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RVでの小旅行。

大廈の将に顛れんとするは一木の支うる所 に非ず

2012-09-19 19:49:43 | 独り言
反日デモを煽っていた感もある中共政府だが火消しに躍起となっている。当初、反日デモの首謀者は中共地方公務員だとされていて中共がお手盛りで行っている風もあったが、「愛国無罪」の下に反日を隠れ蓑に反体制デモを行っている(と、中共が警戒していると日本のマスコミが喧伝している)のだそうだ。

新華社通信社とは中共国務省直属の国営メディアである。つまり、報道内容は政府及び共産党の公式見解と考えてほぼ間違いはないだろう。Google翻訳のお陰で新華社通信社の報道内容の大意は掴める。

新華社



こうして「暴力碍国、利性愛国」を主張している。

勿論、私自身も、この機会に尖閣問題を解決させてしまえれば良いとは思うが、国同士の大きな利害が絡む問題が円満に解決する事は絶対に有り得ない。(民主党政権だから不可能と云うツモリは無い。長く政権を預かっていた自民党はお家芸の問題先送りをして放置してきた。だが、沖縄返還から日中国交回復の間に当時の我が国国力で何か有効な手が打てたとは考えられない。1968年10月に端を発する尖閣問題は、これから解決させるしかない問題だと思うしかない)我々の知る常識から、我々日本側に正義があると日本人なら誰でも思っているのだろうが、その正義の根拠は日本の慣習とかモラルとかに属する美学論(紳士論)の領域の話だ。この問題を短期間で2国間だけで解決する方法は無いと思っている。(だから、前記事では、国際司法裁判所への共同提訴を書いてみた。)

米国は日米安保条約は尖閣諸島にも適用されると度々アナウンスしているモノの、2国間の領有権を巡る問題には関与しないとも告げている。我が国が専守防衛の国是を守るのなら、例え相手方の先制攻撃であったとしても受けて闘い戦争を継続する道を選ぶよりも、戦争が起きない努力をすべきだと思うのだ。尖閣諸島を中心とした局地戦を想定すれば、我が国自衛隊戦力で人民解放軍を圧倒する事は容易く可能カモ知れないし、日米安保条約が発動しアメリカの援助が在れば局地戦に勝利するのは赤子の手を捻る如く終結するだろうが、国力を嵩に長期戦に持ち込まれたら我が国は勝ち目がない。1968年10月以降、中共は尖閣諸島を「核心的利益」として海底に埋蔵する資源や漁場やシーレーンを狙っている。国内人民向けのアドバルーンと云うよりも本当に国家としての「核心的利益」だと思う。

外交とは、国家、若しくは、それに類する勢力間同士の自らの「国益」と云うエゴをぶつけ合う闘いだと過去記事にも書いた。そして、武力を用いて行う外交が戦争なのだ。勿論、戦争にも様々な国際ルールがあるのだが、国際ルールを守って行われた戦争が存在しないのと同じく国際ルールを破って行われた戦争であっても「勝てば官軍」として戦勝国に有利に左右する暗黙の了解が国際社会にはある。だが、戦争を行わずに国益を守る事の方が何よりも得策である事は子供でも知っている筈だ。これも過去記事にも何度か書いたが、民主党の前原元外相の「外交には敵国と云う概念は無い。唯一存在するのは自国の利益だけだ。」に勝る名言は思い付かない。

外交では、(世界の大部分の国家が)「外交は善悪では無く、自国の損得だけを考えるべきだ。」「道義は擬装であり、手段を選ばず自国の利益だけを尊重する。」として行動している性悪説の世界である。このシビアな世界に、同族大多数(単一民族とほぼ同義)文化で平和ボケした日本の町内会的な道徳論を持ち出しても仕方がない。現に、中共も韓国も、そして友好国と云う名の宗主国アメリカも、「外交は善悪では無く、自国の損得だけを考え、手段を選ばず自国の利益だけを尊重している」ではないか?

だから「利害が絡む隣国は互いに敵対するのが普通だ。」「敵の敵は、戦術的には味方である。」

しかし、「敵対する国とも平和的な関係を維持する事は可能であり、その行為を外交努力と呼ぶ」のだ。

私自身も、この尖閣問題で日本と中共が戦争状態に突入する事は有り得ない・・・と思っている。だが、歴史が証明している通り、起こる筈のない戦争も多く起きているのだ。このタイミングで野田内閣は、日本大使館等の被害賠償を中共に求めると息巻いている。これを有事として政権に居座ろうとしている。この行為は、政権末期の韓国の大統領が行った行為と全く同列の、国内向け限定の国益を損ねる行動である。

但し、国益とは、不確定性も内包する。特に、対中共への橋頭堡に仕立て上げられた沖縄県の世論と、日本の国益とは合致していない。対外的にとられた戦略は内政にも影響を与えるため、国を構成する誰もが利益を得るとは限らず、一部の国民や勢力にとっては負担を受けたり痛みを伴うのだ。これを逆なでし、負担を取り去り痛みを分かち合う事をせずに県民感情をもてあそんだのだ。

