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(70)Jesus Adrian Romero 「魔法のプリンセス」 Princesas magicas

2011年01月19日 | 翻訳いろいろ




Princesas magicas 
『魔法のプリンセス』

Artistas:Jesus Adrian Romero
アルティスタス:ヘスス・アードリアン・ロメーロ


愛するひとが 家でまつ
仕事を切りあげ
家路につこう


魔法のプリンセスが ふたり
おさげ髪 パジャマ姿
紅をさし ママのまね


笑顔見せられると 弱いのさ
持てるすべて 君に捧げよう


心はすっかり プリンセスのとりこ
君を思えば 幸せになれる


スポーツと勉強の日々
瞬く間 大きくなった


Ay Ay Ay
成長を とめてしまいたい


やがて巣立ちの日がくる
からっぽの部屋
失われる人生の1ページ
この家に 君は帰らない
だから今 心からの愛をあたえたい
君を見つめ 耳かたむけよう


君がどんなに尊く たいせつな存在か教えたい
その心を 守りたい


 
    ♪ ♪        ♪       ♪       ♪      
♪        ♪          ♪      ♪         ♪



君は 花咲く季節 プリマベーラ
ドレスをまとう姿 いろどる日々


君は 天国からつかわされた 伝書鳩
神のみことば 伝えてくれた
『神は愛なり』と


スポーツと勉強の日々
瞬く間 大きくなった


Ay Ay Ay
成長を とめてしまいたい


やがて巣立ちの日がくる
からっぽの部屋
失われる人生の1ページ
この家に 君は帰らない
だから今 心からの愛をあたえたい
君を見つめ 耳かたむけよう


君がどんなに尊く たいせつな存在か教えたい
その心を 守りたい


Ay Ay Ay
成長を とめてしまいたい


歌詞私訳




訳注:primavera プリマベーラ
春の季節、青春期にある若い世代の人、若い女性を意味することば。
レストランなどお店の名前で、時々見かけますね。





Princesas magicas


Tengo dos excusas en mi mente,
para recortar mi dia,
y ami casa regresar.

Son un par de magicas princesas
con pijamas y con trenzas
que juegan a ser mama.

Ya se han dado cuenta q soi debil
y con solo una sonrrisa
pueden todo conseguir.
De mi corazon se han vuelto due�・as
y m alegran la existencia
con solo en ellas pensar.

Entre gimnacia y la tarea
van creciendo muy deprisa
Ay Ay Ay las quisiera detener

Pero un dia se iran de casa
y entre sus cosas llevaran
un pedazo de mi vida q jamas regresara
mientras tanto kiero derles tantas cosas
kiero darles tento amor tanta atencion
y ence�・arles cada dia su importancia, su valor
quiero cuidarles el corazon...

Son como un jardin en primavera
que se viste cada dia
de belleza y esplendor
son como palomas mensajeras
que el se�・or mando del cielo
para hablarme de su amor.

Entre gimnacia y la tarea
van creciendo muy deprisa
Ay Ay Ay las quisiera detener

Pero un dia se iran de casa
y entre sus cosas llevaran
un pedazo de mi vida q jamas regresara
mientras tanto kiero derles tantas cosas
kiero darles tento amor tanta atencion
y ence�・arles cada dia su importancia, su valor
quiero cuidarles el corazon...

Ay Ay Ay las kisiera detener...




~Jesus Adrian Romero について~

メキシコ在住のクリスチャン・ミュージシャン。また、プロテスタント教会の牧師。Vastago Produccionesというレーベルを立ち上げ代表取締役となる。メキシコ全体が経済的困難にある中で、音楽活動を通し人々に福音と希望を与える働きをする。これから日本のクリスチャンにも注目されるミュージシャンでしょう。 日本語に翻訳された歌詞を添えてCD、DVDを発売してほしい!


~いとしいプリンセス~

生まれたとき、新生児黄疸といって体じゅうまっ黄色で生まれてきた。青い光、紫外線を当てて治療をしたんだよ。2,3日で黄疸は減ったけど、その間とても心配だった。君は赤ちゃんならぬ、黄色ちゃんだった。

ママのおっぱいは良く出ていたんだけど、飲み方が上手でなかったみたいで、おっぱいをあげてもすぐおなかを空かせ泣いた。うまく育ってくれるのか心配した。

一緒にお風呂に入った。肩から足まで、すっぽり洗面器に入るくらい小さかったころ、頭をシャンプーしたら、泡を目に入れてしまい、大泣きさせてしまった。それ以降シャンプー嫌いにさせてしまった。下手でごめん。

3か月くらいの時だったかな、三日間ずっとうんちが出ないことがあって、このままうんちが出なかったらどうしようかと心配した。おなかの腸のあたりをマッサージして、やさしく綿棒でおしりを刺激したら、たくさん出てきた。『やったあ』大きな声をだして驚かせたね。君たちが生きているということ、ただそのことが、パパに感動と、喜びを与えてくれた。

