることが出来る才覚があり商売で成功した者か、その様な親の子弟か、中国共産党や政府と連なる人物の子弟か、金がない青年が共産党や政府関係の工作機関から唆されて犯行に及んだのか、真相は分からない。
 中国外務省から出てきた車を襲撃すれば外交問題に発展することが、官尊民卑の中国社会にあって、いくら程度が低い中国人でも分からないはずはない。それを承知で大使が乗った車を強制的に停止させ国旗を強奪するということは、背後で支えてくれるものがなければ出来ないことである。「対日関係上、表面的には処罰したことにするが、“愛国無罪”、やってみないか」と中国の党か政府機関が背後で画策した愛国ゲームと観察される。この事件も愛国無罪の国家ゲームである。

卑屈な奴隷根性の日本、魯迅著「阿Q正伝」の主人公阿Qと全く同じ
  

   
 (以下、魯迅著「阿Q正伝」から抜粋)
 「おいらは昔、おめえなんかより、ずっと偉かったんだぞ、おまえなんか、なんだい」阿Qには家がなかった。一定の職業もなかった。阿Qはまた、自尊心が強かった。未荘の住民どもは、一人としてかれの眼中になかった。阿Qは「昔は偉かった」し、見識も高いし、「よく働く」から本来なら「完璧な人物」であると称して差し支えないほどであるが、惜しいことに、彼には体質上に若干の欠点があった第一の悩みの種は、彼の頭の皮膚が数ケ所、禿ていることである。阿Qの意見では、こればかりは自慢にならぬらしかった。その証拠には、彼は「禿」という言葉、及び一切の「禿」に近い発音が嫌いであった。後になると、それが次第に広がって「光る」も禁物、「明るい」も禁物になった。さらに後になると「ランプ」や「蝋燭」まで禁物になった。その禁を犯すものがあると、故意であろうがなかろうが、阿Qは禿まで真っ赤にして怒り出すのである。相手によって、もし口下手な奴なら罵倒するし、弱そうな奴ならつっかかっていった。ところが、どうしたことか、とかく阿Qの方がやられてしまうことが多かったそこで彼は徐々に方針を変えて、多くの場合、睨みつけてやることにした。ところが、阿Qが睨みつけ主義を採用したとなると、未荘のひま人どもは、よけい喜んで阿Qの顔さえ見れば、わざとびっくりしたふりをして、こう言いのだ。
 
 「ほほう、あかるくなったぞ」 阿Qはきまって腹を立てる。かれは睨みつけてやる。「なんだ、ランプがあったのか」彼らは一向平気である。阿Qは困って、別の仕返しの文句を探さねばならなかった。「おめえなんかには・・・・・」彼は頭上にあるのは高尚な禿であって、当たり前の禿でないことを考えていたのである。しかし、前に述べたごとく、阿Qは見識が高いから、それを言い出すと「禁忘」に触れることを早くも見て取って、それきり言葉を途切らせたのである。ところは、相手は、それで止めずに、なおもからんできた。とうとう彼と殴り合いとなった。阿Qは、形式的には負けた。

 赤毛の辮髪(ベンパツ)をつかまえられて、壁へコツンコツンと頭をぶつけられた。相手はそれでやっと満足して、意気揚々と引き上げる。阿Qはしばらく立って考えていた。倅にやられたようなものだ。今の世の中はさかさまだ・・・・。」と彼はひそかに思った。そこで彼は満足して、意気揚々と引き上げた。阿Qは、心に考えていることを、後になっていつも口に出して言ってしまう。そこで、阿Qをからかう連中の全部に彼のこの精神的勝利法の存在が知られてしまう。それからは、彼の赤毛の辮髪を引っ張るとき、あらかじめこう宣言するようになった。「阿Q、これは倅が親を殴るんじゃないぞ。人間様が畜生を殴るんだぞ。自分で言ってみろ、人間様が畜生を殴るんだと」。阿Qは、両手で辮髪の根元をおさえて、顔をゆがめて言った「虫けらを殴るんさ。これでいいだろう。おいら、虫けらさー、もう赦してくれ」。たとい虫けらであろうと、相手は容易に放してくれない。今まで通り、近所に場所を見つけてコツンコツン、5、6回食らわせて、こんどは阿Qも参っただろうと思って、はじめて満足して、意気揚々と引き上げる。

