元妻は境界性パーソナリティ障害だったのだろうか

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(11)ごあいさつ

2013年09月11日 | ごあいさつ、目次


~ごあいさつ~

はじめまして。「ぶどうの木」のブログにお越しいただきありがとうございます。

「境界性パーソナリティ障害」についてのホームページ、ブログ、質問は最近かなり増えたようですね。私自身このキーワードで検索を始めて数年が経ちました。

ホームページやブログには、お医者さんの立場から書かれた専門的なもの、境界性パーソナリティ障害という病気を抱えるご自身が書かれたもの、境界性パーソナリティ障害の方を支える立場で書かれたものなど多くのものがあります。今までそれらのものから多くの有益な情報をいただいてきたことに、深く感謝を申し上げたいと思います。

この私のブログは、境界性パーソナリティ障害を持つ妻の夫として、今まで聖書のみことばで支えられてきたこと、考えを深められたことを分かち合いたいとの思いから作りました。

現在、私自身別居中で家庭が壊れ悲しみの中にある状態です。まだ問題から脱出できた訳ではありません。悲しみの中にはいますが、なおも希望と導きを与え続けてくださる神様に感謝をしています。
このブログを見ていただいた方が、いくらかでも慰めや励ましを感じていただければ幸いです。

『私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。』
コリント人への手紙 第二 1章3~5節


~ブログ立ち上げから一年が過ぎて~

このブログは『妻に境界性パーソナリティ障害があるのではなかろうか』という疑念を抱いた経緯について、伴侶の立場から記述させていただきました。私のように伴侶の立場で苦しんでおられる方が、手がかりとなる情報を得て、一日でも早くサポートを受けることができればと願ってきました。

このブログを訪れた方には、ご自身が境界性パーソナリティ障害を抱えておられる方、あるいはそのご家族、恋人、友人関係にある方がいらっしゃるでしょう。家族といっても、私のような伴侶の関係にある方、親としての間柄にある方がおられます。このブログの情報が、どのような立場の方にとってもお役に立っていただきたい気持ちはありますが、現実はそうでもないようです。現在ご自身が治療中の方、あるいは、そのご家族の方の場合、医師(カウンセラー)の語ることを第一優先に聞いていただきたいと思います。このブログが、治療の妨げとなる情報を与えてはいないかと案じています。治療が継続できること、治療目標を達成できることを何よりもお祈りいたします。

境界性パーソナリティ障害に関するウエブ・サイトは日に日に増えています。誰でも簡単にサイトを作ることができ、また多くのサイトから情報を得ることができるようになりました。中には、境界性パーソナリティ障害に誤解や、悪いイメージを与えるサイトもあると私は感じています。自戒を含めてですが、このブログも含めて、情報の有用性についてはご検討いただきたいと思います。

今まで私が記述したものが不適切な表現となっていないか、これまでの記事を振り返り、検証させていただきたいと思います。翻訳で自信のない個所についてはネィティブのアドバイスを受け、誤訳のないように努めたつもりですが、更なる検証をし正確を期したいと思います。変更する内容が大きく変わる場合は、『記事の更新』でその旨お知らせさせていただきます。

このブログでは、これまで『境界性人格障害』と表記してきましたが、この機会に『境界性パーソナリティ障害』と改めさせていただきます。『人格障害』という言葉には、この病気を抱える方を中傷するニュアンスを感じるからです。その理由についいては、『翻訳徒然草-2 パーソナリティ障害 英語での定義』に書かせていただきましたので、ご参照ください。ブログには一括変換の機能がないようなので、全記事の訂正には時間が掛かりそうです。ご了承ください。

私ごとで恐縮ですが、新しい記事の作成に、なかなか時間を割けなくなってきました。今後、新しい記事の更新ができるまで、しばらく時間が空くことと思います。ご了承ください。

心の病気に対する誤解や悪いイメージがなくなること、病気を抱えるご本人、サポートをするご家族、コメントをくださった方々に、いのちと希望が与えられることをお祈りいたします。


~記事の大幅な削除を検討中~

良い報告をさせていただきます。僅かですが、今まで別居という状況が続いてきましたが、和解に向け前向きに検討したいという態度が妻に表れてきました。子どもたちは、今多感な時期を過ごしています。子どもの心の成長を守るということは、私と妻の共通の認識のはずです。このことを糸口に、妻とのコミュニケーションを図って行こうと思います。

