しつこく「東京都青少年健全育成条例」のことを書きます。
こういう条例で気になるのは、
「本当に、これだけで済むのか?」
ということです。
「『風と木の詩』や『ハレンチ学園』は規制されるのか?」とか「レディースコミックはどうなの?」とか「BLも対象なの?」とか、
そういうことじゃなくて、
そんな限られた話じゃなくて、
「今後、規制範囲が広がることもあるんじゃないの?」
ということも想像して、考えるべきなんじゃないかと思うのです。
「蟻の穴から堤が崩れ」だっけか、そういう諺もありますよ。
ことわざデータバンク
「意 味: ほんのわずかな不注意や油断が、取り返しのつかない大事を引き起こすことのたとえ。」
だそうですが、そういうのが心配なんですけど。
本当に、過激なエロの規制だけで済むんですか?
「青少年の健全な育成のため」と言えば、規制範囲をどんどん広げたっておかしくないです。真面目な人であればあるほど、「厳しく取り締まるべきだ」に傾いていくでしょう。例えば「風紀を乱す」とか「治安を乱す」とか、そういう曖昧な基準で取締りが厳しくなることは想像しなくてよいのでしょうか?
私は非常に疑り深いので、公権力が「必ず私の幸せのために働いてくれるはずだ」とは思いません。誰だって思っちゃいないでしょうが。私はエロにも残虐表現に対しても不寛容な人間ですが、だからといって、それらの排除を公権力に委ねたいとは思いません。絶対にイヤです、判断は自分でするから余計なことをするな
です。
検閲の先例を作ってはいけないんです。
実際、既に「不健全指定図書」という仕組みができあがっているので、それをもって「何を今更」と言う発言まであります。こうやって事例の積み重ねができていけば、いつのまにか検閲当然!の社会になってしまいますよ。
「判断基準が明確ならばよい」とか、
「取り締まるのは過激な表現だけだからよい」とか、
そういう狭い範囲の話じゃなくて。
「公権力の検閲を許す条例」を成立させてはいけない
ということが言いたいのですよ、ワタクシは。

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こういう条例で気になるのは、
「本当に、これだけで済むのか?」
ということです。
「『風と木の詩』や『ハレンチ学園』は規制されるのか?」とか「レディースコミックはどうなの?」とか「BLも対象なの?」とか、
そういうことじゃなくて、
そんな限られた話じゃなくて、
「今後、規制範囲が広がることもあるんじゃないの?」
ということも想像して、考えるべきなんじゃないかと思うのです。
「蟻の穴から堤が崩れ」だっけか、そういう諺もありますよ。
ことわざデータバンク
「意 味: ほんのわずかな不注意や油断が、取り返しのつかない大事を引き起こすことのたとえ。」
だそうですが、そういうのが心配なんですけど。
本当に、過激なエロの規制だけで済むんですか?
「青少年の健全な育成のため」と言えば、規制範囲をどんどん広げたっておかしくないです。真面目な人であればあるほど、「厳しく取り締まるべきだ」に傾いていくでしょう。例えば「風紀を乱す」とか「治安を乱す」とか、そういう曖昧な基準で取締りが厳しくなることは想像しなくてよいのでしょうか?
私は非常に疑り深いので、公権力が「必ず私の幸せのために働いてくれるはずだ」とは思いません。誰だって思っちゃいないでしょうが。私はエロにも残虐表現に対しても不寛容な人間ですが、だからといって、それらの排除を公権力に委ねたいとは思いません。絶対にイヤです、判断は自分でするから余計なことをするな

検閲の先例を作ってはいけないんです。
実際、既に「不健全指定図書」という仕組みができあがっているので、それをもって「何を今更」と言う発言まであります。こうやって事例の積み重ねができていけば、いつのまにか検閲当然!の社会になってしまいますよ。
「判断基準が明確ならばよい」とか、
「取り締まるのは過激な表現だけだからよい」とか、
そういう狭い範囲の話じゃなくて。
「公権力の検閲を許す条例」を成立させてはいけない

ということが言いたいのですよ、ワタクシは。

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