「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

福祉現場での「人権」の実態について

2018-07-04 20:56:08 | 当事者研究

 

福祉の現場において、「人権」はどうなっているのだろうか。

自分の出会ってきた「現状」を公開したい。

 

まず、福祉の現場で働く職員の「人権」について、赤裸々に描きたい。

サービス残業の嵐である。または公立学校教職員の「給与法」を勝手に民間施設に適用している。今はやりの「高度プロフェッショナル制度」は、すでに医療教育福祉の現場では当たり前のこととなっている。

サービス残業とは「給料泥棒」だと思うのだが、名古屋一の福祉系大法人など夜勤はボランティアだと堂々と言い張り、労働基準監督署はガサを入れようともしない。

医療福祉は無法地帯であることは、もうずいぶん前から知られている現実である。

あるいは、大半の法人が中小零細企業なので、中小零細の大半の経営者が遵法精神に乏しい現実がある中で、普通に人権意識がないのかもしれない。

そして、そこで働く人々にもまた、人権意識は乏しい。教員たちのように、長時間無賃労働することが美徳となっている。

自分はそれではいけないと思い、きっちり残業手当を請求していたころもあったが、結局はボーナスの査定で何万円も下げられるので、ばかばかしくやめにした。

また、労働安全衛生法に触れる業務について、法令違反の指摘を会社に対してしてきたが、これも「毎日の仕事でないから法律は守らない」と宣言されてしまった。

民間企業を標榜していると公言しているので法令順守してくれるだろと思ったら、労基法も労安法も無視する普通の福祉団体だったことにがっかりしている。

職員同士で団結できればいいが、職員も法令遵守の精神がないので労働運動することは半ばあきらめている。せめてしっかり記録にまとめて、退職時に未払い賃金(仮の計算で百万を超える)を弁護士と裁判所経由でもらう段取りをつけている。

 

自分の人権を守れぬ存在に、他人の人権など守れようがない。そもそもテレビやネットが騒がない限り、大したことは起きないと思う。自浄努力など、福祉業界には全く期待できない。だから具体的な虐待事例が発生した場合、物的証拠の収集と保全は必須である。福祉職の良心など全く期待にならない。期待を持つべきは証拠と罪刑法定主義に基づく法的解決だと思っている。今はいろいろなスパイグッズが市販されている。証拠保全はやりやすくなっている。

四半世紀前、プロテスタント系知的障害施設の職員だったころ、しばしば目撃する先輩職員たちによる一部利用者への「有形力の行使」という名の暴力と虐待に苦しめられていたことを今でも思い出すが、福祉局に通報したところで物的証拠はないので断念していた。私がそこを退職してからなぜか労働運動が起こり、労組の派遣した元職員の専従が「暴力根絶」を言い出したところ組合員が一斉反発したという報告をうけたことも記憶している。何せ一番の暴力指導員が連れてきた労組(自分もかつて秘密加入していた)だから、施設内暴力根絶ではなく暴力容認と組合勢力拡大を図ったのだった。これが私の知る現実である。

 

いわゆる相模原知的障害施設大量殺人事件で犯人が元職員で教員免許保持者であることにたいそう驚いたものだが、あのような思想がまさに、福祉施設で生じたのである。あの手の思いに至る福祉施設職員は昔からいたし、時々表沙汰になって来た。

事実は明るみになるべきである。

福祉における「人権」の真実は、その程度である。それが現実であり、その現実を基に行動しなければならない。

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