Trips with my RV.

RVでの小旅行。

絶対反対シンドローム?

2012-01-13 21:44:57 | 独り言
過去記事「除染について・・・ 2011-10-04 21:59:45 | 独り言」で、【専門家ではない私は明確な論拠には欠けるが「放射線ホルミシス仮説」の方を信じている。】と書いたからか「どんな微量でも放射線は危険である」とお考えの方からお叱りを頂戴していた。朝令暮改を繰り返す民主党の国費除染の基準緩和を憂いた事に対して・・・私が想像した通り「金を出し惜しみして命を犠牲にするな」と云ったお怒りだったのだろう。

閑古鳥の鳴く閑散ブログなのに反響の多さに怖じ気づいて「除染について・・・の補足
2011-10-05 23:01:08 | 独り言
」を数日後に書いた。その中に書いた通り・・・元記事で私が書きたかった事は・・・

「どんな微量でも放射線は危険である」と云うマラー仮説(LNS仮説)と、「低放射線量は有益(無害)である」とする「放射線ホルミシス仮説」との、科学的に決着の着いていない価値観が、国民の中に並立したままで除染の在り方を決めるのはマズイのでは無いか?

・・・だと念押ししたツモリだった。だが、何故かGoogle検索で上位に表示されるのは「除染について・・・ 2011-10-04 21:59:45 | 独り言」の方で、私の中では排泄欲に従って垂れ流した汚物としての記事が3ヶ月経ってもお叱りの対象になってしまう様だ。この正月休みにネットサーフィン(死語?)をなさっていた方々なのだろうが、複数の方からお叱りを受けてしまった。

被曝線量に依っては人体に悪影響を及ぼす、目に見えない、匂いもしない放射線と云うモノを恐れるのは、人として正常な反応だと思う。その感情を揶揄するツモリは毛頭ない。我が子への悪影響に真剣に悩んで居られる方々の苦悩を、私の記事中では「放射線ヒステリー」と揶揄したと思われてたのカモ知れないが、読みにくい悪文を自認する私の文章から読み取って欲しいとは烏滸がましくも申し上げられないが、「放射線ヒステリー」と揶揄した対象は【旅行中の観光バスから福島県民が降ろされた話とか、福島県産の花火を住民のクレームで打ち上げを取り止めた話とか、B級グルメフェアで福島からの出品者が排斥を受けた話】の加害者である福島県外の一般市民に対してである。

私信を頂いた方には返信を致し誤解が生じた事については謝罪した。私信を市井の田舎オヤジに送らなかったが腹が立ったと云う方が居られたのなら、悪文だから私の意図に反して誤解を受けた部分には、この場でお詫びしたい。

その上で、天の邪鬼の一言居士的性格が災いして、急に書きたい事が出来てしまった。

天の邪鬼の一言居士的性格の私の両論併記的な悪文・・・に対して、両論併記である部分に真剣さを感じられないとお叱りを受けた点については・・・、その方にとっては不愉快の念を抱かせた事には申し訳ないとは思うモノのお詫びするツモリは無い。

過去にもデリケートなネタでは、この両論併記のスタイルに苦情が集中してしまった。「両論併記では論旨が不透明で問題解決への提言にはならない、意味の無い文章である」と云う主旨でのお叱りも受けてしまった。念の為に書き添えるが、私が業務として作成する文章では両論併記と云うスタイルは使わない。又、学生時代の小論文の課題でも然りだ。私が、私の主張を金に換えるツモリなら当然に両論併記はしない。私の主張が今後の日本の進路に多少なりとも影響を及ぼすなら恐らく両論併記はしない筈だ。

私の世代は、大学でコンピューター会計を初めて学んだ世代であり、大学でディベートを学んだ始めの世代だと思う。その頃の大学のコンピューターは高価な8インチFDが記録媒体だった頃だし、当時のディベートは「論理と修辞」と云う形式的技術が重視された頃だった。

