これはだめだ!

自信喪失、無気力な日本に”喝!”、反日、侮日に反撃、一矢を報いる。

セウォル号沈没では船長が真っ先に逃げた、あたご衝突事件では石破が真っ先に逃げた、首相になれば国を売る

2014-08-27 | 安全保障

  石破 茂 イージス艦「あたご」衝突事故のときは真っ先に逃げた 
    安保相固辞、相変わらず 逃げるのは速い卑怯者  
 

 軍事オタクと言われる石破 茂が ごねている。あたかも、イージス艦「あたご」と漁船の衝突事故の際、責任のがれ、自己保身に汲々としていた様を思い出させる。 

 石破 茂は、世論におもね厳正適確な自己対応をしなかった。乗組員32人を処分し、トカゲの尻尾きりよろしく責任逃れに徹した。また、再発防止のための抜本的対策をたてるべきところを防衛省内の組織改革へと事故対策を変質させ自己保身に汲々としていた。 

 軍事オタクといっても、所詮“おもちゃ遊び”のレベルで、自衛隊を統率する器でないことを露呈した。イージス艦「あたご」の衝突事故にたいする石破茂の対応を仔細にみれば、韓国の沈没船の船長が真っ先に逃げたが、石破も韓国の船長とたいして変わらない。有事の防衛大臣はおろか、日本の首相を任せる器ではない。下手すると、外国の走狗に成り下がるのではないかと懸念している。 

イージス艦・あたご衝突事故の概要
 「あたご」はアメリカ合衆国での艦対空ミサイル「SM-2」の装備認定試験を終え、2月6日10時2分(現地時間)にハワイ・真珠湾を出港し、2月19日午前中にも横須賀港(神奈川県横須賀市)に寄港予定だった。 

 「清徳丸」は2月19日0時55分にマグロのはえなわ漁目的で川津漁港(千葉県勝浦市)を出港し、三宅島北方へ向けて航行中だった。なお父子のどちらが操船していたかは特定されていない。 

 事故発生直前、当直員26名が交替し、事故発生時点の当直士官は水雷長Aであった。前任の当直士官である航海長Bは右前方に漁船団と思われる複数の灯火を発見していたが、ほぼ停止中であると確認したため、「危険性なし」として午前3時55分頃、Aに当直を引き継いだ。その直後の4時7分頃 両船舶が衝突、清徳丸が沈没した。 

 平成21年1月22日、横浜地方海難審判所の審判の裁決があった。採決の主文は、「本件衝突は,あたごが,動静監視不十分で,前路を左方に横切る清徳丸の進路を避けなかったことによって発生したが,清徳丸が,警告信号を行わず,衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。

 海上自衛隊第3護衛隊群第3護衛隊が,あたごの艦橋と戦闘情報センター間の連絡・報告体制並びに艦橋及び戦闘情報センターにおける見張り体制を十分に構築していなかったことは,本件発生の原因となる。 指定海難関係人海上自衛隊第3護衛隊群第3護衛隊(旧第63護衛隊)に対して勧告する。」であった。
http://www.mlit.go.jp/jmat/saiketsu/saiketsu_kako/21nen/yokohama/yh2101/20yh029.htm  

 護衛艦「あたご」の衝突事故に関する懲戒処分
 護衛艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故に関し、護衛艦「あたご」に避航義務有りとする海難審判裁決に基づく事故調査報告書等を踏まえ、平成21年5月22日付けで関係者の懲戒処分等を実施した。  
 ところが、懲戒処分終了後の平成25年6月26日、当時の当直士官2名について、護衛艦「あたご」に避航義務無しとして無罪とする東京高裁判決が確定したことから、関係者の懲戒処分等の見直しを行った。
 http://www.mod.go.jp/j/press/news/2014/03/28d.pdf  