おむつ交換ができることは、父親として誇りある仕事だった。くさいとか、汚いなんて一度も思ったことない。本当だよ。どうしてか分からないけど。

6か月くらいの時だったかな、パパが台所に向かいご飯の支度をしていた。そのとき君が何を食べていたか忘れたけど、君はそれを左手でつまんで高く上げた。パパは、君が『これ、おいしいよ』って喜んでいるポーズだと思った。でもそれは『これ、おいしいよ。パパにもあげる』の意味だと分かったとき『受けるよりは、与えるほうが幸いです』との聖書のみことばが、心にせまってきた。まだ、ことばを話さず、文字も知らないはずなのに、君は、与える喜びを知っていた。聖書のみことばを教えてくれた。

好奇心に満ち、目はいつもキラキラ輝いていた。全てのことに強く興味を持つ子どもだった。絵本が好きだったから、よく読んであげたんだよ。一緒にアンパンマンの顔をよく描いたね。文字に対する興味も早かった。一所懸命まねをして書いてたけど、初めは、左右反対に文字を書いていた。不思議なことに、子どもはみんな同じことをするみたい。間違えることも成長のワン・ステップなんだよね。

公園で、君を抱いてブランコに揺られながら「夕やけ小やけ」や「赤とんぼ」を一緒に歌った。君にとっては遠い過去の記憶。小学校に上がった君の絵には、しばしば、楽しくブランコで遊ぶ姿が描かれてる。まだ、あの時のことを覚えているのかな?

君たちと一緒に過ごしたのは二年と数か月。あまりにも短かった。君たちが成長する大切な時期を、一緒に過ごすことができなくて残念・・・。そして、ごめんなさい。

別居となって5年後のとき、パパの家に遊びに来て一緒に漢字の練習をしていたら、突然、せきを切ったように泣き出した。長い時間、小さな肩をふるわせて。いろんな気持ちを、ずっと我慢してきたんだよね。君たちも悲しい気持ちで過ごしてきたことを忘れません。パパも自分のからだの一部がなくなったような気持ちで過ごしてきました。これからも、一緒に、つらい時期をのり越えよう。希望は神様のうちにあるから。何年でも待つからね。家族がともに仲良く暮らせるときまで。

パパは今までの経験を通して、父親が子どもを思う気持ちというものを知りました。あなたたちの体を産み育てる親がこの地上にあるように、あなたたちの魂を造り、育ててくださる父親が天におられます。パパがあなたたちと離れて暮らすことがつらく悲しいように、天にいる神様も、あなたたちの心が離れて生きることを悲しんでおられます。その心の痛みを知ることができました。

ぶどうの実は、その枝とつなっがているから実を結ぶことができます。枝から切り離されたぶどうは実ることができませんよね。どうか神様とつながってください。あふれるほどの祝福が、必ず与えられます。あきらめては、いけません。あなたの心が折れそうになった時でも、神様はあなたに力を与えてくださるから。パパも神様のみことばで、あなたたちを励まし続けます。あなたたちの心が守られるよう祈ります。

インターネットのユーチューブで、父親の気持ちを歌ったものを見つけました。歌詞はスペイン語(^_^;)。英語とは違うスペイン語の響き、音楽の音色もいいね。日本語に翻訳した『魔法のプリンセス』はパパの気持ちそのもの。あなたたちへのプレゼントです。

2012年 クリスマス

~パパが子どものとき~

パパは生まれた時から、イエス様を信じていたわけではありません。仏教の何の宗派だったか忘れたけど、パパのお父さん、お母さんもそれぞれお寺の檀家を代々受け継いでいる仏教徒です。お葬式の時は、決まったお寺で葬儀をとりおこなうという程度で、特に熱心な門徒だったわけではありません。むしろ『宗教はアヘン』だといって、目に見えない神様を信じることは、つまらないことだと思っていたようです。日本の多くの人が持つ考えとそんなに変わりないでしょう。

そんな家庭だったから、幼い頃のパパの夢は、有名大学に入ること、お金持ちになることが人生の目的でした。その両方とも、パパには縁がなかったようですけど・・・。パパの心のなかには、王座があります。この心の王座には、自分がどっかりと腰かけていました。自分の欲を満たすことが幸せだと考えていて、幸せは、社会的地位の高さや、持ってるお金に比例するんだと思っていました。社会的地位もお金もそれ自体が、良いものでも、悪いものでもありません。でも、それを用いる動機や用い方によっては、良いものにも、悪いものにもなります。


