
"日本にふさわしい”米の新駐日大使
オバマ政権は次期駐日大使にカリフォルニア州シリコンバレーの弁護士ジョン・ルース氏の起用を決定したとマスコミが報じている。“選挙で貢献”“企業買収などに携わる弁護士”,日本「予想外の人事」などの文言が見える。外務省、防衛省など政府関係者が、“予想外の人事”などといのは、はなはだ滑稽。アメリカ、中国、ロシア、朝鮮など諜報活動に長けている国々は、そのような日本を嘲笑しているだろう。
中国には将来、大統領になるかもしれないハンツマン・ユタ州知事を指名した。米中が21世紀の世界をリードしていくとの姿勢が鮮明である。日本は“金”を出すだけの役割でいいのだ、ということだ。 日本は平和構築に向けてポリシーがあるのか。平和を希求するはずの日本がアジアの平和構築のため何を考え、何をしようとしているか全くわからない。政府に影響力を持つジョセフ・ナイは、政治が混迷し経済が落ち目の日本に魅力を感じていない。彼は中国大使になりたっかたのだ。予想外でもなんでもない。今後、数年間、政界の再編でごたごたが予想される日本より中国の大使になりたかったといわれている。日本の役割にふさわしい大使が決まったのだ。
アメリカが日本求めるもの
アメリカの日本に対する“請求書”は、昨年の秋に提出されていた。いわく、対日構造改革要望書である。以下は、その冒頭のごく一部である。
題して「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書」2008年10 月15日、 「規制改革および競争政策イニシアティブ」(規制改革イニシアティブ)。
日米2国間の経済貿易関係を一層強化するとともに、経済成長を刺激する改革を推進するための重要な役割を引き続き果たしている。この点から、米国は成長促進を目的とした有意義な改革への取り組みを日本が続けることを期待する。
米国は、今回8年目となる規制改革イニシアティブの要望書で、新たに進展が見込める分野について概説している。こうした進展は、例えば、貿易や経済活動に対する不必要に負担が重い障壁の撤廃や簡素化に寄与し、規制プロセスの透明性を高めること等でビジネス環境を改善し、競争の促進を通じて、また消費者のニーズに応えるために新しい市場を創出することを通じて、新たなビジネス機会を刺激することになるであろう。
米国は、通信、情報技術、知的財産、医療機器・医薬品、競争政策、商法および司法制度、透明性、公社の民営化、流通、農業などの分野で、上記の目標に即した新たな措置を日本が取るよう幅広い提言を行っている。盛りたくさんだ。 日米が提出した要望書は、これから数カ月にわたって、電気通信、情報技術、医療機器・医薬品、分野横断的問題の4つの作業部会、ならびに別途取り行われる上級会合で議論される。この作業の結果実現した進展は、その後、同イニシアティブの年次報告書に盛り込まれる。
米国政府は、本要望書の提言について引き続き建設的な協議を期待するとともに、同イニシアティブの下、日本国政府からの提言を受理することを歓迎する。
内容は、提言の要点、通信、情報技術、医療機器・医薬品、金融サービス、競争政策、商法および司法制度改革、透明性、その他の政府慣行、民営化、流通そしてその詳論など、事細かな要望が網羅されている。内政干渉も同然だ。
米国は成長促進を目的とした有意義な改革への取り組みを日本が続ける。”有意義な”とは、アメリカにとって都合が良いようにということだ。
今回8年目となる規制改革イニシアティブの要望であるが、親中反日のクリントン大統領時代の露骨な対日要求をその後の政権も引きついたのだ。
“8年目”だ。小泉元首相が言った“聖域なき構造改革”とか”丸投げ“の背景はこの要望書だ。アメリカのビジネスチャンスを拡大することが狙いだ。 障壁を撤廃し、規制プロセスの透明性を高めること等でアメリカ資本のビジネス環境を改善し、彼らに有利なような競争の促進と新しい市場を創出することを通じて、新たなビジネス機会を刺激する。日本がアメリカの要求を丸のみするからアメリカは万歳だ。“未曾有な日米緊密化”、“最良な日米関係”とアメリカがもてはやす理由がよくわかる。
「日本国政府からの提言を受理することを歓迎」と書いてあが、これが大問題だ。一見、日米対等を謳っているが、アメリカは日本側の要求を実行しない。実態は聞き流すだけといっていい。日本人が戦後汗水たらして築いた財産をなぜハゲタカ、アメリカに奪われるのか。小泉がアメリカの要望を忠実に実行したからだ。 “聖域なき構造改革”でどうなったか 今、日本経済は歴史的苦境にある。当たり前だ。小泉・竹中が手本にした肝心のアメリカのバブル経済が崩壊したからだ。
私は、小泉純一郎という人間を横須賀市立中学の頃から見てきた。碌なことはできないと思っていたが、“一寸先は闇”の世界、あれよあれよと思っていたら首相になってしまった。これが日本の悲劇の始まりだ。 彼はもともと、“丸投げ”しか出来ない人物だ。
彼のいう“聖域なき構造改革”で日本はどうなったか。 官から民へ、郵政民営化、道路公団民営化、療報酬本体の初のマイナス改定や市場化テスト、政策金融機関の統廃合、国と地方の三位一体の改革(中央から地方へ)、国庫支出金の改革、地方交付税交付金の改革、独立行政法人の統廃合、労働者派遣法の規制緩和、 税源移譲を含む税源配分の見直し 女系天皇の容認、特別会計改革、FTA、EPAの推進、構造改革特区や規制緩和の推進、混合診療解禁問題などいろいろ手がけた。
これによって旧来の地方を切り捨て、大企業および外資系企業を優遇する政策を次々と実行した。このため大企業の業績は急速に好転した。反対に、地方は“構造改革”の弊害をまともに受け、経済がより疲弊し、財政に余裕のなくなった地方自治体は合併へと追いやられた。具体的には福祉・公共サービスの縮小、市場原理主義の浸透により、社会も、個人の生活も問題が山積みになった。
・福祉の分野では障害者自立支援法により障害者福祉の分野で自己負担が増え障害者の生活が逼迫した。
・医療の分野では、医療制度改革のため患者の医療費負担が増大し、高額な医療は受けづらくなった。
・医療費抑制は医師の労働環境を悪化させ、地域の医療システムを疲弊させている。
・構造改革特区では、地方で限定的な規制緩和を行い、一定の成果を挙げ、地方の景気や雇用の掘り起こしがなされたと喧伝された。しかしながら地方交付税や公共事業の縮小により、成長産業を持たない多くの地方自治体が財政赤字に苦しんでいる。赤字に苦しむ自治体の公共サービスは切りつめられ、採算性が取れず廃業する学校、病院が続出した。
・労働の分野では、労働者と労働の企業との間に亀裂が入り、不安定な環境に置かれる労働者が増加した。
・経済は、ニューエコノミーへの転換により活性化し、景気は上向いた。だが、転換の影響によって多数の熟練者を求める社会から、少数の創造的な社員と多数の単純作業を求める社会へと変化した。
このため現場では労働構造の変化に対応できずアルバイト等多数の非正規雇用の社員が生まれた。経済不況の犠牲者増大だ。
日本はなぜ“奪われる”のか
日米の金の動きをみると、日本がアメリカに“奪われる”片務的な面が強い。先日、日本の防衛は日本人の手で!と書いた。日本の安全保障はアメリカに全幅的に依存している。親子関係に例えると、日本は成人して一人前になり自立するに十分な収入を稼げるようになったにもかかわらず、親のすねをかじって生活しているどら息子と同じようなものだ。日本は、経済関係ではアメリカの要求を忠実に従ってきた。日米安保条約はアメリカが日本を守ってやるという片務的なもの。これで、日米の“収支”のバランスが保てるとアメリカは考えているのだろう。
“日本を守っているのはアメリカだということを忘れるな。黙って金を出せ!”と日本の政治家や官僚を恫喝すれば日本は諾々と金を出す。湾岸戦争の時もそうだった。蔵相などに多額の金を出せと要求した。時の蔵相は返答できなかった。アメリカ側は、日米関係は悪くなるぞ、いいのか。(会議の参加者に)お前たちの名前は、○○、○○、○○、○○・・・・。覚えておけ“といったとか。驚いた日本側は、あわてて幹事長の小沢に相談した。小沢は親分の金丸に相談し“出してやれ”と即答した。これには、アメリカもびっくり、チョッと脅しただけで巨額の金を引き出すことを知った。
クリントン政権は、1994年の米朝2国間の合意で北朝鮮への軽水炉建設支援のため470億円を日本に負担させた。湾岸戦争の時と同じように日本を恫喝したのだ。
今後、北朝鮮の核やミサイルの脅威が増大すれば、アメリカは、日本を守ってやるから金を出せと恫喝するだろう。中国だって同じだ。日中友好で握手しながら、足蹴りをしているようなもの。北朝鮮の恫喝だけでない、韓国だって同じだ。経済が苦境のときだけ友好的だが、調子が良くなれば反日、反日だ。韓国の敵国No.1は日本だ。韓国の軍備をみれば日本を敵にとらえていることが明白だ。 このような“友好国”“同盟国”に囲まれているのだ。“友愛外交”など木っ端微塵に粉砕されるだろう。
おいらは虫けらだ! そうだろ、おいらは虫けらだ!
村人は誰一人、阿Qを意識したことがなかっかた。注意も払わなかった。阿Qに対する関心は、”仕事をさせる”ときか、”からかう”時に限られていた。口論するときは“おいらは昔は、おめえなんかよりずっと偉かったんだぞ。なんだい。”と言うのが精一杯。 このような趣旨のことが「阿Q正伝」(魯迅著・竹内好訳、岩波書店、P101,P102)に見える。
口論するとコテンパンにやっつけられ“おいらは虫けらだ!許してくれ!”と哀願するのが阿Qだ。魯迅は、1920年、当時のシナ人、中国の体質をこのように著述した。
今の中国ではない、歴史は転変する。自ら辺縁化する今の日本の姿である。