衝突事故の発生と防衛省・自衛隊の対応(2008年2月19日)
(衝突事故発生前)  
3時30分頃 「あたご」当直員が灯火を視認し、当直士官である航海長Bに報告。
3時40分頃 Bが漁船を視認
3時45分頃 交替当直員が艦橋に集合。副当直士官からブリーフィング(説明)
3時55分頃 当直士官がBから水雷長Aに交替。
4時06分  信号員が「漁船が近い、近い」と発声。自動操舵を停止。

(あたご)
4時7分頃 両船舶が衝突、清徳丸が沈没
  事故発生後 「あたご」乗組員が探照灯・双眼鏡を用いて、漁船乗員を捜索
4時08分 救助作業開始を命令
4時21分 救助作業を開始
4時23分 「あたご」が第三管区海上保安本部に事故を通報 
  政府は首相官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置した。
4時33分 「あたご」が所属する護衛艦隊司令部に連絡 

(海幕) 
4時48分  護衛艦隊司令部などから海幕・統幕総合オペレーションルームに一報
5時00分頃 香田自衛艦隊司令官から吉川海幕長へ連絡
5時10分  統幕総合オペから斎藤統幕長へ連絡 

(内局) 縄張り組織で ”結節”が多すぎる
5時10分頃 統幕総合オペ内の内局運用当直員から訓練企画室長へ連絡
5時15分頃 訓練企画室長から艦船武器課先任へ連絡
5時20分  訓練企画室長から運用支援課長へ連絡
5時20分  運用当直員から事態対処課先任へ連絡
5時26分  事態対処課部員から事態対処課長へ連絡
5時32分  事態対処課部員から運用企画局長へ連絡 
5時35分頃 運用支援課長から官房長官秘書官へ連絡 
5時38分  運用支援課先任から増田事務次官へ連絡 
5時39分  訓練企画室長から防衛相秘書官へ連絡

5時40分  秘書官から石破へ第一報
6時00分頃 運用支援課長から首相秘書官へ連絡 

(事故発生直後の石破の動き)
 情報が石破茂防衛相のもとまで1時間半、福田康夫首相のもとまで2時間かかっており、批判の槍玉にあがった。

 石破 茂は、事故当日の2月19日朝、第一報を受けてから約1時間半後の午前7時12分頃、登庁した。 石破は、防衛省から車で5分ほどの衆院九段議員宿舎にいた。登庁時間に特に問題があったわけではない。 石破が登庁した時点では、すでに増田好平防衛次官らが到着しており、午前7時に省内に事故調査委員会が設置されていた。もちろん、防衛省にいれば良かったが、離れたところにいても、事故の状況は分かる。 

 石破 茂は当日午前9時過ぎの記者会見で、第一報が事故発生から約1時間半後だったことを取り上げ、「第一報は、もっと早く大臣に入るべきだった」と語るなど、防衛省の連絡体制の遅れを問題視していた。 

(石破、保身のため口裏合わせ、隠蔽工作)
石破-増田次官-海幕長・吉川ラインは、口裏あわせで自己保身に走った。イージス艦に航跡の記録が無いなどということがありえるのか。

 以下は、2月19日、事故発生後の石破のドタバタ状況である。
4時7分 防衛省は、航海長を省内にある海上幕僚監部に呼んで詳しく事情を聴くことを計画。神奈川県・横須賀基地からヘリを派遣。
8時 護衛艦隊司令部幕僚長はこれより早い離陸したヘリで離陸。
8時32分  護衛艦隊司令部幕僚長は、あたごに乗り込み乗組員からの事故当時の事情聴取を始めていた。 

9時頃 「『誰か状況が分かる者を送れ』と指示を受け私(あたご艦長)が航海長を指名した」と述べたが、指示した人物については「いろいろな所から(指示が)来ていたので特定できない」。 

9時10分 あたごの航海長を乗せたヘリが、あたごを出発。あたご航海長が、けがをした乗組員の搬送にはタッチせず、別のヘリコプターで直接防衛省に。
9時27分 これとは別のヘリが、あたごを出発。 

