元妻は境界性パーソナリティ障害だったのだろうか

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(20)境界性パーソナリティ障害とは

2011年01月19日 | 境界性パーソナリティ障害


~境界性パーソナリティ障害とは~

境界性パーソナリティ障害という病名(カテゴリー)がなかった当時、神経症(古典的な意味でノイローゼ)と精神病(統合失調症)の、それぞれの特徴を持ちながら、どちらにも属さない病気として『境界型(Borderline case)』と命名されたのが病名の由来です。かつて、神経症とみなされる患者に、精神分析を行うと激しい攻撃性、自傷行為、精神病(統合失調症)症状が現れることが確認され、振り子のように神経症と精神病の間を揺れ動く病態と考えられていました。

現在の英語による病名は『Borderline Personality Disorder』です。最近日本では、境界性人格障害から、境界性パーソナリティ障害へと呼び方が変わったようです。この手記では、境界性パーソナリティ障害で表記させて頂きます。

日本の人口に占める割合は、2%前後と言われています。うつ病が0.6%、統合失調症が0.8%と言われていますから、境界性パーソナリティ障害がどれだけ多いか、分かって頂けると思います。2%といえば、50人に1人の割合なので、決して珍しい病気ではありません。

SANE Australia(オーストラリア精神病院。寄付金と助成金で運営されるNPO法人。境界性パーソナリティ障害の治療に弁証法的行動療法を採用する)では、人口の2~5%が境界性パーソナリティ障害であると述べています。

特に多忙な現代社会で見られるようになり、先進国で多く途上国では少ない、同じ国の中でも地域差があり、農村部より、都市化された地域に多く、また、男性(25%)より女性(75%)に多いという特徴があります。

幼児期に受けた心の傷が原因で、親のアルコール依存やドラッグによる育児放棄、暴力、再婚した養父による性的虐待など、明らかな原因もありますが、ごくごく普通の家庭でも起こりえます。日本では文化的な面からか、密着し過ぎる母子関係(支配的親子関係)が一因に挙げられています。ある特定の原因が病気に結び付くというより、いくつかの要因が重なって、病気に至ると考えられているようです。

この病気を扱う専門家からは『不認証環境』がその要因であると言われ、親が子どもの気持ちや、意思に対し、否定的対応をすることが継続されると、子どもは自分の気持ちに自信を持てなくなり、不認証感覚を引きずったまま大人になる、境界性パーソナリティ障害の原因となると警告されています。以下の記事もご覧ください。
不認証環境~境界性パーソナリティ障害の要因


児童虐待、発達心理学の分野では、親子の愛着関係の疎外が原因であると言われています。以下の記事もご覧ください。
愛着関係、児童虐待、片親疎外症候群、複雑性PTSDについて

以前は、思春期を過ぎないと、この病気の診断はできないと言われていましたが、最近では低年齢化する傾向があり、思春期以前でも、診断が下されているようです。ボーダーライン・チャイルド(ボーダーライン・チルドレン)と呼ばれ、自傷行為、自殺企図、非行で補導される事もあるようです。


~困った妻の言動~

結婚後半年も経たずに、結婚生活を継続する自信を失い、離婚を考えた事がありました。妻の事を一言で言うなら「幼い」ということです。些細な事で激怒し、これでもかと言う程、私を罵ります。その怒りの表し方や、妻の主張は、自己中心的で、相手に対する配慮が欠けたものでした。

妻が私を見る目は、信頼や尊敬ではなく、疑いや嫉妬でした。残念ながら、結婚早々、私は信頼に値しない夫だと見られていました。浮気をしたとか、借金を抱えたとか、暴力を振るった訳ではないのです。

不安に対して敏感で、増幅させやすいところがありました。妻の友人の旦那さんが浮気をしていたと聞くと、不安を増幅させ、私が浮気をしていないかと疑いました。

理屈をこねては、際限のない要求をし、私がへとへとになって要求に応えても、感謝をする事はありません。自分に形勢が悪い時は、嘘をついてまで自己弁護をします。自分の気持ちや意志を、言葉にして伝えるのが苦手でした。

『こうなったのは全部あなたの責任』『全部私が悪いと言うのか』と言ったように、考え方に両極端なところがありました。『あなたに悪いところはあったが、私にも悪いところがあった。お互い気を付けよう』という現実的な見方、建設的な考え方ができないところもありました。

