元妻は境界性パーソナリティ障害だったのだろうか

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(50)妻の育った家庭環境

2011年01月19日 | 境界性パーソナリティ障害


~家庭の緊張~

不遇な家庭環境が即病気につながる訳ではないのですが、それでも大きな誘発要因と考えられています。妻のお父さんはお酒の好きな方で、アルコール依存でした。「自分のおやじも、のん兵衛だった」と仰っていました。お父さんは几帳面、生真面目で、神経質な方でした。暴力を振るうまでの様子はないのですが、常に攻撃的な言葉遣いをする方で、近所の住人と口論をしたり、自宅に来た営業マンに、長い時間絡むという事もありました。ですから、友だちがいない方でした。お父さんは、私がクリスチャンだと知ると大声で議論をけしかける事もありました。瞳が特徴的で、強い恐怖を訴えるような、常にカッと見開いた目をしてる方でした。心に恐怖を抱えている目つきでした。

ご両親は日常的に、大声で夫婦げんかをしていました。お母さんはニコニコしていたかと思うと、突然、大声で怒鳴るような、感情が極端に振れる方でした。大人の私でさえ、こうした大声を聞くと心臓が縮み上がります。幼い子どもであれば、もっと怯えたに違いありません。自分の子どもに対しても、些細な事で感情を荒げ、家庭の中で子どもの情緒は安定しなかったはずです。ある調査では、親の離婚や別居といった事よりも、こうした家庭の不和、緊張が子どもの心の発達に強い悪影響を与えると言われています。

ご両親とも、支配的なところがあり、自分の意見を押し付ける言い方をする方でした。大人の私でさえ、妻の実家にいると息苦しさを感じました。


~曖昧な自・他の垣根~

お父さん、お母さん共に、自・他の垣根(バウンダリー)の曖昧さが感じられました。悪い意味で心に垣根をめぐらすという事ではなく、健全な意味で、自分と他人の住み分けをするという意味です。

私はお母さんからの依頼で、買い物に行く事が何度かありました。ある時、買い物袋の中にレシートを入れたまま、買ってきた物を渡したのです。私に他意はなかったのですが、お母さんは買い物袋の中からレシートが出てくると不機嫌になり「何ですかこれは?」と私を睨みつけるのでした。実家で食事をご馳走になる事もあったので、これくらいの出費は私が払っても構わないと思い、お母さんたちの飲むお酒代までも私が払ってきました。たまたまレシートが買い物袋に入っていたのが、お母さんへの当て付けだと感じたようです。ご自分の家計と、私たち夫婦の家計の垣根が曖昧なのです。

このように、ご両親についてバウンダリーの曖昧さを感じるのでした。マナーや経済観念が問題だと言っているのではありません。このバウンダリーが不明瞭だと、自分の考えを、人に押し付けたり、独立した存在として子どもを捉えられない為、支配的に扱ってしまう事が起きます。深いところに問題を抱えていることを指摘したいのです。


~忙しいお母さん~

お母さんは、パート仕事をいくつか掛け持ちしています。仕事の後は、趣味のサークル、パチンコと、外に出ているのが好きな方でした。特にこの事が際立って悪い事ではないのですが、とにかく忙しい方なのです。忙しいと気持ちに余裕がなくなります。果たして余裕を持って、子どもと接する事ができたのだろうかと考えてしまうのです。

私たちの別居が始まったあとの事ですが、長い間、妻と子どもたちは実家に居候していました。妻と話し合おうにも、妻は感情が高ぶって話し合いになりません。時々お母さんに「妻は最近どんな様子ですか?落ち着いていますか?」と尋ねるのですが「忙しいから様子は見ていない。全然話もしていない」と仰るのでした。ほぼ一年間、同じ答えしか返ってきませんでした。勿論お母さんも、別居になった事は気にかけていましたが、お母さんは娘と関わる事を避けているところがありました。