9時54分 あたごの航海長を乗せたヘリが、東京都新宿区市ケ谷の防衛省に到着。航海長は、海幕で約1時間にわたり事情を聴かれ、メモに従い「衝突2分前に緑の明かりを発見、1分前に漁船を見つけ全力後進で避けようとした」などと述べた。  

10時頃 これとは別に清徳丸の救助作業で指を骨折した乗組員1人を治療のために運ぶヘリが横須賀総監部に到着。同省では、病院に搬送した。いずれのヘリも千葉県内の航空基地から派遣。

10時 海幕で事故直前に交代した当直士官だった航海長から事情聴取。あたごの航海長をヘリコプターで東京・市ケ谷の防衛省庁舎に呼んで事情を聴いたところ「最初の視認は2分前」と報告。 

12時12分 海自横須賀地方総監部の防衛部第4幕僚室長が横須賀海上保安部に、救助活動に参加してけがをした乗組員と、部隊への報告のために幹部をヘリコプターで移動させると電話連絡し、了解を得たと主張。 

 第3管区海上保安本部によると、事情聴取について連絡があったのは、航海長が防衛省に向かった後のあたごへの強制捜査を巡り、横須賀海上保安部警備救難課長と海自横須賀地方総監部が数回、電話でやり取りする中で、警備救難課長が「乗組員は乗り降りしないように」と申し入れたのに対し、総監部から「航海長が船を降り、説明のためヘリコプターで東京方面に向かった」と告げられた。 

石破が海幕が航海長を召致し事情聴取をしている事を知ったのは、既に海上幕僚監部が聴取を終えた正午前だった。石破は「航海長を呼んでいます」との報告を受け、一瞬考えて「ならばわたしも聞く」と自らも直接聴取することにした。 

12時12分 約1時間の防衛省大臣室での航海長の聴取には、石破 茂、増田耕平事務次官、斎藤隆統合幕僚長、吉川栄治海上幕僚長、事故調査委員長を務める加藤保海上幕僚副長、徳地局長ら約10人の幹部が直接あたった。  

13時半頃 防衛省から海保に対し航海長を防衛省に呼んだことを正式に連絡 

13時40分 海上保安庁の佐藤雄二警備救難部管理課長「(「あたご」から飛んだヘリが)2機とは思っていなかった。今聞いて分かった」と明言。 
 第3管区海上保安本部によると、防衛省側からの聴取の連絡は、海上幕僚監部の運用支援課長から海上保安庁警備救難部警備課長に電話があった。 

14時半頃 海上自衛隊横須賀地方総監部の防衛部第4幕僚室長が第3管区海上保安本部に電話で「負傷した乗組員1人を病院に搬送し、部隊報告のため幹部1人を下船させる」と連絡したと説明
14時半頃 航海長は聴取を終え、「あたご」に帰還するため防衛省を出発 

16時頃 同省は石破らによる約1時間の聴取内容を書面にまとめ、海保に提出。
 防衛省はこれまで、航海長からの聴取について「海自横須賀地方総監部が横須賀海上保安部に事前に連絡をとって了承を得た」(吉川栄治海上幕僚長)と説明。しかし、横須賀海保を所管する第3管区海上保安本部は「事前にそのような連絡はなかった」と否定

19日夕 石破 茂は自民党部会で「事故の2分前」と報告
19日夜 「あたご」に乗り込んだ護衛艦隊幕僚長からの情報で「12分前」と確認 
19日深夜 さらに、海上幕僚監部は、海保側に通告しないまま 「あたご」に戻った航海長や乗組員から電話で事情聴取 

20日夕 石破 茂は自民党部会では「12分前」と時刻を修正。 
 石破 茂は19日夜の段階ですでに「12分前」という情報を得ていたにもかかわらず、自民党部会まで20時間以上も公表を遅らせた。 