一度結論を出した事でも、コロコロと考えを変える事がしばしばあり、私は振り回され、不愉快な思いをさせられました。

子どもが生まれた後は、一層私への攻撃をエスカレートさせ、私はうつ病になり、別居に至りました。

今、妻と子どもたちが共に生活していますが、こうした母親の言動で、子どもが心の病気にならないか心配をしています。


~急増する境界性パーソナリティ障害~

奥さんが境界性パーソナリティ障害の病気を持っているというご家族がありました。旦那さんは建築の職人で、小学生のお子さんが一人いました。奥さんは症状がかなり悪化し、入院を余儀なくされたのですが、その後、ご主人が自宅で首を吊って自殺をしました。病気を持つご本人が苦しい思いをされている事は勿論ですが、このように同居する家族にも深い苦しみを与えています。

境界性パーソナリティ障害は、専門の医師であっても扱いにくい病気とされています。まして心の病気の専門知識もなく、トレーニングも受けていない一般の人が、境界性パーソナリティ障害を持つ方と毎日生活を共にするということは、大変な苦悩を味わうことになります。この病気を抱えるご本人への治療支援といった一次的な問題解決が必要であることは言うまでもありませんが、同居する家族が精神的に追い詰められることで、うつ病や自殺が起こること、家庭崩壊、子どもの心理的発達への影響といった、同居する家族に起こる二次的な問題にも支援が必要です。一日でも早く、日本でも家族へのサポート体制が確立されることを望みます。

先日、高校時代の友人に久しぶりに会いました。私は別居中で、妻が境界性パーソナリティ障害の疑いがあると話すと、友人の兄弟に、境界性パーソナリティ障害を持っている方がいると打ち明けてくれました。

別の友人ですが、彼の通う教会に、境界性パーソナリティ障害を持つ方が通っているとの話しを聞きました。

近年この病気は急増し、身近なものになっています。


~クリニック~

別居をしてしばらく経った頃、妻に病院に行ってみないかと誘ったのですが『あなたこそ病院に行けばいいじゃない』と断られました。『夫婦カウンセリングという形でも構わない、私も一緒に行くから』と言った時は、行きたいそぶりを少しは見せましたが、結局行かずじまいです。医師による診察を私も強く望んでいますが、このように本人が受診を望まない(病識がない)こともあります。無理にクリニックへ連れて行っても良くない結果になるので、本人がその気になるまで待つほかありません。

電話で何ヵ所かのクリニックに夫婦の状況を説明し『もし妻が診察を希望した場合、診て頂けますか?』と尋ねてみました。受け入れてくれるというクリニックもありましたが、ほかで治療してほしいと断るところもありました。クリニックにも専門分野があるので、断るところがあってもやむをえないのでしょう。

境界性パーソナリティ障害では、トラブルが原因で、治療を中断せざるを得なくなることもあるようです。専門の医師であっても扱いにくい病気だと言われています。

妻が『境界性パーソナリティ障害』であると断定まではしませんし、病名の判断は医師がするべきだと思っています。しかし、私はその疑いが濃厚であると思っています。その理由については、この手記に書かせて頂いているところです。


~性格か病気か~

家族の立場で申し上げるなら、以下の点で『境界性パーソナリティ障害』という病名に思い至ったのは、私にはとても有益でした。

1)妻は性格が悪いのではなく、病気だということ
2)病気であれば、医学の研究対象であり、不完全であっても何らかの治療方法があるということ
3)一見不可解な妻の言動にも何らかの納得できる理由があること
4)支える家族には “How to”なる実践的対処法があること
5)妻自身も長い間苦しんできたと理解できたこと

一緒に住んでいた時は、今日、妻にどう対応すればいいのだろうかと毎日悩みました。病名を知り、妻への対処法を知っていれば、どんなに助かったことでしょう。不可解な言動の背景を理解し、本人自身が、長い間苦しんできたと分かれば、より忍耐と愛情を持って接することができたでしょう。憎しみで一杯だった気持ちも今は変わり、おぼろげではありますが、家庭再統合という希望も見えてきました。


