元妻は境界性パーソナリティ障害だったのだろうか

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(23)愛着関係、児童虐待、片親疎外症候群、複雑性PTSDについて

2011年01月19日 | 境界性パーソナリティ障害


~愛着関係(アタッチメント)~

発達心理学の分野で、児童虐待と境界性パーソナリティ障害(複雑性PTSD)との関わりや、特に愛着関係に着目した研究がなされていて、日本では、棚瀬一代氏、数井みゆき氏,遠藤利彦氏らがこのことを著述されています。幼児期の愛着関係不成立が、その後一生にわたり大きな心理的影響を及ぼし、境界性パーソナリティ障害などの発症となると考えられています。愛着理論は、ジョン・ボウルビィ(John Bowlby)によって提唱されました。

発達心理学では、児童虐待とは何かを突き詰めていくと、アタッチメント(親子の信頼関係)の阻害であると言います。愛着関係は、親子関係において形成され、人格形成の基礎になります。自分の親としっかりした愛着関係を結べなかった子どもは、将来、心理的に問題を抱えるリスクが高く、自分の子どもの愛し方が分からない、或いは自分の子どもを虐待するということが起きます。「育児とは自分が養育された記憶の追体験である」と言われます。親との愛着関係を結べなかった子どもみんなが、問題を抱えるとは言えませんが、虐待をする親を調べてみると、子ども時代に、愛着関係を結べなかったことを疑わせる、心理的背景があると言われています。

アタッチメントについて、以下の記事にも書かせていただきました。ご参照ください。
心理学-1 動物行動学が示すもの
心理学-2 アタッチメント
心理学-3 44名の少年犯を調査


~児童虐待、片親疎外症候群~

私の場合、妻は虚偽のDVストーリーを親きょうだい、地元の友人に言いふらしたため、私は住んでいた家から出て行かざるを得なくなり、私と子どもたちは生き別れとなりました。後日妻と話し合う機会があり「私は本当に暴力を振るう夫なの?」と尋ねると、黙ったまま答えません。私と子どもを引き離す行動は、別居になる前からありました。私には何の連絡もなく、毎週末、妻は朝早くから夜遅くまで子どもを連れて外出していました。別居後も、私と子どもが会うことを嫌い、会えないように様々な画策をしてきました。子どもは本心では父親に会いたいのですが、会うことが母親の機嫌を損ね、母親から嫌がらせをされることが何年も続いてきたので、片親疎外症候群(PAS Parental alienation syndrome)という症状が出てきたようです。

1970年代、欧米で離婚する夫婦が増え、離婚裁判で激しく親権が争われました。統計的な数字までは確認していませんが、妻が子どもを連れ去る、親権の審判で妻が親権を獲得し子どもを監護するといったことが多かったようです。こうした中で、別れた妻が、別れた夫と子どもの面会を拒むことが少なくなく、別居以前は、父と子どもの関係が良好であったものが、別居してから子どもが父親を嫌悪するようになる、面会を拒むようになるなど、父親と子どもの関係が壊れる、思春期以降、重大な問題が現れるといったことが、共通して見られるようになりました。アイデンティティが十分育めなかった為だと言われています。こうした別居親と子供の面会を拒絶するような言動は、心理的虐待にあたります。このような面会を拒む母親に、パーソナリティ障害、パラノイアなどの傾向が見られるとも言われています。

不幸にも親が別居をしている場合でも、子どもの健全な心の発達に父親(別居親)との関わりが重要なのですが、母親がそれを拒絶するケースが多々あり、近年、日本でも社会問題となり、国会で答弁されたほどです。子どもは表面上、従順に母親(同居親)に従うように行動しますが、内面では苦しい葛藤が生じています。

しかし、PASの症状が見られるからといって、その原因は、同居親の引き離し行為や、離れて暮らす片親が悪い人であると子どもに吹き込む悪意のプログラミングであると結論付けることができるのか疑問に感じる面もあります。引き離し行為や悪意のプログラミングがなくても、子どもの心は防衛機制の働きで、PASの症状が表れるという説もあります。

