「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

障害者施設で怖いのは、職員の「強度行動障害」

2021-10-30 11:36:25 | 日記

 

 

今日の今、自らの希死念慮が出現している。

何かと言えば、自分の職業上のスキルをブログで書いていこうと決意した。

障害者施設での「強度行動障害」への取り組みが、自分の業績として取り上げられる。

けれど、よくよく思い出すと、利用者の「強度行動障害」ではなく、職員の「強度行動障害」のほうがよほど恐ろしい。

自分は利用者の「強度行動障害」には対応できる。

ABA的な対応。ロジェリアン的な傾聴の姿勢。TEACCHによる知見。障害者人権条約由来の諸原則。いくらでも対抗策が思いつく。

しかし、職員の「強度行動障害」。その極めつけが津久井やまゆり園でホロコーストした植松死刑囚だ。

植松と同じことをする人はあまりいないし、やってばれれば捕まる。

しかし、植松と同じことを考えている施設職員は、結構な数いる。

ぶん殴ればいい、閉じ込めればいい、精神的にマウントを取ればいい。施設職員の時、しばしば聞いた言葉だ。体罰実施命令さえ受けた。

今は福祉の市場化が進み。明るみに出やすくもなった。しかし職員の質は確実に下がっているとも感じる。福祉現場に専門性、なんて期待できない。

障害者虐待への無料の相談窓口もできたが、それらほとんどは法律で決められて嫌々設立された代物。窓口はやる気なし。お役所仕事でしかない。

本当に解決したければ、やはり代理人弁護士を雇うとか、お金と労力を出して個別加入可能な労組に入るなどして、費用も労力も出して戦うしかない。

職員の強度行動障害と闘うと、ほぼ確実に仕事を失う。と、かつて労組経由の情報から実地で学んだ。

しかし職員の強度行動障害に心では反対していると、確実に仕事を失うことも分かった。

福祉施設の職員集団には、一部職員から強度行動障害の利用者への暴力を「抑止力」「必要悪」と認める風潮が、歴然としてあるからだ。

そんな中で、利用者への暴力行為に否定的な感情を持つ職員は簡単にあぶりだされ、職場から結果的に排除されることになるからだ。

利用者も暴力。職員も暴力。もう自分に福祉は務まらない。もしかしたら私にはこの世に居場所はないのかもしれない。とも感じる。

世の中を見通すと、暴力装置で勢力均衡している様子が、よく分かる。暴力的でない私は、生きていけないのかな?

コメント
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