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スクラン

2004年06月18日 13時25分27秒 | 世情雑感(サブカルチュア)
 「School Rumble」(講談社、小林尽)という「少年マガジン」連載の漫画がある。「マガジン」と言うと「ネギま」であるとか「ツバサ」であるとかの方が人気があるのかも知れぬが、カルト的な要素としてはこの漫画の方が上であろう。当初は女子高校生と不良高校生から見た特定的視座を有した学園ギャグ漫画と思いきや(ある意味において「あずまんが大王」と類似した側面があったと言える)、今では完全に学園ギャグ漫画となったと言えるだろう。
 現在、最新刊は第5巻(本年6月刊行)であるが、この小林尽という漫画家は巻を追うごとに内容に深みが増し(率直に言えば、最初の方のネタが面白いかと言えばそうでもない)、漫画の画質も向上している(週刊の賜物だろうか)。或いは、キャラクターと言うものの書き口が板について来たのかも知れない。この漫画、当初は明らかに短期間での連載を想定していたものと思われる。それは、最初の方においてあたかも一年で終わるような印象の表現が散見される為であるが(そして、漫画特に少年漫画は季節感を織り込む事も重要な要素であるので時系列が現実世界と相関関係を有している場合が多い)、今ではそのような想定は別次元に置かれてしまっていると言って良いだろう。この漫画はギャグと言う観点におくならば現在、毎週土曜の朝10時から放送している「ケロロ軍曹」よりも上である。「ケロロ」自体も悪い漫画ではないが、ガンダム系の小ネタは必ずしも一般人に通用するものではないからだ(無論、この「ケロロ」が「少年エース」連載であると言う点は勘案しなければならないが)。その点において、この「School Rumble」は流石、少年誌連載だけはあるといえよう。この漫画の暴走が何処まで続くのか興味深く追って行きたいものである。

かへりみはせじ

2004年06月17日 19時59分25秒 | 世情雑感(社会情勢)
 この言葉は軍歌「海ゆかば」の一節に登場してくる言葉だ。小生は、先日、九段坂周辺の戦争慰霊施設を調査してきた(その調査画像は「東星」総司令部のG4分類で後日公開する)が、この調査で感じた印象はまさにこの言葉が適切だ。この地域には大きく三つの戦争関係の慰霊施設が存在している。誰もが思い浮かぶ歴史認識や戦争責任で何時も槍玉に上がる靖国神社、我が国の無名戦死の墓に当たる千鳥ヶ淵戦没者墓苑、そしてこれは戦争慰霊ではないが防衛庁内にある殉職者慰霊碑である(小生は調査において前二者を訪問した)。
 「かへりみはせじ」――まず、千鳥ヶ淵戦没者墓苑だが、此処は忘れ去られた慰霊の場所と言っても良いだろう。靖国神社は毎日多くの参拝客が訪れているが、ここは戦友会や遺族会がバスで乗り付けて花を手向けてさっていく以外に人影はまばらだ。この場所は無名戦没者を追悼するだけあり、まさに多くの人々からかえりみられてはいない。もっとも、この構図は靖国神社にも当てはまる。ここは戦後と言う存在において最大に問題として指摘されながら、戦後においてはこの国を守りし殉職自衛官達を祀る場ではない。それは防衛庁内の慰霊施設に祀られるからだ。つまり、国防と言う点を主眼に置いた神社でありながら靖国神社は国防の施行官庁である防衛庁からかえりみられる事はない。それでは防衛庁内の慰霊施設はどうかと言えば此処は国民からかえりみられていないだろう。防衛庁内にある為に防衛庁見学ツアー等に参加しなければ一般国民に縁がないからだ。
 そして、この「かへりみはせじ」の構造は我が国の戦争と言う存在へのパラノイア的状況を示している。自衛隊は慰霊と言う点において過去との分離を明確化しているし、靖国神社は神社と言う性格上、戦後の国防の任に当たるものを慰霊出来ない。そして千鳥ヶ淵戦没者墓苑は第2次世界大戦における戦没者を対象としているものである。我が国の歴史において戦前と戦後を分断する考え方は最早、歴史の異物かもしれないが、この分野においては分断はより明確化して来ていると言えよう。
 近い将来においてはこの国家に殉じたものの慰霊と言う国民国家が抱える重要問題は急速に歴史の隙間に埋没するかもしれない。それは、誰もが予測しなかった速さでRMA(軍事革命)が進展しているからだ。第2次湾岸(イラク)戦争において明らかになったように戦場を掛けるのは無人兵器と精密誘導兵器である。命無き物によって遂行される戦争と言う状況に慰霊は存在しない。