ストックホルム症候群で見られるように、長い時間、その場の支配者に自分の生命や自由が握られた場合、支配された人は心の防衛機制が働き、自分の存在を守るため支配者に反抗するのではなく、同調したり、支配者に好意的感情を抱いたり、支配者の好意を得る行動をとることがあります。こうしたことが作為的になされるのではなく、無意識のうちに行われます。大のおとなでさえこうした心理的変化が生じるのですから、発達過程にあり、より周囲の影響を受けやすい子どもであれば、無意識のうちに同居親の感情や行動に自分を合わせるということが起こってもおかしくありません。同居親の悪意ある言動がない場合でも、子どもにPASの症状が起こり得るということです。

PASの概念が純粋な心理学や、精神医学の理論として提起されたものではなく、離婚裁判における親権争奪戦と関わって提起されていることに、一抹の不安を感じます。PASの理論には、ある意図的な誘導が感じられます。英語で「PAS」やPASを提起した「Dr. Richard A. Gardner」をキーワードで検索してみると、社会的物議をかもしてきた理論、人物だということが伺えます。片親疎外について正しく理解するためにも「PAS」や「Dr. Richard A. Gardner」について批判的に検証する見方も必要な気がします。

別居親を子どもから引き離したり、別居親に悪い印象を与えることばを子どもに言うことは、子どもの心の成長のためにもやってはいけないことだと思いますが、「片親疎外」を引き合いにして親権を勝ち取るため、相手方を不当におとしめることが起きないのだろうかという懸念も感じます。

別居、離婚をされている方で、もしお子さまに片親疎外の兆候が表れたなら、お子さまの心をいかに安定させるかを考えてはいかがでしょうか?お子さまに片親疎外の症状が見られるということは、お子さまが強い不安感、高いストレスを感じているということです。自分の両親が相手への強い憎しみ、怒りをたたえ、親権争奪戦を繰り広げる姿も、またお子さまの心を苦しめている原因の一つではないでしょうか?


~児童虐待をする親の病理性~

児童虐待をする親について、親自身の認知の歪みが虐待の原因である(ヘルファー Mary Edna Helfer)とか、虐待する親の多くは、自己愛性パーソナリティ障害や、境界性パーソナリティ障害のような、情緒的問題を抱えており、虐待行為は偶発的ではなく、虐待者自身の幼児期における情緒的問題と関わっている(スティール Brandt F. Steele)と指摘されてきました。

上村順子氏の著書「なぜ子どもを殴るのか」には、虐待する親の心理的背景を、臨床医としての視点から探り、境界性パーソナリティ障害(複雑性PTSD)との関わりがあるのではないかと指摘をしています。著者は、虐待する親全てが、境界性パーソナリティ障害であるとは言っていないので、誤解をされないよう申し上げておきます。虐待をする親の中には、実際に境界性パーソナリティ障害の方もいるでしょう。また、境界性パーソナリティ障害とまでは言えないまでも、それを含む境界例水準(病態水準を基にしたカテゴリー)の方たちもいます。こうした虐待する親は、幼児期に親(その他の大人)から虐待を受けていると指摘しています。上村氏が、虐待する親と境界性パーソナリティ障害との関わりを挙げたことに、関心を寄せました。以下、上村氏の著書から引用させていただきながら、記述させていただきます。


~アルコール依存と児童虐待の類似~

かつて、アルコール依存症は、病気としての認識がされていませんでした。本人は「酒飲んでて、何が病気なんだよ」と自分が飲酒に溺れても、病気ではないと言い張る人がたくさんいましたし、社会全体が、ただの酔っぱらいとしか見なさず、精神科疾患のアルコール依存症としては認識していませんでした。今日、虐待についても同じことが言えて「疾病としての虐待」という見方が必要だと上村氏は述べています。