~傷つきやすい無防備な心~

アメリカ精神医学会の診断基準 DSM-IVの訳文は、適切な日本語訳となっているかどうか問題があると言われており、私もそう感じ、このブログでは敢えて境界性パーソナリティ障害の診断基準を載せていません。境界性パーソナリティ障害についての従来の訳文には、患者を中傷する不適切な表現が含まれていると感じます。最近は、新たな日本語訳も試みられているようですが、従来の日本語訳は、原文英語の意図するところから逸れていると、私は思っています。

境界性パーソナリティ障害の特徴として、目に見える、激しい行動化が挙げられますが、むしろ心の柔らかい部分がむき出しで、無防備なところ、過度の傷つきやすさが、特徴の一つとして強調されるべきで、それが境界性パーソナリティ障害を正しく理解することにつながると思います。日本ではこうした特徴を詳しく解説しているものが見当たりませんが、英語のサイトでは、詳しく説明しているものがあります。

境界性パーソナリティ障害を学んできて分かったのは、子どものような健気さ、心が無防備であるための傷つきやすさ、愛情飢餓、他人から見捨てられる事への死ぬほどの恐怖などです。妻が表す激しい怒り、行動化には当惑させられてきましたが、納得のいく理由があるのです。

国内で書かれた本、ウエブサイトの中に『性格の歪み、偏り』『人格の歪み、偏り』が境界性パーソナリティ障害の特徴であると乱暴な表現がありますが、境界性パーソナリティ障害の方の性格も人格も、決して歪んでないと申し上げたいと思います。何よりもこうした言いまわしは、人を中傷する表現で慎まなくてはなりません。『性格が歪んでいる』『人格が歪んでいる』と言われて深く傷付けられるのではないでしょうか?この病気に思い至るまでは、私も妻のことを『困った性格だな』と思ってきました。しかし、そう思ったのは表面的な見方であり誤っていると気が付きました。何よりもアメリカ精神医学会のパーソナリティ障害についての、定義の中に『性格の歪み、偏り』『人格の歪み、偏り』といった文言は一言もありません。英語の原文では、行動(behavior)の特徴に着目して定義をしています。英語に興味がある方はgoogleのキーワード検索で『Personality disorder definition』(パーソナリティ ディスオーダー 定義)と入力すれば、英語でどのように定義されているか調べることができます。公式で責任ある立場で制作された英語のウエブ・サイトのどれを見ても『性格の歪み』『人格の歪み』と解説されているものは見たことがありません。一つもないはずです。

医学の診断基準、分類指針としてとして、病名を判別するとき、客観性に基づく解説がされなくてはならないはずです。国内のウエブ・サイトでは『性格の歪み』『人格の歪み』といった解説のされ方が少なくありませんが、どのような基準を基にして、性格が歪んでいるかいないかの判断をするのでしょうか?『性格の歪み』『人格の歪み』といった定義の仕方には、何か客観的指標がある訳ではありません。医学の診断基準として、あるいは症状の医学的解説として『性格の歪み』『人格の歪み』といった表現には合理的根拠がなく、単に人を中傷する表現でしかないことを申し上げたいと思います。

では、どうしてこのような定義の違いが生じたのかというと、英語の『Personality disorder』を『人格障害』と翻訳した事によると思います。『性格の歪み』『人格の歪み』といった文言は、パーソナリティ障害を抱える方に偏見を与える、英語では見られない日本固有の中傷的表現で、早急に訂正されるべきものだと思います。

一般の人が『人格障害』という言葉を耳にして、どのような印象を抱くでしょうか?人格が壊れた人、人格が機能しない人、人格が破壊された人といった、おどろおどろしいニュアンスを感じると思うのです。『Personality disorder』は、そのようなニュアンスを想起させる言葉として使われていません。 訳語の『等価性』に問題があると申しげたいと思います。このあたりの事については、重大でデリケートな問題を含んでいるので、機会をみて別の記事で詳しく取り上げたいと思います。