皇帝と革命軍

2004年06月14日 21時42分47秒 | 世情雑感(サブカルチュア)
 Microsoft社から2003年発売された「民族の興亡~Rise of Nations~」の興亡に拡張パックが登場した。拡張パックになっての注目点はアメリカ等の新しい民族と政体の導入にあるとされている。もっとも、追加された偉大な建造物と世界征服キャンペーンも見逃せない。偉大な建造物として追加された紫禁城は都市としてカウントされる為に偉大な建造物を併設でき、同じく追加されたラールキラー(偉大な建造物であるが、都市に建設可能な偉大な建造物としてカウントされない)も建設すれば一都市に3個の偉大な建造物を建設出来ると言う事になるのだ。
 世界征服キャンペーンでは先日亡くなった米国レーガン元大統領の追悼として「冷戦」をプレイしてみたが、なかなか面白い展開が演出される(米国とソ連が選択可能だが、追悼であるので当然のことながら米国を選択した)。最初のうちはNATO(北大西洋条約機構)諸国の領土の防衛力のアップが要点になる。さもないとWPO(ワルシャワ条約機構)側に寝返ったりするのだ(分かり易く言えば、マーシャル・プランである)。欧州の安定化を図る間に中南米に介入して(モンロー主義的或いは懇望外交か?)献上品の増大を図る。その間にソ連は中国を保護国に置き(1949年の中華人民共和国建国と言う事になる)、朝鮮にも攻めてくるので防戦する事になり、上手く行くと北朝鮮のリーダーを打倒し朝鮮半島全域を確保できる(当然の事ながら、中国の人民義勇軍が介入してくる)。後は、欧州でのWPO切り崩しを行い、中東等を制圧していけば経済力でソ連を容易に上回る事が可能だ。但し、色々な小ネタも仕組まれている。1968年のプラハの春を使えば東ヨーロッパの制圧は容易であるし、エジプトは反乱軍を利用すれば制圧できる(1954年のスエズ動乱に当たるのか?)。もっとも、ベトナム戦争は残念ながら再現し難いと言える(やはり、米国にとってはベトナムは汚点であり続けているのだろうか)。
 冷戦といえば核戦争の恐怖が代名詞であった。無論、核兵器を生産しソ連に攻撃を掛ける事は可能である。しかしながら、当然の事としてソ連も報復して来るので余り進められない(勿論、撃ちすぎればハルマゲドン・クロックが発動する)。マニアックな手法としてはスパイを使って敵にミサイル基地を破壊するというのも裏の戦い方だ。核戦争の危機はDEFCONメーターで確認出来るが、WPO制圧等を行うとかなりDEFCONが上がる(当たり前か)。そして、ソ連本土へ侵攻すればソ連側は核兵器を発射して来た(あと、アラスカ等へ攻めてくる事もある)。結局のところ言えるのは、冷戦とは熱い戦いではなく冷たい戦いだったと言う事だ。確かに攻め込んでいるのはマップ上では米国の軍団だが、これは米国の同盟国に置き換えても良いだろう。冷戦とは米ソが直接対決しない代理戦争の時代でもあったのであるから。
 もっとも、日本語版といえども訳の分からない部分がある。保護国等はその当時の指導者の名前が表示されるのであるが、ソ連がスターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、チェルネンコ、ゴルバチョフと時代毎の指導者が表示されていくのに日本は1980年代になっても池田勇人が指導者になっているのである(隣の韓国でさえちゃんと全斗煥と成っているのにも関わらずだ)。確かに高度経済成長を打ち出した池田勇人首相は偉大な指導者ではあるが、1980年代になったら中曽根康弘の名前を出して欲しいものだ(今後の修正パッチで改善される可能性はあるが)。
 この世界征服キャンペーンの「冷戦」は当時の国際情勢を体感すると言う意味においては良い出来かも知れない(当然、ゲームとしてである)。少なくとも、米国が欧州に対して払った努力や核戦争の脅威について体感出来るのは事実であるからだ。しかし、冷戦は既に過去の「歴史」として語り得る存在になってしまったのかも知れない。冷戦の間、米ソは地球の上をチェス盤のように扱ったが(現在でも米国については変わっていないのかも知れないが)、まさにこのゲームはチェスのように軍団を動かしていく。ゲームとして語れる冷戦。まさにフランシス・フクヤマ曰くの「歴史の終わり」は此処に極まれるといえるのかも知れない。
 冷戦だけに限らずこのゲームは面白い。リアルタイム・ストラテジーであり、毎回状況は異なってくるし、マップも多数、民族のバリエーションも豊富と何度プレイしても飽きないゲームと言えるだろう(これが、対人ネット・プレイでやるとコンピュータと違う面白さがある。その人の個性が出るとでも言うのだろうか)。自由度も高く、この作品は戦略シミュレーションゲームにおける名作に名を連ねる事はまず間違いないと言えよう。

