日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

勝海舟『氷川清話』(27) 然し人間の精根には限りがあるから

2020-01-02 21:02:22 | 勝海舟

勝海舟『氷川清話』(27) 然し人間の精根には限りがあるから

然し人間の精根には限りがあるから
 餘り多く読書や學問に力を用ひると、
勢ひ實務の方には疎くなる筈だ。
 學者必すしも迂闊なのではない。
 その迂闊なのは、力が及ばないからた。

おれは何時か中村敬宇にいったことがあるヨ。
 お前等の大切にするのは、
失敬の比喩だが、
ちゃうど金箔の附いた書物を大切にすると全じだ。

 塵を着けず、下にも置かず、
随分尊重はするけれども、
さて実際の場合には、
おれほ决してお前等の教えを受けうとは思はないヨ。

 憚りながら實務のことは、
おれの見る所あるから、
必ずしも古人に法らす、
必すしも書籍に質さず、
事に應じ変に處して、
筴開いて豆墜ち、
水流れて渠成る的の作用があるのだ。
 さいった事いあったツケ。

 

先きにも話した通り、
 人には餘裕といふものが無くては、
とても大事は出來ないヨ。
 昔から兎も角も一方の大将とか、
一番の功名者とかいふ者は、
假分どんな風に見へてもその裏の方から覗いて見ると、
ちゃんと分相応に餘を備へてゐた者だヨ。

 今の人達に、この餘を持っているも
のが何處にあるか。
 人には随分澤山ある樣に見る世の中だけれども、
おれの眠には、頓と見ゑないヨ。
皆無だヨ。それを思ふと西郷が偲はれるのサ。
 彼れは常に謂っていたヨ。

『人間一人前の仕事といふものは高が知れる』といっていたヨ。

 幾ら物事に齷齪して働いても、
仕事の成就するものではいヨ。
 功名を為うと云ふ者には、
とても功名は出来ない、
 屹度戦に勝たうと云ふものには。
 
 中々勝戦は出来ない、
これ等はつまり無理かあるからいけないのだ。
 詮じつめれば、餘裕がないからの事ヨ。


 君等には見ゐないか。
大きな体をして、
小さい事に心配して、
あげくの果に煩悶して居るものが、
世の中に隨分多いではない。
駄目だヨ。

 彼等には、とても天下の大事は出來ない。
 つまり、物事を餘り大きく見るからいけないのだ。
 物事を自分の思慮の裡に畳みこむ事が出來ないから、
あの通り心配した果てが煩悶となって、
壽命も何も縮めてしまふのだ。

 全体自分が物事を呑み込まなければならないのに、
却って物事の方から呑まれてしまふから仕方がない。
 これも矢張り餘裕がないからの事だ。

 何事をするにも、無我の境に入らなければいけないヨ。
 悟道徹底の極は、唯だ無我のニ字に外ならずサ。
 幾ら禅で練り上げても、なかなかさうは行かないヨ。
 いざといふと、大低の者が紊れて仕舞ふものだヨ。

 切りむすふ太刀の下こそ地獄なれ
         踏みこみ行けば後は極樂

とは昔し劍客のいった事だ。

 歌の文句は、まづいけれど
も、
無我の妙諦は、つまり、この裡に潜んで居るのだヨ。

 餘裕、思慮、胆力などいっても、
併しこれはその人の天分だヨ。
 天分といふものは、争はれないものだ。

 おれも十七、十八、十九、
血氣盛りのこの三年の間、
撃劍の修業を爲た時に、
いろいろ禅で錬って見たがの、
おれの修業は、大役に立った。

 

人間の元氣を減らすのに、
 一番力のあるものは、内輪の世話や心配だ。
 外部の困難なら、
大抵な人が辛棒もするし、
また之が爲にますます、
元気が出るといふこともあるが、
親兄弟とか妻子かいふやうな内部の世話には、
みんな元気を無くしてしまふものた。

 どんな大悪人でも、
恩愛の情には流石に脆いもので、
この情とふ雨露に打たれるさ、
忽ち元気が袞へて、
善人になりかはるものが多い。
 そしてこれが凡て年齢の加減に関わる様た。