26日未明 徳地秀士運用企画局長「航海長に聴いた内容に基づき、19日12時10分に大臣に報告した」と公表。 
  (注) この時刻は、石破は大臣室で、航海長から直接聴取していた時刻である。 

26日午後 会見した吉川栄治海上幕僚長は「自分の判断で航海長を呼んだ。(海自の)横須賀地方総監部から横須賀海上保安部に連絡して了承をとった」と海保側に事前連絡したことを強調。 

 防衛省幹部は「聴取内容も一部伝えた」としているが、海上保安庁と第3管区海上保安本部(横浜)は「そうした事実は確認していない」と否定 

 石破 茂は、2月26日の衆院安保委員会で辻元清美氏(社民党)に問われるまで、自ら聴取にあたったことを説明しなかった。大臣室で聴取を受けた航海長は、報告のため手書きのメモを持参していた。

 27日午前 石破 茂は衆院予算委員会分科会で、海保側の事情聴取前に航海長から事情を聴いたことに関し「省として一刻も早く状況を把握し、対外的に説明をすることが必要だという行動だった。結果論となるが、海保の了解を得ず乗組員の聴取を行っていたことは内部的な調査であったとしても必ずしも適切ではなかった」  

27日深夜 第3管区海上保安本部は、改めて防衛省からの連絡は聴取後の「事後連絡」と発表。会見で秋本茂雄警備救難部長は「うちでは(防衛省が主張する事前連絡の)事実が確認できなかった。原因が分からず困っている」 誰も、この騒動を掌握できていないのは明らかだ。これが敵国の攻撃だったら、どうするのだ? 

(同省運用企画局職員のメモの破棄)
 2008年2月19日、房総半島沖で海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船が衝突した事故で、石破 茂が あたごの航海長から事情聴取した。 

 あたごの航海長は衝突事故が発生した2月19日の午前、海上幕僚監部の指示を受け、ヘリコプターで東京・市谷の防衛省に移動した。正午から大臣室で石破茂・防衛相らの事情聴取を受けた。その際、同省運用企画局の職員がメモを取っていた。 
 防衛事務次官は、2月28日の記者会見で事情聴取の際に運用企画局の職員がメモを記録したことを明らかにしていた。 

 この際のメモが、朝日新聞記者の情報公開請求を受けた直後に防衛省職員によって廃棄されていたことが分かった。職員は、情報公開請求があったことは分かっていたものの、「個人的な走り書きであり、『行政文書』にはあたらない」と考えて廃棄した、と同省に説明しているという。 

 防衛省は2010年11月、メモが情報公開法の対象となる「行政文書」にあたることを認めた上で、「保存期間満了により廃棄しており不存在」と記者に回答していた。

この文書の廃棄は情報公開法の趣旨に反するものである。 

 これらは、刑事事件として事案解明の捜査にあたる海上保安部の了解を得ず、しかも、行方不明者捜索が続く中で行われていたため、のちに国会などで問題となった。 

(石破の聴取に航海長が答えた内容についてのメモ)
 海上自衛隊のイージス艦「あたご」とマグロはえ縄漁船清徳丸の衝突事故で、事故直前の航跡や衝突時の模様などを「あたご」の当直責任者だった航海長が書いたとされるメモが2月28日に防衛省から海上保安庁本庁にファックスで送られてきていたことがわかった。事故を捜査している横浜の第3管区海上保安本部(3管)が29日の記者会見で明らかにした。 

 3管によると、メモはA4版で3枚。2月28日午前11時35分に突然送られてきた。「事故直前の『あたご』と清徳丸をはじめとする周辺の漁船の航跡」、「最終的にはどのように衝突したのか」などが航海長の手書きで記されている。1枚目は航跡を図示しており。2~3枚目は衝突するまでを時系列で書き記している。 

