これはだめだ!

自信喪失、無気力な日本に”喝!”、反日、侮日に反撃、一矢を報いる。

8月15日は終戦記念日、「旧軍が悪かった」,「東条英機が悪かった」と戦争被害者ぶってすむ話ではない!

2010-08-19 | 安全保障

「旧軍が悪かった」、 
   
「東条英機が悪かった」だけだろうか?

  大東亜戦争の勃発は、明治維新後の日本の歩みと欧米のアジア進出の経緯をみれば、日本の一歩的な行動によって引き起こされたものとはいえない。日本にのみ戦争責任があるとはいえない。
 江戸時代末期、欧米はアジアに進出、インド、中国、インドネシア、フィリピンなど各国を植民地支配下においた。列国の東亜進出に国家存亡の危機を自覚した日本人は明治維新を起こし開国した。弱小国日本は、列国に伍して生存するため富国強兵の道を歩み、日清戦争、日露戦争を経て“一等国”となった。国民もこれを是とした。それだけではない。日露戦争で勝利するや日露の講和条約に不服な一部国民は日比谷公園に結集し、政府の弱腰をなじった。
 第一次世界大戦後は世界的大不況もあり経済的対立が先鋭化し、米英など各国による対日経済封鎖を受けた。その結果、自存自衛のため米英との開うに至った。大東亜戦争に至る経緯はこのようなものであった。
 1941年12月9日の東京日日新聞(現在の毎日新聞)の社説に記述されている通りである。
    シナ事変(=日中戦争ともいう)勃発の背景
   昭和12年、日中の戦いが始まった。中国(シナ)は米英の援助を
  受けるため宣戦布告をしなかった。宣戦布告をする当事国以外は
  中立を守らなければならなかった。日本も宣戦布告しなかった。
   そのため日中の戦いを戦争といわず、”シナ事変”と称した。米国
  は、物資だけでなく義勇兵を送り中国軍を援助していた。真珠湾攻
  撃の前から日米は実質的に戦闘状態にあった。
  
 開戦壁頭の大勝利の報に接し老若男女全ての日本人は小躍りしたのではないか。毎日新聞の社説は戦勝の知らせに驚喜した当時の日本人の気持ちを代弁していないか。新聞、ラジオは、軍部と一体となって国民を戦争に駆り立てたのだ。 
 マスコミが戦争遂行に果たした自己の役割を直視せず、「旧軍が悪い」,「東条英機が悪い」と言うのは、無責任極まりない。戦前・戦中は鬼畜米英、打倒米英、東亜の解放を叫び国民を戦争に駆り立てていたことに目をつむり、米英等戦勝国の主張を諾々受け入れて恥じぬ体質は卑屈である。
     米英に対する宣戦布告を大きく報ずる新聞
    天皇陛下万歳!皇軍万歳! が聞こえてくるような感じである。    
       (東京日日新聞、現在の毎日新聞の前身)
  

日本国民が一丸となって打倒“鬼畜”米英で戦った!
 
 1941年12月9日の東京日日新聞の「社説」は、他の新聞の主張も東京日日新聞と同じものだろう。一億国民が一丸となって鬼畜米英等と戦った当時の日本国民全体の大東亜戦争に対するとらえ方を反映したものである。
 以下、「社説」”東亜解放線の完遂へ”に記述されている“決戦の決意”の数々を列挙する。 
○一億総進軍の時は来た。待ちに待った日が来た。
○米英に対する宣戦の詔書を謹読するもの、誰か血沸き肉躍るの感を懐かないものがあろうか。
○既に事は決す。我ら全国民は東条首相の談話にある通り「必勝の信念」を以って、最後の勝利を確保するまで戦い抜こふ。
○路はいかに険難であろうとも、また戦いは如何に長びかうとも。
○聖戦詔勅の一字一句をわれ等は、魂をこめて拝読せねばならぬ。
○東亜の禍乱を長引かせ、東亜を奴隷化し東洋制覇の飽くなき非望を遂げんとする彼米英汚濁せる鏡面には映じない。
○政府当局が危局を既倒に挽回せんとした幾多の努力は、事々に無謀にも蹂躙せられた。
○七重の膝を八重に折りわれ等をして歯痒い思ひをさしてまで平和を太平洋に維持せんとした努力は、顧みられることなくして泥土に委せられた。
○性格的に気短であるといはれているわが国民は、よくこヽまで辛抱したものだ。
○「堅忍久シキニ弥リタルモ」と仰せられた大御心を奉楽して、われ等が心頭、煮え沸ぎるの思いがするではないか。
○事のこヽに至りたる情勢の詳細の経過については、帝國政府から米国及び英国両政府に与へたる通牒によって明瞭であり・・・。彼米英の当局が、如何に尊大ぶった態度を以って終始我に臨んだか、
○実情に眼を閉ぢ、架空的な原則論を楯に、如何に交渉を■延(フリガナは“セン”)せんとしたか。
○しかもその間において、援蒋に狂奔し、興国を誘惑して、帝國の身辺を如何に脅かしたか。
○経済封鎖を企てヽわが生存の糧道を如何に遮断せんとしたか。
○思ふに貪欲非道にして、金権猶太思想の囚徒たる彼等の行為は、天人ともに許さざるところ、黙せる石と雖もその非を叫ばずには置かないであらう。
○一剣閃くや、太平洋狭しと、わが皇軍は空に、海に、陸に武威を輝かしつヽある。
○米英が過去年久しく搾取を逞しうした東洋と南洋の基地は刻々、壊滅しつヽある。東亜の解放戦だ。
○見よ、大東亜に垂れ籠めし妖雲は、刻々掃討せられて、その本然の姿を水平線の彼方に顕し始めているではないか。 
○いまや、聖旨を奉体して一億の民は勇躍して聖戦に赴く。
○大君の 辺にこそ死なめ。一切を大君に捧げ、興亜大業を目指して■(文字不明)進するであろう。
○銃前銃後、一体となって天の使命のため戦ひ、天の試練に打ち克たねばならぬ。
○われ等は、この聖業に参ずるの光栄を感じつつ、一切のものを戦争態勢に完備すべきであり
○政府当局としても一段と決戦態勢を整える必要もあるであろふ。
○畏くも大詔すでに渙発された。忍び難きを忍んだ帝國は遂に怒りて起った。
○米英勢力を東亜より、南方より、太平洋より抜本的に駆逐すること、それ支那事変解決の捷径であり、 大東亜の平和と共栄の唯一の路になった。
○敵も剛のものである。油断するな。決して心を緩めるな。
○全国民錦旗を奉じ、この聖業達成の日まで心を一にして戦い抜かねばならぬ。 