近い将来、妻が自分自身と向き合うことができ治療支援に結びつくことを願っています。妻本人がネット検索をした時に、このブログを見ることも考えられるので、本人を特定させる内容の文面について、大幅な削除を検討しています(2012年5月関係する記事を削除)。その前に、私の友人、知人、このブログを訪れていただいた方、私たち家族のためお祈り頂いた方に感謝とともにお知らせをさせていただきます。

最近まで私は、子どもたちの心の成長をどうやって守るかということで頭が一杯でした。『子どもたちは妻と暮らすのが幸せか、私と暮らすことが幸せか』といったことを何度も考えたものです。こうした二者択一的考えは思考の退行だと思います。私は裁判(あっせん、調停も含めて)で監護権を争ってはいませんが、現在係争中の方、これから司法の場で戦おうとお考えの方もおられるかも知れません。私の場合、そうした監護権争奪をしなくて良かったと、今思っています。以前は、子どもの幸せを願うからこそ、引き取って育てた方がいいのではないかと思っていましたが、こうした考えは子どもたちの本心とは違っていました。大人の視点でしか物事が考えられず、子どもの視点から物事を考えることができていませんでした。子どもたちは『お父さんとお母さんと自分が仲良く暮らせる家庭が戻ること』を一番望んでいました。

発達心理学では、両親の不仲や離婚が子どもの心に深い傷を与え、子どもが自分の存在を肯定できなくなったり、アイデンティティの未発達さを招き、複雑性PTSDの要因となると警告されています。今、子どもたちは妻と一緒に暮らしているので、子どもの心の成長を守るということは、妻の心の安定を抜きにはできません。妻の心を不安定にさせると言動が乱れ、同居する子どもたちへの悪影響が懸念されます。妻の心の不安定は、子どもの心の不安定につながり、妻の心の安定は、子どもの心の安定につながります。子どもの心の成長を守るためには、妻の心の安定が不可欠だと分かりました。これは、別居が続く状況であってもそうですが、夫婦が和解でき家庭の統合が果たせた場合でも同じことです。もし、私と同じ状況で苦しんでおられる方がいらしたら、監護権の争いといったことから一旦頭を切り替え、奥様(あるいは旦那様)の心を如何に安定させるかといったことに目を向けてはいかがでしょうか。それが、お子さまの心の成長を守ることになると思うからです。もし、ご自身がうつ病となってしまった場合『大きな決断は避けること』が大切です。苦悩から解放されたくて、手っ取り早く問題を解決しようとする傾向があり、自分では考え抜いたつもりでも、客観的に見れば思考が十分働いていないということがあるからです。

私自身、うつ病、別居といったつらい経験をしてきました。自分の考えや行動にブレーキをかけ、踏みとどまったり、待つということは、誰しも抵抗があるものです。父なる神様は、忍耐力のない私に待つ力を与え、将来の見通しがない状況でも希望を与えてくださっています。父なる神様の元に帰り、命と希望を得てくださることをお勧めいたします。

境界性パーソナリティ障害を学び、妻の立場に自分の身を置いて考えた場合、妻の認知や行動に合理性があることが分かりました。最近は、妻へいたわりの気持ちを持てるようになりました。大きく変わったのは、私自身です。神様は私が成長できるよう、別居の時を与えられたようです。BPDFamily(家族への支援を行っている支援機関)では、家族へのアドバイスとして『境界性パーソナリティ障害を抱える本人の行動や認識を変えようとするのではなく、家族自身の行動や認識を変える』ことをアドバイスしています。自分の認識や行動を変えるといっても、簡単にできることではありませんが、ご家族の対応が変わるなら、必ず奥様(あるいは旦那様)の対応も変わります。境界性パーソナリティ障害の方は、周囲の環境に左右されやすい、人一倍強く影響されやすいという特徴があるからでしょう。

また、BPDFamilyでは『同居するご家族のメンタル・サポート(精神的ケア)も必ず取り付けておくこと』がアドバイスされています。支援するご家族は長距離マラソンの伴走者のような存在ではないでしょうか。ゴールを目指し、自分の力で走るのは、境界性パーソナリティ障害を抱えたご本人です。家族はわき役ですが、伴走者としてランナーと同じ時間、同じ距離を走る覚悟は必要でしょう。肉体的に精神的に良いコンディションの維持なしに伴走は務まりません。

