Trips with my RV.

RVでの小旅行。

除染について・・・の補足

2011-10-05 23:01:08 | 独り言
下書きはしたモノの公開を躊躇っていた記事を昨日アップした。

除染について・・・ 2011-10-04 21:59:45 独り言

この記事は二転三転する国費除染について、私なりの正直な感想を書いたモノである。私の苦手な要約を行うと・・・

「どんな微量でも放射線は危険である」と云うマラー仮説(LNS仮説)と、「低放射線量は有益(無害)である」とする「放射線ホルミシス仮説」との、科学的に決着の着いていない価値観が、国民の中に並立したままで除染の在り方を決めるのはマズイのでは無いか?

・・・となる。この記事では明らかにはしなかったが、莫大な除染費用の推定額に驚いて記事を書いたのだ。その他にも、除染そのものの効能と対費用効果、除染が終了するまでの期間、除染の及ぼす国土への悪影響、そして、残土の問題や新たに発生する風評被害の可能性も記事には書かなかった。(当初は書いていたのだが、これでは本来の主旨から外れて「放射線ホルミシス仮説」側の主張になってしまうだろうから、その部分をバッサリ消した)

私の主旨は・・・どの放射性線量までを除染をすべきか?を問うつもりは毛頭無く・・・、価値観が並立するままドチラか側の立場に立って除染を行うのでは、国民軽視(国の説明責任を果たしていない)ではないか?又は、並立する価値観の中庸で除染を行うのでは、その両方共に不満足な結果と成るのではないか?・・・と云う問題提起だけのツモリである。

(公開を躊躇った想像通り)昨日の記事について複数の私信やコメントで反響を頂いたが、(私の不得意な要約をすると・・・)「放射能を恐れる権利」「放射能を避ける権利」を蔑ろにしている悪い記事であり、「放射能を恐れることを悪」や「放射能を避けることを卑怯」だと洗脳している政府やマスコミに毒されている・・・だと糾弾を受けたのだろう。

私は、マスコミの正体が政府の御用機関だとは思っていないタイプの人間である。私の思うマスコミの正体は・・・単なる「宣伝媒体屋」であり、歴史的な政権交代を果たした当時の民主党のマスコミへの支出金額を見れば明らかな通り・・・広告料を払ってくれる法人のスポークスマンでしかない。それ以上でも以下でもなく、我々大衆は同局の放送をチョットした娯楽の提供と引き替えに広告や宣伝やプロパガンダを見せられているに過ぎない。

そんなマスコミが、「社会の公器」として事実や本質を追求したり、スポンサー以外の人の為になる事をやる必要や義務は全く無いのである。個人経営の大企業が金儲けの手段としてやっているダケなのだから、そんなマスコミに中立な公正さを求めると云った過度な期待を抱くのは幻想に過ぎない。過去にマスコミが社会の公器であった時代には、スポンサー足る大企業にもそれぞれ別個の戦略や思惑が分立していて、その立場の異なるスポンサーの意向で「社会の公器」のフリが出来ていたダケで、今日では経団連と云うスポンサーの寄り合いがキチンと機能し始めてからはマスコミ報道は金太郎飴化してしまったのだろう。

そうして、全マスコミを挙げて、土木関連のスポンサー企業の為に広範囲な除染を推進したく、しかし、大部分のスポンサー企業を痛めつける風評被害を無くしたい・・・のだろう。だから、ある時は「どんな微量でも放射線は危険である」と誘導し、ある時は「基準値以下の線量の商品を怖がるのは風評被害」と誘導するのだろうか?(正直な話・・・、私はワイドショー化したニュース番組も含めてTVを観ないタイプの人間なので・・・、そんなマッチポンプが実際に繰り広げられているのか否かは詳しくは知らない)

そのマスコミに頼って「どんな微量でも放射線は危険である」と「低放射線量は有益(無害)である」と云う科学的にも決着が着いていないが、我が国国民全体にとって重要な事を決めて貰おうなんて・・・チャンチャラ可笑しい話である。そもそもマスコミは捜査機関でも、学究機関でも、裁判所でもないのだから・・・。