アルコール依存の飲酒が、1回だけで終わらないように、虐待も1回で終わらず、継続されるところ、嗜癖性があるところに病理性があります。他人がする暴力はいけないことだと認識できても、自分の暴力は、それが虐待であると認知できないというのも特徴です。


~嗜癖行動(アディクション)~

アルコール依存で飲酒が止められなくなる様に、虐待でも、一度暴力を振るうと、自制が効かなくなります。虐待の怖さはその嗜癖性で、自分で止めることができないところにあります。アルコール依存では、初めのうちは楽しく飲んでいても、お酒の量が増え、やがて止められなくなります。精神的な緊張があると、お酒を飲まずにはいられなくなり、お酒がないと体の不調すら訴えるようになります。こうしてお酒に支配されるのが、アルコール依存症です。

一方虐待は、自分が暴力的な言動に支配されていて、不安や、緊張を解消する為、暴力を振るったり、暴力的な言動でストレスを解消しようとします。虐待にも、嗜癖というものがあります。周りの家族、ケース・ワーカーは、虐待は病気である、病理性があるという観点に立ち、虐待者に対応できているだろうかと著者は疑問を投げかけています。「気の持ちようですよ」「あまり悩まない方が良いですよ」などの月並みなアドバイスをすることは、かえって母親自身が、治療に向かうきっかけを奪い、治療する機会を失った虐待者は、虐待を継続しエスカーレトさせることになります。本人や周囲の人が、虐待は病気であるという認識に至っていないと、虐待者本人は治療支援へと結びつきません。

虐待する親に共通しているのは、自分を愛せないということです。自分自身を肯定できず、否定しています。自分を愛せない親は、それだけ愛情に飢えていて、孤独で、寂しさを感じています。夫に愛して欲しい、理解して欲しいと願っています。離婚などで、伴侶と離れて暮らしている場合、日常生活の緊張を和らげるのが、より難しくなります。孤立していると、虐待を繰り返しやすくなります。


~心的外傷後ストレス障害(PTSD Post-traumatic stress disorder)~

PTSD(心的外傷後ストレス障害)は、ベトナム帰還兵が帰国後、心を病み酒、麻薬などにおぼれる人々が増え、 社会問題化したことから研究が始まりました。戦場の兵士は、どこにも逃れられない状況のもと、毎日生死をさまよう過酷な恐怖体験(高ストレス体験)をさせられました。このような心的外傷を与える恐怖体験は、戦場においてのみ起こるのではなく、これと似た状況が、現代の家庭内でも起こり得る、既に起こっていると指摘しています。親が子どもに与える暴力、レイプ、ネグレクトといった見た目に明らかな虐待だけではなく、子どもの考え、行動を常に否定すること、存在の否定が継続されると、子どもは高いストレス状態に置かれ、戦争体験に等しい心的外傷を与えるというのです。虐待による心的外傷は、戦争によるPTSDと区別し、複雑性PTSDと呼ばれます。このように育てられ、親子間での健全な愛着関係形成が成し遂げられなかった場合、境界性パーソナリティ障害(複雑性PTSD)発症の高リスクとなるというのが、発達心理学での見方です。


~心の戦争体験~

虐待をする親自身が、世の中は戦場のようなものだと思いこんでる場合があります。いつ何が起こるか分からない、人の言葉は、戦場を飛び交う弾丸のようなものだと感じているのです。安心して食事すらできず、いつも不安感で満たされています。こうした母親の言動は、子どもに同じ戦争体験をさせることになります。

虐待する母親は、いつも不機嫌な顔をしています(持続的不機嫌)。子どもの頃から、強く感情を抑えつけられ、何を言っても「ダメです」「いけません」と否定されてきたためです。何かすると、理不尽に叱られ、殴られる。「ありのままの自分ではいけない」「自分の気持ちに正直であってはいけない」という環境にいたら、感情が歪み、持続的な不機嫌になります。こうした方が親となり、持続的不機嫌の状態で子育てをすると、常にイライラし、感情の抑制を失い、不幸な子育て環境となります。この持続的不機嫌というのは、母親自身、どうしていつもイライラしているのか、その原因が分かっていません。自殺、自傷行為が伴う場合もあります。