さて、このタイミングに於いても「外交は善悪では無く、自国の損得だけを考え、手段を選ばず自国の利益だけを尊重していく」事を慎重に行うべきなのに・・・こんな馬鹿な談話を発表するとは・・・

日本側被害、首相「中国に責任」…賠償請求へ

 野田首相は18日夜のTBSの番組で、反日デモによって北京の日本大使館などの窓ガラスが割られた問題について、「日本の企業とか政府の建物とか、在留邦人で被害が出たら、当然、中国が責任を持つのがルールだ」と述べ、日本側の被害に対して中国政府に損害賠償を請求する考えを示した。

 外務省の杉山晋輔アジア大洋州局長は同日、反日デモによる大使館などの被害と、中国国家海洋局所属の監視船が尖閣諸島周辺の領海内に侵入したことについて、中国大使館の韓志強公使に電話で抗議した。

 首相は同日午後、首相官邸に河相周夫外務次官を呼び、中国の反日デモについて、今週末に再びピークが来るとの報告を受けた。外務省幹部は同日、民主党の会合で、反日デモについて、「ヤマ場を越えたことにはならない。おそらく長引く」との見通しを示した。

(2012年9月19日07時36分 読売新聞)



「外交は善悪では無く、自国の損得だけを考え、手段を選ばず自国の利益だけを尊重していく」事の為には、防衛力が不十分だから中国が脅威になると叫ぶ層も在るし、軍事力の優劣が戦争回避の抑止力にはならないと主張する層もある。こんな初歩的な事を書くのも気が引けるが・・・「外交は善悪では無く、自国の損得だけを考え、手段を選ばず自国の利益だけを尊重していく」事の為には、軍事力、経済力、技術力と云った総合的な国力と同時に、国際的に理解を得る情報発信力、秘密工作も含む国際的な諜報能力も不可欠だ。この大部分を宗主国アメリカに依存している我が国日本が独立国として中共と闘う事は今の時点では不可能なのだ。放置していても2050年には平均年齢が52歳を超え世界一の高齢者社会となり、度重なる電気代の値上げで物作りを国内では行えず国力も衰えた我が国日本を鼻息で蹴散らして尖閣諸島も含む我が国全体を手中に収めているカモ知れない中国は、香港返還の例を見ても判るとおり平気で100年待てる国なのだ。

このままでは彼らは闘わずとも日本との闘いには勝利するだろう。そうならない為にも、我々子孫の平和と安寧の為にも、我が国は今、大きく舵を切らなければならない。民主党政権には日本を任せられない、だが、目先の問題を先延ばしさせ過去の成功体験を盲目的に繰り返そうとする(高度成長期の再来祈願する)自民党にも政権を委ねるのは如何か?ましてや、不可能を可能と喧伝し論理破綻した海のものとも山のものともつかぬ第三極を選べば歴史的政権交代後の今日の再来に等しい。我が国では二大政党制が広範囲な国民の声を代弁しつつ国益を可能な限り追求していく成熟した社会に導く事は時期尚早なのだろう。出来れば、次の(来年?)の衆院選だか国政W選挙迄には、今 今日的な日本の課題にアップデートした政界再編が行われる事を希求する次第だ。

「所属議員の権益保護相互扶助組合としての既存政党」と云う「板切れ」では、大きく傾いた我が国を支える事は適わないと思う。第三極を触媒にして、我が国日本の種々の問題を解決させる望ましい政界再編が起きると国民に錯覚させ洗脳すべくマスコミは躍起になるカモ知れないが、それはあの様な形での歴史的な政権交代を単に繰り返す愚の骨頂だ。橋下氏が神で無い限り、彼の思惟が正しくとも彼1人の思惑は「所属議員の権益保護相互扶助組合としての新政党」のベクトルに押し潰され形骸化し無力化してしまうだろう。ましてやバラエティ番組で活躍する程度の資質が閉塞状態の日本を救う力があるとは思えない。1人のスーパースターの属人的な能力に委ねてしまえば安心だと云う幻想から我々国民が脱却し、自らの将来を自らの子孫の将来を他人任せにせず自らで選び取る気概を持つべきだ。市井の一般人でも果たせる役割もある筈だ。愛国心を軍国主義と錯覚させる文化人や反戦主義者の洗脳から脱し、真の愛国者となるべきだ。愛国者とは所属する社会共同体や政治共同体等に対する愛着と云った思想では無い。隣国で繰り広げられている運動は、愛国心を大衆を煽動する道具としていて、所属する社会共同体や政治共同体等に対する忠誠心としての発露もあるだろうし、日本のマスコミが指摘する様に参加者が信じる理想的な社会と云う枠組みへの憧憬もあるのだろう。我が国も過去の不幸な戦争の際には愛国心を大衆を煽動する道具として使った事がある。だが、真の愛国心は、家族愛と云った生物的な子孫への自己愛という情、自らの育った風土・ 習慣・文化的伝統に感じる憧れと安らぎの情であり、思想では無い。「お国のため」と云うフレーズは左派の日教組が禁じたが、その結果が我々の子孫が平和と安寧を過ごせない事が確実な未来像しか見出されない閉塞感がバブル崩壊後の失われた20年を支配し続けているのだ。

大廈の将に顛れんとするは一木の支うる所 に非ず
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