その頃には修辞法としての両論併記は技術の1つだったが、流石に両論併記のまま主張を終えろとは教わってはいない。両論併記で論を立ち上げ「譲歩」と云う技術で自らの主張を正当なモノとして完結させろと教わった。そもそもディベートとは「説得や言い負かし」の技術ではなく参加者の理解を深める作業の筈だ。私は、私の主張こそが正しい主張だと押し通すツモリは無いので、弱めの「譲歩」で自分が推す側を示す程度に済まそうと思っていて、私自身が排泄欲にかまけて読みにくい悪文を垂れ流すのは私の勝手で在る筈で、法や社会通念に抵触無い限り・・・その位の自由は享受出来て呵るべきだと思っている。だが、しかし、私自身の主張の部分には極力両論併記は排しているツモリになっている。

問題の過去記事の私の主張は、【「どんな微量でも放射線は危険である」と云うマラー仮説(LNS仮説)と、「低放射線量は有益(無害)である」とする「放射線ホルミシス仮説」との、科学的に決着の着いていない価値観が、国民の中に並立したままで除染の在り方を決めるのはマズイのでは無いか?】であり、「みんなの党」の主張通りに・・・原発存続を国民投票で問うのなら、その必要性は更に高まると思っている。

国民投票が、「原発を廃止し自然エネルギーで代替していくべきだ」と云う設問なら、私自身も含めて大部分の国民が賛成票をいれるだろう。だが、今回の不幸な福島第一原発事故を総括する事も当然だが、それ以前に「どんな微量でも放射線は危険である」と云うマラー仮説(LNS仮説)と、「低放射線量は有益(無害)である」とする「放射線ホルミシス仮説」との、科学的に決着の着いていない価値観が、国民の中に並立したままで行えば人気アイドルグループの選挙に等しい愚行である。「みんなの党」は好悪感情で国家の進路を決めようと主張した売国奴だとも思えてしまう。

管前総理が退陣前に「脱原発」から「減原発」に方針転換をしたのにも驚いたが、これは一国を与る総理の両論併記に等しいだろう。田舎オヤジの両論併記を糾弾する前に、公人としての総理を糾弾すべきだろう。又、民主党の「お家芸」ともなった担当閣僚の思慮淺フライング発言に端を発した原則40年で原発廃炉とする法案には呆れ果てた。

原発40年で原則廃炉 政府、法改正案を通常国会提出へ
過酷事故対策を義務化  2012/1/7付 日本経済新聞



過去記事「(その2)原子力発電の話 2011-07-14 22:05:41 | Innocent joke」 でも放射線(中性子線)による照射脆化は(両論併記にせず)ネタにしたが、詳しくは原子炉容器の鋼材に依って有意の差が生じていて40年の根拠が不明で、逆に危険な老朽炉の延命に成りかねない恐れがある。そもそも40年の耐用年数で設計されていない(設計寿命は30年で、それに安全係数が1.5倍程度は加味されていたのカモ知れないが、過去記事にも書いた通り放射脆化は50年前の予想より早く進行している実態が明らかになっていて原子炉容器の寿命は辛うじて30年だと思われる。厳密には鋼材の種類に依っては耐用年数に有意な差がある)。

(今回は両論併記は敢えて排して)自然エネルギーで国家のエネルギーを賄うには未だ未だ時間が掛かるので、脱原発を目指すとしても、危険な老朽炉を廃炉にして最新の(未臨界原子炉も含めて)現在レベルでの最も安全な原子炉にリニューアルしていくベキだと思う。

確かに人間の造るモノに完全は無いだろう。最新の安全設計が施された原子炉を新造するよりも、自然エネルギーに早く移行すべきだ・・・と云う国民の方がもしも国民投票が行われれば大多数だろう。勿論、私も、そう思う。福島第一原発事故の収束を待たぬまま新設炉なんかトンでもない・・・と再びお叱りを受けるカモ知れない。だが、現在の科学レベルでは自然エネルギーに入れ替える事が出来そうにない。国家として脱原発を即刻決められないのなら、ズルズルと老朽化した危険な原発を動かし続けるよりも、最新の安全設計が施された原子炉の方が(私は)マシだと思うのだ。今後の我が国の原子力行政の在り方・・・については、後日別の記事を揚げようと思い立ったので、この辺で。

