goo blog サービス終了のお知らせ 

「頑張るアーティスト」支援サイト

オーガニックデュオいぶき、アンニュイな中に光る感性の古賀久士、そしてひたすら頑張るアーティストみんなを応援するサイトです

下宿物語リターンズ 第5話

2010-07-07 | 下宿物語
 当時,下宿には,常時4~5人の下宿人がいたが,勤務時間等の時間帯的な関係で休日以外は,あまり顔を逢わせることは少なかった。そのメンバーの中には普通の高校生のはずだったが,拓郎やビートルズ,中村雅俊,すでに放映終了から10年以上経過していたのにも関わらず「俺たち旅」という青春ドラマに心酔していた酒好きでカナリ普通でない高校生「トクヨシ」,日々の人生を「バレーボール命」で過ごし,栄養をコカコーラのブドウ糖果糖液から摂取していたのではないかと思われる「Mr.コーク」こと石井君,人生経験を豊富に積んでいて静かなる頼れる下宿のインテリゲンチャ「鯨餅の兄ま」,後に成り行きで義兄弟の契りを交わし,ばあさんから「曽我兄弟」の兄と呼ばれることになった「酒乱童子ことマコト」,それに「曽我兄弟」の相方である弟となり,ばあさんからニックネームを付けられた「鉄砲さん」,鉄砲の由来は,よく当時一人旅に出て,いつ下宿に戻ってくるか,分からなかったと云うばあさんの勝手なイメージからの命名らしい。その後の主な登場人物として,当時大流行したビーバップハイスクールの主役級の俳優中村トオルに似ていて,かわいいキャラクターグッズのバイキンくんに顔が酷似していた「バイキンちゃん」,バイキンと言っても,彼が決して不潔だからと言う訳ではないのでくれぐれも念のため。若い割には考え方がしっかりしていてオジサンキャラ素材の割にイマイチ弱気で頑丈なコンクリートに成りきれなかった?「生コンさん」,なまはげの土地のデパート勤務から心機一転,にわか短大生になった田舎イケメン系な「トカギ」,本来は,トカゲのように精悍な顔立ちだったので,そう呼ばれていたが,いつのまにかばあさんが勝手に「トカギ」と言うようになって,それからはトカギと呼ばれるようになってしまった。それと,越後から仕事で下宿に来ていて,その圧倒的な大人の雰囲気で誠実な姿勢と存在感に頭が下がる思いがした「佐藤ちゃん」,田舎の広告印刷会社勤務でシトロエンとanan好きの実力派,のちに独立して広告デザイン会社を興した「デッキン」,それに彼のドレスコードにはジャージ以外のものは存在しないのではないかと思わせるくらいのジャージ好き,バレンタインの時には,モテモテのあまり,そのもらったチョコの多さ(段ボールいっぱい)で,思わず,ばあさんの嫉妬をかってしまった「アラキン」などのおもしろい面々がおりました。そんな,面白い下宿のメンバーに加え,愉快なばあさんの友達や親戚が加わり,毎日飽きない愉快な毎日が繰り広げられてゆきました。まるで面白くなければ下宿では無いかのように。
(つづく)          
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下宿物語  第8話

