「名古屋のコメ兵なら、中古品かもしれないけど安く買えただろうに」という同僚のことばもあとの祭りで、
つい「定価で買うことが大事なんだ。うちだって値引きねびきで苦労しているだろうが。
みんなが定価で買えば、こんな苦労はしないですむんだ」と、負け犬の遠吠えをしてしまった。
その苦い思い出の時計をじっと見つめながらただ突っ立っているぼくに
「静子ちゃんがね、あなたとお話をしたいんですって。
でもふたりきりは恥ずかしいから、お姉さん代わりのあたしに同伴して欲しいというのよ」
と、麗子さんがとびっきりの笑みを浮かべながら説明してくれた。
異性との付き合いが苦手なぼくには、ある意味ありがたいことだった。
しかも憎からず思っている相手だけに、小躍りせんばかりの気持ちだった。
すぐにもOKの返事をせねばと思っている口から出たのは「はあ…」と気乗りのしない生返事だった。
事あるごとに「おまえの性格だと彼女はできないぞ」と、先輩社員に揶揄られているぼくで、
硬派ぶるくせがとれない自分が――そのくせひといち倍異性に対して関心が高い自分がいやでたまらない。
結局ことばをにごしたままにしてしまった。
会社に戻るや否やこちらも社長の娘である貴子に
「どうしてOKしないの。好きなんでしょ、あの子のこと」と、叱責された。
そんなことないさとうそぶいたものの、会社内では公然の秘密になっていることだった。
しきりにデートしろとはやすので、「教えたのはあんたか!」と荒げた声を出した。
店先で商品の入れ替えをしていた女性社員がなにごとかと顔を上げたが、相手が社長の娘だと知るやあわてて飛んできた。
あやまりなさいと頭を押さえつけられた。
当の貴子は「いいわよ、放してやりなさい」と、どういうわけか笑っている。
みなが敬語を使いはれ物に触れるようにせっする中、ぼくだけはため口を利いている。
真理子さんにはそのことが新鮮に映っているのだろうか。
きれいな形のリンゴばかりを食していると、たまにはいびつな形のリンゴも食してみたいと思うようになるとか…は、ないか。
映画の見過ぎのような気がしないでもない。
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