トルコ航空
13日の産経新聞の記事によると、トルコ訪問中の小泉首相の強い要望イラン・イラク戦争の最中の1985年3月に、テヘランに取り残された日本人216人を救出したトルコ航空機のオズデミル元機長(75)と会い、日本の感謝の意向を伝えたそうです。この面談は小泉首相で実現した。小泉首相は「砲弾が飛び交う中、邦人を救出していただき、日本人はみな感動した。あなたがこの任務を引き受けなかったら、救出できなかった」と頭を下げた。オズデミル元機長は「邦人救出は私の任務だった。自分はその後、日本への直行便の機長もを務めました」と面会に応じて語ってくれたそうです。
トルコでは昨年、2年前に放送された日本人救出劇を描いたNHKの「プロジェクトX」がトルコ語で放送され、その際には「多くの日本国民から、在アンカラ日本大使館などを通じて感激のメッセージが届けられた」(外務省筋)とのことです。当時、フセインが、イラン領空を飛ぶ民間機も撃墜対象とすると宣言。数少ない航空券に人々が殺到した。各国の航空会社にとって自国民の救出が最優先だったため、日本人に席はなかった。日本の航空会社はイランに飛んでおらず、邦人は絶望の淵に追い込まれる。タイムリミット目前、日本人を救おうと命がけの行動に出た男たちがいた。特別便の手配に奔走する還暦間際の日本人外交官。同僚のために遠く離れた地で信じられない賭けに出た商社マン。そして、誰もが思いもかけなかった国・トルコの敏腕パイロットが、命がけの飛行をかってでた。対空砲が発射され、空襲警報が鳴り響くテヘランに向かうトルコ航空の特別便。国境を越え、人命救助に立ち上がった日本とトルコの人々の2日間の闘いを克明に描くいていた(プロジェクトXから一部抜粋)。
この日本人救出の恩を日本人は決して忘れず、その後のトルコ北西部大震災の際に恩返しに行ったことは記憶に新しいことと思います。こうしたトルコ側の対日支援は明治時代から続く両国の友好を象徴していますが、実は日本への「恩返し」の意味もあったそうです。従来からトルコはとっても親日の国として知られていますが、それは以前からの歴史的背景があったそうです。オスマン・トルコ帝国当時、アブドル・ハミト二世は1890(明治23)年、明治天皇への特派使節としてオスマン提督を日本に派遣した。しかし、使節団650人を乗せたトルコ軍艦「エルトゥールル号」は、トルコへの帰途、暴風に見舞われ、紀州・串本沖(和歌山県)で沈没してしまう。このとき日本側の手厚い救護で69人が救出され、日本の巡洋艦でトルコに送り届けられたのだった。この友好を象徴する出来事はトルコの小学校の歴史教科書にも書かれており、「トルコ国民は日本への恩を忘れない」という。いつまでも恩義を忘れないために子供のころから、こうして親日教育をすると子々孫々まで引き継がれていくんですね。それを考えると、反日教育を継続している中国、韓国、北朝鮮などで育てられた子供達は、当然先入観が入るだろうから始めから日本に対していい印象をもてなくなるのは当たり前なのかもしれませんねぇ