2005-08-02 | 下宿物語
 ターザン下宿へ現る・・・・・以前,自衛隊に勤める,昔からとても親しい友人が下宿に泊まりに来た時のこと,友人は,とても頭脳明晰,行動力のあるワイルドな男で人々からは「ターザン」と呼ばれていた。スタイルがよくスポーツ万能,渋谷で自衛隊とモデルクラブ両方のスカウトマンに声をかけられたと云うエピソードを持つ男であり,英語も堪能で仕事の関係で簡単な通訳をしたり,PKO国連平和維持軍関係では,ゴランにまで出かけていった行動派です。普段は千歳に勤めていて,時々休暇を利用して実家のある熊本に帰るのだが,その帰省の仕方が半端ではなかった。トレールタイプの250cc のバイクで千歳から小樽港まで陸走,小樽港からフェリーで舞鶴港へ,そこから北陸道,近畿道,名神道,中国道,九州道を通って熊本へ,帰りは,阿蘇・高千穂を抜け,日向港からフエリーで川崎港へ,上陸してからは,首都高,東北道をひたすら走り,宮城県古川サービスエリア付近で力尽き,そこで野宿,翌日彼が目覚めた時には,まわりに大勢の人が心配そうに集まっていたらしい。どうやら,サービスエリアの芝生の上で朝露にびっしょり濡れて寝ているのを倒れているか,死んでいると思われたらしい。彼が目覚めた時には,どよめきと歓声が上がったとか。ひとまず,一命を取り留めた(いや,寝ていただけだっちゅーの)ターザンは,芭蕉の奥の細道で知られる大河の川沿いを日本海を目指しひた走り,ついに無事,我がばあさんの下宿にたどり着きました。いい意味で変わり者,いやユニークな者同士は,何か同じ周波数の電波を出していると云うか,波長でも合うのか,初めて逢って1時間もしないうちにお互い旧知の知り合いのような雰囲気になっていた。この2人は,その数年後には,登別温泉(北海道)で再会し,楽しいドンチャン騒ぎの珍道中をすることになる。ターザンは,下宿に1週間ほど滞在し,下宿人達と青春や人生,恋愛オンナ,哲学などを大いに語り,頼れるにわか下宿人としての座を確実なものとしていった。
(つづく)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下宿物語  第7話

2005-07-26 | 下宿物語

 おかげで,ばあさんの知り合いらしき自分では面識のない人々から「うちの娘があんたを気に入ったみたいなんでおつきあいしてください!」とか「うちの孫娘がべっぴんさんだけど,もらってくれないか?」な~んて怪しい?有り難い?お誘いが度々ありました。

 そんな風に途中,あちこちに立ち寄り,道草を喰いながら「アメヨコ」に到着し,ばあさんが店内の通路を歩くと,あちこちから,ばあさんを知る人々が声をかける。

何かの店の女主人 「おばあちゃんは,
いつも元気だねぁ 」
魚屋のお兄さん   「おばあちゃん,いい魚が入ってるよ!おばあちゃんだから安くするよ 」
の黄色い声?がかかる。ばあさんは,そういう声に自然に反応し,いつもの口調で
「おめえさんもいつもキレイで羨ましいっちゃ!旦那さんは幸せもんだぁ
「おにいさん,優しくていい男だのぉ,私があと10若かったら,おにいさんの嫁さ んになりたいくらいだぁ!」

その言葉に一同爆笑,場内がなごんだ しかし,どう見ても魚屋のおにいさんは25~6歳,当時ばあさんは70歳,10歳どころか20歳でも,まだまだ嫁さんには足らない気がした。ばあさんの云う「女は灰になるまで女だ」と思えば,嫁さんには成れるのかも知れないが,全くの他人である魚やのお兄さんに「灰になりかけのお嫁さん」など誰がお薦めできようか。
あ~ぁ怖ろしや~怖ろしや~! 

 
そんな,なごやかな雰囲気の中,肉や野菜,魚介類を買い,たくさんオマケしてもらって,それらを背負子にくくり付けて二人で背負ってトコトコ下宿への道を歩いて帰って行った。下宿がもう目の前と言うところに八雲神社なる神社があり,その道路側に無名ながら美味しいと評判のいい「鯛焼き屋」があった。実際には,名前があるらしいのだが忘れた。その店は,鯛焼きを型でひとつひとつ丁寧に炭火で焼いていて,焼き上がりは,中がやわらかアツアツ,外皮はパリッっとしたカンジの鯛焼きだった。この店に来る主婦のお客さんの殆どが1匹くれ!とか言って,その場でパクッとくわえて出て行った,その仕草が妙にネコみたいで可愛かった。ばあさんは,鯛焼き屋の主人とも顔馴染みで世間話をしながら焼き上がりを待っていたが,ばあさんは,途中,何度も割り込んできて,急いで1匹だけ食べたいネコ主婦達に焼きたてを譲り,まとめて焼き上がったうちの2匹を新聞紙に包んでもらい,それを2人でネコ主婦同様にくわえながら下宿に戻るのがコースだった。
(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下宿物語  第6話

