元妻は境界性パーソナリティ障害だったのだろうか

クリスチャン 聖書 心の病気 家族支援 翻訳 心理学 片親疎外 回復 ヘブライ語 進化 創造 サイレントベビー

(37)心理学-5 ストックホルム症候群

2011年01月19日 | 心理学


引用サイト
BBC NEWS What is Stockholm syndrome?
Counselling Resource Love and Stockholm Syndrome
stockholm syndrome resources
What is Stockholm Syndrome? (Mental Health Guru)
PATTY HEARST KIDNAPPING 


~ストックホルムで起きた銀行強盗~

1973年8月23日、あるストックホルムの銀行に機関銃で武装した二人の強盗が押し入ります。強盗の一人ヤンエリック・ウルソン(Jan-Erik Olsson)は、刑務所を脱走中の人物です。『さあ、祭りの始まりだ!』と叫ぶと機関銃を乱射しました。恐怖のあまり店内の銀行員は身動きできなくなります。人質は、4名の銀行員です。強盗は人質の体に爆薬を巻き付けると、金庫室に押し込みます。通報を受けた警察は現場に駆け付け、狙撃手を配置しました。



警察は突入を試みますが、人質たちは強盗の手下の様に警察に歯向かうのです。人質の不可解な行動に、警察は手を焼きます。8月28日人質は無事救出されますが、この時点でも、人質は警察に抵抗を試みています。自分たちは救出されたということが、分かっていなかったのです。

人質の奇妙な言動は続きます。ある人はテレビインタビューの中で犯人を擁護する発言をし、ある女性は強盗に恋し婚約します。ある女性は、強盗の弁護費用をまかなうための資金集めを始めたのです。こうした行動に、世間は驚かされました。



※婚約をしたというのは誤報であるという記事もあります。

ストックホルム症候群になった被害者は、支配者に親近感を感じたり忠実に従うようになります。このような現象が起こる仕組みは明らかではありませんが、いくつかの見かたがあります。

一つは、自分の生命を防衛するため、無意識のうちに、支配者とアタッチメント(心理的一体性)を形成するからではないかという見かたです。人質となった人は、心理的に大きなダメージを受け認知に混乱が生じています。こうした状況で、トイレを許された、食事を許された、犯人が決めたルール違反を大目にみてもらえたという経験をすると、自分は特別な恩恵(愛情)を受けているという錯覚を生じるのではないかと言う見かたです。

別の見かたは、認知に混乱が生じ、支配者の許可なく話すことができない、食事ができない、トイレに行けないという状況に置かれることで、認知の退行が起こり幼児化現象が起こるためではないかというものもあります。

ストックホルム症候群は、かかる人とかからない人がいます。別の銀行強盗事件では、警察の狙撃手が強盗を撃つと、被弾した強盗は床に倒れました。すると人質となっていた二人の女性が駆け寄り、倒れた強盗の腕を掴んで上体を起こし、狙撃手にとどめの銃弾を撃たせるようにしたということがありました。

FBI(アメリカ連邦捜査局)の報告では、スットクホルム症候群にかかるのは27%の人で、残る73%の人はかからないということです。こんにち、ストックホルム症候群は警察当局に周知されており、人質事件の交渉担当者は、人質を無事救出できるよう、ストックホルム症候群を念頭に置いた作戦が立てられています。



~テロ組織に拉致されたパトリシア・ハースト~

1974年、ロサンゼルスで19歳のハーストさん(Patricia Hearst)は、左翼組織シンビオネセ解放軍(Symbionese Liberation Army)に拉致されます。2か月の間目隠しされたまま暴行を受け、クローゼットに押し込められ、犯人から逃れられない状況におかれました。犯人は毎日ハーストさんに革命思想を吹込み、名前もタニアという新しい名前を与えます。洗脳状態に陥ったハーストさんは、組織の同士キュジョという男性と恋仲になり、積極的にテロ活動に加わるようになりました。

1974年ハイバーニア銀行の強盗団に加わると、ハーストさんは自分の声で犯行声明を録音し、録音テープをラジオ局に送り付けます。ハーストさんは、声明の中で革命組織の仲間を同士と呼び、革命を遂行するためには犯罪行為もやむを得ないと銀行強盗を正当化しました。