国際社会の中で漂流する“ひ弱な日本”  
  戦後、日本国民は、鬼畜米英から一転、「旧軍が悪い」,「東条英機が悪い」と転向した。一億総懺悔、軍国主義が悪かった、旧軍が悪かった、戦争を起こした軍人が悪かった等自虐、懺悔の言葉のオンパレードである。一億国民が一致団結して鬼畜米英と戦った。軍人も政治家も、財界人も作家・画家など文化人も、マスコミも軍部と一体となって国民を戦争に駆り立てた。一億国民皆、戦争に勝つため“錦旗を奉じ、この聖業達成の日までと心を一にして戦い抜く決意だったのではなかったか。
  自分は機械のロボットと全く同じで判断力も思考力も無かったと言うべきではない。日本国民は老若男女、皆、軍国日本の勝利のために人生を捧げた。戦場の兵士が戦争反対を叫んで反乱を起こした例があったか。北の島でも、南方の島々で日本軍が玉砕した例は無数にある。自己に与えられた銃器をもって戦争反対のため上官の命令に背いた部隊や兵士がいたか。兵士は銃を取り自己の生命を賭けて鬼畜米英と戦った。戦争の大義に殉じた。
  戦争反対を信奉していた共産党員やそのシンパは特高や憲兵の拷問を受けたが、その苦しさに堪えかねて“転向”した。転向した文化人は、戦場の兵士が軍国日本に命を捧げて戦ったのとは正反対に、“生きる”ため、“食う”ために主義主張を放棄した。彼らが命を賭けて憲兵と戦ったこともなければ、軍国日本打倒に立ちあがった者もいない。 
              占領軍による言論統制 
       
1945年9月実施、占領下の日本は、後の憲法で保障された
   ”言論の自由”は無かった。
       
(注:下の2枚の写真は広島・原爆資料館の展示資料)

     
              占領軍に都合の悪い報道は禁止された。 
    
       アメリカは、こういう国、 ”汚い”国!

 
  戦後、占領軍による “戦争を起こした日本が悪い”“A級戦犯が悪い”、“軍部が悪い”、“東条英機が悪い”という考え方が蔓延した。占領軍の検閲や宣伝が効を奏したため、日本国民が彼らの一方的な考え方に毒された。洗脳されたことを意識することもなく生きてきた。そのため“鬼畜米英!”と叫び軍国日本の戦勝に歓喜したことをすっかり“忘れ去って”、恰も自分は“戦争反対だった”、“軍部の犠牲者だった”と平和愛好者だったかのごとく舞う始末である。 
  戦前、特に昭和時代の日本人は、軍部も民間人も占領地の中国大陸や朝鮮半島で現地住民に対して人道的に接したとはお世辞にもいえない。 戦前は相手が弱いとみると徹底的に苛め抜いた。
 戦後は、相手が手ごわいと見れば恥も外聞もなく自己の主義・主張を捨て去る。相手から言われれば何度でも「お詫び」を繰り返す。大きな力、強い者に巻かれて安易に生きる日本人に “自己”は存在しない。

      ”おめでたい”日本の  ”おめでたい”お言葉
   他者の善意にすがって生きることは、精神が去勢された者の生
  き方、
奴隷と同じだ。敗戦で打ちのめされた日本人は、この”おめ
  でたい”文章を無批判的に受け入れた。下手な英作文をそのまま
  訳したような悪文である。今の世界情勢にも合致していない。
  
  その時々の流れに身を任せて生きる日本人の体質は変わっていない。これが、戦後65年経っても国際社会の中でどう生きるか、進路が定まらず漂流している“ひ弱な日本”の一因なのだろう。
 歴史を直視することは大切であるが、それと劣らず重要なことは、日本人
が自らの“弱さ”(=奴隷的卑屈さ)を直視することだ



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