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佐々木高行--ウィキペディア
佐々木高行あて 慶応三年八月二十四日
坂本龍馬
此度、石田英吉の船中は、兼て衣服少なき諸生なれば甚だ気の毒なり。
金を御つかはしなれば、早速に求候。
もし先生の御著ものでも御つかはし遣さる可く候や。
右英吉は非常用向申候義は、官より右よふの事あて御つかはしにて可レ然かと奉レ存候。
何卒宜御取計奉レ願候。謹言。
龍拝
佐々木様
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佐々木高行あて 慶応三年八月二十五日
坂本龍馬
石田及下等士官水夫頭には、私より金少々遣し申候。
弐拾金御つかはしになれば可なり。
西洋衣がとゝのい申候。
彼横笛船では船将にて候得バ、夫(それ)ばかりの事してやり度奉レ存候。
何れ御考奉レ願候。再拝。
八月廿五日
龍馬 再拝。
佐々木先生
左右
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佐々木高行あて 慶応三年八月二十六日
坂本龍馬
一筆啓上候。
然ニ今日木圭(木戸孝允)より一紙相達候間、御覧に入候。
同人事は御国の情ニ能(よく)通じ居り候ものにて、
彼初強く後、女の如などは尤(もつとも)吾病にさし当り申候。
何卒御国の議論も根強く仕度、唯此所一向ニ御尽力奉レ願候、謹言。
八月廿六日
直柔
佐々木先生
龍拝
左右
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佐々木高行あて 慶応三年八月下旬
坂本龍馬
先、西郷、大久保越中の事、戦争中にもかたほ(片頬)にかゝり一向忘れ不レ申、
若しや戦死をとげ候とも、上許両人の自手にて唯一度の香花をたむけくれ候得ば、
必ず成仏致し候こと既に決論の処なり。
然るに唯今にも引取り可レ申とて糞をくらへと鎮台に攻かけ居り候。
何とぞ今少し/\と待つてたべと申来り候間、例の座敷をことはり候て、
皆はねかえり足を空にして昼寝をし居申候。
何は兎もあれ他人は他人にして置き、
西郷、越中守殿の方へは、必ずや御使者御頼み申上候。
是が来らぬと聞けば、小弟に限りなげき死に可レ申候。
其心中返す/″\も深く御察し可レ被レ遣候。かしこ。
龍
佐々木将軍 陣下
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佐々木高行あて 慶応三年八月下旬
坂本龍馬
私より藤屋の空虚を突可レ申、大兄も其儘ふじやに御もりかへしは、いかゞに候や。謹言。
即日
龍
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慶応三年九月初旬 佐々木高行あて
坂本龍馬
先刻御見うけ申候通りニ、大兄の反したまふより援(ママ)隊壮士三四等、ときの声を出し、
ゑい/\と押来り、くおふるに女軍吾本陳(ママ)お打破り其声百雷の(如)く、
大兄此時ニもれたまふて、
地下に吾に何の御顔カホを見セたまふや。
御心根御為レ聞可レ被レ遣(つかはさるべく)候。
なぜに来りたまハぬや、御為レ聞(おきかせ)。
拝首。
呈佐々木将軍
陳(ママ)下
楳 拝首