元妻は境界性パーソナリティ障害だったのだろうか

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(40)マーシャ・リネハン博士、闘病体験を公表 英字新聞より

2011年01月19日 | 境界性パーソナリティ障害
マーシャ・リネハン(Marsha M. Linehan )博士は『弁証法的行動療法』を確立したことで有名な方です。ニューヨーク・タイムズでは、『心理療法の権威、闘病体験を公表』との見出しを掲げていますが、NYT紙が記事として取り上げる前から、博士ご自身が、境界性パーソナリティ障害を抱えてこられたことは既に知られていました。NYT紙が、『公表』と表現しているのは、博士の病歴の公表に留まらず、博士がクリスチャンであるという信仰表明の側面があるようです。

精神医学は、フロイトの精神分析を機に大きく発展してきましたが、著名な研究者の中には、神への信仰を否定する人、信仰離脱を表明する方が少なくなかったのです。人の精神、内面の深さをを考察する時、信仰に立つ考え方をするのか、非信仰的な考え方をするのかで、解釈の仕方が分かれるようです。特に著名な学者の、信仰否定、信仰離脱は大きな影響がありました。こうした歴史的背景の中で、心理療法の権威でもあるリネハン博士が、クリスチャンであることを紙面で公表することは一大事です。この記事の最後の方で、博士の信仰体験が記述されており、ウエブ・サイトでは、その信仰体験を博士の肉声でも聴けるよう、動画まで用意されています。この記事には『赦し、信仰、希望、愛』といった言葉が使われていますが、この言葉は聖書のエッセンスとも言える言葉で、クリスチャンの方であればすぐにピンと来る言葉でしょう。

心の病気を抱える方、クリスチャンとして生きる方に励みとなる記事なので私訳させて頂きました。

英文は長文なので、掲載を割愛させていただきます。興味のある方は、リンク先のウエブ・サイトでご確認下さい。


リンク先
Expert on Mental Illness Reveals Her Own Fight




ニューヨーク・タイムズ
2011年6月23日発行

連載 いのちの回復

心理療法の権威、闘病体験を公表

ハートフォード・クリニック
『先生も私と同じ病気だったのですか?』

ある患者からこう尋ねられた。重篤な自殺企図のある患者に対する治療法を確立した、ワシントン大学のマーシャ・リネハン博士。その治療法は、世界中に伝えられた。博士の腕には、ケロイド状の火傷、細い傷跡、太い傷跡がかすかに残る。それを見て、喜びに目を輝かせる人、軽蔑の眼差しを向ける人、好奇の眼差しを向ける人たちがいた。何度も同じ質問を受けてきた。患者の問いかけを遮るように、博士お決まりの文言で質問を返す。



『私を診察してくださるのかしら?』
『そんなつもりじゃないんです』と、今春、診察に訪れた患者が答える。『もし先生に、私たち患者と同じ過去があったとしたら・・・多くの患者に、あふれるほどの希望を与えられると言いたかったんです』

『この患者さんは事実をいい当てています』そう話す博士は68歳を迎える。いのちの研究所での講演には、博士の旧友、家族、医師らが集まった。


博士はかつて、重篤なひきこもりと診断され、ハートフォード・クリニックで治療を受けた。17才であった。『自分の体験を公表して欲しいと何人もの方から要請されて来ました。私は、病気を抱える方に対する責務を感じています。それで公表を決意したのです。おじ惑ってはいられません』


訳注:いのちの研究所は、歴史ある精神病研究施設で診療も行う。のちにハートフォード大学附属病院に併合。ハートフォード・クリニックは、いのちの研究所の別称である。昔、患者として入院した場所で、博士は講演を行った。


普通の生活を送る人や、社会で成功をおさめる人の中に、重い精神病を抱える方がいるということはあまり知られていない。こうした事を本人は公表しないものだ。ビジネスマン、研究者、主婦など、みな慌ただしく日々を過ごす。普通の人でも耐えられないような、暗澹(あんたん)とした気分や、嵐のような妄想に耐えながら。

最近、自身の抱える病気を公表しようと決意する人が増えた。今がその時なのだと言う。必要最低限の治療しかおこなえないグループホーム。手厚い看護が必要な患者をすし詰めにした病院。犯罪に手を染める多くの患者。米国の精神病対策は混迷を極める。