私は、現在服薬はしていませんが、うつの兆候は時々起ります。体力には自信があり、毎年の健康診断でも全く問題がなかったのですが、ここ数年心臓に問題があると診断されています。心の病気と自律神経系の病気とは関連があるようですね。精神的ダメージはやがて、肉体的ダメージとなって表面化します。自分自身の精神的ケアを専門家に依頼しなかった悪い手本として教訓を得て下さい。支援するご家族もためらうことなく医師やカウンセラーにかかり、専門家の支援を得てください。ゴールを目指しましょう。


~このブログにお越しいただいたクリスチャンの方へ~

どうぞお祈りください。私一人の力ではこの働きは担いきれないことでしょう。

「心の痛みを覚えてこのブログに来ていただいた方に、今も生きておられる神様が慰めを与えてくださるように」

「この働きを通して救い主イエス・キリストの救いにあずかる方が起こされますように」

そして

「私ども夫婦が和解できるまで、主が私を妻を子どもたちを守り導いてくださるように」お祈りください。


『香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。』
ヨハネの黙示録8章4節


~プロフィール~


・ぶどうの木(ハンドルネーム)

『わたし(イエス・キリスト)にとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。』
ヨハネの福音書 15章4~5節


・別居中の妻と子どもたちがいます

・プロテスタントの教会に所属
 教会では新改訳聖書を使用
 エホバの証人(ものみの塔)、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)、統一教会ではありません


記事の文章の引用、コピーについて

このブログの記事の引用、コピーをして使っていただいても結構です。著作権のようなものは主張しません。ただ、このブログが引用元だと分かるよう『ブログのURLやタイトルを付記』してほしいと思います。引用する際、事前承諾は取らないで結構です。事後でもいいので、連絡をいただけるとありがたく思います。特にこだわりはないですが、写真については、コピー、転載はしないということにしておきましょう。






10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
質問 (ななし)
2014-02-15 22:31:10
ブログ拝見しました。私は産後実家から戻らず、あることないことウソをついて、最後は弁護士を立てて離婚を求め、結局、子供が2,5才の時に離婚しました。子供には数日間しか会ってないです。
ところで、奥様が前向きになってきたと書いていますが、きっかけは何かあったのですか。
何かあれば、教えて貰えると有りがたく思います。また、情勢は何か変わりましたか。

よろしくお願いいたします。
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ななし様 (ぶどうの木)
2014-02-16 22:04:37
どう答えて良いのか、ななし様の聞きたいことにうまく答えられるかどうか分かりませんが、別居が始まった当時と、現在の妻の様子は確かに違います。

別居が始まった当時は、常に感情が高ぶった状態でした。話し合おうにも、全く話し合いになりませんでした。そんな状態が、長い間続きました。現在は、短い時間ですが、心を落ち着け、面と向かって話すことができます。娘に関する内容であれば、夫婦間で話すことができます。しかし夫婦間の問題については、まだ無理のようです。

妻は、不安な表情を見せることが多いのですが、今日などは笑顔を見せていました。これからも時間はかかるでしょうが、良い関係を築いていきたいと思います。

きっかけが何かと聞かれても、あるようで、ないようなものです。あるとするなら、7年以上、関わりを切らずに続けてきたことだと思います。今までそうすることができたのは、私に必要な知恵と力を与えてくださった神がいたからです。これからも神を信頼し、従っていこうと思います。揺るがない気持ちで、見守るといった関わり方が大切だと思います。

今日、娘に会ってきたのですが、娘の笑顔、飾らないありのままの態度、思いやりのある言葉に接することができました。今まで過ごしてきた時間が、実になっていると感じましたよ。
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私の妻もBPDで、私もプロテスタントです (しゅう)
2014-05-17 00:46:14
ぶどうの木 兄

境界性パーソナリティー障害で検索して、貴サイトの高機能境界性パーソナリティ障害へたどり着き拝読させていただきました。

まず、タイトルを見て、ぶどうの木兄と私の境遇が非常に似ているので驚きと同時に親しみを覚えました。

私も妻もプロテスタントのクリスチャンで、妻は軽度のBPDだと思います。高機能境界性パーソナリティー障害という言葉は初めて知りましたが、妻は100%該当します。ただ、ひとつ違うのが結婚前に一度だけ自殺未遂があります。

