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ナガサキへの想い

 昨年の9月にこの長崎を訪れているので、特別な想いがありました。

 もちろんヒロシマも忘れてはいけません。しかし、ナガサキにはまた別の視点から、平和について考えさせられることがあります。
 それは、兵器実験を如実に感じさせられる事実がはっきりと残されているからです。もともと、平和のための兵器使用はナンセンスなことですが、ナガサキの史実は、兵器開発の実験、ヒロシマ型原爆開発者との科学者(真の科学者とは呼べないかも、というよりは為政者の犠牲となった科学者かも知れない)どうしの競争。世界の各国のイニシアチブを取りたい利権。などなど、平和のための戦争とは程遠い人類の抱えているみにくい問題点を最悪な形で残してしまっているのです。
 そして、もう一つの特徴は、単なる偶然と思いますが、キリスト教文化、出島という江戸時代からの国際文化都市を襲った出来事であったこともナガサキの特徴なのです。
 投下された地形が、起伏の有る入り組んだ場所であったと同様に、入り組んだ惨状の様相が見えます。昨年、『長崎の鐘』の原作者、永井隆先生(医師)が療養と活動をされていた庵を訪れましたが、ほんとうに大変なことであったと思いました。

 昨日行われた記念式典の会場は、炎天下、とても大変だと思いましたが、何千人も入る大きなテントが、8月5日から4日間かけて設営したのだそうです。世界の各国からも参加を呼びかけ、十ヶ国弱の在日大使などが参詣した模様。このような催しは世界的なものになって欲しいと思いました。 

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