(つづく)









おかげで,ばあさんの知り合いらしき自分では面識のない人々から「うちの娘があんたを気に入ったみたいなんでおつきあいしてください!」とか「うちの孫娘がべっぴんさんだけど,もらってくれないか?」な~んて怪しい?有り難い?お誘いが度々ありました。
そんな風に途中,あちこちに立ち寄り,道草を喰いながら「アメヨコ」に到着し,ばあさんが店内の通路を歩くと,あちこちから,ばあさんを知る人々が声をかける。
何かの店の女主人 「おばあちゃんは,いつも元気だねぁ 」
魚屋のお兄さん 「おばあちゃん,いい魚が入ってるよ!おばあちゃんだから安くするよ 」
の黄色い声?がかかる。ばあさんは,そういう声に自然に反応し,いつもの口調で
「おめえさんもいつもキレイで羨ましいっちゃ!旦那さんは幸せもんだぁ」
「おにいさん,優しくていい男だのぉ,私があと10若かったら,おにいさんの嫁さ んになりたいくらいだぁ!」
その言葉に一同爆笑,場内がなごんだ しかし,どう見ても魚屋のおにいさんは25~6歳,当時ばあさんは70歳,10歳どころか20歳でも,まだまだ嫁さんには足らない気がした。ばあさんの云う「女は灰になるまで女だ」と思えば,嫁さんには成れるのかも知れないが,全くの他人である魚やのお兄さんに「灰になりかけのお嫁さん」など誰がお薦めできようか。
あ~ぁ怖ろしや~怖ろしや~!
そんな,なごやかな雰囲気の中,肉や野菜,魚介類を買い,たくさんオマケしてもらって,それらを背負子にくくり付けて二人で背負ってトコトコ下宿への道を歩いて帰って行った。下宿がもう目の前と言うところに八雲神社なる神社があり,その道路側に無名ながら美味しいと評判のいい「鯛焼き屋」があった。実際には,名前があるらしいのだが忘れた。その店は,鯛焼きを型でひとつひとつ丁寧に炭火で焼いていて,焼き上がりは,中がやわらかアツアツ,外皮はパリッっとしたカンジの鯛焼きだった。この店に来る主婦のお客さんの殆どが1匹くれ!とか言って,その場でパクッとくわえて出て行った,その仕草が妙にネコみたいで可愛かった。ばあさんは,鯛焼き屋の主人とも顔馴染みで世間話をしながら焼き上がりを待っていたが,ばあさんは,途中,何度も割り込んできて,急いで1匹だけ食べたいネコ主婦達に焼きたてを譲り,まとめて焼き上がったうちの2匹を新聞紙に包んでもらい,それを2人でネコ主婦同様にくわえながら下宿に戻るのがコースだった。
(つづく)
ばあさんが嫉妬したアラキーのチョコと言えば,毎年バレンタインの時期になると,ばあさんから貰ったバレンタインデーのチョコレートを思い出します。下宿人達に,ばあさんは,毎年種類の違ったチョコレートをデパートに買いに行っていました。当時,住んでいた街は何数年前に起きた大火により街の半分以上が建て替えられて,まるでジオラマのような造りの街になっていました。 「バレンタインデーの日」になると市内の中心部にあるデパートのお菓子売り場に出かけて行き,若い売り子さんにショーウィンドーに並んだチョコレートを指差し,年寄り言葉でこう言ったそうです。「おまえさんら,この中で一番愛してる
って云うのが
分かるチョコれーと売ってちょ~だ~い」
それを聞いた売り場の若い売り子さん達は,面白いおばあちゃんだと大いに喜び,ワイワイガヤガヤと盛り上がり,売り場全員で真剣にチョコレートを選んでくれてたとか。まぁバレンタインの日に小さな街のデパートで沢山のチョコレートを買い込むばあさんの姿が目立たないはずはなく,お菓子売り場のみならず,デパ地下の他の売り子さん達の間では有名人だった。