~虐待の世代間伝達~

虐待する側の親は、常に自分自身をダメな人間だと非難する傾向があり、自分自身に強い羞恥心を感じています。こうした罪悪感は、虐待している母親に共通していると上村氏は述べています。母親自身が主体性を持って生きる事を否定しているので、同じく子どもが主体性を持って生きる事を否定します。自分の子どもが主体性を持って生きる事に、我慢ならず、子どもの主体性を奪い、自分の思いのままに子どもを操ろうとします。母親の自己否定、強い羞恥心、罪悪感も子どもに投影され世代間伝達をします。

過保護と言われる親子関係でも、 子どもの自然な欲求や感情を無視して親の意向(わがまま)を優先させるので、親に子どもを従属させている関係が見られます。これを「マイルドな情緒的虐待」と呼べるのではないかと上村氏は言います。この虐待を受けている 子ども自身も「虐待されている」という自覚はなく、反対に過保護、過干渉を「愛されている」と誤認してしまうので、自身のトラウマの自覚(虐待されているということ)がより困難になります。もっとも身近で心を許している養育者に、体や心を傷つけられるという事は、深く激しい心の傷(心的外傷=トラウマ)になります。

幼児・児童虐待という状態は、それが積極的な虐待であれ、「マイルドな虐待」であれ、それを受けた 子どもは「歪んだ対人関係」を学習するという点で、後々深刻な影響を及ぼします。虐待をする大人自身、 子どもの頃に同じ様なトラウマ(心的外傷)を負わされています。虐待行為には、マイルドなものからハードなものまで様々ありますが、過去(幼児期)に学んだ「歪んだ対人(親子)関係」を再現し、子どもを攻撃します。

虐待する親が、境界性パーソナリティ障害などの傾向があり、虐待をしてしまっているという視点が必要です。「ボーダー・ラインの親が、ボーダー・ラインの子をつくる」、「世代間伝達」とも言われ、親が抱えている苦悩を、子どもに伝えています。これは誰かが断ち切らないと、その苦悩をまた次の世代の子どもに受け渡すことになります。


~複雑性PTSD(C-PTSD  Complex post-traumatic stress disorder)~

虐待された児童を扱う臨床医からは、複雑性PTSDという臨床単位が提唱され、虐待を行う親や、社会に対し「こういう虐待を子どもにすると、将来、子どもは大きな問題を抱える」と警告を発しています。

従来の臨床心理学の分野において、○○パーソナリティ障害といった場合、現在の個人的特徴に焦点があてられ、心的外傷を受けた過去の原因にさかのぼるという見方をし、「発症の原因はこれです」とは特定しにくいようです。一人の人に、うつ病、境界性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害など複数の病名が付けられることがあり、ラベリングに拘るといえるでしょう。

一方、児童虐待での見方は、心的外傷を受けた幼児期に焦点をあて、虐待被害者として捉えます。複雑性PTSDという病名がつけられ、原因はアタッチメントの疎外であると言われています。虐待に対する防衛機制として、境界性パーソナリティ障害が発症する場合があれば、自己愛性パーソナリティ障害や、うつ病があらわれるという見方をするので、複雑性PTSDの見方では、○○パーソナリティ障害といった病名を付ける必要はありません。複雑性PTSDという臨床単位と、パーソナリティ障害の臨床単位が並行して語られることがあり、混乱を招いているように感じます。複雑性PTSDという臨床単位が提唱された背景には、「あなたは、○○パーソナリティ障害」といったラベリングをしないで済むので、患者サイドが受診しやすくなり、社会の偏見も少なくなるという意図もあるようです。しかし、アメリカ精神医学会は、新しい臨床単位や、診断基準の見直しを簡単に認めないところのようです。日本も、アメリカに右に倣えといったところでしょうか。