また、恒常的自己嫌悪感といわれる症状は、自分は何をやっても駄目なんだという意識を植え付け、治療に向かう意欲までも奪う。希望の喪失。

『精神病に対する世間の誤解を一掃しなくてはならないと強く感じています。病気の正しい知識を示し、病気になったからと言って、苦痛に満ちた人生ではない、人生の脱線ではないと社会に示すのです』南カリフォルニア大学院法学科のエリン・サクス(Elyn R. Saks)教授はそう語る。著書『秩序の喪失 狂気の旅路』で統合失調症を抱える体験を綴った。『適切な治療支援さえ得られれば、私たちは充実した幸せな生活を営み、社会に貢献することもできるのです』

必要とされる治療支援とは、服薬、心理療法、日常の小さな努力の積み重ねだ。一番肝心なものは、揺るがない気持ちで自分の病魔を管理し続けることである。揺るぎなさを生む秘訣、それは身の周りにある。病苦を体験した方の言葉を借りるなら、愛情、赦し、神への信仰、生涯の友人だと言う。

ところでリネハン博士が抱えてきた病気、境界性パーソナリティ障害に関しては、決定的と言える治療法は未だ存在しない。博士は、慢性的に自殺を企てる患者を助けることに使命感を抱いてきた。慢性的な希死念慮は、境界性パーソナリティ障害でも見られる特徴で、不可解で激しい自傷行動が見られる。

『当時、自分が研究していたのは、自分自身の病気のことだとは本当に気が付いていませんでした』と博士は語る。『しかし、私が確立した心理療法は、長年自分自身が必要としていた治療法だということに間違いありません』




『連載 いのちの回復』は、重い精神病を抱えながらも普通に社会生活をしてきた方々を取り上げ、今まで公にされなかったご自身の闘病体験を紹介する。当記事はその連載第一回目にあたる。






『自分の体験を公表して欲しいと何人もの方から要請されて来ました。私は、病気を抱える方に対する責務を感じています。それで公表を決意しました。おじ惑ってはおれません』と、ワシントン大学の心理学者、マーシャ・リネハン博士は語る。





『地獄の苦しみ』

博士は、重篤な精神病がいかに惨憺たるものかよく知っている。隔離室の中、壁に激しく頭を打ち付ける患者。それはかつての博士の姿であるからだ。

1961年3月9日。マーシャはいのちの研究所に連れて来られ、すぐに一人部屋の隔離室に閉じ込められた。17歳。そこは重篤な患者が集められたトンプソン第二病棟。病院側はそうせざるを得なかった。マーシャの自傷行為は激しく、常習的で、たばこで手首を焼き、身の回りにある鋭利な物を見つけては、腕、脚、腹部を切りつけていたからだ。

隔離室は狭く、ベッド、椅子、鉄格子付の小さな窓があるだけで、そこにはもう凶器は無い。しかし、希死念慮が強まるマーシャは、力いっぱい自分の頭を壁や床に打ち付けた。当時、どうして自分がこんなことをするのか分からなかった。

『当時の自傷行為についてですが、私には実感がなく、自分ではない他人がやっているような感覚でした』それは『また始まる。自制できない。助けて。神様はどこにいるのよ』といった感覚だった。『おとぎ話のブリキ男みたいに、私の心は空っぽでした。自分の身に起こっていることをことばにすることも、理解することもできませんでした』

博士は、子どもの頃オクラホマ州タルサ市に住んでいた。そこでは病気の原因はほとんど見当たらない。子どもの頃から成績優秀で、ピアノの才能がある、6人きょうだいの3番目。父親は石油業で財を築く。母親は社交的で、子育て、上流階級での社交と慌ただしかった。




訳注:タルサ市は、現在人口39万人。油田があることから石油関連産業が盛んなことで知られる。




家族によると、そのころからマーシャは家庭内で問題を起こしていた。『私のきょうだいは、みな、しっかりしていて、人に好かれるタイプでしたが、それに対し自分は引け目を感じていました』と博士は心のうちを明かす。マーシャは高校三年の時、頭痛で寝たきりになるが、それほど苦しんでいたとは誰も気が付かなかった。

博士の妹アライン・ヘインズ氏(Aline Haynes)は次のように述べる。『この事は1960年代タルサ市にいた時のことですが、どうしてマーシャがこうなったのか、両親は皆目見当がつかなかったと思います。私たち家族は、精神病の知識を持っていませんでした』

その後、地元の精神科医に勧められ、病気の原因を突き止めるべく、いのちの研究所へ入院する。いのちの研究所では、医師らは統合失調症との診断を下し、ソラジン、リブリウムなどの強い薬を投与した。何時間にもわたるフロイト式の精神分析、体を拘束し、初回から14回もの電気けいれん療法、二回目は16回にも及んだとカルテに書かれている。治療効果は全く見られず、すぐに閉鎖病棟の隔離室に戻された。