 五十で善人、六十で菩薩、
こゝらがまあ人間一生の段階だ。

 おれでも若し親や妻子が無かったら、
今頃は強盗の頭にでもたって居っかも知れないよ。

 人間は年が寄ると駄目だ。
 やれ伜が何うの、やれ孫がかうのと、
始終是等の妄念に駆られるから、
忽ち耄碌してしまふ此虐の工夫は、
餘程六つかしいもので、
何人も胸に少の塵もなく、
淡然として世を波るといふことは出來難い。

 若いものも仝樣だ。
やれ物知りになりたいとか、
やれ名譽を得たいとか、
始終色々の妄念にられて居る。
この點に至っては、年寄も若い者も同じことだ。

 

 人間の事業も實に淺はかなもので、
その人が死ぬると共に、
その事業も世間から忘られてしまふの
が多い。

 彼の百年論定るといふ人は、滅多にありはしない。
 殊に今日の人は、皆な眼前の事ばかりに齷齪して、
百年は愚か十年の計を立てる人さへない。
 そんな事で何うして千古不滅の大業を仕遂げることが出來うか。

 

困苦艱難に際會すると、
 誰でもここが大切の開門だと思って、
一生懸分になるけれど、これが一番の毒だ。

 世間に始格有勝ちの困難が、
一々頭腦に徹へるやうでは、
兎ても大事業は出來ない。
 ここは支那流義に平気で澄まし込むだけの餘裕がなくてはいけない。
 さう一懸命になっては、兎ても根気が績かん。
 世路の險悪観來って坦坦たる大道の如くなる錬磨と餘裕が肝要だ。

 

 人間は、難局に當ってびくとも動かぬ度胸が無くては、
さても大事を負擔することは出来ない。

 今の奴等は、動もすれば、智慧を以て、
一時逃れに難関を切り抜けうとするけれども、
智慧には尽きる時があるから、
それは到底無益だ。

 今の奴等は、あまり柔弱でいけない。
 冬が來ればやれ避寒だとか、
夏が來ればやれ避署だとか騒ぎまはるが。
 まだ若いのに贅沢過ぎるヨ。

 昔しにはこの位の暑さや寒さに避易する様な人問はなかったヨ。
 そんな意気地なしが何で国事改良など出來るか。

 

昔の人は根気が強くて確かであつた。
 免職などが怖くてびくびくする様な奴は居なかった、
その代り、もし免職の理由が不面目のことであったら、
潔く割腹して罪を謝する。
 决して今の奴のやうに○○(2文字不明)としては居ない。

 もしまた自分の遣り方がよいと信じたなら、
免職せられた後までも十分責任を負ふ、

後は野となれ山となれ主義のものは居なかった。
 またその根気の強いことといったら日蓮や頼朝や秀吉を見ても分かる。
 彼等はどうしても弱らない、
どんな難局をでも切りぬける。

 然るに今の奴等はその根気の弱いこと、
その魂のすわらぬこと、
寳に驚く入るばかりだ。
 而もその癖、いや君国の為とか何の為とか、
太平楽を並べて居るが、あれはた、口先ばかりだ。

 何時かおれが作った詩がある。
   世事都児戯  閉戸独黙思
   濛々六合裏  独對舊山河

 先日もある役人が來たから、
おれはお前ももう止めては何うだといったら、
これも国家の為めだから・・・いやいやながら、
止す訳にいかないといった。

 そこでおれは、
それはいけない、
みづから欺くにも程がある。

 昔にも、
お家の為だから生きるとか死るとか騒ぐ奴がよくあったが、
それは皆自負心だ。

 己愡だ。己惚を除けれは、
国家の為に盡すといふ正味の処は少しもないのだ。
 それ故にもしそんな自負心が起った時には、
おれは必死になって之を押へつけた。

 維新の際にも、
大鳥とか榎本とかいふ英物は、
例のお家の為だといって箱館の方へ逃げて行ったが、
おれは、愚物は到底話をしても分らず。

 英物は自から悟る時があるだらう思って打ちゃって置いた。
 所が、彼等は果して後悔する時が來た。

 お前も今日政府の役人であるから、
天晴れ国家の為に尽して居るのだと己愡れて居るが、
試にその己惚を除けて平気に考へて見るがよい。

 車夫や馬丁がその主人に仕へる外に、
なほ国家に尽す所があるとすれば、
お前のはそれに較べて何うだらうと、
いって聞かせたら、
お役人殿、成る程と感服して行ったヨ。