妻は香港人で、現在家族4人で香港に住んでいます。正確にいうと香港に住む予定ではなかったのですが、妻のBPDのおかげで香港に住むことになってしまいました。

妻との結婚前、結婚直後は、妻は非常に魅力的で私をたよりにしてくれていました。今考えれば、私を理想化していました。それが、私の欠点を見つけると(正確にいうと、自分が気に入らない点を見つけると)、価値下げが始まりました。それまで、私は100点の夫だったのに、0点を通り越してマイナス100点になりました。

毎晩のように「あなたのせいで傷ついてついている。」と責められました。そのときは、BPDということは知らなかったので、すべて私のせいと受けとめ、私は妻を傷つけているダメな亭主だと洗脳されていきました。

その当時は日本に住んでいて、夏休みなど子供が長期休暇のときに香港に数週間滞在していました。香港では、私は日本人の教会へ行き、妻は香港人の教会へ行きます。

日本人の教会の牧師が心理学の博士号を持っていて、2年前の春休みに、その牧師に、私のダメ亭主のことを相談にしてところ、妻は子供の時に家庭環境が不遇だったので、妻の母親に対する怒りを夫に投影していると言われました。

その年の夏休みに香港滞在中に大事件が起きました。ほんの些細なことで、また妻は私を責めたてので、そのときは私も切れて、捨て台詞を言って家出をしてしまいした。それを機に、「もう日本には戻りたくない。香港に住む。こどもの学校も香港で探す。」ということになってしまいました。

私が家出から戻ってきたら地獄の毎日でした。寝ているとき以外は責められっぱなしでした。睡眠時間4時間程度で(現在もそうですが)、拷問でした。そのときは、私は精神的にまいってしまい、死んだ方が楽だろうなと思ったこともありました。

私が家出したのが金曜で、日曜日には、一人で日本人教会へ行きました。その日の礼拝は日本人教会の牧師ではなく、沖縄の教会の牧師が礼拝をおこないました。その礼拝の聖句が、ローマ書5章3節「そればかりではなく、苦難も誇りにします。私たちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むをいうことを。希望は私たちを欺くことがありません」でした。それ以外にも、家出中には奇跡がありましたが、長くなるので割愛します。

その後、ネットや本で怒りについて、いろいろ調べた結果、境界性パーソナリティー障害ということを知り、さらに詳しく調べると、妻はDMSの基準で7つ程度該当しました。牧師に、妻はBPDではないかと聞いたところ、牧師は前からそう思っていたが自殺企図がないから言わなかったとのことでした。。そこで、私は牧師に、妻は結婚前に自殺未遂があると伝えると、たぶん妻はBPDだと思うとの回答でした。

その後、妻は教会が催する、心に傷を持った人のセミナーに半年ほど通い、妻の精神状態は少しは改善されて、地獄は毎日ではなくなりましたが、現在でも気に食わないことはすべて私のせいになることがあります。一番困っているのが、妻が怒っているときに、私がそれを治せないのは、私のせいと言って、もっと怒ることです。

BPDを研究する前は、とにかく妻を怒らせないようにと、召使のようなことをしていました。今でもそうですが、牧師の話を聞いたり本を読んだりしたら、バウンダリーを引かなくては関係は改善しないと聞きました。バウンダリーを引き始めると、そのときは妻は怒り関係は悪化するが、それをしないと共依存のままだということは理解できるのですが、怖くてできません。

私の妻は、自分がBPDだと思っていませ。正確にいうとBPDをいう言葉さえ知らないはずです。

差支えなかったら教えてほしいのですが、奥さまはご自分がBPDと自覚なさっているのでしょうか。もしも、自覚なさっているのであれば、それはどうやってわかったのでしょうか。

また、今後もいろいろなことを分かち合いをさせていただいてもいいでしょうか。

主にありて。

しゅう
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しゅう様 (ぶどうの木)
2014-05-17 05:59:35
コメントをいただき、ありがとうございます。プライバシーの都合上、妻とのやりとりなど詳しいことはコメント欄で公開できないので・・・お手数ですが『メッセージを送る』からメールを送信していただくとありがたいです。

パソコンでご覧いただいている場合『メッセージを送る』は、ブログ画面の左側、タテ一列に並んでるコマンド・バーの中にあります。スマホ専用画面では見えないかもしれません? 送信していただく場合、こちらから返信をするので、メールアドレスを教えてください。『メッセージを送る』からいただいた内容は、公開されることはありません。