この際、問題とすべきはセシウム134とセシウム137だろうか?セシウム134の半減期は約2年、セシウム137の半減期は30年。生成比は約1:1。放射線強度への寄与度はセシウム134はセシウム137の約2倍。つまり、2年経つと線量率は2/3となり、30年経つと1/6になる。30年経っても0では無い。毎時6μSvの場所なら除染をしないと30年経っても毎時1μSvであり、ICRP基準の年間1mSvで考えると約5倍となってしまう。我が国の現在の暫定基準『生涯で最高100mSv」では乳幼児なら20年しか居られない。

費用問題さえクリアするのなら・・・、除染は「どんな微量でも放射線は危険である」側に立って行う事に異論を差し挟む余地はない。だが・・・「どんな微量でも放射線は危険である」と云う立場に立って除染を行う費用は天文学的な金額であり、過去の除染(神通川流域のカドミウム汚染水田の除染)の例を見ても30年経っても完了していないと云う風な長期間の対応が必要だ。報道によると除染に要する費用として4000億円の予算要求が為されたそうだが、この作業が単年度で終了する筈が無い。今後、何年も、十何年も、数十年も、を掛けて優先順位の高い順番に行われていくのだから・・・そのトータルの費用と云えば正に天文学的な金額になってしまう。又、想定されている耕作地の上下換土の効能及び対費用効果も疑わしい。又、直接の耕作地ではない山林にも同じように降り注いでいるだろうセシウム137を除去する事は困難だろうし、その残土処理も問題だ。福島県内処理なのか県外処理なのかは未定だろうが、県外処理(県外埋設)となれば「どんな微量でも放射線は危険である」と云う立場の方には新たな危険な場所が出来てしまう事になる。

そもそも、この放射線ヒステリー(失礼)は、行き過ぎた風評被害として報道のネタになる位に荒唐無稽で論理薄弱なのだが、「低放射線量は無害である」派に等閑な除染を強行されてしまうと「被曝しない権利」を侵害されて望まない被曝をさせられてしまう不可逆な問題を内包している。(私も宇宙戦艦ヤマト世代なので)それこそコスモクリーナーでも稼働させないと根本解決には至らないのだろう。(但し、コスモクリーナーが正しく機能すると・・・地球は冷めてしまい死の星になってしまうカモ)

ネット上でも・・・、旅行中の観光バスから福島県民が降ろされた話とか、福島県産の花火を住民のクレームで打ち上げを取り止めた話とか、B級グルメフェアで福島からの出品者が排斥を受けた話とか・・・(事実か否かは判らないが)読んでムカムカと腹を立てた口である。こんな輩が居るのだから、莫大な費用を投じて耕作地の除染を行っても風評被害は無くならないのではないかと恐怖する。除染せず立ち入り禁止にする区域、除染して生活を再開して頂く区域と、補助金を支出し任意で除染する区域と、そもそも除染の必要の無い区域を公正な方法で取り決めると同時に、科学的な見地から啓蒙を行う必要があると思う。

確かに・・・、自然放射線と同じ扱いで原発事故に起因する放射線に被曝する事を止むを得ない事・・・とするのは問題なのだろう。だが、起きてしまった事・・・だ。論点のすり替えと受け取られるカモ知れないが、原子力発電に限らず科学技術の平和利用が人の生命や健康を侵害する事は現代社会の宿命とも云える。放射線は目に見えず、実の処、その及ぼす影響が明確に判っていない事を否定できない。放射線被曝の怖さは、直接今を生きている世代へはDNA損傷等での発ガン率が上昇するカモ知れないと云う不安と共に、長期的な遺伝毒性・・・と云うか人類の進化の行く末を左右する変異源とも捉えられるのカモ知れない。世界の中では、ICRP基準の年間1mSvどころか、以前の我が国の暫定基準年間20mSvすら凌駕する放射線に晒されながらも健康に生活して発ガン率が有意に低い地域も存在するし、日本国内でも放射能泉の近傍に生活される方の発ガン率の低さが報告されている。又、被爆国である日本ならではの研究で長期的な遺伝毒性は(今の段階では)見つかっていない。放射線被曝は確かに怖いし、それを恐れる事が異常であるとは思わない。だが、ICRPの主張通りに閾値無く「どんな微量でも放射線は危険である」と云う見解には単純に肯けない。イヤだけど・・・ココまでは許容限度とする・・・、多くの国民の賛同を得て国家としての基準を明確にする必要は有るのでは無いか・・・と思ったダケである。