 

人は誰でも、自省自修の工夫が大切だ

 全林政治の善悪は、
みんを人に在るので、
決して法にあるのではない。

 それから人物が出なければ、
世の中は到底治まらない。

 併し人物は、勝手に拵へうといっても、
それは行けない。
 世間では、よく人材養成なとさいって居るが、
神武天皇以來、
果して誰が英雄を拵へ上げたか。

 誰が豪傑を作出したか。
 人材といふものが、
さう勝手に製造せられるものなら造作はないが、
世の中の事は、
さうはいかない、
人物になると、
ならないとのとは、
畢竟自己の修養如何にあるのだ。

 夬して他人の世話によるものではない。
試みに野菜を植ゑ手見なさい。

 それは肥をすれば、
一尺位づつは揃って生長する。
 併しながら、
それ以上に生長させることは、
幾ら肥をしたって駄目だ。

 つまり野菜は、
野菜だけしか生長することが出來ないのさ。
 文部省がやる仕事も、
大抵功能は知れて居る。

 近頃或る若いものが遣って來て。
 『私は財産もなし、
門地も賤しいから、
自分獨りで豪傑のつもりになって居ます。』といふから、
 おれは心して、
『その積りで十年も遣れ。』といって励まして置いたよ。

 

世の中に無神経ほど強いものはない。
 あの庭前の蟐蛉を御覧。
 尻尾を切って放しても、
平気で飛んで行くではないか。
 おれななどもまあ蜥蛉くらゐの處で、
とても人間の仲間入は出來ないかも知れない。

 無に神経を使って、矢鱈に世間の事を苦に病み、
朝から晩まで頼みもしいことに走して、
それが為に頭が禿げ鬚(ヒゲ、あごひげ)が白くなってまだ年も取らないのに
耄碌してしまふといふやうな憂国家とかいふものには、
おれなどはとてもなれない。
 

 凡そ仕事をあせるものに、
大事業が出家たといふ例がない。

 こせこせと働きさへすれば、
儲かるなどといふのは、
日傭人足や、素町人や、土百姓のことだ。

 天下の大事が、そんなけちな了見で出來るものか。

誰でも責任をおはせられなければ、
 仕事の出來るものではない。
 おれが維新の際に、
江戸域引渡し
の談判をしたのも、
つまり將軍家から至大の権力を興へられ、
維新の責任を負はせられので、
思ふ存分手を振ふことが出来たから、
あの通り事もなく済んだのだ。

 それに官軍の参謀は、
例の老西郷であったから、
ちゃんとおれの腹を見ぬいて居てくれたので、
大きによかった。

 全体、これは別の話だが、
敵に味方あり味方に敵ありといつって、
互いに腹を知りあった日には、
敵味方の別はないので、
所謂肝胆相照らすちとはつまり此処のことだ。

 明治十年の役の時に、
岩倉公が、三條公の旨を受けて、
おれに『西郷がこの度鹿見島で兵を挙げたについては、
お前急いて鹿見島ヘ下向し、
西郷に説諭して、早く兵を鎭めて來い』といはれた。

 そこで、おれは、
『當路の人さへ大決断をなさるなら、
私は直ぐに鹿見島へ行って、
十分使命を果たして御覧に人れませう。』といったら、
岩倉公は『お前の大決断といふのは、
大方 大久保と木戸とを免職しろといふことであらう。』いはれたから、
おれは『如何にも左樣で御座る。』といったら、
『それは難題に。大久保と木戸とは、国家の柱石だから、
この二人は、どうしても免職するこざは出來ない。』といはれたので
『それでは折角の御命令であのるけれども、
とてもお受けを致すことが出來ない。』といって、
おれは断ってしまった。

 処が後で聞けば、
この時鹿児島では桐野が旗挙げのことが政府へ知れたら、
『今に勝麟が誰かの密旨を受けて、やって來るであらう』と西鄕に話したら、
西郷は『馬鹿をいへ、勝が出掛けてくるものか。』といって笑ったさうだ。