その後一味は逮捕され、ハーストさんは裁判で懲役7年の判決を受け服役しますが、服役2年目の1979年、カーター大統領の恩赦により釈放されました。



~誘拐され監禁生活を送ったドゥガードさん~

1991年、カリフォルニア州で誘拐事件が起こります。当時11歳の少女ドゥガード(Jaycee Lee Dugard)さんが、誘拐犯ガリード(Phillip Garrido)に連れ去られ、18年間の監禁生活を強いられました。犯人からレイプ被害も受けます。ドゥガードさんは2009年救出されますが、驚くことに、犯人は悪いことは何もしていないと擁護するのでした。



~家庭内でのストックホルム症候群~

ストックホルム症候群は、男女間での交際、家庭の中でも起こります。加害者となるのは、夫、妻、交際相手、父親、母親、目上の立場になる人など様々です。

ストックホルム症候群の方たちは支配されてる間、自分で自分の首を絞めるような行動を取るのですが、そのことに気がつきません。

日常的に暴力を受けてきた女性の場合、警官が加害者を捕まえに来ると、被害女性が逮捕の邪魔をする、刑事告訴を取り下げるよう働きかける、加害者の保釈を申請するなど、警察に対し非協力的な行動をすることがあります。

ストックホルム症候群が深刻になると『ひどいことをされてきたことは分かっていますが、彼に会いたい。帰ってきてほしいという気持ちになります。何故だか自分でも分かりませんが、今でも彼を愛しています』と、言う方もおられます。

『彼が新しい女性と付き合い、その女性にも暴力を振るっていると聞きました。ばかげているかも知れませんが、私はそのことに嫉妬を感じています』という方もおられます。

実際に、自分を虐待した加害者とよりを戻すこともあります。こうした行動は、被害者を助けようとしてきた人たちを困惑させます。

しかし、治療を受けストックホルム症候群から回復した方は『自分は何て愚かなことをやっていたのだろう』と、過去の自分を冷静に振り返ることができるようになります。



~ストックホルム症候群の要因と症状~

ストックホルム症候群を形成する要因には、次の4つが挙げられます。男女関係や人質事件で起こりやすいということが分かるでしょう。

・命の安全が脅かされるような状況に陥っている。もしくは、それに近い状況。
・時折、加害者から優しくされる。
・第三者の干渉を拒む、閉ざされた関係。
・支配者の元から脱出を望めない状況。


具体的には、以下の状況が挙げられます。

・虐待を受けた子ども
・家庭内暴力を受けた人
・戦時下の捕虜
・カルト宗教の信者
・近親姦の被害者
・犯罪で人質となった被害者
・強制収容所の収容者
・威圧的な態度で服従させられた人


研究者により意見の違いがあり、統一された見解ではありませんが、ストックホルム症候群にかかった人には、特徴的な以下の行動が見られます。

・被害者が加害者の考えや行動に同調する
・被害者が加害者に対し好意的な感情をいだく
・被害者が加害者を擁護する
・被害者が加害者の支配から脱出することを望まなくなる
・自分(被害者)を救出しようと働く人を敵視する
・加害者が被害者に対し好意をいだくようになる

ストックホルム症候群は、PTSD(心の傷によるストレス障害)とよく似ていて、解放されたあと、フラッシュバック体験、他者への不信、物事を楽しめなくなるといった症状が見られる場合もあります。



~聖書の中のストックホルム症候群?~

イスラエル民族はエジプトで400年の間奴隷生活を強いられますが、神さまはモーセを指導者として立て、エジプトから脱出し約束の地カナンに向かわせます。道中幾つもの危機に直面しますが、神さまの奇跡的な力によってのり越えて行きます。ところが、人々は『エジプトに戻りたい』といい、モーセを困らせます。エジプトでの奴隷生活は、多くのイスラエル人をストックホルム症候群に陥らせたのかもしれません???

モーセも気の毒な立場ではありますが、モーセ自身も神さまへ不満を言うようになり、信仰がぐらつく様が書かれています。不満と不信仰は伝染するようです。イスラエル民族の過ちは、現代に生きるクリスチャンへの教訓でもあります。

ストックホルム症候群を形成する要因
・命の安全が脅かされるような状況に陥っている。もしくは、それに近い状況。
・時折、加害者から優しくされる。
・第三者の干渉を拒む、閉ざされた関係。
・支配者の元から脱出を望めない状況。



