日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

頭山満述「英雄ヲ語ル」西郷隆盛(8) 日本は道義の大本

2020-06-07 15:42:27 | 頭山 満


頭山満 述 「英雄ヲ語ル」 西郷隆盛(8) 


日本は道義の大本

苟も道を行ふものは、毅然たる態度と信念がなけらねばならぬ。
世の毀譽褒貶など眼中に置くことはいらぬ。

黒田藩主の歌に
   浮雲のかかればかかる儘にして
   澄む空高し秋の夜の月
と言ふのがある。
自分に對する一〇(?印字不明)一笑などに頓着はない。
自分の信する處を堂々と行へばよろしい。

   見る人の心ごこらに任せおき
     高嶺にすめる秋の夜の月 
と言ふのも同じ心境を歌ったものだ。

 大西郷は此信念を、
 「道を行ふものは、天下擧って之を毀るも、意とするに足らす、天下擧て之を譽むるも以て足れりとせざるは自ら信するの厚きが故なり々」と訓へてをる。
 我が皇道は神の道ぢゃ。即ち至誠の道ぢゃ。日本こそ道義の大本とならねばならぬ。
幸ひに北大東の聖戦により、皇道世界に宣くのぢゃ。
先づ日本、ビルマ、印度、支那、と心から提携し、仁義道徳の理想國家を創るのぢゃ。
所謂東亞の皇道樂土を建立するのぢや。

 それには、日本人が大西郷の所調敬天愛人、眞の仁愛の誠を以て、東亞諸民族を友愛しなければならぬ。
此の日本の正義、仁道に對しては字宙萬邦、一指を染むることを許さぬ。
「正道を踏み、國を以て斃るるの精神」を以て此天の道を行ふのである。

文明とは道の普く行はるるもの
 「文明とは道のく行はるを言へるものにして、宮室の壯厳、衣服の華麗、外觀をの浮華を言ふに非す。
 世人の西洋を評する所を聞くに何をか文明と云ひ、何をか野蠻と云ふや。
 少しも了解するを得す。
 眞に文明ならば、未開の國に對しては、慈愛を本としを懇々説諭して開明に導くべきに、然らすして残忍酷薄を事とし、己を利するは野蠻なりと云ふべヘし」

 これは同じく南洲遣訓効一節であるが、英、米國などの驕慢に對し、更に、我國の西洋崇拜者は當に頂門の一針ぢゃ。大痛棒ぢゃ。
英、米の東亞諸民族に對する態度はどうであったか。
 文明どころか、野蠻行爲だ。
 文明、開化は彼等の假面で、迫害と搾取と侵略が彼等の常套手段ぢゃ。
 今こそ彼等の野蠻行爲を日本文明の慈悲心で、性根を直してやるのぢゃ。

節義廉恥が第一也
 我が大陸経營の究編者、荒尾精は自分と別懇であったが、荒尾が話してをつた。
 何んでも荒尾が大西鄕のところにゴロゴロしてをる頃、大西郷の家は誠にボロ家で、雨が降ると座敷が濡る。便所が漏る。
 到底維新元動の邸宅と思はれぬ粗末な借家ぢゃつたさうだ。


 或る日、例の如く雨がるので奥さんが、

「如何でしようもう雨漏りの屋根位お直しになっては」とおそるおそるきかれると、大西郷は「まだお前には俺の心が解らんか」といたく不機嫌であったさうぢゃ。
 その頃の西郷永世二千石に月給の四五百圓はあったであらうから、屋根位は直すに不自由する身分ではあるまいが、それ等の収入はみんな人にやって終うて、只一念勤皇報國、冷飯草履に尻切羽織で奔走してをつた。
 前にも述べた通り弟の従道が、私かに見の爲に住宅を建てようとして叱れたのも其ぢゃ。

 南洲遺訓に
 「節義廉恥を失うて維持するの道決してあるべからず」と戒めてをる。
 節義廉恥第一也と言ふのだ。

修學の要諦
 大西郷の詩に
   學問無主等痴人
   執英雄心當寫眞
   天下紛々亂如麻
   錬磨肝磨獨成仁 
と言ふのがある。學問は體裁にするのでない。
魂を入れ聖賢道を實踐するにある。

 大西鄕も南洲遺訓に
「聖賢たらんと欲する志無く、古今の事迹を見て企て及ぶべからずと思はば、戰に臨みて逃るるよりも卑怯なり。朱子も「白刄を見て逃げるるものは如何ともすべからずと言はれたり。誠意を以て聖賢の書を讀み、共處分せられたる心を身に體し、心に驗する修行をせず、唯其事項をのみ知りたりとも、少しも益なし、云々」と訓へた。

 學問は飾りものぢゃない。窮行實踐するところに修學の目的があるのぢゃ。
 聖賢の書を只文字だけ誦んじても、實践の件はぬものなら三文の價値もない。
 大西郷は不言實行家だ。常に空理空論を排した。
 大西郷の修錬は陽明學に負ふ所が多いやうぢゃ。

 大鹽中齋の「洗心洞剳記」や、佐藤一斎の「言志録」を座右の銘上とし、書寫し、或は手抄したりなぞして愛讀してをつたことでも判る。

愛国忠孝の心を開く
 大西鄕の南洲遺訓は誠に片言隻句悉く金玉の文字である。

 「人智を開發するは、愛國忠孝の心を開くなり、國に盡し家に勤むるの道、明かなれば、百般の事業は從て進歩すべし、云々」と云ふ一節がある。
 實に學問をして却って忠孝、愛國の心を失ふものがある。唯、文字だけを學ぶからだ。心眼を開かぬからだ。

 更に曰く
 「或は耳目を開發せんとして、電信を架け、鐡道を敷き、蒸気器械を發明するも、何故に電信鐡道の缺くべからざるものなりやと云ふ點に注意せず、獨り外國の盛大を羨み、利害得失を論ぜす、家の構造より玩弄物に至るまで、一々外國を仰ぎ、奢侈の風を長じ、財用を浪費せば、國力疲弊し、人心浮薄に流れ、結局日本は身代限となるの外なし」

 日本精神を忘れた物質文明の弊害と、外國模倣の悪弊を戒めてをる。
形骸に囚はれて精神を忘れ、第を奪はるるの愚を戒めた名文句ぢゃ。

  
天道を行ふもの
 大西郷は南洲遺訓の劈頭

 「廟堂に立ち、大政を理するは、天道を行ふものなり。故に公平無私、正道を踏み、賢人を採り、能く其職に任ふる人を用ひて政権を執らしむるは、即ち天意なり、故に眞に賢人と認むれば、直ちに我職を譲るの誠心なかるべからず、云々」と、實に堂々たる宣告をしてをる。
 併し我日本にも往々、天道に反し天意に戻るやうな政治をやり、人選をするから、天道が行はれぬのだ。
流石は大西郷だ。實に巧いことを言ふたものだ。

 大西郷の詩に

    一貫唯々諾
    従來鐵石肝 
    貧居生傑士 
    勳業顯多難 
    堪寒梅花潔 
    經霜楓葉丹  
    若能識天意 
    豈敢自謀安  

    失 題
    不養虎兮不養豹

    赤是九州西一涯
    七百年來奮知處 
    吉二都城皆我儕 
    壓倒海南三尺劍
    人若欲識余居虐 
    長住麑城千石街  

    武村ト居  
    ト居勿道傚三遷 

    蘇子不希兒子賢 
    市利朝名非我志 
    千金抛去買林泉  

 

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