 どうだ、西郷はこの通りちゃんとおれの胸を見ぬ居たのだ。
 最早二十年の昔話であるけれど、
是等が所謂真正の肝胆相照らすといふことの好適例だ。

おれが長崎に居た頃に、教師から教へられ事がある
 それは時間さへあれば、
市中を散歩して、
何事なく見覚へて置け、
何時かは必ず用がある。

 医學をする人は勿論、政事家にも、
之れは大切な事だ。
 と斯ふ教へられたのだ。

 そこで、おれは調練の暇さへあると、
必ず長崎の市中をぶらついた。
 ステッキの頭へ磁石をつけて、
これで方角を取っては歩いた。

 それだから、
勿論今日では全く変わってるだらうけれど、
その頃米屋が何處の横町にあるとか、
豆腐屋が何處の角にあるとかいふことまで、
ちゃんとおれは番呑み込んで居たよ。

 この時の事が習慣になって、その後何處へ行っても、
暇さへあれば獨りでぶらついた。
 それ故、東京の市中でも大抵知らない處はない。

 日本橋、京橋の目貫の處、
芝や下谷の貧民窟、
本所、深川の場末まで、
ちゃんと知って居る。
 そしてこれが維新前後に非常の爲めになつたのだ。

 

後進の青年を導くにはなるべく卑屈にせぬ様、
 氣ぐらいを高尚に持っ様にして遣らねばいけない。
 おれが役をして居た時に、
會て十名ばかりの従者と共に同じやうに粗末な小倉袴の扮装(いでたち)で、佐久間象山を訪ねたら、
先生玄関まで出迎へて、
貴下の仕度は餘りではないか從者同し身なりではお役目に対して済むまいがといふから、
拙者の從者をさう輕く見られるけれど、
彼等は皆天下の書生である。

 今でこそ、あなたも先生だけれど、
元は矢張り彼等同じ書生であった。

 数育によっては、
彼等も或いは他日あなたの様に出世するかも知れない。
 故に拙者は、彼等を兄弟として待遇して居るので、
決して全くの従者と思っては居ない。

 といったら彼れも到頭うなづいたが、
象山は、まあこんな風に一体が厳格な今であった。

 併し、この厳格があまり度を過しのが禍となって、
あまり小言をいひ過ぎたあげくに、
河上彦斎に刺された。

 この玄齋といふ男は、
実に險呑な人物で、
おれもたびたび用心せよと人から忠告せられたことがあつたが、
象山を刺したのも、
つまり幕府が當時俄に浪人を捕縛したのは、
象山の計らひに相違ないと疑ったのが原因だ。

 

丁度この浪人捕縛の時であったが。
 おれの家に居た吉太郎といふ男は、
逃げるのは耻ださいって、
門の前で腹を切って死んでしまった。

 昔の人は、皆元気なものサ。
 もし逃げたとか、裏切したとか、
いふ奴があるなら、
他から指をさされない前に、
ちゃんと仲間の者で畳んでしまふか、
さもなければ、
金を附けて田舍の豪家へでも隠して置いて、
時を見て再び連れて帰るのが例だ。

 今の奴等が、逃げても負けても耻とも思はず、
虚言をついても、裏切をしても、一向平気で、
それで以て有志者だとか政治家だとか威張って居るのみか、
世間の者も之を咎めないのは、
實に呆れてしまうヨ。

 どうしてこんなに人間が意気地なくなったか知らん。

 何でも人間は乾皃のない方が善いのだ。見なさい。
 西郷も乾皃のために骨を秋風に曝したではないか。

 己れの目で見ると、
大隈も板垣も始終自分の定見をやり通すことが出来ないで、
乾皃に担ぎ上げられて、殆ど身動きも出来ないではないか。

 凡そ天上に乾皃のないものは、
恐らくこの勝安芳一人だらうよ。
 それだから、おれは、
起きやうが、
寝やうが、
喋らうが、
黙らうが、
自由自在気随気儘だヨ。

 

由比正雪でも西郷南州でも、自分の仕事が成就せぬといふことは



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