ばあさんは,晩年までは足腰が達者な人で,毎日下宿の食材を買いに行くときも,いつも背負子(ショイコ)を背負い歩いて港のそばにある「アメヨコ」まで出かけていた。「アメヨコ」と云う名前のつくところは,どこに行ってもあるもので,そこも,やはり近くのスーパーよりも安くて新鮮な野菜や魚介類が手に入る場所でした。その「アメヨコ」でも,我らのばあさんは人気者でした。一度自分が休みだった日に,ばあさんを手伝って一緒に散歩がてら付いて行った時のこと,ばあさんは,道の途中にある店の店主らしき人達と親しげに挨拶を交わし,手妻のじいちゃんや白崎屋さんとか,それらの家の何軒かでは招かれるままに上がり込んでお茶をご馳走になりました。小生にとっては,初めて訪問した家であるはずなのに,こちらの名前を知っていました。あとで分かったことなのですが,どうもばあさんが下宿人の写真をいつも持ち歩き,これが誰々くんだとか親しい知り合いに見せて歩いていたらしかった。
(つづく)
若くて無駄なエネルギーのはけ口を必要としていた当時の下宿人達の事を考えると、なかなか説得力のある言葉だと思った。事実、夜な夜な、どこかに、ほと走らせたい充満する若いエネルギーを持てあましていたことを下宿人一同感じていたのは間違いない。独身男の集まる下宿や寮の持てあましている満たされないエネルギーで発電でもできるのではないかと本気で思っていたこともあった。今の時代では考えられないが,ストーカー等とは縁遠く,正しくお気に入りの女の尻を追いかけ回し,毎晩のように角瓶で酒盛りをしながら人生や哲学,宇宙を語り明かし,連日徹夜寝不足でもヘッチャらだった。若さと云うことは,言葉では言い表せないけれど,ああいうことだったんだと最近その素晴らしさがわかってきました。だから,年齢を積む毎に,これからは,その過ごしていく時間の充実を意識していこうと考えるようになりました。当時,男女関係に理解をもって厳しくキチンとしていたばあさんは,そのかわり,休日の昼間に下宿へ知り合いの女性を連れてきて、ばあさんに正式に紹介しようものなら(通称,面通し)大いに喜び,あたかも親戚がきたかと思わせるくらい手放しで歓待してくれた。そこらじゅうからご馳走を並べ,鯛やヒラメの舞い踊り状態となっていた。その際ばあさんは、さりげなく怖ろしいくらい率直かつ直感的に女の善し悪し(評価)?をサラリと言ってのける。連れてきたほうは惚れた弱みがあるから採点が甘いのは仕方ないとして,ばあさんの云っていた時には厳しいと思える評価,それが不思議なくらい的を得ていたことが後日判明していくことがしばしばあった。「女は灰になるまで女だ」が口癖だったばあさん,さすがです (つづく)。
その昔,山形県の日本海側の,とある小さな街に住んでいた頃,おそらく人生において一度だけ下宿と云うものをしたことがあった。その町は最上川の河口に位置し,はるか沖合には小さな離れ島,目の前には鳥海富士と呼ばれる山が,遠くには霊峰月山,そして出羽三山が連なっていた。水極めて清く,米が美味しくて酒も旨くて魚が新鮮,その上,女性がキレイと何拍子も揃ったご機嫌な街だった。だだ,あの決まってやってくる冬の地吹雪と鉛色の空さえ除けば・・・・ そこで,この物語の主人公である「ばあさん」との運命的な出会いをすることになる。人が聞いたら大袈裟だと笑うかも知れないが,決して笑い事では片づけられない出会いと云うものが,そこには確かに存在した。出会った当初,お互いがそのような出会いになることなどは,当時知る由もなかった。右も左も分からない初めての土地で,しかも全くのあかの他人の家で厄介になることなど煩わしい思いで一杯だった自分にとって,その下宿は極めて新鮮だった。駅に続く大きな通りから一歩迷路のような細い裏通りを入ると,急に静かな住宅地となり,そのばあさんの下宿は,墓場の前にあった。なんとなく墓場の前の下宿と聞くと薄気味の悪いものだが,松の木はあるものの、それほど墓石の数も少なく,漂う空気もどことなくドライなカンジがしていたので少し安心した。ここだけの話,人にはあまり言ったことはないが,お化けと美女は昔から苦手だった。まあ,独り言で「俺は,もともと人が好きだし,性善説だから,どんな人間がいても,きっとどうにかなるだろう」と云うくらいの安易なカンジで下宿の門を叩いた。
(つづく)