しゅう兄に祝福がございますように。
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はじめまして。ハイジと言います。 (ハイジ)
2015-05-07 12:59:17
こちらで大変参考になるお話をたくさん目にしました。マーシャ・リネハン博士の書物の翻訳など、素晴らしいの一言です。

私は去年、25才の息子を亡くしました。息子のことを振り返り、境界性パーソナリティ障害に行きつきました。
そして、境界性パーソナリティ障害及びパーソナリティ障害全体のことを、多くの方々に知ってもらい、自殺という悲劇をなくしたいとの強い思いから、自分のブログ内でサイトの紹介をしています。

こちらの内容があまりに素晴らしかったので、私のブログ内で一番最初に張り付けてしまいました。
まずは記事を書かれている方に了解を得ることが先でしたのに、大変申し訳ありませんでした。
返信する
ハイジさま (ぶどうの木)
2015-05-11 23:04:45
ご丁寧に連絡をいただき、ありがとうございます。

実は、私のきょうだいも自殺で亡くなっています。『なぜなんだろう?』という自問自答はずっと続いています。

ハイジさま、ご家族になぐさめと祝福があたえられますよう、お祈りいたします。
返信する
お返事ありがとうございます (ハイジ)
2015-05-21 14:51:27
先日はお返事をくださり、ありがとうございました。

"ぶどうの木"さまの投稿はとてもわかりやすく、有益な情報がたくさん掲載されていると感じました。
単なる情報サイトとは違い、書いてある内容に共感することができます。今現在、同じようにつらい思いをされている方であれば、励まされたり、勇気づけられると思います。

そしてそれは、"ぶどうの木"さま自身が多くの困難を体験され、傷付きながら、もがきながら前に進んできた方であるからだろうと思います。

私は、こちらのブログを拝見していて、"ぶどうの木"さまの温かい思いやりの心と、使命に燃える強い志を感じました。

こちらを訪問したことで、マーシャ・リネハン博士の存在を知ることができ、"弁証法的行動療法"という治療法が存在することを知りました。

治療法が存在することは、今現在、境界性パーソナリティ障害の症状で苦しんでいる方にとっても、パートナーや家族、知人、友人が境界性パーソナリティ障害の症状を持つことで苦しんでいる方にとっても大きな希望だと思います。

このような素晴らしい内容のブログを、より多くの方々に紹介したいです。
返信する
ハイジさま (ぶどうの木)
2015-05-23 05:06:21
励ましのおこととばを頂き、ありがとうございます。勇気づけられました。

『香油と香料は心を喜ばせ、友の慰めはたましいを力づける』と聖書に書かれていますが、ハイジさまの辛いご経験は、同じ苦しみを持つ多くの人に希望を与える働きをすることに生かされることと信じます。

ハイジさまとご家族が、豊かに祝福されますようお祈り申し上げます。

返信する
同じ状況 (Joyful40ti)
2016-02-12 20:23:39
ぶどうの木 さま、
片親疎外や引き離し の現状をネットで調べていて
このブログにたどり着きました。
ぶどうの木 さまと同じ状況です。
痛いほどお気持ち 理解できます。

私の場合は 夫が娘を連れて出て行ってしまいました。
突然引っ越し屋さんが来て家財道具を全て持って行き、家も売却するから早く出て行け...と。
金銭も、全て夫が管理していたので、ほぼ無一文になりました。

カウンセリングには 3年ほど前から通い、家族が仲良くできるように 努力したのですがダメでした。

以前から通っていたクリスチャンカウンセリングのカウンセラーが弁護士を探してくださり、娘のために面会交流の申し立てをして、娘を救いましょう、ということで申し立てをしました。
面会交流の調停を申し立て3回目の調停を終えたところです。
彼らが出て行き既に8ヶ月。全く会うことさえ許されてない状況。
娘には拒絶されて、なぜか 私に対して恐怖さえ覚えているようです。連絡をしてくるな、というメールを返信してきます。
とっても大切に育ててきたのに。
悲しくて辛くて死ぬことを日々考えてしまいますが、クリスチャンの姉妹たちに励まされて 娘のために生きてます。

辛い体験をブログでシェアしてくださって ありがとうございます。
勉強になります。
ありがとうございます。
返信する
Joyful40tiさま (ぶどうの木)
2016-02-14 04:41:37
コメントをいただきありがとうございます。

