VOL2 わ・た・し流

おとぼけな私ですが 好きな本のことや 日常のなにげない事等 また 日々感じたことも書いていきます。

心も・・寒い

2016-12-03 07:05:23 | 日記
やっと スタッドレスタイヤをつけた


  来年は 雪が多いらしい

私地方は あまり寒くない土地柄だけど


  それでも 過去雪に悩まされた年はある


来年は 以前孤立集落がでたような大雪がふるかもしれないとか



  これは 松原さん情報です


自然災害、各国のトップ交代 軍備増強・・・


  日本が どれほど翻弄されるのか かなり見通しは暗い


貧富の差は拡大の一途をたどり


  下流老人という言葉も 定着しつつあるけど


明治維新後から戦前まで


 庶民の暮らしは 朝ドラにみるとおりだった


私の父母の昔話は まるでおしんを地でいくし


 自分の子供時代だって

食べて行くのか やっとだった



 今でも覚えている


ご飯はあったものの  おかずは5人でサンマなら3匹


  お肉は豚小間100gが限度


夕飯に インスタントラーメンで キャベツくらいはいれてくれた


 卵掛けご飯は 大皿にもったご飯に1個 卵を落として

醤油をたらしたしろもので ただ生臭いだけ


  だから 修学旅行で 一人に1個の生卵がついた朝食に目をみはったっけ



中学3年の時の担任が


 我が家の貧しさをみて 当時の育英会奨学金を勧めてくれたが


源泉徴収暑を提出した時に  それをみた先生が え~~っ といったのを覚えている



  それほど うちは貧乏だったのか って

その時改めて思ったのでした



  それでも 米櫃がからになることはなく

ご飯だけは食べられたのは 母の超しまりやのおかげ



 なにしろ 学校から帰ると 何をおいても 内職の手伝いで


勉強しろんなんて言われたこともない


  公立の高校を落ちたら 働け。 大学?バイトして学費は自分でかせぎ

・国立以外はだめだ


  で・・塾なんてやる金・・そんなもんない 参考書?

そんなもん 授業をきいてりゃ必要ない



 まあ そんな感じ



子供だったから あの過酷な環境に耐えられたと 今でも思う


  身体も大事にできないような過酷な貧乏生活にもかかわらず

両親は 86、97歳まで生きた



  まあ、 美食をしなかったから  かもしれないけど・・


子供3人は 大学には行かれなかった


 弟だけは 少し暮らしが上向いたこともあって


奨学金をうけながら高専に行くことができた



  でも 人生って不思議だ

弟は 就職先が 次々倒産し 職を転々としたあげく


  結局父が行っていた 地域でもっとも給料の安い会社に落ち着いたのだった


兄は 安月給の会社を 高校でてから今まで勤めあげ


  きっと 3人のうちで 一番安定して年金を受け取れる


でも これからの人たちは


 年金もあぶない


薄氷をわたるような日本経済の行方を

 いったい どれだけの人が気づいているのかなあ



働かざる者 食うべからず


  弱者切り捨て の時代が またやってくるかもしれない


私らの老後も 今期の冬のような 予感


  でも 冬には冬の楽しみもあるさ


厳しい暮らしにもどることはきついけど


 知らない事ではない

「いつかきた道」・・・


でも あんまりありがたくないですね