未来都市TOKYO

2004年06月11日 23時48分19秒 | 世情雑感(社会情勢)
 成美堂出版から「東京・首都圏 未来地図」という雑誌(分類上は)が出た。大まかに解説するならば、この先の東京に登場してくる建造物群の紹介である。エリア的には日本橋、丸の内、臨海部、秋葉原等々・・・。多くが再開発と呼ばれるもので古くからの商業地に昔の雰囲気を残しながら巨大高層建築を建設すると言うのがパターンである。それにしても驚かされるのが、この計画が完成した暁には東京中に高層ビルが立ち並ぶ事になると言う事だ。今まで、東京における高層ビルと言えば池袋のサンシャイン60か新宿の都庁舎に象徴される西新宿高層ビル群だったが、これからは丸の内等にも同様の存在が登場してくる事になるだろう。
 それにしても、これだけ多くのビルを建設して入居の当てはあるのかと言う事だ。これらの新規ビルの多くがオフィスブロックとホテル等の商用ブロックを併設している。現在では、一段楽したもののオフィスについては2003年問題と言う供給過剰が指摘されていたのである。数年後にはこの再来することになるのかも知れない(再開発であるので、昔いた企業などが入居すればそう問題ではないのかもしれないが)。
 さて、この中の秋葉原について少し取り上げてみよう。秋葉原では青果市場の跡地に高層ビル(住居とオフィス)が建設されている。この2つのビルである秋葉原ダイビルとTOKYO TIMES TOWERは相当遠くからも臨む事が出来る巨大なものである。これらの建造物等が出来る事が、情報産業と結び付いた東京のシリコンバレーへと言う幻想を抱かせてしまうような内容ではあるのだが(誰もが、渋谷をビットバレー等と呼ぼうとしていた事は忘れ去っている・・・結局のところビットバレーは失敗だった)、そのような事を真面目に信じているのは偉大なる衆愚政治家であられる都知事閣下位ではなかろうか。遠くから見れば輝かしき情報集約都市に見るのだが、内面ではサブカルチャーに占拠されている。数年後にはサブカルチャーと結び付いた新しい年の形を提示することになれば面白いのだが・・・(交通網でも、筑波エキスプレスの開業に伴い秋葉原駅の大規模な改修が進んでいる)。
 この「雑誌」はこの秋葉原に限らず、様々なエリアの未来像が提示されている。数年後にそこに現出するのが輝かしき未来であるかは分からないが、新しい東京を妄想しながら読むのも一興だろう。
 それにしても、数十年後にこれらの建物を解体するときはどうするのであろうか・・・。人の作りしものが不滅であった事は無い。どのようなビルの生涯が待っているのかも興味深いところだ。

日本文化の多様性?

2004年06月10日 00時30分27秒 | 世情雑感(サブカルチュア)
 日本の文化は相当に多様なものだ。この国に居住している我々自身には認識し難いものなのかもしれないが、第三者の視点からすればそうらしい。まさに現在のサブカルチャー文化等はその中核を成していよう。これは東京での例だが、新宿が一般文化の集積地帯であるとするならば、秋葉原はサブカルチャー文化の集積地である。この両者は行って見れば一目瞭然であるが、前者は対象をリアルとしており後者の対象はバーチャルだ。このように書くと極めて当たり前の事を書いているように思われるが、外国人の視点で見ると事態はより滑稽に写る。「Hotwird JAPAN」に掲載されている「どれくらい楽しめる?日本の『美少女ゲーム』」(http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20040609201.html)という記事を読んで頂ければ良く分かるだろう。もっとも、記事内で紹介されている年齢制限のゲームのタイトルについてその筋の人からは名作ではないと言った意見が出るかも知れない。確かに、タイトルの中には我が国のその筋において名作とされている(小生的には迷作と言いたいが)、「kanon」、「Air」等の作品は含まれていない。しかし、それはそれで正しい選択なのだ。文化と言うものは万国共通の存在であるが内容には相違がある。我が国で人気があるからと言ってそれが外国でも通用するかと言えばそうではないのだ(これは個人的見解だが、前述の作品が外国<特に西欧圏>において人気を博せる内容とは思えない)。つまり、記事の内容は外国に出しても通用すると解釈された作品について論述が成されていると解釈すべきであろう。しかし、記事にある日本のゲームソフト市場の25%は年齢制限のゲームだとする記述は甘い見方かもしれない。このゲームソフト市場がPCだけなのかコンシューマーまで含んだものなのかでは相違があろう。少なくとも、小生が秋葉原のショップで見る限りはPCゲームに限って述べる限り、年齢制限のPCゲームと一般ゲームの比率は五分五分か或いは前者の方が多いと思う。これは諸外国では見られない事なのだ。まさに我が国の文化の多様性を示すものではなかろうか(例が適切かどうかは別として・・・)。

