この世の中には様々な人々が住んでいる事は周知の事実だ。我が国の偉大なる特質が多様な文化を認めている事であることは以前にもこのBlogにおいても論評した。文化の多層構造が我が国の新しい輸出産業を構築しようとしているとも指摘は可能かもしれない。この輸出産業とはアニメ・ゲーム・マンガ等の世間一般で言うサブカルチャーである事は現在のところ否定する余地は無い。このサブカルチャーにおいて現在生じている構造は「内輪受け」とでも言う構造だ。この世界観はその世界に居住する人間においては極めて好感を持って受け入れられる。何故ならば、其れは日常であるからだ。しかしながら、その世界に住まない者にとってはそれは理解できぬ「鵺」のようなものだ。
この「内輪受け」、一種の自己世界「The World」を紹介していくのが、この「The World」シリーズである(Ⅰなのは一回目だからだ)。今回紹介するのは講談社アフタヌーンKCから出版されている「げんしけん」だ。現在のところまで4巻まで発売されている「げんしけん」だが、内容的に言えば多くの大学に存在するであろう「ヲタク」系サークルを極めて写実的に描き出している点が特徴である。このようなサークルが現実にこのような行動を取るかは別としても、其処で描かれる描写自体にはその世界に住むものにとって見慣れた(あるいは、何処かで一回は見たことのある)光景に違いない。取り上げられる内容もコミケ(に類するイベント)やコスプレ、エロゲー等を包括的に網羅している。
しかしながら、この漫画は一般人にとってどれほど理解され得るものなのだろうか。確かにこの漫画には一般人である春日部が登場する。この漫画において一般人春日部の存在は、客観視を助ける役割を果している。つまり、世界の住人であるならば春日部がヲタクに対して発する言葉の数々に嗜虐を感ずる事であろう。何故だか良く分からぬ事だが、この世界に住む人々にはそのような性癖の人々が多い。サブカルチャーが我が国の偉大なる輸出品になろうとしているにせよ、世間一般の視線は肯定的とは言い難いからだ(少なくとも10年前に比べれば世間の「一般人」の水準も、よりこの世界に接近したものになっているのだが)。つまり彼らはそのような環境に慣れているのである。一般人からすれば春日部の立場に自身を投影すれば良いのかも知れない。もっとも、「健全な」人々はこのような漫画は読まないのかもしれないが奇特な人はこの投影によってヴァーチャル的に体感する事が出来る。
その点に関する限り、この「げんしけん」はバランスが取れているのかも知れない。だが、ゲーム「こみっくぱーてぃー」を筆頭とした同人誌」製作型恋愛シミュレーションゲーム、「花右京メイド隊」にも登場するコミケ等、現在のサブカルチャーにおいて「一般」と隔絶した象徴を展開する事は必須の事項として存在している。其れが良い事かは判断が分かれるところであろうが、これを要約すれば商業作品の同人誌化である。無論、同人ゲーム「月姫」、個人製作アニメ「ほしのこえ」のように同人から商業へと発展した事例もある以上、この流動性というものは一定の評価は与えられものなのかも知れない。「The World」を解釈する課程においてこのような同人化する商業作品と商業化する同人作品の構造をより着目する必要があると言えよう。
この「内輪受け」、一種の自己世界「The World」を紹介していくのが、この「The World」シリーズである(Ⅰなのは一回目だからだ)。今回紹介するのは講談社アフタヌーンKCから出版されている「げんしけん」だ。現在のところまで4巻まで発売されている「げんしけん」だが、内容的に言えば多くの大学に存在するであろう「ヲタク」系サークルを極めて写実的に描き出している点が特徴である。このようなサークルが現実にこのような行動を取るかは別としても、其処で描かれる描写自体にはその世界に住むものにとって見慣れた(あるいは、何処かで一回は見たことのある)光景に違いない。取り上げられる内容もコミケ(に類するイベント)やコスプレ、エロゲー等を包括的に網羅している。
しかしながら、この漫画は一般人にとってどれほど理解され得るものなのだろうか。確かにこの漫画には一般人である春日部が登場する。この漫画において一般人春日部の存在は、客観視を助ける役割を果している。つまり、世界の住人であるならば春日部がヲタクに対して発する言葉の数々に嗜虐を感ずる事であろう。何故だか良く分からぬ事だが、この世界に住む人々にはそのような性癖の人々が多い。サブカルチャーが我が国の偉大なる輸出品になろうとしているにせよ、世間一般の視線は肯定的とは言い難いからだ(少なくとも10年前に比べれば世間の「一般人」の水準も、よりこの世界に接近したものになっているのだが)。つまり彼らはそのような環境に慣れているのである。一般人からすれば春日部の立場に自身を投影すれば良いのかも知れない。もっとも、「健全な」人々はこのような漫画は読まないのかもしれないが奇特な人はこの投影によってヴァーチャル的に体感する事が出来る。
その点に関する限り、この「げんしけん」はバランスが取れているのかも知れない。だが、ゲーム「こみっくぱーてぃー」を筆頭とした同人誌」製作型恋愛シミュレーションゲーム、「花右京メイド隊」にも登場するコミケ等、現在のサブカルチャーにおいて「一般」と隔絶した象徴を展開する事は必須の事項として存在している。其れが良い事かは判断が分かれるところであろうが、これを要約すれば商業作品の同人誌化である。無論、同人ゲーム「月姫」、個人製作アニメ「ほしのこえ」のように同人から商業へと発展した事例もある以上、この流動性というものは一定の評価は与えられものなのかも知れない。「The World」を解釈する課程においてこのような同人化する商業作品と商業化する同人作品の構造をより着目する必要があると言えよう。