『隔離室は患者にとって恐ろしいところなのです』患者仲間で親しい友人となった、セバン・フィッシャー(Sebern Fisher)氏は語る。隔離室という処遇にも関わらず『マーシャは積極的に他の患者の力になろうとするところがありました。あの熱意は、強い孤独感の裏返しでした』とフィッシャー氏は語る。

開示された記録によると、1963年5月31日『リネハンさんの入院生活は2年2か月に亘るが、これほどまでに荒れたことはかつてなく、入院患者の中でも際立つ』と書かれている。

問題児とされた当時、マーシャがしたためた詩がある。





ただ壁しかない部屋 私をそこに押し込み 

信じられないことに あの人たちは立ち去った

どこかに捨てられた 私の心

ここにあるのは もがれた手足




隔離室のマーシャは自分の頭を壁に打ち付けた。悲惨な光景は何度も繰り返された。何がマーシャをそうさせるのか、医師たちにも分からなかった。病院で行われる治療法は、かえって症状を悪化させるだけだった。『内実がともなう治療法とは、理論に基づくものではない。実態に基づかなくてはならない』との結論に博士は至る。繊細な感情が、思考へ影響を及ぼし、その結果悲惨な行動化となる。これが実態である。この悪循環を断ち切る治療法とは、新たな行動を身に付けさせることだ。

『地獄の苦しみでした』と博士は述べる。『もし自分が脱出できたら、必ず戻って来て他の患者を助け出すと心に誓ったのです』




訳注:博士の言う『地獄の苦しみ』とは何だったのか?病院生活のことだったのか、苦痛に満ちた治療法だったのか、病気の症状だったのか、どれか一つを特定してはいません。広範囲に解釈できます。『もし自分が脱出できたら・・・』という意味も、退院すること、ご自身の病気が治ること、新しい治療法を確立することなど色々な意味を含んでいるようです。

博士が入院生活を送った1960年代は、統合失調症の患者に対し行われていたロボトミー手術が中止に向かう過渡期で、博士が入院していた時期にその手術が継続されていたかどうかまでは未確認ですが、少なくとも、統合失調症と診断された博士にとって、病院の治療方法、処遇は、精神的負担の大きい治療環境であったことは、間違いないようです。いのちの研究所に、付属博物館があり精神病治療に関する資料が展示され、ロボトミー手術に関する展示もあるようです。

博士は明確に従来の治療法批判はしていませんが、『地獄の苦しみ』『もし自分が脱出できたら・・・』という言葉が、治療法について語る文脈のすぐあとに置かれています。また当時の辛い治療法や処遇といった時代背景を踏まえるなら、従来の治療法から脱却し、新たな治療法を確立するという意味合いが濃いように思います。

かつてご自身が入院生活を送った地で、弁証法的行動療法の確立者として講演を行ったことに、『必ず戻って来て他の患者を助け出す・・・』という誓いの実現が重なります。病気を抱える方、支えるご家族に希望となりますね。注釈が長くなり失礼しました。





『徹底的受容』

シカゴの小さなチャペルで祈っていた時、マーシャは神秘的体験をする。

1967年、20歳になっていた。症状の改善が見られない状態だったが、医師は、病院から出し社会で生きられるかどうかを試みることにした。その後マーシャは、かろうじてではあるが命をつないできた。タルサ市の実家に戻ったあと一度ならず自殺を企てた。その後立て直しを図りシカゴのYMCAに引っ越したが、再び自殺を図った。




訳注:YMCA(Young Men's Christian Association)は、聖書の信仰理念を背景に設立された地域密着型のサービス提供団体。フィットネス、就職支援、聖書学習、学童保育、学生寮の提供などをする。多くのボランティア・スタッフで運営が支えられ、米国内には約2,700か所ある。




マーシャは再び入院となり、混乱と孤独感にさいなまれた。一方、それまで以上にカトリックの信仰に篤くなった。マーシャはよそのYMCAに移り、保険会社の事務職にありつき、夜はロヨラ大学の夜間授業で学び始める。しばしば、セナクル黙想の家を訪れチャペルで祈りを捧げた。




訳注:ロヨラ大学は、カトリック系の私立大学。

訳注:セナクル黙想の家(Cenacle Retreat Center)は、祈り、修養会、会議などで使うカトリック教会が運営する施設。





『ある夜、チャペルでひざまずき十字架像を見上げていると、チャペル内が黄金に輝き始めました。自分に何かが起こりました』と博士は述べる。『輝きに包まれる経験をしました。自分の部屋に駆け戻り、何と私は『自分自身を愛してる』と言ったのです。忘れることはできません。自分のことを、自分自身だと言ったのはこの時が初めてです。私に変化が起きました』

この高揚感は一年ほど続いた。恋愛をし、その後失恋に至ると、再び破壊的衝動に駆られたが、それまでとは違い、自傷行為をせず混乱した気持ちを乗り越えた。




10代の時、リネハン博士を隔離室に閉じ込めた扉。隔離室は、その後、手狭ではあるが事務室として使われて来た。


一体、何が変わったのだろうか?