 メモは19日の事故当日の午前中、「あたご」からヘリコプターで東京・市ヶ谷の防衛省に着いた航海長が、海上自衛隊幕僚監部と石破 茂の聴取に答えた内容について、航海長自身が書いたという。この聴取時に防衛省の事務方が書き取ったという「議事録(メモ)」とは別のもので、これはまだ発表されていない。 

 航海長への聴取をめぐっては、防衛省側の前言がウソであることがすぐに暴露されて訂正に追い込まれるという失態を演じた。「第3管区海上保安本部に事前に了承を得た」としていたが、実際は了承を得ていなかった。石破 茂は「乗員に接触していない」といっていたが、実際は聴取していたなど隠蔽に躍起となっていた。

 公表の遅さも手伝って、不都合な事実の隠ぺい、海上保安庁の捜査が入る前に口裏を合わせていた。
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・(上記に関する日経の記事)・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
イージス艦衝突 航海長聴取メモ、公開請求直後に廃棄 防衛省職員
     日本経済新聞電子版 2011/1/8 22:24 

 2008年2月に海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船が衝突した事故で、当時の石破茂防衛相が あたごの航海長に事情聴取した際のメモを、情報公開請求を受けた直後に防衛省の職員が廃棄していたことが8日、分かった。  

 事故は08年2月19日未明に千葉県の野島崎沖で起き、行方不明となった漁船の親子が約3カ月後に死亡認定。防衛相が事故当日に航海長から事情を聴き、運用企画局の職員がメモを作成した。 

 防衛省によると、08年3月4日に開示請求された直後の同月下旬から4月上旬の間に、作成した職員本人がメモを廃棄。同省は「メモは個人的な走り書きで、行政文書に当たるとの認識はなかった」としている。 

 その後、防衛省は同年5月7日、情報公開の請求者に対して廃棄した事実を知らせないまま、文書不開示の決定を通知。異議申し立てを受けた内閣府の情報公開・個人情報保護審査会が昨年5月、メモは行政文書であるとして「開示請求を拒否した決定は取り消すべきだ」と答申した。 

 防衛省は昨年11月、文書が廃棄されたことを理由にあらためて不開示を決定。これを請求者へ通知した中で廃棄したことを初めて伝えた。〔共同〕
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(石破 茂の航海長に対する事情聴取は「適切でない」)  
 今回の事件でとりわけ問題なのは、防衛省と自衛隊が一体となって、はじめから隠蔽工作に終始し、事実を隠していたことです。口では原因究明に努力するといいながら、国民に対する報告を二転三転させ、裏では「あたご」の責任をうやむやにするための口裏合わせをしていた。これは断じて許しがたい。 

 事故原因をめぐる防衛省の説明は一貫性が無く迷走していた。当初、漁船を発見したのは「2分前」だといっていたものを、後になって「12分前」に変えた。

 事故直後、護衛艦隊の幕僚長は「あたご」に急行し横須賀基地に入港するまで艦内にいた。そして、それと入れ違いに海上幕僚長は海上保安庁の捜査の前に、勝手に「あたご」の航海長を防衛省に呼び、制服トップクラスでほぼ1時間聞き取り調査を行なった。ところが、この事実も説明が次々と代わり、隠し続ける態度に終始した。 

 しかも、その日、石破茂は大臣室で航海長から事情を聞いたにもかかわらず、その内容を明らかにしなかった。航海長は事故直前の「あたご」の当直士官であり、事故原因を知る中心人物の一人である。自分自身で聴取しながらその事実を隠したのは、石破 茂が制服組と一体となって原因隠しに手を貸したということだ。 
 こうした防衛省・自衛隊の情報隠ぺい体質は、自衛隊員の士気の低下をもたらし精強さ失わせるだけでなく、国民の不振を増幅させる。 