お母さんは幼かった頃、家が貧しかった事に劣等感を持ち、大人になってお金を持つ事が夢だったと仰っていました。そのためにパートを掛け持ちし、パチンコでお金を使い、高価な衣装、貴金属を身に付け、毎日の食材も高価なものを揃えていました。こうした事が生きがいとなっている場合、家庭での家事、育児は、自己実現の足を引っ張るものに感じていたのかも知れません。子どもは親がどういう気持ちで自分と接しているかを、敏感に感じていたはずです。


~都市部の家族~

古いステレオタイプな家庭観だと笑われそうですが、学ぶところがあると思います。一昔前まで、お母さんは家事と育児を担当し、お父さんが外で仕事をしていました。その頃の、お母さんが暇だったとは言いませんが、今よりは余裕があったと思います。お父さんがきつく子どもを叱っても、お母さんは子供を慰め、優しく諭すといった、暗黙の夫婦の役割分担があり、家庭の中で、子どもの居場所が確保されていました。厳格なお父さん、優しいお母さんという両極に支えられ、子どもは成長してきたと思うのです。かつてのお母さんにはそれができる、ゆとりがあったと思います。今のお母さんは、家事も仕事もこなしています。時間に追われ、つい、子どもにガミガミ言ってしまいます。お父さんと、お母さんが二人して子どもに小言を言うような家庭では、子どもは逃げ場(居場所)を失います。こうした家庭が当たり前の様に増えています。

また、農村部の大家族構成に対し、都市部では核家族化といった特徴があります。お爺ちゃん、お婆ちゃんと同居している世帯では、子どもは両親二人から叱られても、お爺ちゃん、お婆ちゃんのところに逃げることができました。孫に優しい、お爺ちゃん、お婆ちゃんがいるからです。ところが、核家族の中であれば、子どもには、こうした逃げ場がありません。現代の都市化された地域で、境界性パーソナリティ障害の方が多いというのは、こうした家族構成とも関わりがあると思います。


~分離できない親の影~

妻と妹は、実家にしばしば集まります。ご両親を今でも「パパ」「ママ」と呼び、母親に抱きつき、頬にキスし甘えます。妻も妹も40歳を過ぎており、それぞれ旦那さんも、子どももいます。年齢不相応な、密接さを感じていました。

結婚してすぐの事でした。妻の実家に、私たち夫婦と妻の妹夫婦が集まりました。妻の妹が神妙な面持ちで「これでやっと山田家(仮称です)の一員になれましたね。おめでとう」と私に言うのです。山田はご両親の姓、妻と妹の旧姓です。妹は、私たちの結婚を祝福して言っている様でしたが、私が婿養子となって、ご両親と同居する訳でもないので、どうして山田家の一員になると言ったのか、腑に落ちませんでした。互いに両親の元を離れ、自立して新しい家庭をつくる事が、結婚だと思うからです。しかし妹にとっては、結婚し、新しい家庭を築いても、家庭の中心は自分のご両親だという事を意味していたのです。妹は、旦那さんのご両親に馴染めないと、よく愚痴をこぼしていました。また妻も私の両親に馴染む事はありませんでした。妻は感情が不安定になると、私の親を罵る事も言いました。それは根拠のない言い掛かりで、何度も不愉快な思いをしたものです。妻も妹も、分離できない親の影を引きずっているので、夫の両親を受け入れられなかったんだと思います。

境界性パーソナリティ障害の方は大人になっても、ご両親の存在(意見、気持ち)が非常に大きいということがあるようです。親への強い愛情欲求と恨みといった両極の感情が鎖のように、妻を縛りつけていた感じを受けます。ご両親にべったりした甘えを示す一方で、激しく非難するといったことを繰り返していました。

私たち夫婦の間で話し合ったり、一度取り決めたことでも「ママが・・・って言うから」といった理由で、簡単に覆されることが日常的にありました。妻にとって、ご両親の意向は鶴のひと声でした。ご両親による私たち夫婦への干渉(支配)は強く、妻自身もご両親へ従順に従う傾向が強いので、結婚生活で私の意見や気持ちが汲み取られることはなく、私は疎外された思い、孤独な思いを抱かされました。ご両親と妻との密接な関係に私は飲み込まれたような、息苦しさを感じました。

