日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

笠井孝著『裏から見た支那人』 自己保存

2024-03-13 11:27:14 | 中国・中国人

                             
    笠井孝著『裏から見た支那人』   

  
 

            
    自己保存

〔官吏の心〕
 支那の社會状態は、前にも述べた如くであるから、
支那人は、自分以外の何ものも、アテにならぬと考へて居る。

 これは換言すれば、自分のことは、他の何ものも構って呉れないと云ふ考へ方である。
そこで各個人は、自己保存の爲め、我利を圖り、私財を作り、
自己を大ならしむることに、專念するに至るのも、自然であると云へる。

 殊に政府、官憲の無力な爲めに、
國民は、自分の明日の地位をも、保証されて居ないのが常態
であり、
特に社會状態が不安であるとすると、
一且官吏なら、官吏の位置を得たならば、明日をも知れぬ將來を考へて、
夢寐の間にも、蓄財の方法を考へるのが、自然だと云ふことになる。

 また斯ういふ理由からと、多年の社會的習慣から、
支那人は、親や妻子でも、自分の肉親でも、
総てが、イザと云ふ時には、決して味方とはならない。

 親兄弟でも、猜疑嫉視が多くて、
打ち明けて、相談相手とはなり得ないものであることを、能く知悉して居る。

 従って自分は、自己だけの未来を、セッセと開拓して行くのみで、
この間には、親も、兄弟も、義理も、人情も、考へては居られない。
況や友人や、近親などのことは、外形は兎も角、内實は一切願みないの常である。

 すなはち彼等の身体座臥は、自己保存の四字に尽くる。
一切の行動は、他人の陥穽に對し、如何にして自己を防護をし、保特し、増大しようかによってのみ、
決せられる
のである。

 この故を以って、日常生活の間に於いても、支那人は極度に自己本位である。
自分の職分として、定められた以外のことは、相互に助け合ふことは、殆ど稀れで、
特に自己の利益にでもならない限りは、遣らない。

 俄か雨にボーイは、アワてて自分様の物は、取入れるが、
さて主人の布団や、友達の着物などは、取入れない。
『人の物を取り入れて、若しも無くなったり、損傷させた時は、自分の責任である。
 君子は危うきに近寄らず』と云ふのが、
彼の申條であり、観念でもある。

〔我不關〕
 支那には、我關せず『我不關』と云ふことがある。
自分の受特以外のことには、一切關係しないと云ふことである。

 何か自分の責任にでもなりさうな場合には、
すぐ我不關と答へて、平気なのが常である。(これは責任回避である)。
 コック、ポーイ等、また極めて利己主義である。

 彼等を雇ひ入れるには、掃除、風呂たき、買物、何々、物々と、
一々その負担すべき職域を明らかに指定して、
それで月給イクラと、ハッキり約束をして置かないと、
約束以外のことは、決して遣らない。

 強ひて遣らせる為めには、別に酒錢を必要とする。
コックは飯のにとだけ、甲のボーイは、客の応接だけ、乙のボーイは、宝内の掃除と、
物品の保管が役目だと、假りに分別したとすれば、それ以外のことは、金論際遣らないのが、
支那人の習慣である。

 コンなことは、下層階級のみならず、各階級、有識者、また例外なしに然りである。

 實例は後で述べるが、官吏でも、軍人でも、
本務の外に兼職をさせる時には、一々別の給料を増加するのが習慣であり、
規定外の仕事を命ずると、苦力でも、酒錢をネダり、
ヒドい話だが、金を出さなけりや、火事場の水も呉れないと云ったのが、住々にしてある。

 支那人は、妙なところに見識振って、ボーイなどは、自己の門内の掃除はやるが、
門外一歩を出づれば、犬の糞、馬の糞が、山のやうに堆積して居ても、
敢て掃除をしないと云ふやうなのがある。

 蓋し門外は、市役所の苦力が遣るべきものであり、
我輩はソンな役目ではないと云ふのである。 

 これなども、彼等の面子根性と、我利々々心理とから来る現象であらう。
 
〔病人は請負〕
 官憲の不良な爲め、努めて責任を囘避しようとする心理から、
顧著なる利己的場面を展開する
ことが、住々にしてある。

 路傍に、自己の親友が、病気で倒れて居っても、
世間の手前さへなけりや、警察から因縁づけられたりするのがウルさいので、我不關で、
行き過ぎたりすることは、屡々である。

 重病の親を、病院の入口まで舁ぎ込んで、
さてこれをイクラで直ほして呉れるかと、
入院料をネギる場面を、能く漢口やら、天津やらで、見せつけられた覺えがある。

 一般に支那では、この人は五十元とか、この病人は七十元とか云ふやうに、
治療まで一切を、医者の請負でやらす習慣があるが、
根気よく入院料をネギるのみならす、
價格が折り合はないと、瀕死の重病人を荷いで、ノコノコと自宅に連れて歸る。

