日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

坂本龍馬から佐々木高行宛宛の手紙(慶応三年八月、九月初旬)

2018-09-26 22:15:39 | 坂本龍馬

            
          
           佐々木高行--ウィキペディア 


佐々木高行あて 慶応三年八月二十四日
 
 

坂本龍馬 

此度、石田英吉の船中は、兼て衣服少なき諸生なれば甚だ気の毒なり。
金を御つかはしなれば、早速に求候。
もし先生の御著ものでも御つかはし遣さる可く候や。
右英吉は非常用向申候義は、官より右よふの事あて御つかはしにて可然かと奉存候。
何卒宜御取計奉願候。謹言。
                                   龍拝 
 佐々木様

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佐々木高行あて 慶応三年八月二十五日  

坂本龍馬 

石田及下等士官水夫頭には、私より金少々遣し申候。
弐拾金御つかはしになれば可なり。

西洋衣がとゝのい申候。
彼横笛船では船将にて候得バ、夫(それ)ばかりの事してやり度奉存候。
何れ御考奉レ願候。再拝。

   八月廿五日  
                                   龍馬 再拝。 
     佐々木先生 
            左右

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佐々木高行あて 慶応三年八月二十六日  

坂本龍馬 

一筆啓上候。
然ニ今日木圭(木戸孝允)より一紙相達候間、御覧に入候。
同人事は御国の情ニ能(よく)通じ居り候ものにて、
彼初強く後、女の如などは尤(もつとも)吾病にさし当り申候。

何卒御国の議論も根強く仕度、唯此所一向ニ御尽力奉願候、謹言。
   八月廿六日  
                                   直柔 
     佐々木先生 
                                   龍拝 
            左右

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佐々木高行あて 慶応三年八月下旬 

坂本龍馬 

先、西郷、大久保越中の事、戦争中にもかたほ(片頬)にかゝり一向忘れ不申、
若しや戦死をとげ候とも、上許両人の自手にて唯一度の香花をたむけくれ候得ば、
必ず成仏致し候こと既に決論の処なり。

然るに唯今にも引取り可申とて糞をくらへと鎮台に攻かけ居り候。

何とぞ今少し/\と待つてたべと申来り候間、例の座敷をことはり候て、
皆はねかえり足を空にして昼寝をし居申候。

何は兎もあれ他人は他人にして置き、
西郷、越中守殿の方へは、必ずや御使者御頼み申上候。

是が来らぬと聞けば、小弟に限りなげき死に可申候。

其心中返す/″\も深く御察し可被レ遣候。かしこ。
                                  龍 
 佐々木将軍 陣下 

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佐々木高行あて  慶応三年八月下旬 

坂本龍馬 

私より藤屋の空虚を突可申、大兄も其儘ふじやに御もりかへしは、いかゞに候や。謹言。
  即日 
                                  龍  

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慶応三年九月初旬 佐々木高行あて

坂本龍馬
 

先刻御見うけ申候通りニ、大兄の反したまふより援(ママ)隊壮士三四等、ときの声を出し、
ゑい/\と押来り、くおふるに女軍吾本陳(ママ)お打破り其声百雷の(如)く、
大兄此時ニもれたまふて、
地下に吾に何の御顔カホを見セたまふや。

御心根御為聞可(つかはさるべく)候。

なぜに来りたまハぬや、御為(おきかせ)

                                  拝首。
佐々木将軍  
        陳(ママ)下 
                               楳 拝首  

 



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