(弛みきった「あたご」艦長、即刻逮捕すべきだった) 
 艦艇では、見張りの自衛官に責任はない。そもそもそういう階級の低い自衛官に責任を持ってこようとすること自体が間違っている。イージス艦にとって、その、ブリッジ、見張り員の意味が違う。 

 艦艇の戦闘指揮所CICには、360度に見えるこのスクリーンがあって、そこで全部、真っ暗な海の全て見えている。漁船を発見したのが2分前、12分前というのは本質的な問題ではない。漁船が、あるいはその漁船団がここにいるってことは、イージス艦は100%見えるようになっている。全部の情報を統轄しているのは艦長である。艦長がすべての責任を負わねばならない。部下に責任転嫁をするのは言語道断である。 

 イージス艦「あたご」は、衝突の1分前まで自動操縦を使っていたが、衝突直前になって手動に切り替えたが、間に合わなくて衝突した。自動操舵を使ったってこと自体が問題である。自動操舵は、戦闘艦艇にはない。戦闘艦艇は、商船と異なり多くの人間が乗り組み、交代で勤務するので自動操舵をする必要が無い。あたごの艦長、舩渡健がそれを使ったと言うにいたっては、これまた言語道断である。

 艦長はどんな小さな船でも大きな船でも、民間も軍艦も関係なく、艦長が全責任を負う。船で起きることは。一般論的な責任論ですむものではない。非常に官僚的な態度で魂が入ってない。職務怠慢、責任転嫁、このような人物は、即刻逮捕すべきだった。  

(石破 茂は危機管理ができなかった)
 事故発生後艦長が9日間艦長室にいた。海上保安庁は刑法で裁く以上“しゃべらせるな”と言わざるをえないから、海上保安庁からよけいなこと言わせないで下さいと、会見も避けて下さいと言われたため、外に出なかった。

 それならば防衛省、自衛隊の最大の問題は、海上保安庁に堂々と、内部調査をしなければならないので、法律で認められているから、内部で調べる通告して調べるべきであった。  

 海上保安庁に正々堂々と同時に、国民に対しても正々堂々と、こういう内部調査をするから、航海長からこういう話を聞くと言うべきであった。それにもかかわらず、怪我人を輸送するためのヘリを使ったのは、言語道断である。  

(石破 茂は軍事オタク 実はプラモデルを愛でるレベル) 
 石破 茂は、軍事に関しては兵器のプラモデルの知識レベルにも拘らず、自らを軍事の専門家とご誤認しているため制服や内局に不信感を持ち、これがため彼らのサポートを受けにくくさせている。制服自衛官のアドバイスを受けず答弁するため、論理に一貫性がなく、単に思いつきで発言している。陸、海、空、統幕の各幕の制服組の石破氏の軍事知識に対する評価は極めて低く舐めている。 

 石破 茂が舐められていたから守屋武昌のような汚職まみれの官僚がエバリ散らすことになったのだ。政治家は高い軍事知識を持ってなくとも、制服や内局を活用する高い政治理念を持つことが不可欠である。石破 茂にはそれがないから、制服や内局から舐められたのだ。  

(石破 茂、責任逃れ、トップとしての適格性を欠く) 
 あたご衝突事故の刑事裁判は、業務上過失致死罪などに問われた2人の自衛官の無罪が確定した。 この事故は海難審判で責任があたご側にあるとされながら、刑事裁判の第1審では、責任は漁船側にもあったとされた。

 問題は、事故に対する当時の政府、防衛省内局および海自の姿勢である。事故直後、マスコミは自衛隊バッシング一色だった。自己保身に汲々としていた大臣の石破 茂は、事故直後に航海長を防衛省に呼び出して聴取しながら、艦長を解任し、乗組員を処分した。事実に基づき隊員を守ること無く、部下を切り捨て、責任逃れをした。
石破 茂の決定に対して、海自内にどの程度抵抗があったのかは分からない。内局も隊員を守ろうとしなかった。