民数記11:4~34 新共同訳

4)民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、イスラエルの人々も再び泣き言を言った。「誰か肉を食べさせてくれないものか。
5)エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。
6)今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない。」
7)マナは、コエンドロの種のようで、一見、琥珀の類のようであった。
8)民は歩き回って拾い集め、臼で粉にひくか、鉢ですりつぶし、鍋で煮て、菓子にした。それは、こくのあるクリームのような味であった。
9)夜、宿営に露が降りると、マナも降った。
10)モーセは、民がどの家族もそれぞれの天幕の入り口で泣き言を言っているのを聞いた。主が激しく憤られたので、モーセは苦しんだ。
11)モーセは主に言った。「あなたは、なぜ、僕を苦しめられるのですか。なぜわたしはあなたの恵みを得ることなく、この民すべてを重荷として負わされねばならないのですか。
12)わたしがこの民すべてをはらみ、わたしが彼らを生んだのでしょうか。あなたはわたしに、乳母が乳飲み子を抱くように彼らを胸に抱き、あなたが先祖に誓われた土地に連れて行けと言われます。
13)この民すべてに食べさせる肉をどこで見つければよいのでしょうか。彼らはわたしに泣き言を言い、肉を食べさせよと言うのです。
14)わたし一人では、とてもこの民すべてを負うことはできません。わたしには重すぎます。
15)どうしてもこのようになさりたいなら、どうかむしろ、殺してください。あなたの恵みを得ているのであれば、どうかわたしを苦しみに遭わせないでください。」
16)主はモーセに言われた。「イスラエルの長老たちのうちから、あなたが、民の長老およびその役人として認めうる者を七十人集め、臨在の幕屋に連れて来てあなたの傍らに立たせなさい。
17)わたしはそこに降って、あなたと語ろう。そして、あなたに授けてある霊の一部を取って、彼らに授ける。そうすれば、彼らは民の重荷をあなたと共に負うことができるようになり、あなたひとりで負うことはなくなる。
18)民に告げなさい。明日のために自分自身を聖別しなさい。あなたたちは肉を食べることができる。主の耳に達するほど、泣き言を言い、誰か肉を食べさせてくれないものか、エジプトでは幸せだったと訴えたから、主はあなたたちに肉をお与えになり、あなたたちは食べることができる。
19)あなたたちがそれを食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日ではない。
20)一か月に及び、ついにあなたたちの鼻から出るようになり、吐き気を催すほどになる。あなたたちは、あなたたちのうちにいます主を拒み、主の面前で、どうして我々はエジプトを出て来てしまったのか、と泣き言を言ったからだ。」
21)モーセは言った。「わたしの率いる民は男だけで六十万人います。それなのに、あなたは、『肉を彼らに与え、一か月の間食べさせよう』と言われます。
22)しかし、彼らのために羊や牛の群れを屠れば、足りるのでしょうか。海の魚を全部集めれば、足りるのでしょうか。」
23)主はモーセに言われた。「主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。」
24)モーセは出て行って、主の言葉を民に告げた。彼は民の長老の中から七十人を集め、幕屋の周りに立たせた。
25)主は雲のうちにあって降り、モーセに語られ、モーセに授けられている霊の一部を取って、七十人の長老にも授けられた。霊が彼らの上にとどまると、彼らは預言状態になったが、続くことはなかった。
26)宿営に残っていた人が二人あった。一人はエルダド、もう一人はメダドといい、長老の中に加えられていたが、まだ幕屋には出かけていなかった。霊が彼らの上にもとどまり、彼らは宿営で預言状態になった。
27)一人の若者がモーセのもとに走って行き、エルダドとメダドが宿営で預言状態になっていると告げた。
28)若いころからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアは、「わが主モーセよ、やめさせてください」と言った。
29)モーセは彼に言った。「あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか。わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」
30)モーセはイスラエルの長老と共に宿営に引き揚げた。
31)さて、主のもとから風が出て、海の方からうずらを吹き寄せ、宿営の近くに落とした。うずらは、宿営の周囲、縦横それぞれ一日の道のりの範囲にわたって、地上二アンマほどの高さに積もった。
32)民は出て行って、終日終夜、そして翌日も、うずらを集め、少ない者でも十ホメルは集めた。そして、宿営の周りに広げておいた。
33)肉がまだ歯の間にあって、かみ切られないうちに、主は民に対して憤りを発し、激しい疫病で民を打たれた。
34)そのためその場所は、キブロト・ハタアワ(貪欲の墓)と呼ばれている。貪欲な人々をそこに葬ったからである。






コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。