2005-07-19 | 下宿物語

 ばあさんが嫉妬したアラキーのチョコと言えば,毎年バレンタインの時期になると,ばあさんから貰ったバレンタインデーのチョコレートを思い出します。下宿人達に,ばあさんは,毎年種類の違ったチョコレートをデパートに買いに行っていました。当時,住んでいた街は何数年前に起きた大火により街の半分以上が建て替えられて,まるでジオラマのような造りの街になっていました。 「バレンタインデーの日」になると市内の中心部にあるデパートのお菓子売り場に出かけて行き,若い売り子さんにショーウィンドーに並んだチョコレートを指差し,年寄り言葉でこう言ったそうです

「おまえさんら,この中で一番愛してるって云うのが
分かるチョコれーと売ってちょ~だ~い」

それを聞いた売り場の若い売り子さん達は,面白いおばあちゃんだと大いに喜び,ワイワイガヤガヤと盛り上がり,売り場全員で真剣にチョコレートを選んでくれてたとか。まぁバレンタインの日に小さな街のデパートで沢山のチョコレートを買い込むばあさんの姿が目立たないはずはなく,お菓子売り場のみならず,デパ地下の他の売り子さん達の間では有名人だった。

 ばあさんは,晩年までは足腰が達者な人で,毎日下宿の食材を買いに行くときも,いつも背負子(ショイコ)を背負い歩いて港のそばにある「アメヨコ」まで出かけていた。「アメヨコ」と云う名前のつくところは,どこに行ってもあるもので,そこも,やはり近くのスーパーよりも安くて新鮮な野菜や魚介類が手に入る場所でした。その「アメヨコ」でも,我らのばあさんは人気者でした。一度自分が休みだった日に,ばあさんを手伝って一緒に散歩がてら付いて行った時のこと,ばあさんは,道の途中にある店の店主らしき人達と親しげに挨拶を交わし,手妻のじいちゃんや白崎屋さんとか,それらの家の何軒かでは招かれるままに上がり込んでお茶をご馳走になりました。小生にとっては,初めて訪問した家であるはずなのに,こちらの名前を知っていました。あとで分かったことなのですが,どうもばあさんが下宿人の写真をいつも持ち歩き,これが誰々くんだとか親しい知り合いに見せて歩いていたらしかった。
 (つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下宿物語 第4話

2005-06-30 | 下宿物語

 若くて無駄なエネルギーのはけ口を必要としていた当時の下宿人達の事を考えると、なかなか説得力のある言葉だと思った。事実、夜な夜な、どこかに、ほと走らせたい充満する若いエネルギーを持てあましていたことを下宿人一同感じていたのは間違いない。独身男の集まる下宿や寮の持てあましている満たされないエネルギーで発電でもできるのではないかと本気で思っていたこともあった。今の時代では考えられないが,ストーカー等とは縁遠く,正しくお気に入りの女の尻を追いかけ回し,毎晩のように角瓶で酒盛りをしながら人生や哲学,宇宙を語り明かし,連日徹夜寝不足でもヘッチャらだった。若さと云うことは,言葉では言い表せないけれど,ああいうことだったんだと最近その素晴らしさがわかってきました。だから,年齢を積む毎に,これからは,その過ごしていく時間の充実を意識していこうと考えるようになりました。当時,男女関係に理解をもって厳しくキチンとしていたばあさんは,そのかわり,休日の昼間に下宿へ知り合いの女性を連れてきて、ばあさんに正式に紹介しようものなら(通称,面通し)大いに喜び,あたかも親戚がきたかと思わせるくらい手放しで歓待してくれた。そこらじゅうからご馳走を並べ,鯛やヒラメの舞い踊り状態となっていた。その際ばあさんは、さりげなく怖ろしいくらい率直かつ直感的に女の善し悪し(評価)?をサラリと言ってのける。連れてきたほうは惚れた弱みがあるから採点が甘いのは仕方ないとして,ばあさんの云っていた時には厳しいと思える評価,それが不思議なくらい的を得ていたことが後日判明していくことがしばしばあった。「女は灰になるまで女だ」が口癖だったばあさん,さすがです (つづく)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下宿物語 第3話

