情報分析研究促進開発機構

統制経済推進委員会(CEPC)のブログ運用サイト。

民営化という地方分権へ

2005年11月13日 14時21分47秒 | 世情雑感(妄想政治論)
 小泉首相は郵政公社の民営化を表傍して先月の衆議院選挙で地滑り的勝利を収めた。
 これは日本が1980年代の中曽根政権の行革にはじまる大きな政府から小さな政府へという政策転換が最終段階へ入りつつある事を示している。小さな政府が行き着く先は外交・防衛等の分野を除く大半の国が持つ様々な権限を地方へ移譲していく地方分権になる。小生はこのBlogのタイトルに「幻想」という言葉を用いた。しかし、誤解されたくないのは、小生が地方分権に批判的な側面で「幻想」という言葉を用いた訳ではない。地方分権が既に始まっているという観点で用いているのである。しかし、多くの人はここで懐疑を抱かれるだろう。確に地方への権限移譲や平成の市町村大合併によって権限受容は進んでいるものの、何ゆえにそれで地方分権が進んでいると言えるのかという指摘はもっともであるからである。しかし、既に地方分権は現実レベルで進み始めているのである。我々がそれを認識しないのはそれが民営化されるという一段階を踏んでいるからに他ならない。
 ここまで来れば見えて来よう。地方分権の先鞭とは公益事業の事である。1986年に民営化された日本電信電話公社は、現在、二つのNTT(東日本、西日本)という地域会社に分割されたし、日本国有鉄道も六つの地域会社(北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州)に分割された。そしてこの10月1日には日本道路公団が東日本、中日本、西日本そして首都、阪神、瀬戸大橋に分割された。道路会社についてはまだ何とも言えない面はあるが、NTTやJRは分割民営化によって前よりもサービスが低下したという話は聞こえて来ない。つまり、自然と国家権力の地方化は定着してきていると言えるのである。この現実は地方分権の困難性を指摘する見方に十分な対抗要件を示すものだ。機能の一部を移譲するのではなく特定の機能全てを移管することが重要である。その為には、現在の県レベルでは規模が小さすぎるのも事実である。都道府県レベルで一つの独立した政治経済単位を構成出来るのは東京位であろう。つまり、地方分権には都道府県より大きな構成単位を設ける事が必要である。何よりも現在の都道府県の枠組みは上部構造たる国家との繋がりはあるものの、横の繋がりは極めて希薄だ。それは単純に政策決定、予算配分を国家に握られている部分が多いからだ。例えば、交通システムの整備は現在では都道府県間を越えるような国道、高速道路、鉄道等には国家の政策決定が働いており、複数の都道府県が連携して整備を進める枠組みにはない。また、「3割自治」という言葉が存在するように地方公共団体の財政の大半は国からの地方交付税交付金や様々な補助金によって支えられている。政策決定、財政を分離しなければ地方分権は難しい。
 ここで考えられるのは、権限の細分化による地方分権の率先だ。様々な権限を国の権限から分離していくが、それを都道府県に交付するのではなくそれを上回る広域な地域共同体へ付与する。様々な権限を別個に
付与するのは一括して地方分権を行うことが現行の政治システムでは難しいからだ。地方自治体には自身で地域共同体を構築していく度量がない(地域共同体の成立は都道府県の存在意義を大幅に低下させる)。そして国には様々な「抵抗勢力」(国会議員、官僚機構、圧力団体、マスコミ等)が存在しており、こちらも一括して地方分権は出来ない(そもそも「国」は地方を信用していない)。つまり、地方分権を切り売りして時間をかけて実現していくしかない。無論、最終的には権限委譲された個別の地域共同体を融合して一つの地域共同体へ移行するのである。これはEC(欧州共同体、現EU、欧州連合)が3つの多国家機構(欧州石炭鉄鋼共同体、欧州原子力共同体、欧州経済共同体)を融合して設立されていった過程に類似している。無論、EC、EUと進化して言った過程には冷戦構造とその崩壊等といった政治的背景や偶然という要素も含まれているが、このモデルは日本においても活用できる可能性は十分にある。無論、ここの議論では様々な民営化された公益企業体をもとの官業へ戻すことは意味しない。しかし、官業から地方分権が進み始めており、それは成功を収めている。そして、それは地方分権の大きなモデルとなりうるものなのだ。
 ただ――、一つ言える事があるが、「小さな政府」でも「大きな政府」でも既得権益というものは発生していく。そして地方分権も小さな政府と同義語ではない。地方分権が「大きな政府」でも「小さな政府」でもない「中位な政府」を生み出してしまう事になるかも知れないのだ。政府がいかにあるべきかは常に監視監督されるべきであるのだ。それがどこに権限の中心が存在しているかに限った事ではない。そして、それを出来るのは国民の個々人なのである。

最新の画像もっと見る