頭山満 述 高杉晋作(6)
高杉の活躍
かうなると、高杉の獨檀場だ。高杉は長府に馳せ遊撃隊の軍監高橋龍太郎を説得し、更に、寄兵第の軍監山縣狂介へは、
わしとお前は燒山かづら
うちは切れても根はきれぬ
の都々物にいよいよ兵を擧ぐるに決した。
「東西南北から進撃を開始する」と書き贈り、雪の中を緋縅の小具足に陣羽織を着こみ、桃色の兜を首に引っかけ、駿馬に跨り颯爽たる高杉は、三篠實美公等五卿の宿所たる、長府城外功山寺に到り、
「長州男児あり、これより長州男児の膽つ玉を御覧に入るべし」
死を以てお止め中すぞお止まりなされ長門の国にも武士があると歌ひ、あっけにとられた五卿お附の者等を殿目に馬に乗り、待ち受けた一隊のものに、サアーれから進軍だと突進し、伊藤俊輔の力士隊、遊撃隊の二隊と合せ僅かの劣勢を以て一擧に馬關新地の俗論黨の會所を奇襲し、之を掃討し、何の苦もなく、馬關一帯の地を勤皇正義派の手中に収めた。
高杉擧兵の報が荻に知れ、長藩では諸藩を動員し討代に向はせた。
高杉はそんなことに頼着なく、今度は単身三田尻に現はれ、碇泊中の軍艦を奪ひ、馬關に廻航し海上のを砲臺の備を固め、更に改めて正々堂々俗論黨討代の「討奸の檄」を宣布した。
(註 討奸檄)
御兩殿様、御先組、祠春公の御遺志を繼がせられ、正義御遵守被遊候處、好吏共、御趣意に背き、名を御恭順に託し、
共實は、畏縮倫安の心より、名義をも不顧、四境の敵に媚び、恣に關門をう毀ち、御屋形を破り、剰へ、正義の士を幽般し、加之、敵兵を御城下に誘引し、恐れ多くも、種々の御難題を申立、御兩殿様の、御身の上に迫り候次第、
御國家の、恥辱は不及申、愚夫愚婦の切歯する所、言語道斷、我等、洞君恩に沐浴し、姦黨と、義に於て、倶に天を戴かす、
依て區々の精神を以て、洞春公の御靈を地下に慰め奉り、御兩般様の正義を天下萬世に輝かし奉り、御國民を安撫せしむるもの也。
此「討奸檄」は非常な反嚮を呼び、各地に伏してをつた正義派が高杉の快擧に呼応した。
奇兵隊の軍監山縣狂介、雨宮慎太郎は決死の手兵を以て、俗論黨の本營を襲ひ之を破つた。
高杉は自ら遊撃隊を率ゐ、俗論黨の大軍を追ひ散した。
斯くて正義軍は連戦連勝し、防長二州ほ悉く勤皇一色に塗り換へられた。
實に電光石火の勢ひだ。
(姫島幽閉中の野村望東尼救ひ出しと高杉の晩年とは、望東尼のところに話したから略く)
松下村塾同人申合
松下村塾は創業の吉田松陰を失って後は、松陰が最の愛撫措かなかった松陰門下の雙璧久坂 高杉が恩師松陰の遣志を継承して、修錬に努めた。
何しろ貧乏士族の子弟ばかりで一片の紙も一冊の書籍も仲々自由に買へない、経營は仲々困難であった。
そこで、久坂、高杉の主唱で一同、手内職をし、それで得た零細な金で、村塾の維持のみならす、國事に奔走した者の建碑などする申合をした。
之を「貧者の一燈」の意味で「一燈錢申合」と言うて居る。
松下村塾からは、久坂、高杉を初め、伊藤博文、山縣有朋、品川彌次郎、三浦觀樹、其他明治政府の重きをなした有爲の人才を多數に出してをる。
「一燈錢申合」などやって困苦缺乏に堪へて苦勞力行し、志す處は君國に在り、さすがに松陰の精神が徹底して居った。
(註 一錢申合)
此度社中申合、自分自分の力を盡し、骨を折て些細の事ながらも、相もうけ置度事に候、
非常の變、不慮の念に差懸り候ても、嚢中拂底にては、差閊ものにて候、
追々有志の牢獄に梁がれ又は飢渇に迫候も相助け度、義士烈婦の碑を建、墓を築等にも、
力を盡し手を延し度事に候得共同中有餘の金も有まじき事に候へば、
何れ此方の至誠をのみ貫き度に、されば毎月冩本なりもして、僅の儲致置度、
月末松下村塾まで銘々持寄可致候、半年にもせよ一年にもせよ、塵もつもれば山となる理にて、屹と他日の用に相立、目途かなひて被考候。
同社中、身の油を絞出して集る事なれば、容易に費すべきにあらす、
やむを得ざる事なれば社中申合の上にて取抬可申候。
抑々人を救ふも、富貴長者の事ならば、如叶ふベけれど我々にては、
かうまでにするは、「貧者の一燈」と申べき事に候、至誠のつらぬかぬ理は、よもあるまじき也。
依て此度取建候金を、一燈錢とは名づくる也。
一、毎月寫本六十枚宛村塾まで必持寄致置候事
一、寫本料は先師の定める所眞字二十行二十五文、片假名同断四文の事
一、一日僅に二枚宛の事なればさまで勉強のならぬ事は有まじ若此數不足するときは一枚の定をもって相償必持寄可有之候事
右の條々度申合せ候所是しきの事さへ、首を惜み候位にては、我々至誠貫候事も無覺束候樣相考候、銘々屹と怠らぬゃう致度事は申も誠に候。 己上
文久二年酉十二月朔日松陰先生殉難を距つること三年に近し
松下村塾同社中
弔 久坂玄端 高杉晋作
埋骨皇城宿志酬
精忠苦節足千秋
欽君卓立同盟裏
不負青年第一流
官祿於吾塵土輕
笑拗官祿向東行
見他世上勤王士
半是貧功半利名
今宵こそいづこの里を宿とせむ
筑波の峰にかかる白雲
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