2005-06-14 | 下宿物語
 ばあさんは、強くとても女らしくシャイなオンナだった。明治生まれと云うこともあったのかも知れないが、男女の関係には理解がある代わりに逆に厳しかった。野郎だけの下宿ゆえ、理解のあるばあさんだと調子に乗って馴染みの女性を下宿に連れ込んだりしたら大変だった。朝の早い働き者のばあさんは、玄関の掃除を欠かさない、深夜に脱ぎ捨てられたハイヒールはあからさまだから云うまでもないが、安物の強い香水の残り香も逃さない。ばあさんにすると、朝早く、こっそり帰るならまだしも、声を出したりしないなら、とか云う問題ではなかった。まわりは野郎ばかりだから、ひとりだけルールを破って、周りを考えず、いい思いをするのはよくない、そういう人は、決して下宿と云う場所に住むべきではないと語っていた。男女関係や男の生理は弁えているかわり,女を労れない男は勿論のこと,男女の破廉恥やルーズは許さない。当時下宿人は,6人くらいいたが,風紀上や素行上でばあさんから追放する下宿人の相談を何度か受けたことがある。殆どは,ばあさんの判断通り追放されてしまったが,一度だけこちらから慰留嘆願を申し出たことがあった。それは,この後登場してくる短大生「トカギ」だった。

(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下宿物語 第2話

2005-05-23 | 下宿物語
 下宿に入ると,めちゃくちゃにばあさんをしている大家であるばあさんが出迎えてくれた。挨拶を交わす間,その土地の方言と年寄りの言葉で何度も意味が分からないシーンがあって,お互いに戸惑うことがあったものの,ばあさんの優しい目が余計な言葉を必要としていなかった。

ばあさんの第一声,「けぇー!」と云う言葉だった。

何の意味か分からないでいると,もてなしにと,いきなり漬け物,茶菓子,ビール,ぼた餅が目の前に並べられた。どうやら「遠慮せず食え!」と云う意味だったらしい。 その下宿のばあさんの名は「セン」と云い、すでに他界して、もう決して会うことは叶わない。彼女との出会いは、かれこれ25年ほど前になる。明治37年生まれの矍鑠たるばあさんであった。子供の頃は,おしんのドラマさながら,子守をしながら小学校の教室を覗き,16歳で戦前死別した旦那の元へ嫁入りした。20歳過ぎからリウマチを患い,病気と闘いながら妻と母を両立させ,辛い時期を経て,その後旅館の仲居をしながら生計を立てて子供を育てあげた苦労人である。激動の世界を生き,満足に小学校すら出てはいなかったため,簡単な漢字とカタカナしか書くことはできなかった。でも,ばあさんは,その簡単な漢字とカタカナを駆使して,多くのやさしい手紙や伝言を書いていた。電話帳,置き手紙,特に印象的だったのは,バレンタインの時のメッセージ,これはまた後日詳しく話すことにします。

(つづく)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下宿物語 第1話

2005-05-15 | 下宿物語

その昔,山形県の日本海側の,とある小さな街に住んでいた頃,おそらく人生において一度だけ下宿と云うものをしたことがあった。その町は最上川の河口に位置し,はるか沖合には小さな離れ島,目の前には鳥海富士と呼ばれる山が,遠くには霊峰月山,そして出羽三山が連なっていた。水極めて清く,米が美味しくて酒も旨くて魚が新鮮,その上,女性がキレイと何拍子も揃ったご機嫌な街だった。だだ,あの決まってやってくる冬の地吹雪と鉛色の空さえ除けば・・・・ そこで,この物語の主人公である「ばあさん」との運命的な出会いをすることになる。人が聞いたら大袈裟だと笑うかも知れないが,決して笑い事では片づけられない出会いと云うものが,そこには確かに存在した。出会った当初,お互いがそのような出会いになることなどは,当時知る由もなかった。右も左も分からない初めての土地で,しかも全くのあかの他人の家で厄介になることなど煩わしい思いで一杯だった自分にとって,その下宿は極めて新鮮だった。駅に続く大きな通りから一歩迷路のような細い裏通りを入ると,急に静かな住宅地となり,そのばあさんの下宿は,墓場の前にあった。なんとなく墓場の前の下宿と聞くと薄気味の悪いものだが,松の木はあるものの、それほど墓石の数も少なく,漂う空気もどことなくドライなカンジがしていたので少し安心した。ここだけの話,人にはあまり言ったことはないが,お化けと美女は昔から苦手だった。まあ,独り言で「俺は,もともと人が好きだし,性善説だから,どんな人間がいても,きっとどうにかなるだろう」と云うくらいの安易なカンジで下宿の門を叩いた。

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする