米国務長官、公電流出を非難 「世界の安全保障への攻撃」
【ワシントン、ニューヨーク共同】クリントン米国務長官は29日、国務省で記者会見し、民間の内部告発ウェブサイト「ウィキリークス」に機密文書を含む米国の外交公電約25万点が流出し、一部が公開されたことについて「米国の外交上の利益だけでなく、国際社会や同盟国、世界的な安全を保障するための対話や交渉に対する攻撃だ」と強く非難した。 ホルダー司法長官は犯罪行為の有無について捜査していると表明。クローリー国務次官補も「訴追の準備をしている」と述べるなど、オバマ政権は流出経路の特定など本格的な捜査に着手した。公電流出を犯罪と強調し、さらなる公開を阻止する狙いもある。 米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は29日、公電の内容を新たに公開。韓国当局者が米大使に対し、北朝鮮の金正日総書記の死後2、3年で体制が崩壊すると述べたことや、北朝鮮の核実験後の昨年6月、中国高官が北朝鮮のウラン濃縮は「初期段階にすぎない」との見方を伝え、米中とも開発進展を見過ごしていたとの内容も伝えた。
(共同2010/11/30 11:25)
アメリカは独善と欺瞞に満ちた国だ。ウェブサイト「ウィキリークス」がアメリカの本性の一端を暴露したことで、アメリカ政府があわてている。アメリカは何か事を起こすときは、事前に国際社会の合意を取り付け大義名分を掲げ、諸外国を味方につけて行動する。その後は、正義や善悪は埒外、目的達成のため一直線の行動をとる。第二次世界大戦における対独、対日参戦しかり、湾岸戦争しかり、アフガニスタンの戦争、イラクに対する攻撃などどれもアメリカに都合のいい大義を掲げて戦争に臨んだ。イラクを打倒したが大量殺戮兵器は見つからなかった。一端、事が始まればアメリカはルールを勝手に変えていく。他国の都合に耳を傾けるどころか、次々と身勝手にルールを変え、それがアンフェアとは考えない国だ。
「ウィキリークス」が秘密情報を暴露したことの善悪は別として、独善と欺瞞に満ちたアメリカという国の体質の一端を暴いたことは意義あることだ。
独善と欺瞞に満ちた国アメリカ
昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して終戦を迎えた。このポツダム宣言は日本に対する精神的侮蔑以外のなにものでもない。その宣言の「日本国民を欺瞞し、世界征服の挙にい出しめたる権威と努力とを永久に除去すべし」としているが、日本が「日本国民を欺瞞し、世界征服の挙にい出しめたる権威と努力」が存在したことがあっただろうか。否である。日本は明治の開国以来、世界征服を目指したことはなかった。
イギリスは地球上各地に植民地を造った。アメリカは西部開拓が終わると太平洋の島々を植民地とし、日本に開国を迫った。日本は欧米列強の東洋進出によりインド、中国、インドシナ及びフィリピンなどアジア各国が、欧米列強の植民地に転落する状況に危機感を抱き、自らが欧米の植民地に転落するのを防ぐため欧米流の行き方を学んだ。「富国強兵」の道を選択した。日露戦争後は中国市場を巡って日本は欧米、特にアメリカとの対立が激化した。
第一次世界大戦後のパリ講和会議で日本が提案した人種平等案に反対したのは、国際平和のため高邁な理想を説いた張本人であるアメリカ大統領ウイルソンであった。ダブルスタンダードとは、アメリカに相応しい言葉である。またこの頃、アメリカ国内、特にカリホルニア州では日本人移民排斥の動きが激しかった。アメリカは、有色人種にとっては、理想の国、自由平等の国ではなかった。このようなアメリカ国内の排日の動きが、日本が対米戦争に突入した原因の一つであった。
明治開国以後日本の動きは、欧米に伍し生きていくための動きであり、「世界征服」などという大それたものではない。日本の生き様は、極めて“受身”の反応をしたに過ぎなかった。ヒトラーのようにユダヤ民族の絶滅を意図した事もなかった。欧米は永きにわって侵略戦争をくりかえした挙句、日本を締め上げにかかった。いわゆるABCD包囲網である。自存自衛のため戦争に突入した。
当時の日本政府は、大東亜戦争は「自存自衛」の戦いであると度々宣言し、東亜解放の目的も繰り返し主張した。日本は南方の資源を求めるだけでなく、東アジアから欧米を駆逐するとの大義もかかげて戦った。文字通り「自存自衛」のため立ち上がった。一億国民もその大義を受け入れたからこそ、昭和20年8月の終戦までの3年7ヶ月にわたる永きわたって「鬼畜米英」と戦ったのである。
マレー方面における陸海軍の戦捷を嘉賞せられ、天皇陛下には、17年2月16日次の詔勅を賜った。当時の日本の心意気がよく現れている。日本は、「東亜における英国の根拠を覆滅」したのである。
詔 勅
馬来方面に作戦せる陸海軍部隊は緊密適切なる協同の下に困難なる海上護衛並輸送と果敢なる上陸作戦とを断行し炎熱に耐え瘴癘を冒し長躯進撃随所に頚敵を破り神速克く新嘉坡を攻略し以って東亜における英国の根拠を覆滅せり。朕深く之を嘉賞す
(参考) 8月15日は終戦記念日、「旧軍が悪かった」,「東条英機が悪かった」と戦争被害者ぶってすむ話ではない! 2010年08月19日
当時の日本人は、あの戦争を運命として受け止め、生きたのである。戦中は日本軍の戦捷の報に驚喜乱舞した者が、敗戦後は一転、「軍部が悪かった」、「軍国主義が悪かった」との浅薄な言葉で自らの生き様を否定するのは不誠実である。昭和20年9月から開始された連合軍の占領政策を妄信し、自らは軍部の被害者であった、平和愛好者であったと進歩的文化人ブルに至っては誠に笑止千万、自己の生き方を失った奴隷根性の持ち主にすぎない。
ポツダム宣言には言論の自由の確立などが謳われていた。併し実際には、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって検閲が密かに実行され言論は統制された。昭和20年9月10日から進駐軍による新聞とラジオの検閲が開始された。その目的は「日本国民に罪過の観念を植えつけること」であった。連合国に対する批評、流言はマスコミ報道で禁止された。日本軍の残虐と称される写真や記事はこ執拗に報道されるようになった。その一方、連合国に都合の悪い東京、大阪、名古屋など大都市に対する無差別爆撃や広島と長崎に対する原爆投下など重大な戦争犯罪の写真などは、公表を禁止された。いわゆる「プレスコード」である。
日本は、鬼畜米英の戦争に負けただけではない、戦後の戦い・・・・情報戦、言葉の戦い・・・・でも負けた。日本は、独善と欺瞞に満ちたアメリカの狡猾な占領政策で“悪者”に仕立てられた。
(参考) 広島の平和式典に米英仏が参加表明、だが加害者側がノーベル賞をもらった広島の平和運動は擬物だ! 2010年07月28日
(参考) オバマ大統領は広島に来れないはずだ、原爆投下はアメリカの重大な戦争犯罪 2009年10月14日
世界遺産「原爆ドーム」は、
アメリカの「人道に対する罪」を糾弾するシンボル
ユネスコの世界遺産は、世界各地の文明の遺産や神社仏閣などが対象となっているが、人類の恥となる「負の遺産」が3つ指定されている。広島の原爆ドーム、アウシュビッツの強制収用所跡、3つ目は奴隷貿易の拠点であったセネガルのゴレ島である。原爆ドームは核廃絶を希求する平和のシンボルと捉える人が多いが、このドームを世界遺産に指定することに反対したのはアメリカと中国である。これら2カ国が世界遺産の指定に反対した事実こそこの2カ国の本質をよく物語っている。
アメリカにとっては自らの戦争犯罪を糾弾するシンボルとして迫ってくるであろう。オポツダム宣言の対日要求の文言が、いかに欺瞞に満ちたものか多言を要しない。ウィキリークスが暴露したイラクにおけるアメリカ軍が、6万人以上の民間人を殺傷した事実を秘匿し続けたアメリカの欺瞞に満ちた体質は、戦後65年たった現在も変わっていない。
広島の原爆ドームが世界遺産に指定されたことは、アメリカが戦争裁判の被告として糾弾されたようなものであるい。アメリカは、戦争犯罪である原爆投下を謝罪しないだろうし、よほどの体制変換が無い限り謝罪出来ないだろう。
武器をとることなく日常の生活をしていた民間人10数万人を瞬時に殺戮したアメリカの戦争犯罪は、人類の汚点として後世に語り継がねばならない。広島の原爆ドームはアメリカを許さぬという日本人の意志の表れと受け止める国もあるはずである。
原爆ドームの世界遺産指定に反対した中国も、アメリカと共に日本と戦った。米中とも日本憎しの気持ちは共通であろうし、「平和友好」とは裏腹にミサイルや核兵器の増強に余念が無い自国の都合から世界遺産の指定に反対を言わせたのだろう。
世界遺産「原爆ドーム」は、アメリカの「人道に対する罪」と中国の核大国化を糾弾するシンボルと見るべきである。
民族に対する自信と誇りの喪失
第二次世界大戦によって日本は、有史以来未曾有の敗戦を喫した。物心両面の打撃は甚大であった。精神的打撃と経済的困窮により、連合国の占領下の変態的な政治状況によって道義は退廃し放縦安逸の気風みなぎり、国家の再建も歪んだ道を歩んだ。
建国以来の不敗神話に培われた大和民族が、ひとたび敗戦の衝撃に遭うや急速に劣等感に支配され、国を挙げて不信と疑惑の渦に覆われた。責任を他に転嫁し互いに非難しあうことにより自己の安逸を求めた。敗戦の原因を冷静に見つめ直すことよりも、伝統的なもの、日本的なものを否定することで敗戦の現実を合理化してきた。
このような精神の荒廃は、占領軍の日本的なものを払拭して無力化しようとする占領政策によっては拍車がかけられた。かくして、日本の精神的支柱は根底から揺らぎ、自らの国家と民族に対する自信を喪失させることになった。
「ウィキリークス」は独善と欺瞞に満ちたアメリカの体質を暴露したが、そのアメリカに見事に無力化されたのが日本である。そのため、日本人は戦後65年たっても、敗戦の後遺症から立ち直っていない。それが“政治家”の枯渇をもたらし、政治の混迷をもたらしている。
【ワシントン、ニューヨーク共同】クリントン米国務長官は29日、国務省で記者会見し、民間の内部告発ウェブサイト「ウィキリークス」に機密文書を含む米国の外交公電約25万点が流出し、一部が公開されたことについて「米国の外交上の利益だけでなく、国際社会や同盟国、世界的な安全を保障するための対話や交渉に対する攻撃だ」と強く非難した。 ホルダー司法長官は犯罪行為の有無について捜査していると表明。クローリー国務次官補も「訴追の準備をしている」と述べるなど、オバマ政権は流出経路の特定など本格的な捜査に着手した。公電流出を犯罪と強調し、さらなる公開を阻止する狙いもある。 米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は29日、公電の内容を新たに公開。韓国当局者が米大使に対し、北朝鮮の金正日総書記の死後2、3年で体制が崩壊すると述べたことや、北朝鮮の核実験後の昨年6月、中国高官が北朝鮮のウラン濃縮は「初期段階にすぎない」との見方を伝え、米中とも開発進展を見過ごしていたとの内容も伝えた。
(共同2010/11/30 11:25)
アメリカは独善と欺瞞に満ちた国だ。ウェブサイト「ウィキリークス」がアメリカの本性の一端を暴露したことで、アメリカ政府があわてている。アメリカは何か事を起こすときは、事前に国際社会の合意を取り付け大義名分を掲げ、諸外国を味方につけて行動する。その後は、正義や善悪は埒外、目的達成のため一直線の行動をとる。第二次世界大戦における対独、対日参戦しかり、湾岸戦争しかり、アフガニスタンの戦争、イラクに対する攻撃などどれもアメリカに都合のいい大義を掲げて戦争に臨んだ。イラクを打倒したが大量殺戮兵器は見つからなかった。一端、事が始まればアメリカはルールを勝手に変えていく。他国の都合に耳を傾けるどころか、次々と身勝手にルールを変え、それがアンフェアとは考えない国だ。
「ウィキリークス」が秘密情報を暴露したことの善悪は別として、独善と欺瞞に満ちたアメリカという国の体質の一端を暴いたことは意義あることだ。
独善と欺瞞に満ちた国アメリカ
昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して終戦を迎えた。このポツダム宣言は日本に対する精神的侮蔑以外のなにものでもない。その宣言の「日本国民を欺瞞し、世界征服の挙にい出しめたる権威と努力とを永久に除去すべし」としているが、日本が「日本国民を欺瞞し、世界征服の挙にい出しめたる権威と努力」が存在したことがあっただろうか。否である。日本は明治の開国以来、世界征服を目指したことはなかった。
イギリスは地球上各地に植民地を造った。アメリカは西部開拓が終わると太平洋の島々を植民地とし、日本に開国を迫った。日本は欧米列強の東洋進出によりインド、中国、インドシナ及びフィリピンなどアジア各国が、欧米列強の植民地に転落する状況に危機感を抱き、自らが欧米の植民地に転落するのを防ぐため欧米流の行き方を学んだ。「富国強兵」の道を選択した。日露戦争後は中国市場を巡って日本は欧米、特にアメリカとの対立が激化した。
第一次世界大戦後のパリ講和会議で日本が提案した人種平等案に反対したのは、国際平和のため高邁な理想を説いた張本人であるアメリカ大統領ウイルソンであった。ダブルスタンダードとは、アメリカに相応しい言葉である。またこの頃、アメリカ国内、特にカリホルニア州では日本人移民排斥の動きが激しかった。アメリカは、有色人種にとっては、理想の国、自由平等の国ではなかった。このようなアメリカ国内の排日の動きが、日本が対米戦争に突入した原因の一つであった。
明治開国以後日本の動きは、欧米に伍し生きていくための動きであり、「世界征服」などという大それたものではない。日本の生き様は、極めて“受身”の反応をしたに過ぎなかった。ヒトラーのようにユダヤ民族の絶滅を意図した事もなかった。欧米は永きにわって侵略戦争をくりかえした挙句、日本を締め上げにかかった。いわゆるABCD包囲網である。自存自衛のため戦争に突入した。
当時の日本政府は、大東亜戦争は「自存自衛」の戦いであると度々宣言し、東亜解放の目的も繰り返し主張した。日本は南方の資源を求めるだけでなく、東アジアから欧米を駆逐するとの大義もかかげて戦った。文字通り「自存自衛」のため立ち上がった。一億国民もその大義を受け入れたからこそ、昭和20年8月の終戦までの3年7ヶ月にわたる永きわたって「鬼畜米英」と戦ったのである。
マレー方面における陸海軍の戦捷を嘉賞せられ、天皇陛下には、17年2月16日次の詔勅を賜った。当時の日本の心意気がよく現れている。日本は、「東亜における英国の根拠を覆滅」したのである。
詔 勅
馬来方面に作戦せる陸海軍部隊は緊密適切なる協同の下に困難なる海上護衛並輸送と果敢なる上陸作戦とを断行し炎熱に耐え瘴癘を冒し長躯進撃随所に頚敵を破り神速克く新嘉坡を攻略し以って東亜における英国の根拠を覆滅せり。朕深く之を嘉賞す
(参考) 8月15日は終戦記念日、「旧軍が悪かった」,「東条英機が悪かった」と戦争被害者ぶってすむ話ではない! 2010年08月19日
当時の日本人は、あの戦争を運命として受け止め、生きたのである。戦中は日本軍の戦捷の報に驚喜乱舞した者が、敗戦後は一転、「軍部が悪かった」、「軍国主義が悪かった」との浅薄な言葉で自らの生き様を否定するのは不誠実である。昭和20年9月から開始された連合軍の占領政策を妄信し、自らは軍部の被害者であった、平和愛好者であったと進歩的文化人ブルに至っては誠に笑止千万、自己の生き方を失った奴隷根性の持ち主にすぎない。
ポツダム宣言には言論の自由の確立などが謳われていた。併し実際には、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって検閲が密かに実行され言論は統制された。昭和20年9月10日から進駐軍による新聞とラジオの検閲が開始された。その目的は「日本国民に罪過の観念を植えつけること」であった。連合国に対する批評、流言はマスコミ報道で禁止された。日本軍の残虐と称される写真や記事はこ執拗に報道されるようになった。その一方、連合国に都合の悪い東京、大阪、名古屋など大都市に対する無差別爆撃や広島と長崎に対する原爆投下など重大な戦争犯罪の写真などは、公表を禁止された。いわゆる「プレスコード」である。
日本は、鬼畜米英の戦争に負けただけではない、戦後の戦い・・・・情報戦、言葉の戦い・・・・でも負けた。日本は、独善と欺瞞に満ちたアメリカの狡猾な占領政策で“悪者”に仕立てられた。
(参考) 広島の平和式典に米英仏が参加表明、だが加害者側がノーベル賞をもらった広島の平和運動は擬物だ! 2010年07月28日
(参考) オバマ大統領は広島に来れないはずだ、原爆投下はアメリカの重大な戦争犯罪 2009年10月14日
世界遺産「原爆ドーム」は、
アメリカの「人道に対する罪」を糾弾するシンボル
ユネスコの世界遺産は、世界各地の文明の遺産や神社仏閣などが対象となっているが、人類の恥となる「負の遺産」が3つ指定されている。広島の原爆ドーム、アウシュビッツの強制収用所跡、3つ目は奴隷貿易の拠点であったセネガルのゴレ島である。原爆ドームは核廃絶を希求する平和のシンボルと捉える人が多いが、このドームを世界遺産に指定することに反対したのはアメリカと中国である。これら2カ国が世界遺産の指定に反対した事実こそこの2カ国の本質をよく物語っている。
アメリカにとっては自らの戦争犯罪を糾弾するシンボルとして迫ってくるであろう。オポツダム宣言の対日要求の文言が、いかに欺瞞に満ちたものか多言を要しない。ウィキリークスが暴露したイラクにおけるアメリカ軍が、6万人以上の民間人を殺傷した事実を秘匿し続けたアメリカの欺瞞に満ちた体質は、戦後65年たった現在も変わっていない。
広島の原爆ドームが世界遺産に指定されたことは、アメリカが戦争裁判の被告として糾弾されたようなものであるい。アメリカは、戦争犯罪である原爆投下を謝罪しないだろうし、よほどの体制変換が無い限り謝罪出来ないだろう。
武器をとることなく日常の生活をしていた民間人10数万人を瞬時に殺戮したアメリカの戦争犯罪は、人類の汚点として後世に語り継がねばならない。広島の原爆ドームはアメリカを許さぬという日本人の意志の表れと受け止める国もあるはずである。
原爆ドームの世界遺産指定に反対した中国も、アメリカと共に日本と戦った。米中とも日本憎しの気持ちは共通であろうし、「平和友好」とは裏腹にミサイルや核兵器の増強に余念が無い自国の都合から世界遺産の指定に反対を言わせたのだろう。
世界遺産「原爆ドーム」は、アメリカの「人道に対する罪」と中国の核大国化を糾弾するシンボルと見るべきである。
民族に対する自信と誇りの喪失
第二次世界大戦によって日本は、有史以来未曾有の敗戦を喫した。物心両面の打撃は甚大であった。精神的打撃と経済的困窮により、連合国の占領下の変態的な政治状況によって道義は退廃し放縦安逸の気風みなぎり、国家の再建も歪んだ道を歩んだ。
建国以来の不敗神話に培われた大和民族が、ひとたび敗戦の衝撃に遭うや急速に劣等感に支配され、国を挙げて不信と疑惑の渦に覆われた。責任を他に転嫁し互いに非難しあうことにより自己の安逸を求めた。敗戦の原因を冷静に見つめ直すことよりも、伝統的なもの、日本的なものを否定することで敗戦の現実を合理化してきた。
このような精神の荒廃は、占領軍の日本的なものを払拭して無力化しようとする占領政策によっては拍車がかけられた。かくして、日本の精神的支柱は根底から揺らぎ、自らの国家と民族に対する自信を喪失させることになった。
「ウィキリークス」は独善と欺瞞に満ちたアメリカの体質を暴露したが、そのアメリカに見事に無力化されたのが日本である。そのため、日本人は戦後65年たっても、敗戦の後遺症から立ち直っていない。それが“政治家”の枯渇をもたらし、政治の混迷をもたらしている。