昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

せからしか! (五) こんなことがあった。

2019-11-19 08:00:42 | 小説
 こんなことがあった。
 夏の暑い日に、ソフトクリームを食することになった。
兄のコーンには、エッフェル塔のごとくにそびえ立つクリームがたっぷりだった。
それに引きかえ私のそれは、丸い屋根ーイスラム教の寺院の屋根だった。

「ずるい!」
 そんな不平をもらした折に「お兄ちゃんのは後ろ側にはないんだよ」と返された。
子ども心には分からない大人の分別ゆえのことであり、たっぷりの冷菓によって、私がお腹をくだそうものならどういうことになっていたか。
父の烈火のごとくに怒る姿は、誰にも想像できるものだ。 

 あの頃の母に対する記憶が、私にはまったくない。
いや、ほとんどない。
あるのは、私自身の記憶ではなく、叔父から聞かされたー母ちゃんのおっぱいを「パイパイ」って、しょっちゅう飲んでたぞーということだけだ。
その折の苦虫をかみつぶした父の顔は、日頃の厳格な父に対する反発があって、従兄には溜飲の下がる思いだったとか。

「お前は、商業高校に行け。そこで簿記なりをしっかりと覚えて、店の役立つ人間になれ。
お前の父親である、わしの兄さんが今際の際に言ったんだ。
『山本家はお前が盛り立ててくれ。そのときには、わしの息子を頼むぞ』とな。
だから、この跡取りを支えてやってくれ」

 これといって将来の絵図を書いていたわけでもない従兄にすれば、中学に入ったばかりの叔父の面倒をみてくれている事に対する感謝の気持ちは強かった。
精一杯の恩返しをせねば、とも考えていた。
しかし毎日毎日小言を言われ続ける内に、次第に反発心が芽生えてきた。

 あるとき、店の女店員と夕食後に店の裏で話し込んでいる場面を見咎《とが》められてしまい「小僧のくせに色気づくとは!」と、竹箒で幾度となく叩かれた。
そしてその女店員も「二十歳にもならん小娘が!」と、親元に送り返されてしまった。

 父にしてみれば、親元から預かっている娘たちを慮《おもんばか》ってのことかもしれない。
そしてその頃学業に身が入らずにいた従兄を、叱っただけのつもりかもしれない。
しかし従兄は、その窮屈さに息が詰まりそうになっていると母に愚痴をこぼしていた。


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