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禅のことば「前後際断」


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前後際断(ぜんごさいだん)

 

道元禅師の主著『正法眼蔵』現成公案の巻には、禅師の思想を強く反映している言葉が多いが、代表的な言葉の一つに「前後際断」がある。仏教では縁起を説き、すべてはつながりの中にあるとするが、一つひとつは独立(際断)していて、それらをつなぐのが「縁」と説く。つながっているとは言え、今の現実はすべてが、ぶっつけ本番でそこだけの勝負。ゼロからの出発の連続なのである。

      ◇ ◇ ◇  ○  ◇ ◇ ◇ 

春夏秋冬、季節はつながって変化しますが、道元禅師が言うには、春という実体が夏に変わったり、秋になったりするのではない。それぞれが、縁が生じて、独立して主役としてその時、その時が存在するのだと説きます。つい、過去に執らわれイメージを引きずったり、未来に躊躇したりしがちですが、現実を冷静に捉えられれば、最善を尽くす力が湧いてきます。常に自分を的確に捉えて、過去にこだわらず、未来を限定しないで一時に尽くすように生きたいものです。それを実行できるのは、自身に一番身近にいる自分なのです。

道元禅師の教える世界からは、そんな生きるエネルギーと明日への勇気を感じ取ることができます。

 

 

 

この教えが感じられる道元禅師の言葉

 

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり

                                                       『傘松道詠』

 春には美しい花が咲き、夏にはホトトギスが飛来し鳴き声がこだまし、秋にはとりわけて月が美しい。冬になれば雪に覆われた景色が静寂と厳しさを奏でてくれる。それぞれが主となり、趣がある美しい日本の四季である。翻って考えてみれば、一つひとつ、一人ひとりがみんなそれぞれに本来の姿を現じている。

 この句は、川端康成氏が、ノーベル文学賞受賞の際にストックホルムの講演で「わが心の歌」として引用された句として広く知られるようになった道元禅師の句である。日本の四季の美しさを表現しているとともに、それぞれの独立した瞬間の存在の尊さをも表現している。

 道元禅師はこの句に「本来の面目を詠ず」と題を付けている。伝記によれば、鎌倉に招かれて詠んだ句のうちの一つとされている。時の執権、北条時頼は、宝治の合戦で三浦一族を滅ぼし、争乱の渦の中に居た。そんな中で、本来の面目(大切なこと)を道元禅師は伝えたかったのかも知れない。

 

しるべし、薪は薪の法位に住して、先あり後あり。前後ありといえども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、後あり先あり。(略)生も一時のくらいなり、死も一時の位なり。たとえば、冬の春となるをおもわず、春の夏となるといはぬなり。     
                                                    『正法眼蔵現成公案』

 認識すべきである。薪は薪の存在の中に時間的な前後の形はあるが、その前後は切断されていて瞬間瞬間に個々の姿が独立している。灰についても同じ事が言える。(過ぎた姿は戻らない。)生まれるということもそのような瞬間の一場面であり、死もそうである。例えば、冬が春になるのではないし、春が夏になるとは言わない。(仏教ではこう考える。)

 非常に論理的であるが真理を言い得ている。明治時代の哲学者西田幾太郎氏はこのことを「非連続の連続」と表現している。瞬間瞬間は別物でどうなるかも不確定で、自在に変化できる可能性を秘めている今なのである。

 

いまこの行持、さだめて行持に行持せらるゝなり。この行持あらん身心、自らも愛すべし自らも敬ふべし。    
                                                     『正法眼蔵行持(上)』
 

 今、行っている(仏の教えに随って行っている)行いは、自己の行いではなく、間違いなく仏様による仏様の行いなのである。だからこそ、仏法に適ったこの正しい行いを行じている自分自身こそ、自らが愛すべき尊敬すべき存在(仏作仏行)なのである。

 

尽界に、あらゆる尽有はつらなりながら時々なり、有時なるによりて吾有時なり
                                                            『正法眼蔵有時』

 無限に広がる世界に、存在する物はすべてつながり合いながら、その時その時を刻んでいる。そういう時間だからこそ、その中にいる自分も時間そのものなのである。

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私は箱根駅伝ファンの一人です。毎年、戸塚中継所付近で応援しますが、中継所手前の一歩一歩は正に『前後際断』なのだと思っています。一歩一歩、行ずる今こそがすべてで、大変な勇気をいただいています。


 

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