もし、街なかを歩いていて、あなたの知ってる人、或いは知らない人が突然ナイフを向け、襲ってきたら、自分を守るため必死に抵抗し、大声で叫びながら、大立ち周りとなるでしょう。そうすることは性格の歪みではなく、当然の自己防衛です。境界性パーソナリティ障害の方は、他人の言葉、態度を、自分に向けられたナイフのように感じ、自分の身を守ろうと激しく抵抗しているようです。人の些細な言葉の一つ一つにそのように反応していたのでは、身が持たないと思います。実際、境界性パーソナリティ障害の方は大変なストレスを抱えながら毎日を過ごしているようです。境界性パーソナリティ障害の方の激しい行動化は、人として当然の防衛反応であって、奇抜な性格に由来するものではないと思います。むしろ、自分にとって危険でもないことを、存在を脅かされるほど危険なこととして、受け取ってしまう認知の仕組み、物事の捉え方に由来するのではないかと思うのです。境界性パーソナリティ障害の方とのお付き合いの仕方のポイントに『感情を否定しないこと』ということがあります。境界性パーソナリティ障害の方が、怒りや、恐怖を感じるのには合理的な理由があるからです。その合理性を理解することが重要ではないかと思います。

境界性パーソナリティ障害の方の内面で何が起こっているかを理解するには、境界性パーソナリティ障害を持つ方の言葉によるほかありません。境界性パーソナリティ障害を持たない方の意見には往々にして誤解があると思うのです。インターネットで公開されているYoutube動画には、境界性パーソナリティ障害を持つ方が作られたものが、非常にたくさんあります。文化的な違いからでしょうか、日本語のものはほとんどなく、英語圏のものが一番多いようです。辞書片手でも結構です、英語に興味がある方は是非英語にチャレンジしていただき、豊富な情報量の中から、正しい知識を得て頂きたいところです。この動画の中で、ご自身境界性パーソナリティ障害を背負ってこられたマーシャ・リネハン博士(Marsha M. Linehan, Ph.D)の言葉を見つけたので、紹介させて頂きます。博士は『境界性パーソナリティ障害の方の心を譬えるなら、体の90%以上に深い火傷を負い、皮膚のほとんどが失われたような状態だと言えるでしょう』と、心を保護するものがなく無防備で、過敏で、傷つきやすいと言うことを述べておられます。

妻は、人の言葉を真正面から100%で受け止めてしまうところがありました。私は妻を笑わせようと冗談を言ったことが何度かあります。誰でも冗談だと分かる内容です。ところが妻は『嘘をついた』と真顔で怒りを表すことが何度もありました。このように私の冗談ですら、自分の全存在をかけて耳を傾けるので『騙された』と感じるようです。往々にして、子どもはこうした非難をすることがあります。子どもに『冗談だよ』と言えばそれで収まりますが、妻の場合、怒りはなかなか収まらなかったようです。私の冗談で、あたかも刃物で突き刺されたかのように感じたのでしょう。極度のデリケートさを持ち合わせているためです。この病気の特徴をこのように考えるなら、心の成長を促し心に保護膜を形成することが治療の一つの目標となると言えるのではないでしょうか?

人は成長する過程で、自分を保護するため心にフィルターが作られるようですが、境界性パーソナリティ障害の方はこのフィルターを持ち合わせていないため、他人の些細なひと言で心の奥深くまで傷つき、自傷行為、攻撃的言動を引き起こしてしまうようです。普通であれば他人から非難されたとしても、『自分に必要なものだけ取り入れ、不必要なものは捨てる』ような聴き方をし、人の言うことの一つ一つを、真正面から受けることはしないものだと思います。他人の非難をいちいち100%真正面から受け止めていれば、毎日が息苦しく憂うつに感じることでしょう。ところが境界性パーソナリティ障害の方は、毎日をこのように感じているようです。他人の些細なひと言ひと言を、フィルターのない心で、真正面から受け止めるので、生きていけないと思うほどの恐怖を感じ、激しい行動化となって表れるようです。行動化が自傷行為となって自分自身を攻撃するか、他人に攻撃を向けるかは表面的な違いであって、自傷行為の有無が境界性パーソナリティ障害の基準とはならないという専門家もいます。高機能型の境界性パーソナリティ障害では自傷行為は全く見られず、反対に家族への強い攻撃性が特徴です。

境界性パーソナリティ障害の方の心の仕組みを理解するために、自分が持っている『当たり前なこと』『常識』『普通』を一旦脇に置いておく、或いは見直すという作業が必要みたいです。私が経験し身につけた『当たり前なこと』と妻が経験して身につけた『当たり前なこと』は根本的なところから違っているからです。心のフィルターを身につけて生きてきた私と、心のフィルターなしで生きてきた妻とでは、物事の見方が180度違っていて然るべきでしょう。もし、私が心の保護膜がない状態で成長してきたなら、『自分はいつも傷つけられてきた、騙されてきた、他人なんか絶対信用できない』という認識になってしまったでしょう。境界性パーソナリティ障害の方との会話は、あたかも『お互いが異なった外国語で話すように、話がかみ合わない』とも言われています。その理由の一つは、こうした認知の仕組みの違い、体験の違いに因るのでしょう。