##### ここまでが毎度の如くの長~い前置き #####

お叱りに対するお詫びのツモリで書き始めた筈だったのに、根っからの天の邪鬼な一言居士的性格から、急遽、毎度の如くに排泄欲に駆られてしまった。過去から何度か筆を折ったメディア・リテラシーについて少しだけ書きたいと思った次第。これについての私の考えは以下の各過去記事に少しずつ書いてきていた。


過去記事「情報化時代の情報について 2010-09-27 19:45:46 | 独り言

過去記事「正義とは・・・2011-01-28 21:58:43 | 独り言

過去記事「正義とは・・・(その2) 2011-02-14 20:42:29 | 独り言

過去記事「民主主義の敵 2011-08-23 22:30:42 | Innocent joke


この正月に前後してお叱りを賜った方々(両論併記を嫌う方々)は、「白」と「黒」、「0」と「1」と云った二値的な考え方をなさる方が多いのか否かは判らないが、実際の世の中は、もう少しだけ複雑に出来ていると感じている。この正月に前後してお叱りを賜った方々(両論併記を嫌う方々)は、御自身の信じる正義(日本に於ける社会正義)に反する記事を書いてしまった私を質す為にお叱りメールを送って下さったのだろう。その正義とは、過去記事「正義とは・・・2011-01-28 21:58:43 | 独り言」にも書いた通り

【私が勝手に仮定した日本的正義・・・に於ける「社会正義」には、個々人の悪への怒りのベクトルが整合して社会全体の怒りのベクトルが生まれるのだろう。その個々人の怒りのベクトルを整合させる役割を担っているのはマスコミなのでは無いだろうか?日本では、社会正義として何かに怒るには被害者の存在が不可欠なのカモ知れない。(10分ほど考えてみたが、被害者が登場しない社会正義の発露の例を思い付けない。ま、無知蒙昧な私のことだから・・・カモ知れない)もし、そうなら・・・、日本の社会正義はマスコミに依って創り上げられている事になる。】

では無いだろうか?と思っている。表題にした「絶対反対シンドローム」・・・は(多分)私の造語だ。私自身も排泄欲を充足させる為にブログを書いているが、この手の個人的な情報発信CGM(Consumer Generated Media)の台頭で、従来のメディアに代わる分かり易い市民感覚のメディアが日本を席巻した。この事でオールドメディアも需要を満たそうとCGMに側の視点に立った分かり易い(単純な)報道に終始する様になったのだと(私は)思っている。

こう云った社会正義を貫こうとなさる正義の士の皆さんは、回り諄い両論併記はお嫌いなのだと思う。両論併記を好む私自身にした処で、(書くか書かないかは別として)私個人の中では結論らしきモノが在るにも関わらず敵陣営の主張に与する曖昧さが目障りなのカモ知れない。だが、世の中は「白」と「黒」、「0」と「1」、「Yes」と「No」だけで片付く問題だけでは無いのではないだろうか?

ここで皆さんが書かれた「原発は絶対反対」「危険な原発を立地した政府(=自民党)は絶対反対」とか等の、兎に角「絶対反対」が前提となっている。他にも「TPP絶対反対」「消費増税絶対反対」「似而非科学絶対反対」「辺野古移設絶対反対」等々・・・大凡全ての社会的な問題が「絶対反対派」と「そうでない派」に二分される世界にお住まいの方達なのだろう。恐らく「そうでない派」には、反対の度合いの高い人も賛成の度合いの高い人も居て、それこそ人の数だけ賛否の度合いはアナログに分布している筈なのだ。「絶対反対派」の方には「条件付き賛成派」は敵陣営に見えるのだろうか?

誰に憚る必要もないブログやツイッターと云ったCGMの社会では、恐らく・・・「絶対反対」な「私」を各人が積極的に主張したいのでは無いだろうか?それは主張というより、フェロモン(昆虫が特定の状況で仲間や異性を呼ぶために独自の臭いを発する様に、同種の他の個体に一定の行動や発育の変化を促す生理活性物質)として、味方を集める為に仲間がここにいるというシグナルを発するという機能が「絶対反対」なのではないかと思ってしまう。コメントとして異論を頂戴する際に丁寧にトラックバックを頂戴する場合も、私信で一方的な主張を頂戴する場合も、その背景には掲示板やブログのコメント欄等の同じフェロモンを出す個体同士が集う場が形成されている事例が垣間見えている。