 地裁判決後に後潟3等海佐が「省の混乱を見ていて、命を預け得る組織なのか、今も疑問が残る」と発言したように、隊員を庇わず、トカゲの尻尾切りをしようとしたことは、後潟3等海佐だけではなく、多くの隊員や国民射に、組織への不信感を抱かせるものである。 

 沈没した韓国のセゥエル号では船長が真っ先に逃げ出した。あたごの衝突事故では、石破 茂は真っ先に責任逃れを画策した。両者の何処に違いがあるのか。 衝突事故に対する石破 茂の一連の対応は、準軍事的組織である自衛隊のトップとしての適格性を欠くことを示している。 

 無罪が確定した2名は、起訴から1審判決がでるまで2年以上に渡って休職させた。その間の生活費は、恐らく隊員がカンパするなどして支援したであろうが、それだけでは不十分ではない。支援した隊員にも不満が鬱積している。防衛省は、無罪が確定したことを受け、処分した38名の処分を見直したところで、一度発生した不信を回復することは容易ではない。石破 茂が犯した罪は大きい。石破 茂は自衛隊を統率する器でない。 

(石破 茂は「文民統制」もダメ、首相になれば国を“売る” ) 
 防衛庁が庁から省になって内局の官僚が増長した。彼らの怠慢責任逃れは目に余る。シビリアンコントロールを、内局の役人がコントロールすると勘違いしてる人が、防衛省の中にも多数いる。シビリアンとは国民が選んだ政治家をいう。 

 当時の海上自衛隊は、イージス艦情報漏出事件や「しらね」の火災事故などが続いており、これらの責任を取って3月24日に海上幕僚長の吉川榮治を退任させ、石破茂が2か月分の給与返納、増田好平防衛事務次官を減給2か月など、計88名を処分した。 

 守屋元次官の汚職事件では、文官トップの暴走を許した政治家の責任が大きい。官僚を「政治統制」する資質を持った大臣でなければならないが、プラモデルを愛でる石破 茂は、その器ではなかった。舐められていた。国会答弁では、この人物は防衛省の体質の批判に終始した。急ぐべきは事故の原因究明でにもかかわらず、不祥事の対応策を確立することであったが、それをせず組織改革を唱え事故処理を矮小化し変質させた。 

 事故の再発防止のためには、組織を変えても統制する政治の側に自衛隊を統制する用意と意思が無ければ意味が無い。政治家に外交や軍事の識見をふくめ自衛隊を統制できる用意と意思が無ければ、文民統制は機能しない。防衛相、首相により高い資質が求められている。文民統制の根幹はここにある。石破 茂にはこれがない。   

 海無罪判決を受け、今は無き海難審判所の判決で、さっさと関係者の処分をきめた当時の防衛大臣、現在の自民幹事長石破 茂は、今も組閣を巡って“逃げ”ている。 第1次安倍内閣末期に不祥事の疑惑がある閣僚を鋭く批判し責任と退陣を求めたのは石破と舛添だった。二人の体質は、今も変わっていない。

 一番トップにいた石破 茂は、海上自衛隊も、自衛隊制服組もコントロールできなかった。イージス艦衝突事故に際してまるで危機管理がなっていなかった。規律の弛緩した国防体制を国際社会に喧伝した罪は極めて大きい。石破は、さっさと辞めるべきだった。 

 石破 茂は酒に強い、女も好き、金もほしい、くれるなら誰の金でも貰う。酒に強いから“酒に弱い”、女が好きだから“女に弱い”、金もほしい、くれるなら誰の金でも貰うから“金に弱い”。弱いとこだらけのこの男の“急所”は米国、中国、南北朝鮮及びロシア等に“握られている”。今は、これら各国の諜報組織が、いつか役に立てようと“餌”を与えて“育てている”。
  将来、万が一、石破 茂が首相になれば、各国が走狗として使うであろう。どのような動きをするのか要注目!



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