心理学を学んで数年後、自分が苦しんできた原因が分かった。その後1971年ロヨラ大学で博士号を取得。表面的であったにしろ、マーシャが自分自身を受け入れることができたことは想像に難くない。それまで自殺企図を繰り返してきた原因は、現実の自分と理想の自分との間にギャップがあり、それが自暴自棄、失望感をもたらしていたからだ。また、未だ見ぬ命の故郷を慕い求める、望郷の念。埋めることのできない溝、それが現実であった。

博士は最初、バッファロー市にある自殺防止クリニックで患者と向き合った。のちに、研究者として患者と向き合うことになる。こうして博士は『徹底的受容』の重要性を確信する。この理念は博士の治療法に活かされる。間違いなく、症状改善は可能だ。行動主義は、新しい研究分野である。患者に新たな行動を習得させ、変化した行動が、やがて情緒にも変化をもたらすと考える。認知のトップ・ダウン方式。




訳注:トップ・ダウン方式の解説を、Business dictionary.comより引用。
リンク先
http://www.businessdictionary.com/definition/top-down.html

5.思考に関する用法
認知処理を基礎にした概念。感知した外界情報は、秩序化や、認知解釈を経て理解に至るという考え。

5. Thinking: Conceptually based (cognitive) processing of sensory data that enables a person to understand his or her world through ordering and interpretation of sense impressions.

フロイトに始まる精神分析的アプローチが、効果を発揮するケースもありますが、境界性パーソナリティ障害の場合、患者に幼い頃の辛い体験を思い出させることは、パンドラの箱を開けてしまうようなもので、治療効果が表れるどころか、患者や治療現場に混乱をきたしてきたという過去があります。リネハン博士がいのちの研究所に入院し、症状悪化をさせた原因の一つに、フロイト式の精神分析を挙げています。精神分析は、患者の内面を掘り起し、症状改善を図る手法で、ボトム・アップ方式です。

重篤な境界性パーソナリティ障害の患者の場合、精神分析的アプローチが、うまく機能しなかったということから、それとは反対の行動主義的アプローチが注目されるようになりました。つまり、新しい行動の学習をさせ行動を変えることで、内面構築を促すという治療法で、これがトップ・ダウン方式ということのようです。

一般的にトップ・ダウン方式というと、会社を仕切る経営者が一方的に社員に指示、命令を下すといった、独善的イメージが付きまとうのですが、行動療法で使われる意味にはこうしたニュアンスはありません。

大まかなところはこうした意味でしょうが、正確さに欠けるかも知れません。その点ご容赦下さい。





ところで、自殺企図をする重篤な患者は、自分を変えようと努めても、なかなかうまく行かない。自分の行動が感覚に影響を与えている事を認識させる事が解決への道だ。希死念慮を抱かせるほど、患者の苦しみは重い。

『博士が患者に変化をもたらす様子を、間近で見てきました』とジェラルド・デビソン教授(Gerald C. Davison)は語る。デビソン教授は、1972年ストーニー・ブルック大学在籍時、リネハン博士を行動療法の博士研究員として採用した。デビソン教授は現在、心理学者として南カリフォルニア大学に在籍する。『患者さんの心は不安定です。患者さんにとって耳が痛い話をしながらも、患者さんを落胆させず、かえって意欲的に治療課題に取り組ませることが、リネハン博士にはできました』

臨床心理士といえども、症状改善や、自己認識を得させることをすぐにはできない。まして、神聖な光に包まれる体験であれば尚のことだ。ところで、今日リネハン博士は、治療法の根幹をなす、相反する二つの原理にたどり着いた。一つは、あるがままの現実を受け入れることで、現実は、理想とは違うということ。もう一つは、変化をさせるということだ。変化は一筋縄ではいかないが、それ故必要だとも言える。博士の治療理論が机上のものに過ぎないかどうかは、現実の世界で科学的検証という、ふるいに掛ければ明らかになる。その検証が行われた。




主よ。私は、あなたのさばきの正しいことと、あなたが真実をもって私を悩まされたこととを知っています。
詩篇119編75節 新改訳



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マーシャ・リネハン博士、闘病体験を公表-2









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