「絶対反対」を唱える集団では、「絶対反対」と云う言葉が相手に「踏み絵」として提出され、キリシタン狩りや魔女狩りの様な審問と化す。もしも、「絶対反対」に抵触しそうな「条件付き賛成」としての意見を言おうものなら、罵倒や中傷の対象となってしまう。

そもそも民主主義と云うモノは、構成員同士の利害対立を前提にして、どう妥協を図るかと云う事が課題である。刑事事件に対する民事事件と同じく、判決に依る正義よりも示談が求められ、示談が出来ない場合は妥協案が判決として下されるのだろう。つまり、民主主義とは、諸個人の意思の集合を以て物事を決める意思決定の原則・政治体制の事である。

確かに「条件付き賛成派」の存在は、物事を複雑にして分かり難くしてしまう。何故なら、人の数だけ「条件」が存在するカモ知れないからだ。しかし、裏を返せば「条件付き賛成派」は、条件が満たされない限り反対派であり、凡そ社会問題化する種々の案件に対して「絶対賛成派」は存在しない筈なのだ。

本来の政治の役割とは、この複雑な問題に折り合いを付けていく作業の筈である。日本が10人の人で構成されているのなら10人で話し合って折衷案を見つけ出し、最終的には多数決で決めれば良いのだろう。つまり例え10人で構成される国ですら、誰かの妥協が強いられる筈だ。「絶対反対」を断固譲らず歩み寄らず妥協しないならば、「絶対反対」のフェロモンで集った仲間以外との合意は難しいのでは無いだろうか?

国会議員の定数削減や一票の格差是正等で・・・他人事ではなく自らの痛みとしてて右往左往する国会議員の先生方を見ていると、今日の我が国の、いや大部分の先進国で行われている自由主義的間接民主政も既に機能不全を起こしていて諸個人の意思の集合を以て物事を決める意思決定とは言い難いのだろう。

ハンガリー共和国のインターネット民主党の様に、間接民主的に獲得した議席を直接民主的に運用する仕組みを体現する新政党が日本にも誕生すれば、こうしたCGM発の「絶対反対」も市民権を得る事が出来るだろうし、否応なく歩み寄り妥協する過程をも自らの事として感じる事が出来る様になるカモ知れない。そして多くの国民が望むならば、こうしてIT技術に支えられた新たな直接民主政と云うモノが新たな政治形態として現実視されてくる日も近いのカモ知れない。某ファーストフード・チェーンの様なバリューセット的マニフェストで民主党に裏切られ、さりとて元の第一党自由民主党に戻れない無党派層は次回選挙では「みんなの党」に票を入れるのだろうが、もし日本にもインターネット民主党の様な新政党が登場すれば「第三極」として躍進するのだろう。

だが・・・、天の邪鬼な一言居士的な私には、もしも新しい自由主義的直接民主政が始まったら今日の利権に群がる政治家先生方の職業はマスコミ勤務と成りそうに思えてならない。IT技術に支えられた直接民主制軍国主義を風刺したB級SF映画「スターシップ・トゥルーパーズ」シリーズを観ても(バグズとの侵略・報復戦争が起きなくても)幸福な未来像とは思えないからだ。シリーズ中盤からは単純な軍国主義批判にテーマが格下げされてしまったが・・・諸個人の意思の集合を以て物事を決める直接民主政は今のステージの我々地球人類には未だ難しいのかも知れない。

マスコミに依る「社会問題の構造の簡略化」が十人十色の個々人毎の「それぞれの思惑」を二値化し分かり易く単純に「賛成」「反対」「どちらでもない」の3択に置き換えてしまう事で、政治へ無関心を助長し反日亡国政府の台頭を許したのだ・・・と思っている。技術進歩でFAXですら当初の白と黒の2階調から中間濃淡表示可能な256階調以上に進化したのだから、懇切丁寧に設問を考えれば賛否の階調を上げられる筈だ。各先進国での国民投票や、ハンガリーでのインターネット民主党のやり方では、直接民主制には到底届かない。

皆さん御一緒に、我が国でのインターネット民主党を立ち上げませんか?
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