~抑圧された怒り、スティグマ(恒常的自己嫌悪)感~

表面上は明るく、怒らないようなお母さんでも、子どもの感情を否定したり、無視する言動で、深い傷を子どもに与えていることがあると上村氏は指摘します。とりわけ爆発した叱責はしなくても、子どもの情緒を無視し、子どもの人格を否定することは、子どもの心を傷つけ、ネガティブな感情をすり込みます。

虐待する親は、人生の責任ある主体が、自分自身であるという意識を持っていません。大人になっても、自分は他人から保護されるべきであるという、受動的感覚を持っているので、夫(伴侶)に対して、わがままな要求を通すのが当然と考えます。子どもに対してもわがままを通すので、子どもが親の欲求を満たす親役となり、親子の逆転現象が起きます。こうした親は、子どもが親の要求(わがまま)に従う事が、正しいと思っているので、子どもを支配的に扱います。反対に子どもは、親の要求を満たすことが、自分の務めだと思わされるので、過剰な努力、我慢を強いられます。親の要求を満たせないと、自分の力不足であると自分自身を責め、恒常的劣等感を抱くようになります。自分自身を非難し、自分はダメな人間だと思い込み、強い羞恥心を覚え、自分は生きている価値がないなど、罪悪感を抱きながら生きるようになるのです。

親自身が「主体性を持つ」ことを獲得していない為、自分の子どもに主体性を持たせるということを知りません。主体性とは、他人に左右されることなく、自分の考えで行動をし、良い意味でも悪い意味でも、自分が報いを受けるということです。主体性を獲得してない親にとっては、子どもが自分と違う考えで行動することは、絶対許せないのです。

境界性パーソナリティ障害の場合、見捨てられ不安が非常に強く、些細なことでも、子どもが自分の言うことに従わない、自分とは違う考えをすると、自分は見捨てられたと感じてしまいます。こうした不安は、耐えがたいほど苦痛なので、常に子どもを自分の思い通りに操る、支配的に扱うとも言えると思います。

このように育てられた子どもも、親と同じスティグマ感を抱くようになります。


~親子関係への没入~

母親自身が、幼かった頃満たされなかった親への愛情に飢え、或いは親への復讐心をたたえている場合、自分の子どもに対して、感情を転移させ、満たされなかった親子関係を、子どもを親に見たてた、逆転疑似親子の関係として再現します。子どもは元々非力なのですが、その非力な姿に、自分自身の惨めな姿や、強い嫌悪感を、子どもにぶつけるようになります。物忘れをする、足し算ができないなど、出来ないという事に我慢ができず、強い怒りを子どもに投影し、虐待の嗜癖性となります。親への憎しみを子どもに投影し、不健全な密着関係を作り、理想化した親のイメージを子どもに求め、子どもと、適度な距離(バウンダリー)を保つことができなくなります。

虐待を受けて育った人は、精神的に親の存在の占める割合が非常に大きいという特徴があります。親の言葉、親の考えが、大人になっても、頭の中に刻まれています。自分の親のイメージが自分自身と切り離せないほど大きなものになってしまいます。大人になっても、このイメージは強く残り、親が理想化され、また親の自分への要求が理想化されて、それに応えられない自分に羞恥心、怒りを感じています。


~ネガティブな感情の支配~

子どもは、自分を愛し、守り、育てる親が、一方で、自分に恐怖を与え続け、自分を否定し続けるといった、矛盾を孕んだ存在であるなら、子どもは、親を恒常的なキャラクターとして認知できず、親のイメージがばらばらで、認知面、統合面の成長に支障が出ると言えないでしょうか。認知統合に歪みをきたし、スプリット(二極化)された考えとなったり、親から否定されることにより、劣等感、自己嫌悪を抱き、生への罪悪感を抱き、希死念慮、自傷行為が表面化し、親への憎しみ、自分自身への憎しみを、内面深くに抑圧し、自分でも理由が分からない、恒常的不機嫌に陥るのではないでしょうか。