# 尚、コメントを頂いたプルトニウムの件ですが・・・、現在はプルトニウム除染は想定されていない筈。今回の報道で明らかになったモノの以前から東海村等のモニタリングポストではプルトニウムは検出されていたそうですから、想像以上に広範囲に飛散した事を国の各機関(文科省等)が追認した訳なのでしょうね。プルサーマルを行っていてベントを解放したのだから・・・、追認が在ろうが無かろうが、当然と云えば当然の帰結だと思います。ですが、この広範囲に散らばったプルトニウムを除染する事は現実的には不可能だと思います。東西陣営が核実験を繰り返していた冷戦時代にも日本にプルトニウムが降り注いでいたのは事実ですが、恐らく、核実験の降下物の数倍以上の量が飛散していると思います。残念ながら、時間を遡って歴史を修正する事は出来ないのですから・・・、これは止むを得ないとするしか無い・・・と思います。その中で、「被曝しない権利」の尊重の程度は、政府が決めると云うよりも、国民が決めていくしか無いのでは無いと思うのです?(自然放射線は我慢して)原子力発電に関係のある放射線にだけ「被曝しない権利」を私は否定するツモリは毛頭有りませんが・・・、目に見えない放射線から身を守る方法が思い付きません。放射線防護服を着て生活し、自前の線量計で常に飲食物はチェックし続ける・・・?
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-10-07 12:15:47
http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=31290712
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Re: Unknown (軽薄な店主)
2011-10-07 21:41:07
URL先にある記事に登場するスイスの内科医マルティン・ヴァルター氏は『さらに現在、安全だという被曝量はないというのが定説になっている。がんになるリスクを縦軸、放射線量を横軸にするとそれは正比例の直線になり、たとえ1、2ミリシーベルトでもがんのリスクはある。胸部や骨折のレントゲン撮影でもがんになるリスクはゼロではないといわれている。さらに慎重な医者は線量が少なければ少ないほどがんリスクは高く、正比例の直線が少量の値域では上向きにカーブするといっている。』と云われたそうなので、「どんな微量でも放射線は危険である」側の方だと思います。

これが定説(= 疑いの無い証明済みの確定的であるとされる説)だとは私は知りませんでしたが、我が国の多くの国民世論が「その側」になれば、除染よりも『故郷を捨てる』と云う選択を薦めると思います。それが『社会的な問題は残る』としても・・・です。除染に掛かる費用は、現在想定されている方法で行っても今後30年間で50兆円と想定されていています。ソレだけの費用を掛けても、「どんな微量でも放射線は危険である」側に立つと絶対に安全とは言い切れず、更に、福島第一原発事故に纏わる風評被害は当分の間は残ってしまうでしょう。

どの立場に立つ人も満足させられない事業に莫大な血税を注ぎ込む事が最善の策とは思えません。被災なさった方々の健康管理や生活支援にこそ今後30年間で50兆円を使う方が良いのでは無いか?と私は思うのです。

又、私の勝手な持論では「大丈夫カモ知れないし大丈夫では無いカモ知れない」と云う状況に置かれると・・・大丈夫な筈でも大丈夫で無くなるケースが増えると思っています。因果関係の明らかな放射線に依る傷病の発生を「病は気から」と貶めていると誹りを受けそうですが・・・。

尚、『ただ、何が発現するかは全く分かっていない上、こうしたことがチェルノブイリやフクシマで起こる可能性があるものの、さまざまな要因が絡むため約10世代は先の話だ。』『従って、私には、低線量被曝が遠い将来の世代に与える遺伝的な影響が大きな問題だ。これは人類にとっての倫理的問題でもある。』と内科医(識者?)の方が云われる通り、未だ人類には分かっていない事です。つまり、これも「大丈夫カモ知れないし大丈夫では無いカモ知れない」事です。
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