 これは何うせ直ほらない病気なら、
イッソのこと死後の棺桶でも、立派なのを拵へた方が、
第一世間體も、面子も善いと、考へる砂な習慣からである。

〔親子の情〕
 親子同志でも、衣食や、金錢は、別であることがある。
私は北京でアマ(支那婦人)と、十三歳になるその娘とを、一緒に雇用して居たが、
親は親、子は子で、別々に食事を拵らへて居ることが多く、
親は、自分だけの御飯を、サッサと拵らへて、子供には構はなかったり、
子供は、ウドンを拵.へて食べ、親は別個に、饅頭を食べて居ると云った按配である。

 僅か十三歳の少女に對する親子の関係でも、斯んなもので、
その間に親子の恩愛などは見られない。

 別々に給料を貫ふのだから、
別々に飯を食べようと、別に不思議はないではないかと云ふのが、
彼等の普通の心理である。

 北清事變の時、確か通州の近處で、一少女が、露国兵に補へられた時、
日本兵が、その母親を責めたところ、
アノ時若し子供を助けようと思へば、私も捉まへられて、
自分の命も、持って居る金も、共にアブないではないか。

子供を捨てて逃げなればこそ、
自分と、金と二つだけでも、助かったのではないかと、
云ったものである。

 『燒野の雉子、夜の鶴』と云ふ日本人の考へから見れば、
到底堪へ得られぬほどの冷酷さではあるまいか。

 親子の情愛に就いては、尚ほ幾多の實例がある。
日本人が、田合を旅行すると、
村中の病人が集って来て、色々と薬を要求するのが例であるが、
ここに山東の或る一駅で、一支那人から頼まれて、
彼の母親の病氣を診た人の實話がある。
  
 ミーラのやうに瘠せて、煎餅蒲團に寝て居る母親は、
極度の衰弱で容體も悪く、梅毒性の婦人病らしいので、
青島の病院に入れるが善いと、薬と、療法とを敎へて遣ったところ、
病院に行けば、イクラ掛るか、それから薬たけならば、イクラで直ほるか、
さらにこの儘棄てて置けば、何日位で死ぬかと、コマゴマと尋ねるから、
この容體では、十日は六づかしいかも分らないと答へたところ、
 その實子の云ふことが振って居る。

 曰く『何うせ生命がないものならば、寧ろこの儘死なせた方が、
    薬代も要らず、損にもならぬから善い』と云ったと云ふことである。
 これでも村では、孝行息子と云はれて居る方なのである。

 孝は百行の基と云ふけれども、
それは自分の利害と、ピッタリ符合する場合に於いてのみ然り
で、
且つ面子や、體面上、好都合な場合に利用されるだけで、
眞實の犠牲的の孝は、支那人には見られない。

〔株式會社〕
 さらに支那人の自己本位のヒドい一例は、
凡そ支那では、個人か、または一族の合名會社ならばまだ善いが、
株式會社と云ふやうなものは、殆んど成功したタメシがない。

 私の遭遇した二三の實例を擧げるならば、
株を募集して、未だ機械も運轉しない内から、利益の配當を要求する。
電燈會社は、官衙、兵罃から、一切の電燈料の代りに、常に銃剣で脅かされつつある。

 紡績会社は、その製品も、未だ出来ぬ内に、重役は、株券を質に置いて、有金を浚って逃げる。
公共心のないこと、只アレョアレヨとアキれるはかりである。

〔洞ケ峠〕
 支那の政客や軍人は、
一事件が起るごとに、この機會を、如何に自分に有利に展聞しようか、
知何に高價に、自己を賣りつけようかと云ふことを考へ、
これが主題となって、打算的な彼等の自己保存の爲めの行動が、決められるのが、通則である。

 だから何か事件が起るや、
その態度を灰色にして、洞ケ峠を極め込むのは、總ての支那人に共通する慣性
であって、
何も馮玉祥や、閻錫山だけではないと云ふことになる。
 
  
  

 何れにせよ、その色彩の不鮮明な間は、
要するに形勢を見て居るのであって、
この不鮮明が、やがて鮮明なる叛逆に代り、
鮮かなる背反に代る時は、彼が高價な賣却先きを、捉へ得た証拠である。

 支那人を観察するのには、この辺の心理状態を忘れてはならない。
民國十三(1924年)年十月第二奉戰の際の馮王祥の寝返りの如きも、
また十四年(1925年)十一月郭松齢の寝逆の如きも、
まさに彼等の自己的心理を、知悉することによりてのみ、釋然たり得らるる事實である。

 七人の子は爲すとも、女に心許すなと、支那では云ふが、
支那人をして、斯く猜疑と、極度の利己本位に終始せしめた主囚は、
官吏の不法搾取、官憲の無力が、軟柔陰險な個人本位の支那人
を造りあげて仕舞ったことにも困るが、

その複雑なる家庭状態と、制裁不十分なる社會組織、
表裏反覆と、叛逆とを、意に介せない社會制度等の罪に歸せねはなるまい。

 これを要するに漢民族なるものは、厄介なる民族である。



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