アタッチメントの未形成という点に着目するなら、境界性パーソナリティ障害の特徴である、スプリット、スティグマ感、抑圧された怒り、怒りの爆発性、統合の不得手さ、アイデンティティの欠如、希死念慮などを説明できるように思います。


~虐待の要因~

家庭で虐待が起きる要因は、親側が持つ要因と、子ども側が持つ要因に分けることができます。子どもの側にも虐待をひき起こす要因があるということは、あまり知られていないと思います。

子どもの側の危険因子

・未熟児(低体重出生児)である。
・多胎児である(双子や三つ子)。
・新生児期に健康上の問題を持つ場合,しょっちゅう病院通いや看病をしないといけないので息が詰まってしまう。
・発育,発達が遅れていたり,病弱であったり,先天的な異常・障害がある場合。
・幼少期に長期分離を経験しているとか,長い間保育器や新生児集中治療室に入っていたりした子ども。
・親子の絆の形成が妨げられた子ども。 普通子どもは生後6カ月から1歳半くらいの間に特定の大人,普通は母親に村してアタッチメント(愛着)を形成します。けれどもそういう時期,あるいはそれよりも少し後にわたって親子が離れて暮らすことになると,アタッチメントが親子の間で形成されず,そのことが虐待のリスクファクターになります。
・他児と違う子ども,他児より手がかかる子ども(体重増加不良,夜泣き,離乳がうまくいかない,すぐ風邪をひく)。
・過食,拒食,よくぐずる,かんしゃく持ち,寝つきが悪い,頭を打ちつける,反抗的,多動,その他行動上の問題がある。

児童虐待について
全国養護教諭サークル協議会研究集会 より引用



~スパルタ教育~

子どもの幸せのためにと、スパルタ教育、厳しい躾け、親の理想を子どもに押し付けることなど、こうしたことは当然のごとく行われていますが、気をつけないと、子どもにとってそれが過度のストレス状態となり、恒常的自己否定、恒常的自己嫌悪に至らせる恐れがあります。よく言われる「厳しい躾」は、子どもらしい考え、行動、感情を「容認されない甘え」として否定しますが、子どもには成長段階があり、段階に応じた対応が必要とされます。「子どもは小さな大人ではない(ルソー Jean-Jacques Rousseau)」のです。

虐待する親の中には「自分も小さいころ厳しく育てられた。厳しい躾は子どものためである」と言う方がいます。こういう方は、親から心を戦争状態にされて育てられてきたと言えるのです。この内面の戦争状態は、大人になっても消える事なく、他人の些細な一言で過剰反応し、心理的戦争状態が再現されます。自分が親になったとき、自分がされたのと同じことを、自分の子どもにもします。

子どもの年齢や力量に不相応な学習を強要したり、倫理的な正しさを要求することは高ストレスを与え「自分はできないんだ」という感情を子どもにすり込む危険があります。何度でも失敗してもいいんだよ。間違っても許されるんだよ。少しずつできるようになるよ。できなくてもあなたを愛している。こういったメッセージが、幼児期に必要なのではないでしょうか。

愛情と赦しを経験せず育った方は、「厳しい躾こそ子どもの幸せである」と自己弁護をせざるを得ないのですが、子どもを全面的に受容する態度、愛し、赦すことが親子関係のベースにないならば「厳しい躾」は、親の権威を笠に着たイジメでしかないように思います。


コロサイ人への手紙3章21節 私訳
父親よ、子どもにとげとげしく接してはいけません。子どもは自信を失います。

Οἱ πατέρες, μὴ ἐρεθίζετε τὰ τέκνα ὑμῶν, ἵνα μὴ ἀθυμῶσιν.

ἐρεθίζω(2042)エレティゾー 動詞 
(人の感情を)かき乱す、嫌がらせをする、いじめる、(人を)イライラさせる

ἀθυμέω(120)アスメオ 動詞
がっかりする、落胆する、途方に暮れる、失望する、元気がなくなる

Fathers, do not provoke your children, lest they become discouraged.
English Standard Version



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