では、心のフィルターを持ち合わせていない人は、未熟、未発達と言い切れるのかというと、そうも言えません。確かに社会生活を営む上では、不便なことが多いでしょうが、常に心を開き、物事を真摯に受け止める姿勢は、勇敢であり、賞賛に値するのではないでしょうか?心の病を背負う方の中には、人に深い感動を与える、詩、絵画、小説などを作る、優れた才能を持つ方が実際にいるのです。著名な心理学者、優れたセラピストの中には、ご自身が境界性パーソナリティ障害であった方が何人もいます。マーシャ・リネハン博士もその一人です。鋭い洞察力と傷つきやすさとは、表裏一体なのでしょう。仮にそのような才能に恵まれていなくとも、神様はあなたを愛し、今も尊い価値があると仰っています。それが聖書のメッセージで、私自身の存在理由でもあります。

性的関係への陥りやすさも、境界性パーソナリティ障害の特徴として語られることがありますが、むしろ内面に巣くう恒常的愛情飢餓、愛情をつなぎ止めるならどんなことでもやろうとする、強烈な見捨てられ不安こそが主訴であって、単に体の快感を求めているのではないと思います。妻と共に過ごした10年間に、確かに妻の不貞行為はありましたが、妻は好色で不貞をしたのではないと感じています。その当時は理解できませんでしたが、夫に理解されないことが死にたいほどい悲しく、誰かに自分を理解して欲しかったのだと思います。

結果的に自分が起こした破壊行動、攻撃性により人が自分から離れて行き、100%の羞恥心、100%の自己嫌悪、100%の自己否定などを心に刻み込んでいます。自分自身で痛いほど自分の惨めさが分かっているので、防衛機制として、うつ的傾向を表したり、嘘をついてまで自己保身したり、他人に自分の惨めさを投影しようとするのだと思います。

境界性パーソナリティ障害の方は、子ども時代に何らかの心の傷を受けている方が多いようです。その傷が癒されることなく、大人になっても引きずっています。もし、私が妻のような幼児期を過ごし、同じ心的外傷を受けていたなら、防衛機制として何らかの心の病気を発症したことでしょう。境界性パーソナリティ障害という病気を背負った方ご自身の落度で、この病気になった訳ではないのです。残念ながら、書籍、ウエブ・サイトでは、境界性パーソナリティ障害の特徴を揶揄するかのように奇抜に表現するものが見受けられますが、正しい見方ではないと思います。そのような誤解を招く表現は、境界性パーソナリティ障害を治療する上で建設的な力にはなりませんし、境界性パーソナリティ障害を背負う方、支えようと努力している家族、また社会にとっても有益ではありません。

私自身、妻との生活でうつ病にまで追い込まれ、愛する子どもたちとも別れることになり、つらい経験をした一人です。もし、あなたが私のような被害者だとお感じになるなら、境界性パーソナリティ障害を背負った方も、また被害者であることが理解できるはずです。自分が境界性パーソナリティ障害となることを選んだ人は、一人もいないからです。ご自身が経験された苦しみを仕返しするなら、された方もまた同じ苦しみを味わうことになるのです。怒りや復讐心で心が支配されている状態は、幸せから遠く離れていると気が付いてください。

「やられたら、やり返す」のが当たり前の文化では、愛すること、赦すこと、忍耐することに価値を見失いがちです。悲しいことに、人間には愛し、赦し、忍耐する力が欠けているようです。あなたが神様を知らなくても、神様はずっとあなたを愛し、赦し、忍耐を示してこられました。愛と知恵の源である父なる神様を仰ぎ、力を頂きましょう。


~英語圏でのパーソナリティ障害の定義~

英語圏ではどのようにパーソナリティ障害が定義されているか、日本語での定義の仕方との違いを比べてみました。以下の記事もご覧ください。

翻訳徒然草-2 

翻訳徒然草-3





イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」。
ヨハネによる福音書9章1~3節 口語訳

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