妻は何度も私に、妻のお父さんが好きか嫌いかと、尋ねる事がありました。当時は何故そんな事を尋ねるのか、分かりませんでした。私に妻のお父さんを好きになって欲しいと要求しているようでした。普通の大人であれば、自分の伴侶にこのような要求はしないと思うのです。私は好きか嫌いかで実家に顔を出すのではなく、夫の役目として実家に顔を出しているだけでした。仮に嫌いなお父さんであっても、お付き合いは欠かさなかったと思います。結婚した後であっても、妻にとっての家庭のアルジは、あくまでも妻のご両親であって、妻と私はその子どもになるというのが、家庭の構図だったのです。

この妻の言葉から、自らの親子関係が、信頼や理解といった安定した関係に基づくものではなく、好きか嫌いかという、不安定な感情で成り立っている事をも、窺い知ることができると思います。

親離れ、子離れと言うのは、単にその事だけが問題なのではなく、氷山の一角の様なもので、深いところに、多くの問題が潜んでいるように思います。親子が人格的に分離していく過程で獲得していく、感情や、認知の統合ができていない事を、暗示している様に思うのです。


~子離れ~

以前、妻のお母さんは「娘を甘やかして育てたので、ワガママなところがあります」と仰っていました。結婚して半年と経たない頃、数々の問題が続き、私は結婚生活を継続する自信が無くなりました。それまでは、誰にも相談した事はありませんでしたが、妻のお母さんなら、分かってくれるかも知れないと思い、一人で妻の実家に行きました。

私は心を落ち着け話し始めましたが、お母さんは怒り心頭といった表情で「どこにそんな証拠があるんですか?」と一喝するのでした。お母さんを信頼し正直に話したのですが、疑われてしまい、私は悲しい気持ちになりました。それ以上、話は聞きたくない様子だったので、話すのは止め「証拠はありませんが、妻に聞いて頂ければ分かる事だと思います」と申し上げ話は打ち切りました。このように人の話を疑ってかかる言葉を、子どもに対しても言っていたと思うのです。

私の話を客観的に聞く事ができず、自分への非難だと受け取ったのでしょう。お母さん自身も子離れ(分離)できていない感じを受けました。また、面倒な事に巻き込まれたくないといった、よそよそしさも感じられました。


~人間関係のけじめ~

お母さんと妻は喧嘩をした後、話し合いをして反省するという事がありません。「こういうところは今後気を付けましょう」「ごめんなさい」といった会話がないまま、妻は育ってきたと思います。相手の気持ちを推し測ったり、自身を内省することが苦手でした。好きか嫌いかと言った、その時その時の気分で、親子関係を続けてきたと思うのです。こうした態度は、そのまま夫婦の間に現れました。


~記憶と嗅覚~

妻は、小学校以前の記憶がほとんど無いと言っていました。また妻のお父さんも同じく幼い頃の記憶が無いと仰っていました。心の病気を持っている方には、幼い頃の記憶がない、記憶が曖昧だという事があるようです。病気にまで至っていない場合でも、幼児期につらい体験をした人は、それを記憶に留める事が苦痛なので、防衛機制という心の働きにより、記憶を抑圧し思い出せなくするという事があります。妻もお父さんも、幼い頃つらい経験をしてきた事を、窺う事ができるのです。

それと、妻とお父さんはともに鼻が悪く、臭いがよく分からないということをいっていました。英語のサイトを見ると、境界性パーソナリティ障害と嗅覚の低下(麻痺)が関係しているといわれています。境界性パーソナリティ障害の方の脳を見ると、眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ)に異常が見られ、ここは嗅覚も司るところなので病気との関連があるといわれています。


~普通の家庭でも起こることです~

境界性パーソナリティ障害は、虐待、ネグレクトが原因だと思われてきましたが、それだけではありません。むしろ、普通の家庭で起こりうる問題だという認識が必要だと思います。

マーシャ・リネハン博士は境界性パーソナリティ障害の環境要因として『不認証環境』を提起されました。精神科医の上村順子氏は、複雑性PTSDの原因の一つに『マイルドな虐待説』を挙げておられます。どちらも普通の家庭で行われてることです。