 ところが阿Qの方でも、ものの10秒もたたずに、やはり満足して、意気揚々と引き上げる。彼は、われこそ自分を軽蔑できる第一人者なりと考えるのである。「自分を軽蔑できる」ということを省けば、残るのは「第一人者」だ状元だって「第一人者」じゃないか。「おめえなんか、なんだい」だ。阿Qはかくも種々の妙計によって怨敵を征服した後、朗らかになって居酒屋へ飛び込み、2,3杯ひっかけ、そこでまたふざけたり言いあたっりして、また意気揚々となって地蔵堂へ戻ると、ごろっと大の字になって寝てしまうのである。
 
     以上、岩波書店、竹内好訳「阿Q正伝、第2章 勝利の記録」
              101ページ~105ページから抜粋 
 作者の魯迅は学生として日本に留学し、東北大学医学部(当時の仙台医学専門学校)で解剖学を学んだ。ある日教室で、日露戦争における中国人露探(ロシア側のスパイ)処刑の記録映画を見、同胞の銃殺に喝采する中国国民の無自覚な姿に強い衝撃を受けた。これを契機に魯迅は中国の社会改革と革命に関心を深め、医学から文筆を通じて中国人の精神を啓発する道に転じた。
 
「阿Q正伝」は、無知蒙昧な愚民の典型である架空の中国国民を描き出すことで、当時の中国社会の病理を鋭く告発した作品である。阿Qを日本政府、日本の政治家、日本人と置き換えてみれば、そっくり当てはまる。日本人が卑屈な奴隷根性から目覚めない限り明るい未来はやってこない。阿Qの生き様は、そのように訴えている。

精神が堕落した日本に守るものがあるのか、何を守るのか 
 日本にとって国旗強奪事件は、“軽微”で済む問題ではない。その処分を「粛々と受け止め」幕引きするとは何だ。長崎国旗事件に対する中国の強烈な抗議、経済的報復をみれば、中国は日本を歯牙にもかけていないことが分かる。冷え込んだ日中関係を悪化させることは両国のプラスにならないと判断しているのであれば、中国側がお膳立てした盆踊りに興じた丹羽と同じだ。外交音痴も甚だしい。
 ロシ
アに北方領土を奪われ、韓国に竹島を奪われ、中国に尖閣諸島を奪われようとしている。それだけでない、李明博が天皇陛下に暴言を吐いても、大使の車の国旗を強奪されて、日本の象徴、日本人の魂が侮辱されても日本政府は薄笑いを浮かべで誤魔化している。 

 
これほどコケにされても政府は、相手に聞こえるか聞こえないか分からな声“抗議”を出すだけだ。無気力、無為無策が目に余る。マスコミは国家の主権、領土のことよりも政治家の離合集散の動きに目を奪われている。曰く、民主党の代表選「細野氏待望論」、「田中真紀子」、「石原氏、出馬に意欲」、「自民、(各陣営が)水面下の戦い」、どの政党も「維新の会」と連携をとりたい、政治家は選挙当選したい、入りたい・・・・・。政治家は国を省みない。マスコミはスキャンダルを煽り党派のあしの引っ張り合いに加担し、中国が悪いと論っているが党派を超えた世界戦略に関する合意がない。それを裏から支える良識もない。
 
日本の政府も国民も、長い間、所謂「平和憲法」の下で暮らしたため、逆に、憲法前文にある「名誉ある地位」「自国の主権」「国家の名誉」といった理念で物事を判断する能力を失ったようだ。

中国人に強奪された国旗は、イベント会場に掲げられていた装飾品や玩具ではない。厳然とした国家の尊厳を表徴した大使車の国旗である。“国旗”が守るものでないというなら、何を守るというのだ。精神が堕落した日本に、守るものがあるのか。何を守るのか。中国や北朝鮮にミサイルを撃ち込んでもらわないと目が覚めないようだ。 
 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京都 尖閣を船上調査、売国... | トップ | 尖閣諸島 国が購入、中国を... »
最新の画像もっと見る

安全保障」カテゴリの最新記事