~ニュージーランドから来た宣教師~

中学の時、ニュージーランドから来た宣教師に出会い、聖書を読み教会に通うようになりました。パパが住んでいたところは田舎で、外国人に会うということ自体が珍しく、興味半分に教会に通っていたようなものでした。でも、今考えてみると、パパの育った家庭にも問題を抱えたところがあって、そんななかで神様に出会い信仰を持つことができたのは、神様がパパの心の成長を守り、救ってくださったんだと、最近になって分かりました。私たちのからだや心を創り、いのちを与えてくださったのは神様ですから、このお方に傷ついた心を癒していただくことは、最も理にかなったことです。


~教会から離れる~

教会には行っていましたが、神様を信じる生き方をするべきか、信じない生き方をするべきかで、心は大きく揺れました。それまで自分の心の王座には自分が座っていて、自分の好きなように生きてきましたが、この王座を神様にあけ渡すのは一大事だからです。教会の人たちは尊敬できる人たちだったし、聖書のことばも良いものだと、頭では分かっていても、踏み切ることができないものがありました。その一つは、神様の前に自分は罪ある人間だと認めることが嫌だったという気持ちもあったかもしれません。そうするうち教会にはまったく行かなくなり、信仰とは関わりのない生き方を長い間続けました。


~再び信仰に導かれる~

あななたたちが生まれる数年前に、再び教会に通うようになり現在にいたっています。神様から離れた生き方を長い間してきたパパが言います。神様から離れた生き方に、いのちはありません。神様とともに生きる生き方に、いのちへの道があります。アウグスチヌスという人は『わたしたちは神の愛にたどり着くまで、真に安らぐことがない』と言っています。自堕落な生活を長い間送っていましたが、その後クリスチャンとなった人です。

イエスさまは、パパの罪をきよめ、いのちへ至る道を示し、知恵を与え、生きる希望を与えてくださるお方です。やがてこの肉体は死を経験しますが、それは永遠に生きるため、古いからだを脱ぎ捨て、新しいからだをいただくためです。それはパパが良い人間だったから?それを受けるのに相応しい価値があるから?そんなことはまったく関係ありません。そうではなく、神様がパパを愛し、与えてくれる恵みだからです。むしろ、あえて罪ある人、価値のない人を選び、神様は祝福をくださるお方です。それは、この世で知恵ある人と言われる人の知恵をはずかしめるためだと聖書は言っています。

パパはあなたたちが成長する姿から、神様のみことばを教わりました。神様が造られた人のからだの不思議、心の不思議を思うとき、神様の知恵をたたえずにはおれません。あなたたちが、何事においても謙虚な心で勉強をするなら、神様は生きておられることが見つけられるはず。信仰は、知識の体系化に反するものではなく、むしろ、そこに意味を与え完成させ、人に生きるいのちを与えるものです。信仰を持って生きるということを、非科学的だと軽蔑する人がいます。そんな、ことばに揺るがないでほしい。信仰は、占いやおまじないや口寄せなど、こうしたたぐいのものではありません。こうしたものを神様は嫌われます。

『真理がわれらを自由にする』国立国会図書館、本館2階図書受渡しカウンター上の壁に刻まれたこの言葉は、ヨハネ福音書8章32節から引用されたことば。人は真理を探し求めるように造られています。真理とはイエス・キリストのこと。

あなたたちが大きくなり、生きていくときに、自分の力では解決できない大きな問題に直面することがきっとあります。長い時間、嵐に翻弄され、ただ流される船のように、自分の力ではどうにもならないようなことが。生きる希望までも失ってしまいそうな時がくるかもしれません。そのような時、聖書のみこばには、人にいのちを与える力があることを思い出して。困難な状況の中にも、必ず神様は脱出の道を備えておられます。与えられた試練の意味をじっくり考えてほしい。ものごとを深く考え、自問自答できるところは、君たちのすばらしいところだから。

パパは、イエス・キリストのうちに、生きる意味、希望、いのちを見つけました。あなたたちに譲ることのできる家や財産はありませんが、イエス・キリストという財産を、あなたたちに渡したいんです。『イエス・キリストは私の主です』と告白すること。それだけでいい。このお方が、天と地、そこに住むいのちをお創りになったのです。

『わたし(イエス・キリスト)が与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます』

ヨハネ福音書4章14節 新改訳聖書


~愛は結びの帯~

私たちは、これまで一度も神様を見たことがありません。しかし、互いに愛し合う時、神様は、私たちの心の中に住んでくださり、心の中の神様の愛を、なおいっそう強めてくださるのです。イエス様を神の子と信じ、それをはっきり告白する人のうちには、神様が生きておられます。私たちは、どんなに神様に愛されているか、知っています。神様は愛です。 神様の完全な愛は、恐れをすべて取り除きます。私たちが神様を愛せるのは、神様がまず愛してくださったからなのです。

1ヨハネ手紙4章12~19節 抜粋 リビングバイブル


神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。

コロサイ3章12~14節 抜粋 新改訳聖書


心の病気で苦しんでいる方、そのご家族にいのちと希望が与えられますように。

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