またサイレントベビーの問題についても、ごく普通の家庭で起こるということが指摘されています。生まれて間もない幼児期の子どもは、大人からは想像できないほど敏感な感受性を持ち、知的にも感情面でもあらゆるものを内面に深く刻み付ける時期にあります。

こうした時期に、子どもを否定したり、過剰な努力を要求することは、子どものこころを深く傷つける恐れがある、将来こころの病気になるなど、心理面での成長に問題が出るといわれています。別の記事で、書かせていただいたのでこちらも合わせてお読みください。

『愛着関係、児童虐待、片親疎外症候群、複雑性PTSDについて』 
マイルドな虐待について

『不認証環境~境界性パーソナリティ障害の要因』
不認証環境について

『心理学-4 赤ちゃんの脳と危険な育児』
サイレントベビーについて



それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
創世記2章24節 口語訳



4 コメント

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Unknown (Melissa)
2013-08-13 01:12:44
素晴らしい記事の数々読ませて頂きました。

奥様の家庭環境、症状、全てわたしとよく似てます。
わたしは長い間不安神経症と診断させてきましたが、自分の本当の病気は境界性人格障害ではないかと疑いはじめこちらのブログにたどり着きました。

5年前にこのパーソナリティのせいで夫に捨てられ離婚しました。結婚当初からセックスレスで子供はいません。現在は実家の両親と同居していますが、毎日浮き沈みが激しく大抵は孤独で一人ぼっちだと感じる事が多いです。

毎日、生き辛さを感じています。

しかし、境界性パーソナリティ障害についてここまでわかりやすく、しかも患者を思いやる立場で書かれた記事を拝見したのは初めてでとても心が温まりました。こちらのコメントはもうチェックされていないかもしれませんが、一言メッセージを残さずにはいられませんでした。心の温まる内容を本当にありがとうございました。



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Melissa様 (ぶどうの木)
2013-08-13 17:15:41
コメントをいただきありがとうございます。今まで辛いご経験をされてきたとのことですね。何とことばをかけていいのか分かりません。

『あなたは、わたしの気持ちを理解してくれない』ということばを、何度か妻から言われました。妻は自分を理解してほしいと強く願っていたようです。人を理解するということは簡単ではありませんが、理解しようと努める姿勢は大切だろうと、今でも思っています。

『自分は誰からも理解されない』というお気持ちも、Melissaさんの生き辛さのうちにあるのでしょうか?自分を理解すること、他人を理解することのどちらも、人として一生続く息の長い作業なのかもしれませんね。

このブログは、もしかしたら、妻が境界性パーソナリティ障害ではなかろうか?という視点で、妻との生活を書かせていただきましたが、私たち夫婦間の問題は、境界性パーソナリティ障害を原因としたものだけではないことも付け加えさせてください。一般的にも、価値観の違う男女が結婚をして一緒に生きていくこと自体、既に難しい問題を抱えているようなものですよね。残念なことですが、日本では3組のうち1組が離婚するといわれていますから、その数字からも読み取れると思います。夫婦間の問題には、男女の価値観の違い、その他の原因もあると思っています。

日本語のウエブサイトを見ていて感じるのですが、境界性パーソナリティ障害を抱える方を『BPD、ボーダー』と呼び、そうではない方を『Non BPD、ノン』などと呼び分ける方がいます。こうした区分は『BPD×Non BPD』、『加害者×被害者』、『異常者×正常者』といった構図を必然的に作りだします。そして被害を受けたと主張するNon BPDの方が、復讐の名のもと、境界性パーソナリティ障害を抱える方を激しく攻撃し、境界性パーソナリティ障害の方の行動を奇抜なことばや好奇心をあおることばで書き連ねるといったことが見受けられます。こうしたサイトに、私は不快を感じますし、同じ日本人として恥ずかしくもあります。確かに、英語のサイトでも『BPD』『Non BPD』といった掲示板の区分をしているものもあり、BPDを抱える方からこんなことをされたと訴える投稿もありますが、日本のように相手を罵ることばで延々と個人を攻撃するような、悪口を公認するサイトは見たことがありません。それぞれのサイトには管理者がいて、ネット上で公にするに、はばかれる書き込みは削除、非公開にするなどの判断をしていると思われます。日本ではこうしたサイトの管理ができていないからでしょうか、境界性パーソナリティ障害に偏見を与える書き込みが野放しのように見えます。良くないことです。

