それが9時近くになって、やっと帰ってきた。
その時間が麗子には長く感じられ、不安だけが募った。
裏通りにあるアパートである。
人通りはまるでない。街頭にしても、アパートの階段に設置してある電灯だけだ。
しかもまだ修理されていない。
あとは、50mほど先にある。
しかも、何時になるのか わからない。
麗子の心は、恐怖感におそわれていた。
いつなんどき暴漢が現れるかもしれない。
そのときには誰かの部屋をノックすればいい。
いやこのアパートの住人すらあぶない。
〝どんな人が住んでいるのか、まるで分からないんだ。
素性はもちろん、男か女かもわからない。
というより、こんな場所だ。おとこだろうけどね〟
男にきいた話だ。
といって帰る気にもなれず、途方に暮れていた。
そんなときの、男の帰宅だった。
ムラムラと、怒りの気持ちと嫉妬心が渦巻いた。
で、悪態をつきながら男に先んじて部屋を調べたのだ。
女のにおいはなく、やはり噂はうわさだと安心した。
しかし、待たされた腹いせと、再確認の意味も込めて問い詰めてみたのだ。
だが男は平然と、とぼける。
即座に否定して欲しい、という麗子の思いは砕かれた。
怒り・嫉妬心・欲望、そんな思いの入りまじったなか、麗子は 男にしがみついたのだ。
不思議に痛みを感じなかった。
男が手加減をしたわけでもない。
何も考えられないのだ。
ふらふらと夢遊病者のように、立ち上がった。
「かえる」
男は、黙って麗子を送りだした。
平手とはいえ、麗子をなぐったことには変わりない。
〝やり過ぎたかナ”と思いつつも、麗子のことばは許せなかった。
ミドリとのことに、土足で踏み込まれたくなかった。
なにか神聖なものに思えていたのだ、色恋を越えた感情にとらわれていた。
ドアの閉まる音がした。
男は、タバコに火をつけ怒りの気持ちをしずめようとした。
しかし、あとあじの悪さだけが残った。
麗子の靴音が遠のいて行く。
急に不安を感じた男は、あわてて麗子を追いかけた。
麗子の様子が尋常ではないと、感じたのだ。
麗子は、気丈に歩いていた。男にはそう 見えた。
声を掛けることなく、黙って見守っていた。
大通りに出たところで、通りかかったタクシーを呼び止める麗子を確認すると、いつもの居酒屋に足を向けた。
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