やっぱりモダニズムが好き!

1920-1960年代のモダン建築を中心に写真をアップ

増田清と東京女子医大-2

2007-08-17 12:41:40 | 増田清
増田清は1913(大正2)年に東京帝大を卒業し、1917年からRC造の病院や学校を多数設計した。佐野利器の影響を強く受けた建築家と言われている。増田が東京女子医学専門学校(現東京女子医大)の設計に関わるようになったのは、関東大震災後。1925(大正14)年には、RC造の本格的な寄宿舎を設計し、翌年竣工。その後も、病院一号館、臨床講堂、付属病院二号館と、立て続けに設計している。


1926年竣工。地上4階、地下1階の寄宿舎。女子大の寄宿舎としてはかなり大規模なもの。戦後、通産省に売却され、1982年に取り壊された。一度見てみたかった


1930年竣工。病院一号館。当時アメリカの高層病棟にも見られた十字形プランを採用。付属の二号館を建てる際にも中庭を作るなど、採光を配慮したと思われる


現在の一号館


1934年竣工。臨床講堂。「建築の東京」にもこの写真が掲載されている


現在の臨床講堂。丸窓は角窓に。モダニズム的な見せ場がほとんど覆われてしまった

現存する建物は、病院ではなく事務棟として使われているが、80年近く経った今も現役であるところを見ると、やはり構造的に確かなものだったということだろうか。増田の建築はシンプルで真面目なものが多いが、東京女子医大では限られた敷地という条件が、かえって面白いものを生み出したように感じる。


一号館玄関。独特なテラコッタタイルを使用。丸窓のついた扉がオリジナル


アールデコのデザインは「竣工記念絵葉書」の写真と変わらない

<参考文献>
「東京女子医科大学百年史」「同八十年史」「同今と昔」
日本建築学会計画系論文集「建築家増田清の経歴と広島における建築活動について」
日本建築学会学術講演梗概集「増田清と東京女子医科大学」





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