『BPD×Non BPD』または『被害者×加害者』といった区分の仕方自体、二極思考(スプリット)に陥った状態だと思うのです。

先の大震災では被災者の規律ある行動が、海外メディアから賞賛されましたし、また、海外でサッカーの試合が行われた時には、日本のサポーターが紳士的な態度で応援したことなど、日本人の礼儀正しさは、高く評価されることがあります。海外で生活をすると分かるのですが、一般の外国人が、日本人の礼儀正しさ、日本人の社会規範を高く評価してくださることは珍しくありません。ところで、日本語で書かれた境界性パーソナリティ障害のサイトや投稿の文面に、誇らしい日本人の姿は見えるでしょうか?自戒を込めてですが、ネットの匿名性をいいことに、人を傷つけることばや、偏見を助長することばで記事を作ったり、書き込みをすることは、やってはいけないことだと思っています。

聖書には『あなたは耳の聞こえない者を侮ってはならない。目の見えない者の前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を恐れなさい。わたしは主である』とあります。こころの病気を抱える方に、つまずきを与えるようなウエブサイトは、神様のみ心ではありません。

人を赦す、自分が赦されるという経験は大きな転機になるようです。心にあるわだかまりの原因は、人それぞれかもしれませんが、赦せない自分や、許せないあの人を引きずっているのは、辛いものです。赦しの後には、感謝がおとずれるようです。

マーシャ・リネハン博士は、境界性パーソナリティ障害を抱えてこられた方ですが、博士の記事や講演の動画を見ると、この病気を体験した人ならではの深い洞察力、温もりのようなものがあると感じます。博士にとって境界性パーソナリティ障害に苦しんだ過去は、弁証法的行動療法を確立するため、欠かすことのできない体験だったと思うのです。将来、同じ苦しみを持つ方に希望を与える働きをするため、Melissaさんの今までのご経験があったのではないでしょうか?そう信じております。

Melissaさんに、信頼できるクリスチャンの友人が与えられるようお祈りいたします。

私はエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教会(末日聖徒イエス・キリスト教会)、統一教会(世界基督教統一神霊協会)とは関わりのない者です。

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私の姉も境界性人格障害です。 (オビ)
2015-01-13 23:26:53
このブログを見つけたきっかけは、A creed for those who have suffered. の全文を載せている記事を探していたからです。偶然、本屋で見つけて心に染み入ったこの詩ですが、やはり同じ詩に惹きつけられるからには共通する何かがあるものですね。
私の姉も境界性人格障害です。特徴は、ここに書いてあるのと本当に似ています。両親が姉との関わりに匙を投げてしまったのが姉が大学生、私が高校生の頃。丁度姉が1番目の子供を出産する前のことでした。
両親が不仲な中で、姉妹二人、昔からいつも一緒でしたので、両親が明らかに匙を投げてからも、私は姉との関係を切れなくて、姉は私のことを自分の所有物‥みたいに思って、私の人生の何でも支配したがったんです。姉が好きだったし、尊敬してもいたので、姉を支えられるのは自分だけだなんて思っていました。2-3年経つころには、私自身も精神科にかかり、統合失調症と診断されました。
それから10年以上、姉とは地理的にも離れ、今だにに真っ向から関わることが出来ていません。ひどいことを言われて涙して、どうしてそんな関係になってしまったのか途方に暮れ、姉のことがずっと理解出来ずにいました。このブログを読ませていただいて、色々な発見がありましたが、今思うのは、姉は、ただ全てに対して、あまりにも傷つきやすい人だったのかな‥と。