うちの娘たちも、私を恐れている様子を見せたり、会うことを躊躇しているということがあり、それが強く表れたり弱くなったりしています。

Joyful40tiさんがご自身を振り返り、お子さんから怖がられるような行動を取っていないのであれば、お子さんの反応に一喜一憂する必要はないと思います。

裁判所のあっせんや調停、面会交流を仲介する団体がありますが、私の場合、こうした手続きを取ることはしませんでした。経済的に余裕がないこともありますが、連れ去り別居の場合、連れ去った側が有利に扱われ、そうでない側が不利な扱いを受けることが多いようだと感じたからです。

子どもを虐待するような親であれば、親子を引き離すことも必要でしょうが、日本の司法は連れ去り別居をする側に監護権を与える判例が圧倒的に多く、連れ去る側を正当化するということになっています。

社会秩序を実現するべき司法が、かえって、不正な行為を後押ししていることに疑問を感じ、不信感を抱いています。

参考になるかどうか分かりませんが、私の場合、毎回ではありませんが、学校の授業参観に行くようにしています。現在はそこでしか娘たちの様子を見ることができません。参観が終わったあと、娘たちに『今日、お話しする時間あるかな?』と声をかけても『分からない』とはぐらかし、長いこと会うことを拒まれます。しかし娘たちの表情、何気ないしぐさ、学校で書かれた作文を見ると、私のことを心底嫌っているのではないことや、心で葛藤をしていることが分かります。

子どもは自分の全存在を同居親に依存しているのですから、同居親に同調した行動を取るのは仕方ないことです。

別居親が授業参観に行くことは、教育委員会や校長から嫌がられることがあります。余計な問題には関わりたくないといった反応です。教育委員会や校長のもとに何度も通い、やっとのことで授業参観に参加できるようになりました。地域によって違いがあるかも知れませんが、私のところでは簡単なことではありませんでした。ですから、学校では礼儀正しく振る舞い、どんな些細なもめごとも起こさないよう気をつけています。現在は、授業参観が、娘たちの様子を見る唯一の場所になっています。

手紙も自由にやり取りできたらいいのですが、そうも行きません。あまりしつこく手紙を出すと、ストーカー呼ばわりされかねません。年に1回程度ですが、何かの機会に手紙を出しています。手紙は妻も目を通すでしょうから、読まれてクレームを言われるようなことは書かないよう気をつけています。

私は家族が仲良く一緒に暮らせることを望んではいますが、どうなるかは分かりません。今の状態が良いことだとは思いませんが、最終的に娘たちが立派に育ってくれたらそれで良いと思います。今娘たちは妻と暮らしながら成長しているのですから、この状況で娘たちの成長に必要な支援をしよう、できることをしようと考えています。

Joyful40tiさまは、自分のエネルギーをすべて面会交流や監護権のことに費やされていませんか?自分の思い通りにならないことが多々あると思いますが、見方を変えれば娘さんの成長を守るため、できることがまだあるかも知れません。確実にできることから始めてはいかがでしょうか?面会交流や監護権といったことは、お子さんと関わる一つの手段でしかないはずです。

別居や離婚に至った場合、どちらの親も、子どもに分かるように説明と謝罪をする責任があると思います。なぜ別居になったのか、その原因や過程を理解することは、親自身にとっても簡単なことではないと思います。自分の頭を整理するという目的もあって、このブログを書いています。

聖書の創世記に次のようなことが書かれています。

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創世記 2~3章抜粋 新共同訳

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。

主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。

主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。

主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」

女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」

蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」

女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。

二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、

主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」

彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」

神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」

アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」

主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」

主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前はあらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。

お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。」

神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め彼はお前を支配する。」

神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。

お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる
野の草を食べようとするお前に。

お前は顔に汗を流してパンを得る
土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」

アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。

主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。

主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。

こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。

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エデンの園には、特別な木が二本植えられていました。命の木と、善悪を知る知識の木です。目の前に命の木があるにも関わらず、死に至る知識の木の方が好ましく見えるというのは、人間の本質のようです。

人が命に至る道はイエス・キリスト以外にはないと聖書に書いてあります。いつの時代も、イエス・キリストという命の木をかえりみる人は少なく、人はもっともらしい知識の木の虜になってきました。

どうか私たちの父である神さまを求めてください。希望も知恵もいのちも与えてくださるお方です。

Joyful40tiさまに、信頼できるクリスチャンの友人が与えられることを祈らせていただきます。

私はエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教会(末日聖徒イエス・キリスト教会)、統一教会(世界基督教統一神霊協会)とは関わりありません。
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