インターナル・ウェーブなアニメ

2004年06月06日 15時39分35秒 | 世情雑感(サブカルチュア)
 昨日に続き、本日もOVA「サブマリン707R」のネタで行ってみたいと思う。タイトルのインターナル・ウェーブとは内部波(内部静振)と呼ばれる水中の巨大な波動である。この内部波は水中内の温度差にちょっとした圧力が加わる事によって生じるもので、この波に巻き込まれると大きな水中圧力を受ける事になる。1963年の米国原潜スレッシャー号の沈没事故の一因ともされている(スレッシャーの沈没原因は公式では不明とされている)。Mission2において、この内部波でU潜水艦隊を全滅させ、UXに対してロケット弾を使用する等というところにまたまたこのOVAの渋さが隠されていると言えよう。水中でロケットが飛翔できる訳が無いと思われるが、魚雷後部より噴出するガス体で魚雷全体を包む事によって「燃焼」する事が可能と言う魔法のような代物である。ちなみに、ロケット魚雷はSFやアニメの産物ではなく、実在する。ロシアが開発した高速魚雷シクヴァルである。最大速力は200ノット(時速320キロ)に達すると言う化け物で(ロシア人は得てして訳の分からないものを開発する)、この速力ならば弾頭の破壊力だけでなくその速度による衝撃力で相手を破壊する事が可能であろう。実戦での使用例は無いが、一部が中国に輸出されていると言う話もある。しかし、昨日にも記載したようにOVAはこのMission2で完結である。このような名作(迷作?)こそ真に完結させてもらいたいものなのだが・・・。

Ocean Peace Keepingなアニメ

2004年06月05日 23時56分45秒 | 世情雑感(サブカルチュア)
 Ocean Peace Keeping(OPK)は通商線を脅かす海賊や麻薬や大量破壊兵器の密輸等を取り締まる為に海軍力を警察力として使用しようとする構想である。この構想とは異なえども類似した(?)テーマを扱っているのがOVA「サブマリン707R」である。本作は言うまでも無い「青の6号」等で知られる漫画家小沢さとる氏の「サブマリン707」を原作としている(「青の6号」よりも「サブマリン707」の方が有名かもしれない)。要約すれば優秀な館長に率いられた旧式ディーゼル潜水艦707号が謎の組織「U」との壮烈な潜水艦戦を戦って行くと言う内容である。
 しかし、このアニメ色々な意味で凄いアニメである。PKN(Peace Keeping Navy)という事でOPKという題材を取り上げている(厳密に言えば違うが)事もそうであるが、登場人物を見るにつけ広範なファンを獲得しようとした努力が見受けられる。潜水艦アニメとしては、そのデザイン性云々と言う観点からすれば「沈黙の艦隊」に勝る事は出来ない(「沈黙の艦隊」の漫画版は意外と誤りが多いのだが)。しかし、潜水艦アニメはデザイン性云々ではないのである。考えてみれば湾岸戦争直前に放送されていた「ふしぎの海のナディア」がハイテク戦争の前兆を的確に描き出したようにデザイン以前に本質を見抜く作品こそが一流なのだ。その点からすれば、多国籍組織に付き物の指揮権問題等をさり気無く取り上げ、UN-US・NAVYと記したエアフォース・ワン使用のボーイング707という小細工(707で掛けているのだろうか?)、尚且つ707号のベースが実は我が国海上自衛隊が戦後初めて建造した「おやしお(SS511)」としている点は極めて奥が深い演出がなされていると言えるだろう(この部分はOPの映像から明らかになる。ちなみに、OPの演出には「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督が関わっている)。
 そして、登場人物に至ってはロリコンとショタコンの混合物ですか?これは・・・と言いたくなるようなものである(見れば分かるが・・・)。これは様々な側面から見なければ分からない面白さだ。しかし、気になるのはMission2で完結となっているいるのだが、話の内容を考えると明らかに此処で終わらないだろうと言う作品である(予告版で使われていた映像が出てこないのだ。例えば空中発射型対潜水艦誘導弾<空中発射型サブロック?>のシーン等)。仮にこれで終わりとするならば、「新・海底軍艦」並みの終わり振りである。是非続編を完成させてもらいたいものだ。
 現在、OVAをPCで再生しながらこのBlogを書いているのだが、ネタが多すぎるなこのアニメは・・・。

補足)OPKに関する詳しい記述は日本国防衛庁防衛研究所(NIDS)の「ブリーフィング・メモ」を参考にされたい(http://www.nids.go.jp/dissemination/briefing/2003/pdf/200306b.pdf)。