同じように思い悩んできた同志として、今後もブログをフォローさせていただければと思います。私の姪っ子たちと同様に、お子さんが心身ともに健やかに育つことを願っています。
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オビさま (ぶどうの木)
2015-01-16 03:42:25
コメントをいただき、ありがとうございます。

以前、このブログを読んだ友人が、こんなことを言いました。『不認証環境が境界性パーソナリティ障害の原因だと書いてあったけど、そんなこといったら日本のほとんどの家庭が当てはまるんでないの?』と。残念ながら、それが日本の現状だと私は思います。

聖書に、人類最初の家庭、アダムとエバの家庭について書かれているところがあります。神に背いたアダムとエバでしたが、その後夫婦の間に、長男カインと次男アベルが生まれました。そして兄カインが、弟アベルを殺してしまう事件が起きます。

4:1 さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。
4:2 彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
4:3 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。
4:4 アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、
4:5 カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。
4:6 主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。
4:7 もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」
創世記4章1~7節 新共同訳

神さまは、弟アベルが捧げた羊を受け入れたが、兄カインが捧げた農作物は受け入れなかったとあります。もし、カインがそのことに納得いかないのであれば『主よ、なぜ私の捧げものを受け入れて下さらいのですか?』と尋ねればよかったのにと思います。カインがそうできなかったのは、神さまの返事によって、自分は更に傷つくかもしれないという不安があったので、聞くことができなかったのではないかと思います。うつむきながら、悲しみと怒りに震える姿が目に浮かびます。

カインは人一倍傷つきやすく、また、自分の感情をコントロールできない人物だったようです。自分の捧げものが受け入れられなかったことが、自分の全人格を否定されたかのように感じたのでしょう。深く傷ついた心は、弟への嫉妬に変わり、弟さえいなければ・・・。このあと、カインは弟殺害を実行にうつします。こうして、人類最初の家庭で、兄が弟を殺す事件が起きました。聖書って格言が書かれている本だと思う方がいますが、人の弱さ、愚かさを、赤裸々に書いているところが多いんです。

この箇所で、アダムとエバが息子たちを虐待したとか、育児放棄をしたといった家庭内の問題は書かれていません。それどころか、カインもアベルも、自分が得た労働の成果を神にささげる、信仰心を持つ人物に成長したと書かれています。カインとアベルに違いがあったとすれば、アベルは『群れの中から肥えた初子を持って来た』とあります。アベルは、ただ形式的に捧げたのではなく、その心に、神への感謝、喜びがあったので、良いものを選ぶ手間ひまをいとわなかったと思います。果たして、自分と神さまとの関係はどうだろうか?妻や娘たちに対する関係はどうだろうかと反省させられます。

現代の家庭が抱える問題や、人が人格的に成長することの課題について、この創世記の記事から学ぶことができるように思うのです。カインは人一倍傷つきやすいところがあったのではなかろうかということ、人が成長するということの課題、家庭が抱える問題は、アダムの時代からあったようです。境界性パーソナリティ障害についても、一部の家庭が抱える特殊な問題ではなく、どの家庭でも起こりうる問題のように思います。その原型は、アダムの家庭にすでにあったように思うのです。

オビさんのご経験を教えていただきましたが、家族への支援体制が必要であるということを改めて感じました。同居する家族も深刻な問題を抱えているということを、広く知ってもらいたいものです。日本で家族への支援体制が、早急に整備されることを願います。

また、娘たちを気遣うおことばをいただき、ありがとうございます。幸い今までまっすぐ育っているようです。父親が別居しているのですから、反抗的になり、私に盾つくこともありますが、自分のことばを反省し、自分の意思で謝ることができます。少しずつですが、親から自立をしている様子がうかがえます。これからも、娘たちの成長を見守りたいと思います。

オビさんが今までつらい経験をされてきたことは、貴重な経験として生かすことができると信じています。同じ悩みを抱える人を勇気づける、尊い神の器として用いられることを祈ります。

私はエホバの証人(ものみの塔)、モルモン教会(末日聖徒イエス・キリスト教会)、統一教会(世界基督教統一神霊協会)とは関わりのない者です。

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